1-④
赤茶色のマンション、十二階建ての八階で僕ら家族は生活している。ただ家族といっても、その実は母と子の二人暮らしだ。
カギを開けると、奥から物音がして戸が開いた。母、
「おかえりー。今日のご飯なにー?」
「いきなりそれか」
子供みたいなことを言われると、こっちは呆れるしかない。まるで僕が母親みたいだ。
うちでは食事係を分担しており、今日も僕の担当だった。しかし、分担とは言うものの、母さんが担当の日は、外食かお弁当しかない。
これでも、不公平ということはない。女手一つで僕を育ててくれている母さんは、スポーツ新聞社で芸能記者をし、十分な収入を得てくれている。
だからうちでは、母さんが働き、僕が家事をするというのが正確な分担であり、それが僕らの日常だった。
「だってお腹空いたんだもん。カップラーメンが切れてたから、お昼食べてないし」
「冷蔵庫に色々あったでしょ。自分で作って食べてよ」
「――ふっ、自炊のやり方なんてとっくに忘れたのよ」
母さんは悪びれずに言う。困った人である。
まあでも、大人しく作ってあげることにする。これだけ僕の手料理を望んでくれるというのは、それはそれで悪い気がしないのだ。
夕食を作り終えると、二人でテーブルを囲んだ。母さんはうれしそうに箸を手に取る。
「いただきまーす」
勢いよく食べ始める母さんを見てから僕も箸を取る。こういうのも母子が逆じゃないだろうか。
「そういえば、友達はできたの?」
思い出したように、母さんは母親らしいことを言った。僕はうなづく。
「まあね」
「男?」
「そりゃそうだよ」
そう言いつつ、昼間のことを考える。思えばLEENの交換なんて、まだサギとしかしていなかった。二人目が女の子、しかも上級生だなんて不思議なことだった。
「学校で女扱いされてない? その男の子は、ちゃんとゆうちゃんを男だって認識してる?」
冗談を言う顔をせずにそんなことを言ってくれちゃう。友達感覚で話しかけてくる母さんだけど、こういうところもなのだ。
「おちょくるとご飯作らなくなるよ」
「まじめな疑問なのに……」
なおさらたちが悪い。この人は僕を溺愛してるけど、反面とても馬鹿にしている。
「ちゃんと男子の制服着てますから」
「お、その言い方なら女顔を認めることになるわよ」
今度は確実におちょくるために言っていた。僕は静かに怒る。
「……これからカップ麺ばかりだけど、栄養には気をつけてね」
「やーん、脅迫しないでよぉ! 冗談でしょ、冗談! コミュニケーション不足だからぁ!」
「この補い方はあんまりだよ……」
思いっきりコンプレックスを突いてきてるし。母さんはあらゆる面で子どもっぽいのだ。
それに、たしかに学校が始まれば母さんと過ごす時間が減るけれど、夕飯はほとんど一緒に食べているわけだし、別に不足してはいないと思う。
「ゆうちゃんみたいな顔が好きな人もいっぱいいるわよ」
「もうその話はいいから、さっさとご飯食べてよ」
「あーん! 冷たーい! 親子の会話……」
「じゃあせめて親らしいことを言ってよ」
目を細めてにらみつけると、母さんは少し首をかしげる。絞り出しているようだ。
「――好きな子できた?」
それは親でも言いそうだけど、やっぱり友達っぽい。母さんの性質の問題だろうか。
「絞り出してそれなの……」
しかし、今日の僕はその質問を意識してしまう。ふと我田先輩の顔が浮かんだのだ。
彼女の笑顔を思い出しては胸が高鳴る。
でも、昨日の涙とその理由を考えれば、胸がストンと沈むような感覚になる。これらが相殺されると、残るものは『不安』だった。
「どんな子?」
母さんが目をしばたたかせる。いる、と受け取ったらしい。
「いません」
こっちが油断すると、母さんは芸能記者の勘を働かせる。たとえ胸の内が見抜かれてそうでも、僕は冷たく切り返し、追及を阻止しなければならない。
「教えてよぉー、私が調べてあげるから」
怖いわ。どんな母親だ。
「だいたい、まだ一週間も経ってないのに好きな子なんてでき――」
ふいにスマホが音を鳴らし、ビビりの僕はそれにビクッと体を震わせる。おもむろに画面を見ると、美和ちゃんがLEENをくれたらしい。
すぐに中身を確認すると、簡単なあいさつのようなものだった。
「……女でしょ?」
母さんがドスの利いた低い声で言った。笑顔なのが逆に怖い。僕はとっさに首を横に振る。
「話を切ってまで内容を気にしたんだから、女の子からのLEENに焦ったんでしょ」
心の動きまで見事に見抜いてしまう。普段子どもっぽいくせに、こういうところだけ鋭いのが、母さんのめんどうくささの極みである。
「……ただのあいさつだったよ」
母さんは手のひらをこちらへ差し出す。よこせ、ということか。僕は拒否する。
「やっぱり女の子からじゃない! 見せなさい! 分析してあげる!」
「やだよ。あいさつだけなのは本当だし」
母さんは浮気を追及する奥さんのような勢いだった。
「ゆうちゃん!」
今度はまじめな顔をする。ようやく親っぽくなったけれど、多分、内容は伴わない。
「……ゆうちゃんに彼女ができたら、私は一人ぼっちになっちゃうのよ」
母さんは目をウルウルさせながら言う。それは僕に対してもっとも効果的な、泣き落としという技だ。ウソ泣きだろうけど、堂に入っている。
「……飛躍しすぎだし、本当にあいさつだって」
そう言って、結局スマホを差し出した。さっきの泣き顔はどこへやら、母さんは嬉々としてLEENを確認する。
「あら、ホントね。この子、かわいかった?」
言う義理などない。僕はスマホを奪い返して、母さんをにらんだ。
「泣きまねはもうやめてよ。なんか、卑怯だ」
涙は僕の大きな弱点だった。涙を見ると落ち着かなくなってしまい、過呼吸を起こしたこともある。
そして、その原因は目の前の人であり、利用するのも母さんだけだ。
「いいじゃない。女の子の涙に弱い、なんて素敵よ。ただ、ママ以外の女に使われたくないから、ゆうちゃんの周りの女情報は常に把握したいわけよ」
「母さんは女の子じゃないでしょ」
僕は思ったことを反射的にツッコんでしまう。
「ひどーい! また泣くよ!」
「それなら、こっちはもうご飯作らないからね」
脅迫返しをすると、母さんは悔しそうな顔をして身を引いた。母さんが僕の弱みを握っているのに対し、僕は母さんの胃袋を握っているのだ。
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