7-③

 そして月曜日。


 午前中の授業は全く頭に入ってこなかった。テストが返ってくるくらいだから大丈夫だったけれど、ずっとドキドキして春奏さんのことしか考えられなかったのだ。


 告白とは恋という病気の荒療治だと思う。自ら死の淵を覗くような気分でもある。周りが見えなくなるほどの精神病を、強い痛みを伴ってでも治療しようというもの。僕は怖い手術を前にした患者なのだ。


 早く昼休みが来てほしいような、そうでないような。結論が出るのは怖いけれど、ずっとドキドキしているのは苦しい。もう死んでしまいそうな気分だ。


 たとえダメであっても、今までどおりLEENを続ける。だからこれで終わることなんてなくて、ただの一歩でしかないはずだ。そう思って気持ちを落ち着かせようとするけれど、なかなかうまくはいってくれなかった。


 ようやく昼休みになると、僕はサギに声をかけてから一人で外に向かう。もちろん、手には春奏さんのためのお弁当を持っている。


 やって来たのは渡り廊下の階段下にあるベンチだ。いつもの場所。すぐに教室を出たので、春奏さんよりも先に着くことができた。


 校庭のほうを向くベンチは多いけれど、ここにあるのは学校を囲っている塀のほうを向いている。


 だからか、多くの生徒はこのベンチに気づかないらしく、穴場になっていた。美和ちゃんのお気に入りの場所で、三人でもよく使っているらしい。


 他の場所なんて思いつかないし、死角になりやすいから理想的でもある。今日もまだ誰もいない。ここが僕の決戦の場所になるのだ。


 僕はベンチに腰を下ろす。今日はいい天気だ。空を見上げて目を細めると、白い光に包まれるような感覚になる。ふわっと非現実へと連れていってくれそうなきらめき。


 でも、僕はたしかにここにいて、それはいつもの自分でしかない。弱い僕のまま。あるがままの姿でやるしかないのだ。


 ふと冷静になる瞬間がある。すると、よく考えると昼休みに告白なんて、と考えてしまう。勢いづいて何かをすると、後になって不安になるのだ。


 いけない、ここで躊躇していたら言えなくなってしまう。今日言うって決めたんだ。やり遂げないと。


 思えば、春奏さんも勢いづいたあげく、不安になることがあると言っていた。僕に対する最初のLEENがそうだった。


 失敗や弱点が、僕と春奏さんをつないでくれた。だからきっと、これでいいんだ。僕はそう言い聞かせた。


 それにしても時間が長く感じる。昼休みになってずいぶん経った気がするのに、春奏さんはまだ現れなかった。


 昨日あんなに楽しみにしていたから、忘れてはないと思う。何かあったのだろうか。


 スマホを確認しても、春奏さんからの連絡は入っていなかった。時計は昼休みになって五分経ったことを示している。感覚ほど過ぎていないけれど、やっぱり遅いのは遅い。


 ふいに、足音が聞こえる。僕はそれだと決めつけて、立ち上がって待ち構えた。


「ご、ごめん……遅れた」


 すると、疲れた感じの春奏さんが現れた。なんかいつもと違う。


「ううん。よかった、来てくれて」

「ちょっと色々ありまして……」

「そこまで急がなくてよかったのに」


 そう言いながら、僕はこれ以上不安にならなくて済んだことにホッとしていた。


「……なんか、くーくんのほうが女の子っぽいよね」

「え?」

「なんかワードが……しかも手作りのお弁当を持って待ち構えてるわけだし」


 ……ああ。なんとなくわかってきた気がする。


「もう! そう思っても言わなかったらいいのに!」

「ごめん……ぷっ、ふふふっ――」


 なぜこれから告白しようという相手に女の子扱いされなくちゃならないんだ、まったく。


 それにしても、今日の春奏さんはレアだ。ある意味いつも通り……そうか、LEENでの春奏さんっぽいのだ。


 僕らは同じベンチに腰を下ろす。そして、お弁当を差し出し合った。しかし、春奏さんはすぐにそれを引っ込める。


「ちょっ、ちょっと偏っちゃってるかも」

「全然大丈夫だよ。走って来たの?」

「うん。待たせちゃったから……」


 春奏さんは気恥ずかしそうな顔をする。そして遅くなった理由の説明を始めた。


「私、二人と仲良くなってから、いつも一緒にご飯食べてて。だから、お昼を他の人と食べるって言ったら、美和が食いついちゃって。私、理由を全然考えてなかったの」


 なるほど、よくわかった。


「僕はサギに部活の人と食べるって言ってきたよ。僕らの場合は、いつも二人とは限らなかったから簡単だった」

「そうなんだ。私の場合、部活は美和と一緒だから使えないし、他の交友関係は薄くて思いつかなかった。だからめっちゃテンパっちゃった」


 そんな危機を乗り越えてきたからこそ、ちょっとハイになってたりして。


「結局どうしたの?」

「ずっとあわあわしてたら、美和が勝手に勘違いしてくれた。……なんか、桝田くんが一人で教室を出ていったからみたい」


 ということは、桝田先輩と食べるのを隠しているように見えたわけだ。僕としてはさらに焦らされることになりそうだった。


「じゃあ今度こそどうぞ」

「あ、うん」


 交換を終え、春奏さんのお弁当を手にする。かわいらしいお弁当箱だ。多分、いつも使っているものだろう。


 フタを開ける。すると、良い意味でスタンダードな感じのおかずと、ちょうど弁当箱半分ほどのご飯が現れた。かわいらしく盛り付けてあるけれど、たしかに少し偏っていた。


 一方の春奏さんもお弁当のフタを開ける。しかし、すぐに閉じてしまった。


「……海老で鯛を釣るような」

「そんなことないよ」

「おかずの種類も多いし、すごい美味しそうだった。ご、ごちそうさま」

「食べてから言ってよ」


 呆れるようにそう言って笑うと、春奏さんもにっこりとした笑みをくれる。僕は思い出したように緊張する。


 春奏さんはLEENでキャラが変わる人だ。僕は僕で、そっちのほうが対応しやすかったりもする。もう春奏さんの冗談にだってツッコめるようになったし。


 でも、今日は顔を合わせながら冗談が来るから、どうも難しい。


「じゃあ食べよっか」

「うん――あ、感想は食べ終わってからでいいからね」

「え? うん……ありがとう」


 お礼を言われてしまう。別にそこまでのことじゃないのに。


 春奏さんは、昔少し太っていた時期があったらしい。元々食べることが好きだからそうなってしまったようで、それが走るきっかけになったとか。


 だからこそ、よく噛んで食べる強迫観念が強いらしく、食事中はしゃべらない。僕はそれを聞いていたし、実際無言で食べ続ける姿も知っているから、先に言っておいたのだ。


 すると、春奏さんは顔を赤くしてうつむいた。


「……くーくん、私のことめっちゃ知ってるよね。私がLEENで言ってるからだってわかってても恥ずかしい」

「え? ……あっ! ごめん……」


 顔に火がついたみたいになる。デリカシーがなかった。こんな日に限って……


 すると、春奏さんはびしっと僕を指さした。


「あ、謝り癖」


 手の動きと比例せず、LEENほどの勢いがない「謝り癖」の指摘。僕らは目を合わせて笑った。


「ふふふ。あ、お弁当ね。ほとんど残り物だし、冷凍食品も混ざってる……でも一応、卵焼きだけは自分で焼いたよ」

「そうなんだ。じゃあ、それを楽しみにしておくよ」

「やめといたほうがいいよ。お母さんや冷凍食品の足元にも及ばないから」


 春奏さんは照れるように言う。でも、僕が大事なのは味じゃないのだ。


「足元に及ばなくても楽しむよ」

「えー」

「じゃあいただきます」

「いただきます」


 そうして、僕らはようやく食べ始めた。


 僕は、卵焼きが二つあることを確認してから、まずその一つを箸でつかんだ。


 上手に焼けている。普段やらないのにこれなら十分すぎるというものだ。口に入れると、口の中に甘みが広がる。女の子が作る味、という感じだった。


 横目で春奏さんを見る。僕の料理を食べてくれている姿は感慨深かった。


 気合を入れたおかずは九品にものぼる。何も気にせず食べてもらいたかったから、母さんの大好物である油淋鶏以外は、低カロリーであるキノコやコンニャクを使ったり、油控えめのものにした。


 嫌いな食べ物が一切ないという春奏さんだから、そういうものを喜んでくれると思ったのだ。


 油淋鶏を口に入れる。すると、少し口元が緩んだように見えた。感想は後でいいと言ったけど、顔が感想を言ってくれるようだった。

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