4-④
次の日の朝にメールを送ると、夜には返事が来ていた。
返事が遅れたことには「ややこしいことしてごめんね」と春奏さんらしく返され、最後には「勉強がんばってね」と締めくくられた。
僕はそれにもメールで返事をする。週明けにはもうテストだし、LEENをして時間をとらせるわけにもいかない。
また話したい。だからこそ、もっとしっかりしなければならない。その小さな一歩は、テスト勉強だと思った。応援してくれたし、直近でがんばれるのはこれくらいだから。
LEENをサボったことへの言い訳のためにも、テストの点数が悪くてはならない。僕はさらに勉強に打ち込んだ。
○
テストは滞りなく終わった。全問を埋めたし、酷いことにはなっていないだろう。絶対的な自信があるわけではないけれど、これで悪ければこの学校ではやっていけない、くらいにはがんばることができたはずだ。
テストが終わったその日は、母さんに連れ出されることになっていた。誕生日祝いの外食がずれ込んだ結果、最終日当日に行くことになったのだ。
向かったのはホテルのバイキングだった。今日は僕ら親子だけではなく、母さんの友達の
真知子さんは料理学校の先生をしている人で、僕の料理の先生でもある。僕ら親子をいつも助けてくれる人だ。
たくさんの料理を食べながら、気に入ったものは真知子さんに作り方を尋ねる。小さいころから、真知子さんと一緒の外食はそれが楽しみだった。
僕のレパートリーの多くはこうして増えていくのだ。
調子に乗って食べ進めた僕は、少し苦しいくらいにお腹をいっぱいにしてしまった。ホテルから車で移動するときも少しグロッキーだった。
「食べ過ぎよ」
「うぇ……」
まあ、僕以上にグロッキーな人もいるのだけれど。気合を入れ過ぎた母さんは、元を取ろうかという勢いで食べていたのだ。
「ごめんなさい」
「いいって。てか、息子に謝らせてんじゃないよ、まったく。それに、テスト前まで優希くんにご飯を作らせて、ちょっとは情けないって思いなさい」
「もう……今は説教無理だって」
ホテルでテスト期間中も夕飯を作っていたと話したら、真知子さんの機嫌が悪くなり、母さんへのあたりが強くなってしまった。
本当のこととはいえ、母さんの面子のためにも言わないほうがよかったのかもしれない。
「進学校に通う高校生なんだから、家事させること自体がかわいそうよ。ちょっとは優希くんの将来のことを考えて――」
「今は無理ぃ! 無理無理ぃ!」
「だいたい、なんであんたは酒飲んでんのよ。私の車じゃないってのに」
真知子さんはいつも母さんを叱ってくれる。僕にとってはありがたい存在で、ある部分では母さんが姉で、真知子さんが母親のような感覚があった。
「ゆうちゃんの誕生日は、産んだ私へのお祝いでもあるわけよ――げふっ」
「吐かないでよ、マジで。それだけは勘弁して」
「じゃあ説教しないで」
「……はぁ。優希くんがまっすぐ育ってるのが奇跡だわ」
「あはは……」
こうして真知子さんが言ってくれるからこそ、僕は上手く反面教師にできているのかもしれない。僕の教育に、真知子さんの存在は大きいようだ。
駅前まで来た辺りで、母さんの調子がさらに悪くなり、休憩がてらコンビニに立ち寄ることになった。まったく、迷惑な人である。
駅前のコンビニ前の道路に停車すると、僕と真知子さんは母さんを置いて中に入り、水を買ってすぐに戻った。
「はい、水」
水を渡すも、母さんはまともに話そうともしない。僕はほとほと呆れてしまう。
とりあえず休ませておくことになり、再び二人でコンビニへと戻る。今度は時間をつぶすのが目的だ。雑誌コーナーの前に二人で横並びになる。
「ごめんね、迷惑ばっかりかけて」
「優希くんが生まれる前からもう慣れてるわ。迷惑かけない麻美なんて麻美じゃないし」
真知子さんは雑誌を物色しながらそう返す。今までどれほどの迷惑をかけたのだろう。ずっと付き合い続けてくれている真知子さんには感謝しかない。
「それより、優希くんもきついんじゃない? 結構食べたでしょ?」
「うん。すごくおいしかったから」
「ああ、今日のやつ、似たようなレシピがあったらメールで送るわね」
それは僕が気に入ったというより母さんが気に入った料理だった。僕にとってはそっちのほうがありがたいのだ。
「助かります」
「いいって。それより、レパートリーが増えることで麻美の注文が増えちゃうかもしれないけど、その辺は大丈夫なの?」
真知子さんが冗談っぽく訊く。たしかにそのとおりなのだけれど。
「作るの好きだし。母さんくらいおいしそうに食べてくれると作りがいがあるから」
「本当にいい子なんだから。麻美から生まれたとは思えないわ」
これはもう何度聞いたかわからない誉め言葉だった。僕は笑って返す。
「やっぱりお父さん似なのかしらね」
真知子さんはボソッとそう呟いた。その言葉は、僕の気分が悪くなるものだった。
「……それは違うと思う」
僕はうつむきながらそう返した。なんでもないように雑誌の物色を始める。
すると、真知子さんは後ろから僕の両肩に手を置いた。少しドキドキしてしまう。
「優希くん、好きな人とかいるの?」
「きゅ、急にどうしたの?」
「恋愛不器用者二人の血が入ってるし、大変だろうなって」
恋愛不器用者。それは正しく、僕の両親を指しているのだろう。
「二人とも必要以上に一途だったからね。加減も知らないし」
「……父親は違うでしょ」
一途なら、そもそも母さんと結婚していない。
「そんな言いかたしちゃダメよ。お父さん、ちゃんと責任は取ってるんだから」
真知子さんは、いつも父親の味方をする。それは真知子さんの唯一の苦手なところだった。
「うん……」
真知子さんとしては養育費や慰謝料をしっかり支払っていると主張したいのだろう。納得はしてないけど、僕はうなづいて返した。あまりこの話をしたくなかったのだ。
「……ここじゃ長くいられないし、駐車場のあるコンビニに移動しよっか」
真知子さんがそう提案する。たしかにここに路上駐車したままではまずい。家と方向は違うけど、一号線に出ると駐車場の広いコンビニもあることだし、そっちへ行ったほうが良さそうだった。
母さんの回復まではまだ時間がかかりそうだ。今日こそは春奏さんとLEENしたいと思っていたので、できるだけ早く帰りたかった。
「僕は腹ごなしにここから歩いて帰ろうかな。母さんを任せていいかな?」
真知子さんに悪いかなと思いながらも、僕はそうお願いしてみた。
「それはいいけど、結構遠くない?」
「電車に乗るときは、いつも歩いて駅まで来てるから」
「そっか。じゃあ、気をつけてね」
真知子さんは快く送り出してくれる。僕はお礼を言ってから、家までの道を歩き出した。
一人になると、僕は母さんと父親のことを考える。それは、一途をはき違えた二人の顛末だった。
大学時代の友達だったという二人。母さんは父親のことが熱烈に好きだったらしく、猛アピールをしていたらしい。
しかし、父親には別に好きな人がいた。これがそもそもの元凶だった。
母さんの押しに負けた父親は、その人のことを諦めて母さんと結婚した。そして二人の間に僕が生まれた。
僕が小さいころは順風満帆な日々だった。両親の間で、普通の家庭の子供として育っていたのだと思う。
小学二年生のときだ。父親の浮気が発覚したのだ。相手は学生時代に好きだったという女性で、結婚前から気持ちは変わっていなかったらしい。僕はこれを一途だなんて言いたくない。
この辺りでは僕の記憶にもはっきりと残っていることがある。それは、母さんの泣き崩れている姿と、土下座する父親の頭だ。
僕は父親の顔をすぐに頭に浮かべることはできないのだけれど、頭頂部は簡単に思い出すことができるのだ。
母さんの恋が終わると、僕という存在だけが残った。僕はそのとき、自分は生まれてきてはいけない子だったのではないかと思った。
それから母さんはずっと泣いていた。その姿を見て、人を好きになることの痛みを知った。
当時の母さんは僕を見て急に崩れることもあった。僕にはそれが恐ろしかった。いつしか、泣き顔を見ると、僕自身も落ち着かない気分になるようになった。
そして、しまいには過呼吸になり倒れてしまった。真知子さんに助けられてなんとかなったけれど、それ以降、涙を見るだけで精神が不安定になるようになった。
僕の心の弱さの象徴。それが今でも残っている。
僕は母さんを泣かせないためにがんばるようになった。それは母さんのためでもあるけど、自己防衛のためでもあった。
子どもながらに、何かを食べているときが一番幸せそうだと思っていたから、料理を作るようにもなった。
こうして、親子二人で生きていく形ができていった。それが僕の家の歴史だった。
○
時間は八時になろうとしていた。いつも春奏さんとLEENしていた時間は遅くても九時くらいからだし、帰宅してシャワーを浴びてもまだ間に合うだろう。
もう十日以上していないから、かなり緊張する。しかし、勇気を出さないと遠ざかるだけだ。一度リセットしてしまったような気分だけに、今日はなんとしても話したかった。
ヘッドライトの白い光。一号線とバイパスを繋ぐこの道は、この時間でも結構な数の車が行き交っていた。それでいて片側一車線だから、小さな渋滞が起こりやすい。
歩道は狭くて何度も途切れている。小回りのきく原付自転車に乗る大学生が、渋滞のせいですぐ横をすり抜けていくため、危険に感じる場面が多い。だから僕は自転車を好まず、家と駅の間は歩くことにしているのだ。
この道を歩くのは、春奏さんと一緒に歩いたあの日以来だった。緊張しながら連絡先を訊いたあの日。それは、もうずいぶん前のことのように感じられた。
時間的に、この辺りを歩いている人は少ないらしい。手前のほうにあるコンビニを過ぎたあたりで、僕以外は誰もいなくなったように見えた。
でもそれは気のせいで、緩い上り坂の先に、若い男女が歩いている姿が見えた。女性は白くて小さなリュックを背負い、男性は自転車を押している。
僕はそのリュックに見覚えがあった。後ろ姿だって知ってる。男の人のほうも、知っている人かもしれない。
僕は早足で歩き、信号待ちも利用して二人に接近する。
何かにとり憑かれたような執念深さで、一定の距離を保ちながら二人を追いかける。以前、春奏さんと分かれた道にまで到着すると、ようやくしっかりと顔を確認できた。
まちがいなく春奏さんだ。そして、男の人は桝田先輩……
二人はそのまま分岐した道を歩いていく。僕はその後ろ姿を呆然と見送った。
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