すき焼きとロック

 5月中旬の水曜、午後5時半。

 今日は宮田へのお礼の気持ちを込めたすき焼き会の当日である。


 子供達は早めに風呂を済ませ、今しがた授乳を終えて二人とも気持ちよさそうに眠っている。早速神岡と二人でパーティの準備に取り掛かった。もちろん肉は最高級の和牛をがっつり用意している。


「宮田くんにはいつも僕たちを気にかけてもらって、本当に有り難いよね。かつてはとんでもない男だと思ったものだが……こうして繋がりを持てていることに、今は心から感謝してる。

 人生っていうのは、なんだか不思議なものだね」

 食材を手際よく洗って切りつつ、神岡がしみじみとそう呟く。


「……そうですね」

 俺も、神岡の準備した食材を大皿に盛りながら、俺たちの奇妙な関わりを振り返る。



 俺が神岡と出会った頃には、異常な執着心で神岡に惚れていた宮田。

 神岡の側で働き始めた俺へ散々性的な嫌がらせを繰り返し、どうやっても神岡に手の届かない腹いせに、挙句は俺に関係を迫り……一歩間違えば犯罪になる拗れっぷりで俺たちの間にとぐろを巻いていた蛇男。


 そんな彼が、いつしか誰よりも逞しく俺たちに肩を貸してくれる存在になっている。



「君の人柄が、彼の何かを変えたんだよね」

 神岡が、ふっと柔らかく微笑む。


「へ? 俺はなんにもしてないですよ」

 瑞々しい春菊をもりもりと皿に乗せながら、そう答える。だってほんとに俺は何もしていない。


「君のそういうとこに惚れたんだよなー、僕も彼も」

「は?……少なくとも彼が俺に惚れてるってのはないだろうと……いつも彼は俺を揶揄からかいたい気満々なだけですよ」

「そうかなー。子供が産まれてから君は何だかますます色っぽくなっちゃって、僕は内心気が気でないよ」

 本気なのか冗談なのかわからない顔で、神岡がボソボソと呟く。



 ……そう言えば、宮田がこの前神岡をカフェへ呼び出したことがあったっけ。

 あまり考えないようにしていたけど……あれは何だったのか。


 そんな記憶が、ふと戻ってくる。


 神岡もその話をしようとしないし、その後問題が深刻化したような気配も見えないし……パートナーの心の中はやはり何でも知っていたいと呟く俺と、あまり無理に掘り返さない方がいいのかもしれない、と呟く俺がいる。


 あーー、考え出すときりがない。


「……樹さん、あんまり変な冗談言わないでくださいよ。育児中の母体はナイーブになってるんですから」

 微妙なざわつきを振り払いたくて、俺は冗談交じりにぶーっとむくれる。


「ああ、そうだよな。ごめん」


 神岡はいつもの笑顔に戻り、俺の肩を優しく抱き寄せた。









 午後七時少し過ぎ。

 玄関の呼び鈴が鳴った。


「お邪魔しまーす。はいこれ差し入れー」

 いつもの友達のとこへ遊びにきた中学生のような気軽さで、彼はニッと笑うと出迎えた俺たちに500ml缶ビール6缶パックのレジ袋を差し出した。



 双子達がちょうど目を覚まし、晴も湊も機嫌よく動き始めたところだ。

「おお、また大きくなったな! 二人とも元気かー? 最近ちょっと来てなかったけど宮田のおにーさん覚えてるかー?」

 ベビーベッドを覗き込み、宮田は二人の頰やら手足にむにむに触れながら微笑む。

 覚えてるのかどうか。晴も湊も楽しげに目を輝かせてそれに反応する。


「うきゃっ!」

 晴の発した愛らしい声に、宮田の背が一瞬ぐっと固まった。


「……え……

 今のは……」

「最近、機嫌いい時はこういう声出すようになったよ。久々に宮田のおにーさんに会えて嬉しいんじゃないか?」


「……マジか……」

 宮田は何かひどく感慨深げに子供達をじっと見つめる。


「……あのさ、三崎くん……抱っこしていい?」

「もちろん。以前あれだけ世話になったら、二人にとってもあんたはきっと実の兄貴みたいなもんだろ」


 俺の言葉に、宮田は晴を優しく抱き上げた。

 腕の中で、晴は居心地よさそうに宮田を見上げる。



「……なあ。

 すごいな、命って。

 ついこの間、ただ泣きわめくだけの厄介な生き物に見えたこいつらが、今はこうやって嬉しそうに笑いかけてくれるとか……

 なんか……うまく言えないけど」



 気のせいだろうか。

 宮田の目が、一瞬微かに潤んだように見えた。



「……ありがとな、宮田」


「…………あーー。

 そういう改まったのって、ほんと一番苦手」


 微かに鼻を啜り上げ、彼はどこか茶化すように笑った。









「じゃあ、今日は宮田くんに感謝を込めて、かんぱーい!」

 準備の整ったダイニングテーブルで、神岡が明るく乾杯の音頭を取る。

「あ、二人で先に食べててください。俺子供達の世話しちゃうんで」

 俺は、乾杯だけノンアルコールビールのグラスを合わせ、双子達の世話に取り掛かる。

 オムツを替えた後は、最近日課にしている「筋トレタイム」だ。

 二人をリビングに敷いたブランケットへ降ろし、うつ伏せにして、そこからぐっと頭をもたげる動きのトレーニングである。

 こんな風に赤ちゃんらしい立体的な動作ができるようになると、ただ横たわっていた時期から身体の機能が飛躍的に成長しつつあることを改めて感じる。


 宮田は椅子から身体をリビングへ向け、可愛らしい動作で両手をぐっと踏ん張ってまんまるい頭を一生懸命持ち上げる二人を愛おしげに見つめる。


「本当に可愛い……天使そのものですね」

「だよな。

 子供が天使とか、昔はその意味がいまいちピンとこなかったが——親になってみて、初めて痛いほど分かるよ。

 子供っていうのは、まさに自分の身体や命そのもの……いや、自分自身なんかよりも遥かに愛おしく、大切な存在なんだと」

 宮田の呟きに、神岡が穏やかに答えた。


「……羨ましいです。こんな奇跡が舞い降りたあなた達が。

 僕は、誰かをどれだけ愛したとしても、その人との間に子供を授かることはないですから」


「——……

 そういえば。君は以前、恋人と喧嘩中だと言っていたよな?

 その後、彼とは仲直りできたか?」


「あ。あいつとはもう別れました」



「……」



 宮田が恋人と喧嘩をしたのは、俺のせいだ。

 自分の休暇を使って晴と湊の育児をがっつりヘルプに来てくれる宮田に、その恋人が「デートもできない」とごねたことが、その喧嘩の原因なのだ。



「……申し訳なかった」

 神岡が、深く頭を下げる。

「あなた達のせいじゃない。そういうところで冷淡な奴は嫌いなんです」

 宮田はすいと美しい真顔になって、淡々とそう答える。


「……宮田くん。よければ、また以前みたいにちょいちょい晴と湊に会いに来てやってくれ」

「そうだなー。こんなイケメン4人に囲まれて過ごせるなら、また毎週きちゃおっかな♡

 さ、じゃ早速美味い肉をがっつりご馳走になります。今日はそれが主目的なんで」


 けろっと明るくニヤつく彼に、俺たちも思わず釣られて笑った。




 肉も野菜もあらかたなくなり、それぞれに満腹を味わう頃、宮田が腰を上げながらさらりと告げる。

「じゃ、僕はそろそろ。今日はご馳走様でした。めちゃめちゃうまかったです。

 三崎くんもミルクの時間とかだろ?」

 どこかエロい顔でニヤッとする彼を、俺は思わず横目で睨む。


「——晴と湊と、また遊んでやってくれ。二人もあんたがきたら喜ぶからさ」

 睨んだ眼差しを和らげ、俺はそんな一言を付け加えずにいられない。


「……じゃ、またきます。お言葉に甘えて。

 あ、そうだ。これ、渡し忘れるとこだった」

 彼は肩にかけたリュックから思い出したようにシンプルなラッピングの包みを俺に差し出す。

 中を開けると、Queenのアルバムが出てきた。

「晴と湊にプレゼント。"GREATEST HITS"、Queenの代表曲はほぼ全て入ってる。

 クラシックや童謡ばっかじゃなくて、たまにはこういうのガンガン聴かないとかっこいい男になれないぞ?という独断と偏見だな」

「独断と偏見ね……でも、これは嬉しいな。

 二人に聴かせてみるよ」

「まあほどほどに」

「なんだそれ」

 くすっと笑い合う。


「宮田くん、いつもありがとう。いつでも待ってるからな」

 神岡も、穏やかに宮田に微笑む。


「いえ。僕こそ、こんな楽しい時間を味わわせてもらって。

 ——お邪魔しました」




 彼の出て行った玄関を、何となく二人で見つめた。



「……宮田くん……本当は、寂しいのだろうな」

 ぽつりと、神岡が呟く。



「——ねえ、樹さん。

 どうして、男には子供が産めないんでしょうね」



「——……そうだな」




 一人で歩く彼の背を思いながら、俺たちは何だか堪らなく苦いものを胸に抱きしめた。









 その週の土曜。

 天気の良い午後、俺たちは4人で散歩へ出かける準備を整えた。


 どこで誰とすれ違っても、どんな顔をされても。そういうくだらないものにいちいち振り回され、ビクビクするのは馬鹿らしい。何か文句があるなら正々堂々と言いに来たらいい。

 それぞれに何かそういう強い気持ちと開き直りを握りしめながら、エントランスを出て近くの公園へ向かった。

 爽やかな木立の心地よい、広い公園だ。



 眩しい木漏れ日の中、ベビーカーを押しながら神岡とのんびり歩いていると、後ろから不意に呼び止められた。



「——あの」


「……はい?」


 振り返った俺たちに、ベビーカーを押した若い女性が戸惑いつつも淡く微笑んだ。


「あの……

 私、同じマンションの住人です。

 ——もしできたら、少し、お話がしたくて」



 その人の唐突な申し出に、俺たちは微妙に不安の漏れ出る顔を見合わせた。






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