5-④




 美和ちゃんの恋バナを堪能すると、ようやくお開きとなった。結局、サギと牡丹さんの件は答えが出るはずもなく、それは休日ののどかなお茶会として終了したのだった。


 駅へ向かう美和ちゃんとは先の信号で別れ、僕と春奏さんは二人きりになった。それはとても久しぶりのことだった。


「押していくの大変だろうし、先に行ってくれても」


「え? ううん、押してく」


 自転車で来ていた春奏さんだが、僕と一緒に歩いてくれるらしい。二〇分以上、二人きりで話せる。そんな機会がふいに訪れたのだ。


 一緒にいられるのはうれしい。でも、どんな話をすればいいのだろう。浮かぶのは「告白」の二文字。でも、今日はとりあえず会話さえできればいいと思っていた。


 しかし、二人きりの機会なんてないわけで、これが唯一のチャンスの可能性がある。このタイミング以外、告白することなんてできないかもしれない。そう思うと焦燥感に苛まれ、迷いが生じてきた。


 ダメだ、告白のことを考えると普通にしゃべるのも難しくなる。僕の心臓がバクバクと音を立てて止まらない。


「テスト、どうだった?」


 テンパっていると、春奏さんからしゃべりかけてくれた。僕はあわてて返答する。


「大丈夫だった、と思う。ごめんね、全然LEENできなくて」


「え? その――さっきも言ったけど、謝ることじゃないよ。むしろ、ごめんね」


 また悪い癖が出てしまうと、今度は春奏さんからも謝られてしまった。


「春奏さんが謝るほうがおかしいよ」


「ううん。だって、毎日させて、テスト期間もさせようとしたわけだし。くーくん、気にしてるように見えたから……悪かったかなって」


 さっきの僕の反応で、春奏さんに変な気を遣わせてしまっていた。僕はすぐに否定する。


「そんなことないよ」


「ううん。そもそも、くーくんが私とLEENする義務なんてないし。それに、私とばっかりじゃなくて、美和ともLEENしたいと思うし」


「あの、それは……」


「美和だってもっとしゃべりたいんだよ。くーくんのことすごく気に入ってるから」


「う、うん……」


 さっきのこともあってか、春奏さんは妙に美和ちゃんとのLEENを薦めてくる。もちろん美和ちゃんとしゃべるのは楽しいのだけれど、そういう問題じゃない。


 僕にとって、春奏さんと話すことに大きな意味がある。しかし、そのことを好意を除いてうまく伝えられるほど頭が回らず、ただ返事をするだけになってしまった。


「これからは美和にもしてあげて。私はたまにでいいし」


 聞きようによっては突き放されているものなのに、その言葉にうなづいてしまう。今日の僕はいつも以上に弱かった。


 道を曲がり、例の緩い坂道を上っていく。意気消沈した僕は、なおさら話せなくなっていた。


 心なしか、春奏さんも元気がないように見える。美和ちゃんの恋バナのときは楽しそうにしていたというのに。


 このまま無言だと、本当に話せなくなる。僕は何とか普通の話題を探してみる。


 坂の途中、僕はこの前の夜を思い出した。あのとき、桝田先輩が自転車を押し、春奏さんは隣を歩いていた。やっぱり、自転車は男の僕が押さないと。


「あの、自転車代わろうか?」


「え? いいよ、大丈夫」


「大変でしょ」


「ううん。それはさすがに申し訳ないから」


 僕の提案を春奏さんはやんわりと拒否した。僕は以前のように強引にはなれず、大人しく引き下がってしまう。


 この道も、五時前なら車通りは少ない。原付大学生の姿はあるけど、渋滞さえしていなければ危険な存在でもないため、今は平和な時間だった。


 しかし、僕の心は平穏ではない。この瞬間、僕の下の地面だけがぐらついているようにすら感じる。


 僕は、今度は自転車のカゴに入っている荷物に目をつけた。いつものリュックの横に雑貨店の紙袋があったので、それについて話しかけるのは自然なことだと思った。


「……今日は、買い物に行ってたの?」


「うん、だから自転車だった。美和に呼ばれて、そのまま来たの」


 なるほど。僕は質問を続ける。


「なに買ったの?」


「えっと……秘密」


 残念ながら会話は続かなかった。いい質問だと思ったんだけど。ひょっとすると、あまり話したくないとか。それとも、詮索するようで感じが悪かっただろうか。


「……牡丹とサギくん、びっくりしたね」


 すると、今度は春奏さんから話しかけてくれた。それは最も自然な話題だった。


「そうだね」


「もし二人が付き合うことになったとしても、今までどおりにいられたらいいね」


「うん……」


 何度も口にしている、今までどおり、という言葉。さっき僕は賛同したけれど、それが僕にとって望ましいものなのかは微妙だった。関わりがなくなるのは嫌だけれど、このままでも苦しい。


「もうしばらく、このままだといいな。せっかく仲良くなったんだから」


 それは、もはや願いのようだった。それほど春奏さんは現状を変えられたくないのだ。


 もし僕が告白したら、春奏さんは困るだろう。本当に夏菜の言うとおり、僕次第で以前の関係のままでいられるのだろうか。


 共感ばかりしていてはいけない気がした。少しでも春奏さんの気持ちを変えないと。


「……でも、美和ちゃんも言ってたけど、春奏さんが変わることもあると思うよ」


 そう切り出すけれど、あまり僕の頭は働いていない。さっきの美和ちゃんの言葉をなぞっているだけだった。


「ないよ。私は変わりたくないもん」


「周りのこととかあるし。それに、桝田先輩のこととか」


 僕はうっかり桝田先輩の名前を出してしまった。春奏さんは立ち止まる。


「……なんで桝田くん?」


「いや、あの……この前、図書室で一緒にいるところを見ちゃって」


「それは知ってるけど、桝田くんは関係ないと思う」


 春奏さんは見るからにいら立って見えた。最悪だ。


「ごめん……ただ、僕が今までどおりLEENしてたら、二人の邪魔になることがあるような気がしたから」


 もし、春奏さんと桝田先輩の関係が進んでしまったら、僕は失意のあまりLEENなんてできなくなるから、今までどおりではなくなってしまう。


 そう思って出てしまった桝田先輩の名前だったけど、そのまま説明するわけにはいかず、話をつなげるためにはこう言うしかなかった。この理由も嘘ではないけれど。


「そんなわけないよ」


 そう言って、春奏さんはまた歩き出した。僕は出遅れながらもすぐに追いつく。


「あの、ごめんね。変なこと言って」


「……ひょっとして、それでLEENしなくなったの?」


 それは決して間違ってはいないけど、理由の本質は違った。そこにあるのは嫉妬という自分本位なものだった。


 しかし、それを説明するのも気が引けて、僕は口をつぐむしかなかった。


「……なんか、わかんない。なんで美和もくーくんも、桝田くんを使って私を遠ざけようとするの……?」


 早足になった春奏さんは、少し下を向いていた。顔を見られたくないのだと思った。


 春奏さんは怒っている。でもその感情の芯にあるのは違う。それは、悲しみだ。だから僕の胸はズキズキと痛むのだ。


 何か答えないと。頭はグルグルと回る。でも、言葉が出ない。出そうなものは投げやりな謝罪だけで、僕はそれを飲み込むのがやっとだった。


 いつの間にかかなり坂を上っていて、バイパスの道路の信号に突き当たった。ここは交通量のためか、歩行者側の赤の時間が長い。もうすぐ家に着いてしまうから、なんとか今のうちに言葉を絞り出そうとした。


「……そんなことないよ。もっと近づきたい。僕はもっと……春奏さんとしゃべりたい」


 車の通りすぎる音が途端に増えて、小さな声だと聞こえない状況になっていた。この声は春奏さんに届いていない。届ける声量も勇気も足りていない。


 排気ガスの混ざったぬるい風に不快感を覚える。いつも待たされる信号だけれど、今日はやけに短く感じた。


 青になると、春奏さんはすぐに歩き出した。そのまま無言でついていき、分かれ道に到着してしまった。


「……じゃあね」


 そう言って、春奏さんは行ってしまった。あれから目も合わせてくれなかった。


「ごめんね……」


 僕は春奏さんの背中に向けて謝罪することしかできなかった。その後、失意のまま帰路についた。

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