7-④



「すっごくおいしかった!」


 食べ終わったあと、開口一番、春奏さんは力強く言い放ってくれた。


「春奏さんのもおいしかったよ」

「いや……これは釣り合ってないよ。詐欺って言われてもおかしくないくらい」

「そんなことないよ。僕って自分の料理かお店のしか食べないから、新鮮でうれしかった」


 真知子さんの料理を食べることはあるけど、彼女はプロだからお店の感覚になる。だから、手料理と言えるものは本当に久しぶりだった。


「いつも自分で作るのって大変じゃない?」

「毎日じゃないし。それに、もう趣味みたいなものだから」

「そっかー」


 むしろ手持ちぶさたで、食べてもらう人を欲してたり。それを言ったら食いついてくれそうだけれど、少し躊躇する。これからどうなるかわからないから。


「くーくんお手製のお弁当……美和が聞いたら羨ましがってくれそう。そうしたら、美和からも頼まれちゃったりして。もういっそお店でも開いちゃったらいいのに」

「えー、それは無理だよ……」

「ふふふっ」


 春奏さんはとても楽しそうにしゃべる。ずっと笑顔だ。LEENでの春奏さんっぽいということは、それだけ自然体なのかもしれない。なんだかキラキラしている。


 僕としては、大人しい春奏さんを想定していたため、少し困っていた。こんな春奏さんを見られるのはうれしいし、もちろん変わらずに好き――むしろこっちのほうが好きだけれど、言い出し辛さが格段に上がっているのだ。


 せっかくこんなに上機嫌なのに、僕が落胆させるかもしれない。変わらないことを望む春奏さんを裏切ることになるのだから、気が重い。


 それでも――だからこそ言わないと。他の人に変えられる前に。


「――聞いてる?」


 ふと我に戻る。考え込んでしまって、春奏さんを無視してしまっていたようだ。


「ご、ごめん……なんだっけ?」

「ごめんね、一方的に早口でしゃべっちゃってた。なんか楽しくて」

「ううん、僕のほうがちょっとボーっとしちゃってて……」


 時間も迫られている。昼休みはあとどれくらいあるのだろう。ゆっくり食べてたし、もうほとんど残っていないかもしれない。


 ドキドキする。もう死にそう。頭が真っ白だ。顔も赤くなってるだろうし、こんな無様な状態では告白なんてできない。


「――どうかしたの?」


 春奏さんの心配そうな声が聞こえる。こちらの緊張が伝わってしまったようだ。


「あ、あの……」

「なんか悩んでるの?」


 僕はうなづきもせずに固まる。その通りだけど言えなかった。


「悩んでるなら力になりたいよ。私、くーくんに助けられてばっかりだし」


 そんなことないのに。春奏さんの自信のなさと僕の恋心がすれ違っているだけだ。


「私にとって、くーくんは自分の弟みたいに大切だから」


 春奏さんが少し照れるように言う。わかっていたこととはいえ、僕はショックを受けた。


「今思うとね、くーくんと律ってそこまで似てないんだ。顔の雰囲気は似てるけど、性格とか全然違うし。


 でも、絶対に味方なんだっていう安心感が同じなんだよね。……重ねるつもりはないんだけど、私はくーくんのお姉さんになりたいなって」


 告白する前に振られたような感覚があった。春奏さんは僕の姉になりたいという。


 心が折れそうになる。でも、ここで諦めたらダメだ。春奏さんが僕を異性として見ていないなんてわかっていたことだ。だからこそ、僕は気持ちを伝えなければならない。


 息をのむ。そして、春奏さんの望みをはっきりと否定した。


「……僕は、弟にはなれないよ」

「えっ?」


 春奏さんは不安そうな顔をして固まった。もう後には引けない。


「――好きです」

「え? あ、ありが――」

「僕と付き合って、ください」


 変なところで詰まってしまったけれど、ついに言ってしまった。もうこれで弟として仲良くという道は途絶えたのだ。


「あっ……えっと……」


 春奏さんの顔も赤くなる。照れたようにも見えるけど、そこに喜びなんてない。困ったような顔だった。


「ごめん、せっかく言ってくれたのに。でも、好きな人の弟になって、他の誰かと付き合うのを黙って見てるなんて、僕には耐えられないんだ」


 動揺して下を向く春奏さんに、僕は謝罪と言い訳のようなことを言った。それは謝り癖なんかではなく、心からの申し訳なさだった。


「ずっと好きで……しゃべってるだけでも幸せだった。


 だからこのままでいいんじゃないかって思ってたんだけど――春奏さんは変わらないことを望むのかもしれないけど、ずっとこの気持ちを抑えて、伝えずに終わるのだけは嫌だったから」


 声がどう出ているのかもよくわからない。きっとところどころ小さくなったり、早くなったり、震えたりしているだろう。それでも言葉を紡ぐ。


「だから……付き合ってください」


 もう一度言う。答えを急かすつもりはないけれど、僕が春奏さんとどういう関係になることを望んでいるのかを、はっきりと伝えたかったのだ。


「なんで……私?」


 絞り出したような言葉だった。僕は、それには悩まずに答えられる。


「一緒にがんばろうって言ってくれたから」


 すると、ようやく春奏さんは顔を上げてくれた。


「そのときから……一緒に色んなことをがんばれたらいいなって思って――ううん、一緒ならがんばれるんじゃないかなって思ったんだ。


 僕の弱い部分も、春奏さんは支えてくれるんだって。僕も春奏さんを支えられたらって。だからその、付き合って……ずっと一緒にいたい」


 目が合う。今は逸らしちゃいけないと思い、しっかり直視する。春奏さんも逸らさずにジッと見てくれていた。


 静寂。グラウンドから声がするけれど、それもすごく遠くのものに感じられる。今ここには僕たちしかいないようだった。


「……うん」


 春奏さんはほとんど無表情で言った。たしかにそう言った。


 僕は何がなんだかわからないような感じになる。


「……えっと」

「わかった」


 さらにそう言う。両方とも、否定や拒否の言葉ではない。でも、告白を受けるようなものにも聞こえない。


 ×じゃないってことは〇なわけだけど、うかつに喜べなかった。


 ふいにチャイムが鳴り、僕は思わず体をビクつかせた。タイミングが悪すぎる。


「あっ! ごめん、次音楽なんだ! もう行くね!」

「え? うん……」

「お弁当ありがとう!」


 春奏さんは逃げるように去っていった。本当に急いでいるのだろう。僕はあっけにとられながら、その背中を見送った。


 断られなかった。でも、受けてくれたのかはよくわからない。そんな中、僕はどうやってこれからの時間を過ごせばいいのだろうか。



 午後の授業はほぼ無意識のまま過ぎ、部活は気が抜けて夏菜に叱られ、夕飯なんてとても作れずにレトルトで済ませると、あっという間に夜を迎えた。


 昨日は最後になるかもしれないと思っていたLEENだけど、この状況だと果たしてどうなのだろう。いや、送るしかない。訊けばいいのだ。


 OKってことなのかな? 付き合ってくれるのかな?


 ああ、送れない。間抜けにしかならない。とりあえず普通の話をしてから、終わり間際にするとか、そういう手段が正解かも。


〈こんばんは〉

〈今日こそはと思って私から送ってみたよ〉


 すると、ちょうど春奏さんからLEENが送られてきた。たしかに初めてだ。僕は心臓が破裂しそうなほどドキドキしながら指を動かした。


〈 こんばんは〉

〈実はちょっとお願いがあって〉


 かしこまったような文章。まさか、今日のはやっぱりなし、とか。


〈次の土曜日、午前中ってひまかな?〉


 すると、全然違う話が来た。少しホッとする。


 その日は五人で遊びに行く日だ。時間は二時からだから、午前は空いてると思ったのだろう。


〈 大丈夫だよ〉


 当然、僕は了承する。しかし、今日のことをすっ飛ばして予定を立てるなんてどうしたのだろう。


〈 何するの?〉


 自然にそう質問した。


〈ちょっと行きたい場所があって〉

〈付いてきてくれないかなって〉


 それって……デート? じゃあやっぱり僕らは付き合っているってことなのか。


 訊くなら今か。そう思って文字を打とうとした矢先に、もう一文追加された。それは思わぬ行き先で、決してデートというものではなかった。


〈ごめんね、どうしても一緒に来てほしくて〉

〈どうかな?〉


 覚悟がいる場所ではある。しかし、悩むことはなかった。


〈 もちろん大丈夫だよ〉


 僕でよければ――そう思ったのだ。

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