1-⑤
次の日は、移動教室もなかったため、サギと食堂で昼食をとる以外は教室から出なかった。当然、そうなると我田先輩たちと一度も顔を合わせることはなかった。
午後の授業になる。当日の席替えで、窓際の一番後ろ、という最も気楽な席を引いた僕は、なんとなしに外を眺めていた。
外には上半そで、下ジャージという体操服姿の女子。ジャージのラインからして、上級生なのはまちがいない。授業では50メートル走をしていた。
ひょっとしたら、と思ってその人を探す。
三人組を目で追うと、彼女たちを発見することができた。我田先輩、美和ちゃん、真木先輩は、これからそろって走るようだ。
僕はそれをジッと眺める。なんとなく目が離せなかったのだ。
合図とともにスタートする。スッと先頭に立ったのは、なんと我田先輩だった。その後ろに真木先輩、少し遅れて美和ちゃんが走る。
最後までその状勢は変わらず、ゴール。我田先輩が一着。僕のイメージとはまったく逆の着順だった。
でも、走り方から美和ちゃんが遅かったとも思わないため、結構ハイレベルな戦いだったのではないだろうか。弓道部と剣道部でも、やっぱり運動部だと速いものなのか。
先生の視線の感じたため、僕はあわてて意識を教室に戻した。改めて授業に集中しようとする。
しかし、意思に反し、どうしても我田先輩のことが頭に浮かんでしまうのだった。
○
放課後。今日から吹奏楽部の活動だった。本日の内容は楽器を決めることだけなので、僕はわくわくしていた。こういう行事にはいつも期待してしまう。
しかし、楽器を替えてみようかな、なんて考えていたのは種類ごとの説明を受けていたときだけだった。
一年生の志望者どころか、現在演奏者のいない寂しいオーボエを見て、僕はすぐそれに決めたのだ。
次に、パート練習の説明を受けた。
どうやら、オーボエはファゴットと共に、フルートと一緒のグループへまとめられるらしい。強豪校とかだとオーボエ&ファゴットでパートが作られることも多いけど、ファゴットも一人のようなので、そんなものなのだろう。
音楽準備室へ行って自分の使うオーボエを選ぶと、今日はあっさりお開きとなった。
「オーボエくん」
妙な呼び名で呼ばれる。一瞬遅れながらふり返ると、そこには同じ学年の女子が立っていた。彼女をマネるなら『ファゴットさん』である。
「な、なに?」
「……フルートのところには別に来なくていいって。基本個人練。あと、遊牧民」
ファゴットさんはつっけんどんに言う。僕には最後の言葉の意味がよくわからなかった。
「……やっぱり聞いてなかった。だから、あたしら遊牧民」
「そ、その……遊牧民って?」
「あれ、言わない? 曲によって他のパートで練習するの」
そういうの遊牧民って言うんだ。……本当だろうか。
「聞いてなかった、ごめん」
「まったく……。ま、これはマイナー楽器の宿命よね。それで、なんか連絡することあるだろうから、LEEN教えて」
突然のことに、僕はとまどう。すると、ファゴットさんもいいかげんイライラしたのか、露骨に嫌な顔をする。
「……なんでそんな意外そうな顔されなきゃなんないのよ!」
そして爆発。……そんなに怒らせるようなことだったのだろうか。
「あ、あの、ごめん」
「ただでさえ適当な部活にイラついているんだから、このくらいちゃっちゃとしてよ! てか男のほうから気を利かせてよ!」
どうやら、他でたまったストレスが、ちょうど僕のところで爆発したようだ。僕は小さい頃にしたばくだんゲームを思い出した。
「すみません……」
謝りながら、僕は急いでスマホを取り出す。ついさっきサギにLEENの交換方法を教えてもらっていたことを活かし、なんとか淀みなく済ませることができた。
「はい、これで完了ね」
「うん。ありがとう……」
「礼とかいいし。ってかさ」
彼女はそう言って顔を近づけてくる。僕はまた動揺する。さっきから圧倒されっぱなしである。
「この部、適当過ぎじゃない? そのあたりどう思う?」
ジトっとした目でにらみをきかされる。なんか不良に絡まれているような気分。
「強豪校とかじゃないし、こんなものじゃないかな」
「それにしてもよ。人数少ないからフルートと一緒ってのはまあわかるけど、初日から放任宣言されちゃあ一年としたらどうしようもないじゃない」
「それはそうだね」
僕が苦笑いで肯定すると、彼女はやっと怒りを鎮め、大きくため息をついた。
「とりあえず、実質ファゴットオーボエパートみたいなもんだから、ここは繋がっとこう。ナチュラルにハブられそうな感じだしね。というわけでよろしく」
「よろしく。えっと……」
そういえば、ファゴットさんの名前をまだ知らなかった。
「ああ、私は
「僕は九十九優希。一年A組」
「ツクモ? キュウジュウキュウって書いて九十九?」
後藤さんは、僕の苗字の漢字を一瞬で言い当ててみせる。僕は素直に驚いた。
「すごい、よくわかったね」
「そう? 珍しい苗字として逆に有名じゃない? まあ実際に会ったのは初めてだけどさ」
そう言ってほほ笑む。初めはきつそうな人に見えたけど、普通に話せそうな人でよかった。
僕らは玄関口までの間、中学時代の吹奏楽部の話やクラスの話をしながら歩いた。と言っても、僕はほとんど相槌を打っていただけだったけれど。
彼女はバス通学らしく、そのまま校門を出ると、正面にあるバス停へと向かっていく。
「明日からよろしくね」
「うん。まあ個人練ばっかりだろうけど。あ、でもいい場所とか見つけたら共有しよ」
「うん。ありがとう」
僕の言葉に、彼女は違和感を覚えたようだ。たしかにお礼を言うのは変だった。それでも、小さく手を振ってくれたので、僕も同じように返した。
背中を向けて歩き、見えなくなるところになると、僕はホッと一息ついた。緊張はしたけれど、同学年で同じ部活の顔見知りができてよかったと思う。
彼女に対し、自分がどう接していたのかをふり返る。最初は詰まることもあったけど、ある程度は普通に話せたはずだ。
冗談交じりに責められたことで、かえって打ち解けたのかもしれない。そうまとめると、ようやく落ち着いてきた。
それにしても、この心の揺れにいつか慣れる日が来るのだろうか。もっと大人になれば、みんな当たり前のように身につくのだろうか。出会いの不安を時間で浄化する以外の方法を、僕はまだ知らなかった。
太陽がもうすぐ夕日になろうとする時間の帰り道。僕は前を歩く女生徒に目を留めた。心臓がドキッと波打つ。
信号待ちで追いついて、こっそりと確認する。その人は、我田先輩だった。
今日、弓道部は休み?
徒歩通学なら、家が近いの?
色々としゃべりかけられるようなネタはある。でも、勇気が僕にはない。まだ涙のトラウマもあるし、それは我田先輩にとってもそうだと思う。
僕はただぼんやりと先輩の横顔を眺め、信号が青になると、バレないようにとばかりに、わざと遅らせて後ろを歩く。
やがて、自然に先輩と道が分かれる。先輩はきっと近いのに遠いところに住んでいるのだろう。なんとなくそう思った。
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