お盆休暇

 8月に入った。

 暑さの真っ只中、お盆ももうすぐだ。


 子供の頃は、いつも仕事でドタバタと慌ただしい両親もこの時期はやっと休暇を取り、家族でどこか夏らしい場所へ出かけたりという、夏の楽しみのぎゅっと詰まった期間だった。

 俺の場合、大学院卒業後フリーターでしばらくふらっと過ごし、神岡工務店に就職と同時に神岡との同棲が始まって、何だかんだでそのすぐ後に自分の特異な体質を知り、そこから一気に妊娠出産というような大仕事へ乗り出してしまった。考えてみれば、ハードワークの合間の大型休暇の喜び、というのも結局まだ何度も経験していない。

 数日前、神岡にちらっとそんな話をしたら、「僕としては、君にはバリバリのビジネスマン的オーラはあんまり背負って欲しくないなあ。ふわっと優しい君の笑顔を見ていたい」とかニヤニヤしつつおかしな返事が返ってきたから困った。男たるもの、果たしてそういう言葉に甘んじていいのか……。

 神岡も、こんな風に毎日家で育児家事に携わっていながらも、会社に向けたアンテナを常に張り続けているのがよくわかる。お盆が近づくにつれてどこかほっと解放されるように和らいでいく彼の表情を隣で見ていると、お盆休みはいろんな意味で心に潤いをくれる大切な時間なのだと改めて実感する。


 そして何より、今年は子供達が家族に加わって初めてのお盆だ。

 この世へ戻ってくる先祖たちを静かに迎え、血の繋がった者たちが顔を合わせて共に過ごす数日間。

 両親ともにまだバリバリの現役で、衰えや死という翳りは自分から遠い気がしても——ここまで命を繋いできた自分たちの先祖に深く感謝し、ここから先に繋がっていく命の幸せを願わずにはいられない。

 これまで何気なく過ごしていた昔ながらの行事が、今までとは全く違う意味を持つ時間に変わっていくのが不思議だ。



 子供達は、現在7ヶ月目。晴も湊も、成長ぶりは順調そのものである。

 湊はとうとう先週寝返りが完成した。晴は、ころりとうつ伏せになった後、お腹の下になった手がまだ抜けず、あと一息っ!!と二人で声援を送っている状況だ。

 離乳食もいい感じで進んでいる。晴は豆腐と人参を加熱してすりつぶしたスープが目下のお気に入りらしく、湊は茹でたほうれん草のペーストをおかゆに乗せたものが好みのようだ。二人とも、好きなメニューは目を輝かせながら真剣に口をむぐむぐ動かして食べる。加熱してペーストにするという作業は、思った以上に手間暇がかかるもので、美味しそうに食べてくれるその顔は親として最高の喜びだ。

 親の幸せというのは、こうして少しづつ積み重なっていくのものなんだなと、日々成長していく二人の表情を見つめながらふと思う。



 早朝から日差しもギラギラな、土曜の朝。

 子供達のシーツを替え終えたところに、テーブルのスマホが着信を知らせた。

 スマホを手にした俺は、画面に表示された相手に一瞬びびった。


『柊か? 久しぶりだな〜元気か!? 樹くんと子供達は!?』


 相変わらず快活で今一つボリュームを絞りきれない声が電話の奥から響いた。


「あー父さん、久しぶり!」


 母からは、忙しい合間を縫って時々電話が来るのだが、父から電話ってぶっちゃけいつぶりだろう。

 何か深刻な連絡とかではない明るい声の調子にホッと安心する。


「うん、こっちはみんな元気だよ。晴も湊も順調に成長してる。仕事、相変わらず忙しそうだね」

『おお、みんな元気か。母さんからも時々様子は聞いたりしていたが、お前の声も元気そうで安心したよ。

 樹くんも、今育休を取ってくれてるんだそうだな。それを聞いたときは、本当に嬉しく、有り難かった……やはりただの敏腕副社長じゃないな、彼は。

 まあ忙しいのはいつものことだ。しかし今年はお盆来るのがもーずっと楽しみでな! 母さんとも今年はしっかり休暇を合わせたから、お前たちのところへがっつり会いに行けるぞ。近くにホテルとって、丸4日そっちにいられそうだ……いやあもう頰が緩んで困るな〜』


 どうやら父は、今年1月に孫たちを抱きしめて以来、このお盆休暇を一日千秋の思いで待ちわびていたようだ。

 いつも仕事に張り切ってはいても、それ以外の個人的な何かに興味を示した様子をほとんど見たことがない父が、こうして晴と湊を常に心に置いてくれているそのことが、俺の胸に温かく響く。


「父さん……嬉しいよ。すごく」

『ん? いや、そんな改まったことを言われるようなアレは少しも……ああ、土産か? それは母さんと散々話し合って選んだ物を用意してるから心配するな、ははっ』

「そーじゃなくって!」


 ——もしかしたら、父さんもそれなりに照れ臭いのかもな。

 軽く話を茶化そうとする父を、俺は言いかけた文句を引っ込めて笑って受け止めた。


『じゃ、来週木曜、母さんとお邪魔するのでよろしくな。詳しい時間はまた連絡するよ』

「うん。——待ってる」


 スマホを置きながら、温かい思いにしばし浸り——そのすぐ後に、あまりのんびりもしていられないざわつきがすぐに訪れた。

「樹さん〜! うちの両親、来週木曜からガッツリ4日間孫たちと遊ぶ予定でいるみたいです! 多分ここで大いに飲んだり食べたりしますよね、うわー色々仕入れてこなきゃですよ〜!!」

 手元にあったシーツを丸め、カゴに積んでおいた洗濯物と一緒に洗濯機へドカドカと放り込みながら、俺はキッチンで皿を洗う神岡に慌ただしくそう伝えた。





* 





 予定していた、木曜の午後。

 俺の両親は、何やら両手に重そうな荷物をたくさん抱えて我が家を訪れた。

「久しぶりだな、樹くん! 柊が、いつも本当にお世話になっているね」

「柊のために、1年間育休まで取ってくださって……樹さん、本当にありがとうございます」

「お久しぶりです、お義父さん、お義母さん。お待ちしていました」

 玄関で深く礼をする二人へ丁寧に頭を下げ、手を伸ばしてその荷物を受け取りながら神岡が明るい笑顔で迎える。


 リビングでは、さっきからぐずり気味の子供達に、俺はオロオロと苦戦中だった。

 どこかソワソワと落ち着かない俺と神岡の様子を敏感に感じ取るのだろうか。さっきオムツ替えも授乳も済ませたし、いつもならマットに下ろせばご機嫌な顔で遊び出す時間なのに……今日はマットの上でも二人の眉間のシワが取れない。

「うあうあ、うああ〜! (何か様子が違う!)」

「ぐぶうぶぶ、ぐぶ……! (落ち着かねー)」

 ふっくらと小さな手足をマットにパシパシと打ちつけながら、最近増え始めた喃語で必死に何かを訴える。いつもならその愛らしい声に一音も漏らさず聴き入るところだが、今日はとにかく天使のスマイルで両親を迎えて欲しい。

「ほら〜、お前たちのおじいちゃんおばあちゃんだぞ、久しぶりだろ? いつもみたいに可愛く笑おう、な!!?」

 子供達の機嫌をなんとか取るべく、俺は手近なガラガラなどをやたらに振って二人を必死にあやしていた。


「おおーー、晴、湊!! すっかり男らしくなったじゃないか!!」

「あらあらあまあ〜〜!! 珠のような男の子とはまさにこのことね!!」

 リビングへ入るや、手にしていたものをその場へどさりと置くと、両親はまさに目をキラッキラに輝かせて子供達へ走り寄る。

 その勢いに、二人はもはや完全に気圧され、一斉に勢い良く泣き始めた。


「……ふ……んぎゃ、んぎゃっっ……!!」

「ふあ、ふあっっ!!!」


 あー、なんかこの大合唱久しぶりな気がするー。



「ああ、これはびっくりさせちゃったな、すまんすまん。私たちもちょっと落ち着かなきゃな。

 ——柊、久しぶりだな」

 明るく笑ってから、父は改めて俺に向き直って微笑む。


「うん。久しぶり」


「柊の元気な顔が見られて、嬉しいわ。本当に。

 あなたが一時疲労を溜めて調子を崩したと聞いた時には、本当に心配だったけど……スケジュールをどうすることもできなくて。

 何も手伝ってあげられなくて……ごめん。柊」


 母も、ぐっと何かを堪えるような声でそう言うと、じっと俺を見つめる。


 こうして改めて両親の前で辛かった時間を思い返したりしてしまうと、ぶわっとおかしな涙が出そうになって困る。

 心の揺れをなんとか堪えながら、俺は泣いている晴を大きく抱き上げた。


「父さんや母さんがそんな風に思うこと、全然ないよ。

 俺も、全部自分でやりたいって、最初は頑固すぎるほどにそう思ってて……それが間違ってたって、最近やっと気づいたんだ。

 親が苦しみを我慢しながら子育てに向き合ってるってことは、その分子供達もきっと苦しいんだと……。親の苦しみは、結局子供にしわ寄せがいっちゃうんだと、実際にそうならなきゃ気づかなかった。

 それに、今こうやって樹さんと一緒に毎日育児に向き合えてるんだから、いろいろあっても結果オーライじゃん!って、今は思ってる」

 晴をあやしながら、俺は胸にある思いをそのまま二人へ伝えた。

 

「——僕も、こんなにも貴重な時間が自分に訪れるなんて、全く思っていませんでした。

 子供たちの成長していく一瞬一瞬にこうして立ち会えるなんて、まるで奇跡みたいに幸せで。

 長期の育休を会社に申し出る勇気を持てたのは、ここまでの苦難があったからこそだと……そのおかげで僕もこんな大きな喜びを手にできたんだと、改めて感じています」

 神岡も、腕の中の湊を優しく揺らしながら穏やかにそう話す。



「——あー、もうほんと参っちゃう……私、こんな出来た息子産んだ覚えないんだけどな……ね、父さん?」


 微かに目を潤ませるようにしながらそんな風に笑う母に、父も静かに頷いた。


「本当にな。

 それに、息子がこんな素晴らしい男を伴侶にするなんてことも、予想すらしなかったよ。


 ——樹くん、柊。ありがとう。

 私たちは、つくづく幸せ者だ」


 両親は、俺たちへ向けて心から嬉しそうな笑顔を浮かべた。


 母が、思い出したように手を打って持参した荷物に手を伸ばした。

「そうそう! 今日はねー。孫たちにいっぱいお土産があるの! お父さんとああでもないこうでもないって選んだのよー、うふふ♪」

「そうだった。そろそろ知育玩具なんかもいいんじゃないかと思ってな。

 それから、美しい絵本。夢中で選んでるうちについ大量になっちゃってね。そして今人気の一流建築家の作品の写真集と……」

「え、写真集……ですか?」

「ああ、もちろん。将来のためにな♪ 柊にもちっちゃい頃から見せてたなあ。な、柊?」

「……すみません、うちの親やっぱちょっと変わってて……」


 わいわいと賑やかなところへ、ふとテーブルのスマホがメッセージの着信を知らせた。


『お盆中は、みなさんどうされてますか?

 もしお時間あったら、ちょっと花火できたらいいな、と思って。赤ちゃんって花火とか大丈夫ですか?』


 須和翔吾くんからのメッセージだ。



「——彼も、呼んじゃおうか?」

 俺と神岡は、同時に小さな微笑みを見合わせた。



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