第20話 …………いいよ

「クソッ!電話に出ねえ!!」


 既に五回は電話を掛けている。しかし一向に繋がらない。

 今すぐ碧乃と連絡を取りたい。だがそれが出来ない。これ程気持ちが焦ったのは今まで一度もない。


 ――何とかアイツの居場所さえ分かれば、どうにかなるかもしれないのに……


 どこにいるのか分からない。となると、当然どこに行けば良いのかも分からない。そこら辺を手あたり次第回っても、きっと碧乃を見付ける事は無理だろう。


 ――考えろ……考えるんだ!!俺が碧乃ならどこに行く……?そこら辺を回って痴漢を捜すか?いや、きっとしない。ならどうす……っ!!


「そうだ!!」


 俺が碧乃なら、まず張り込みをする。そしてその張り込み場所と言えばもちろん痴漢が何度か現れた事のある所だ。昨日紫乃が痴漢に襲われたあの場所。あそこは商店街の裏手にあるから、街灯が極端に少ない。となると当然人通りも少なくなる。痴漢にとっては持って来いの現場だ。一か八かだ、行ってみるか。





 碧乃は未だに不審者の後を付けていた。


 不審者は今のところおかしな行動には出ていない。だがいつ犯行に及ぶか分からないので気は抜けない。


 ――アイツが本当に痴漢なのかは分からない。けれどそれに賭けるしかないんだよねー。


 可能性がある以上は消極的な考えを持ってはいけない。ここは慎重に行こう。





 昨日、紫乃が痴漢に襲われた場所に到着し、辺りを見回すが、碧乃の気配は感じられない。もしかして既に不審者を見付けて後を付けているのだろうか?もしそうなら碧乃の身が危ない。アイツはかなり無理するからな。


 ――クソッ!居場所さえ分かれば……


「あれ?龍ちゃん?」


 背後から大人の女性の声が聞こえた。これはつい今しがた聞いた事がある。この声は確実に……


「柚子さん」


 そう、柚子さんだ。


「こんなところで何してるの?」

「いや、ちょっと……柚子さんこそこんな所で何してるんですか?」

「おばさんは買い物よ。さっき商店街に行くって言ったでしょ?」


 なるほど、確かに言ってたな――って!今はそれどころじゃない!!


「柚子さん!碧乃の居場所って分かったりしますか!?」


 ――あっ、柚子さんには碧乃を捜してる事言わない方が良かったか?いや、でも現状を話さなければ大丈夫か。


「碧乃?」

「はい、アイツをデートに誘おうと思っているんですけど、なかなか見付からなくて……それに電話も繋がらないんです」


 まあ、デートに誘うってのは嘘なんだけど。てか碧乃とデートして何が楽しいんだ?アイツ絶対に暴力沙汰起こすだろ。それに巻き込まれるのがどれだけ面倒な事か……面倒くさがりの俺には酷だ。


「柚子さん、碧乃の居場所とかって分かったりします?」


 分かるわけがないとは思うが、もしかしたらという可能性もあるので取り敢えず訊いてみる。


「分かるわよ」

「………………へ?マジ……?」

「うん、あの子は問題児だからね!」


 ――すげぇ、さすが母親というところだろうか。


「因みに何で分かるんですか……?」

「それはねえ――」





 碧乃は未だに不審者の後をつけていた。ヤツを追いかけて既に二時間、まだ何の行動も起こしていない。


 ――もしかして当てが外れたか?いや、でも……


 ここまで来たら諦めるわけにはいかない。もしここで諦めて、真犯人がアイツだと後で知ったら、きっと後悔する。


 不審者はキョロキョロと辺りを見回した。


 ――ヤバッ!?


 不審者と一瞬だけ目が合う。


 ――マズいマズいマズいマズい!!


 ……ヤツは何事もなかったかのように近くにあった小道に入る。

 碧乃はホッと息を吐く。そして急いで不審者の入った小道へと向かう。


 さっき、もしかしたら気付かれたかもしれない。しかしそうじゃないと信じ、小道に入る。


「…………クソッ!!」


 そこにはもう不審者の影は無かった。


 ――やっぱり気付かれていたか……きっと急いで小道を抜けたのね。でもこっちも急いでここを抜ければ、また追い付けるかもしれない。となると――


「――っ!?」


 何者に背後から抱き付かれ、手で口を押さえられた。


「フヒヒヒ!きき君、さっきから、ぼ、僕をつけていたよね?しし、知らないとでも思った?」


 ――クソッ!!やらかした!!


「あああ、あれ?きミ、昨日会ったよね?か、可愛いから僕覚えているよ」


 ――やっぱりコイツが犯人だったか!!


「んーーー!!(放せクソ野郎!!)」

「ねえ、いいい、一発させてよ」

「んーーー!!(やめて!!)」


 激しい危機感を覚え、じたばたと暴れる。しかし後ろからがっちりと掴まれているので、離れる事が出来ない。


「ぐ、ぐへへ、おおお、おっぱい触るよ?」


 痴漢は碧乃のシャツを捲っていやらしい手付きで、ブラの上から碧乃の胸を揉み始めた。


「んんーーっ!!(お願い!!やめて!!)」


「大きくなくて小さくもない。ぐへへ、僕の好みだよ。だからーー」


 痴漢は碧乃のシャツに手を掛け……………思いっきり引っ張り、ボタンを壊しながら碧乃の柔肌をさらけ出させた。


「もっと見やすいようにしようね!そして下の方も――」

「っ!?(イヤ……そこは……やめて……)」


 今度は碧乃のスキニーに手を掛ける。


 ――ダメ……もう私は助からない……ああ、初めては大好きな人にあげたかったなあ…………龍に……そう言えばわたし、将来龍と結婚した時の為に、今まで処女を守って来たんだっけ……………ああ、最悪だ。


 痴漢はスキニーを脱がす事に集中し始める。


 そしてあまりに集中し過ぎて、痴漢の碧乃の口を塞ぐ手から、一瞬だけ力が抜けた。


 ――いや!まだ龍に告白すらしていない!!諦めるな!!


 好機だと判断し、碧乃はすかさず痴漢の指を噛む。


「ひぃっ!?」


 驚愕と痛みに顔を歪める痴漢。ここは逃げるチャンスだ。しかしがっちり捉えられているため、そうする事が出来ない。


 今度は足を思いっきり踏み付ける。


「うぎゃっ!?」


 口を塞ぐ手が僅かにズレた。


 ――今がチャンスだ。


「りゅーーー!!」


 普通は『助けて!!』と叫ぶだろう。しかし咄嗟に彼の名前が出た。


 彼が現れないのは分かっている。でもその名前を呼ばずにはいられなかった。


「こ、この野郎!だだだ、黙れ!」


 痴漢は再び碧乃の口を塞ぎ、スキニーを脱がす為に手を伸ばした。後数センチで碧乃のスキニーに手が届く……


 ――もう……ダメ……


 そして――


「おおおおおお!!オルァ!!」


 誰かが痴漢の顔面を殴り飛ばした。


「ギャッ!?」


 ――今のは………………まさか!?


 殴り飛ばした相手の顔を見て、それが誰だか分かると――


「――龍!?」


 驚愕しながら彼の名前を呼ぶ。





 ――碧乃の叫び声が聞こえたから駆けつけてみたら……何だこれは。


 碧乃のシャツのボタンが全て壊れ、透き通る美しい肌が露わになっている。


 ――危なかった。もし駆けつけるのが僅かに遅れていたら、きっと碧乃は一生消えないトラウマを抱えながら生きる事になっていた。


 自分の着ていた薄手のカーディガンを脱いで、碧乃の身体に被せる。


「大丈夫か?」

「…………」


 碧乃は目に涙を浮かべながら無言で頷き、そのまま俯く。


「ちょっと待っててくれ、すぐに片付ける」


 ――さて、どうしたものか……


「ここ、殺す、殺す!殺す!!」


 痴漢はズボンのポケットからカッターを取り出し、カチカチと恐怖の旋律を鳴らしながら刃を伸ばした。


「それはこっちのセリフだ!!」


 痴漢の下へ駆け出す。


 刃物を見せ付けられると人は恐怖で委縮すると聞いたことがある。きっとそれは本当の事だろう。実際にそういう状態になった事があるから分かる。だが今の俺は、恐怖より【刺し違えてでもアイツをぶっ倒したい】という気持ちが勝っているので、驚くほど体が動く。


「ししし、死ねえええ!!」


 痴漢はカッターを振り上げ、俺が射程範囲に入るとそれを振り下ろした。このままだと俺は顔を斬り裂かれるだろう。となると――咄嗟に素早く右にかわし、痴漢のカッターを持っている右手を思いっきり蹴り上げる。


 痴漢の右手は衝撃に耐えられず、カッターを手放した。そこで間髪入れず痴漢の顎にアッパーをくらわせる。


「うぎゃっ!!」

「これは紫乃を怖がらせた分な。で――」


 痴漢が仰向けに倒れそうになった瞬間、痴漢の髪を掴んでちゃんと立たせる。そしてボディーに深く右拳をめり込ませ……


「これは紫乃の胸を触った分だ。で――」


 くの字に折り曲がった痴漢の頭を掴み、渾身の膝蹴りを顔面に入れる。


「これは碧乃を怖がらせた分と――」


 再び顔面に膝を入れる。


「碧乃をあられもない姿にさせた分。で、最後に――」


 既にぐったりしている痴漢の顔面を思いっきり地面に叩き付ける。


「俺に慣れない事(面倒くさい事)をさせた分だ」


 これで完全に痴漢は気絶しただろう。後は警察を呼べば一件落着だ。


 というわけで、早速警察に通報させてもらうとしよう。


「あっ、もしもし?最近〇〇街に出没していた痴漢を捕まえたので〇〇まで来てください」


 それから数回やり取りをして通話を切り、事件が解決した安堵で深く息を吐く。


「遅くなってすまない。本当はもっと早くに駆けつけたかったんだけどどうにも道に迷って」

「どうやって来たの……」

「柚子さんのGPSを借りた」





「碧乃の居場所、分かるわよ」

「……へ?」


 意外な返答に頓狂な声を出す俺を見て、柚子さんは自慢げにケータイを取り出した。そしてそれを十秒ほどいじると、何かのアプリを開いてこちらに画面を見せる。


 この街の詳細地図とその中に赤い点があり、それが動いている。


 ――……まさか!?


「柚子さん、これって……」


 ――いや、まさかな。


「GPSよ。あの子問題行動ばかり取るから、もしもの時の為にこのアプリをインストールしておいたの」


 ――そのまさかでした。


 でもまあ、そうしたくなる気持ちは分からなくもない。もし俺が柚子さんだったら心配になって同じ事をするだろう。何てったって碧乃は問題児なのだから。


「すみません、少しだけ柚子さんのケータイを貸してください!」

「ちゃんと返してね!」

「はい!」


 そして俺は柚子さんからGPS付きのケータイを受け取る。





「……………あのばばあ」


 PGSを付けられている事に気付いていなかったらしい碧乃のこめかみにぶっとい血管が浮かんでいる。


 ――柚子さん、気を付けてください。きっと碧乃は家に帰ったら暴れるはずなので。


「まあ、そのおかげで最悪な事にならなくてよかったじゃないか」


 もし俺が来なかったらどうなっていたか。想像しただけで胸糞悪い。


「それもそうね」

「そしてお礼に一発させろ」

「…………」


 ――やっべ、冗談だったのに碧乃が顔を赤くしている。これは冗談が悪すぎたか?


 そして――


「…………いいよ」

「…………は?」

「でもここじゃイヤだから後でね」


 ――はいいいいいい!?


「な、何よその顔!!」


 どうやら動揺が顔に出ていたようだ。


「お、お前正気か?」


 ――キャラじゃない。コイツなら普通、ここで俺に顔面パンチをくらわせて、罵倒しながらぼっこぼこにするはずだ。それなのに俺に一発させろと言われて承諾するだって?いやいや、マジでキャラじゃない。


「し、正気じゃなかったらこんな事言わないわよ!で、やるの?やらないの?」

「やらせてください!!」


 ――…………あっ、つい願望が声に出てしまった。ここは早く訂正をしないと――


 ざくっ……


 ――えっ……ざくっ?


 右の脇腹の少し下辺りに冷たさを感じる。それが次第に痛みに変わってゆき悲鳴を上げそうになる。その痛みの感じる場所を見てみると――


「……っ!?」


 カッターが深く刺さっていた。


「ウソ……だろ…」


 左ひざを突いて両手を地面につける。


 ――あー、やらかした。本当は最後まで油断してはいけないはずだったのに、俺のバカ野郎……


「ふひ、ふひひひひ!ぼぼぼ、僕を殴った罰だよ?」


 声の聞こえた背後を見ると、やはり痴漢がいやらしい笑みを浮かべて立っていた――あー、マジでやらかした。痛くて立てない。


 ここでパトカーの音が聞こえる。


 ――俺が刺される前に来いよ。


「死ねっ!!」


 今度は左腹部にカッターが刺さる。


「あぐっ……」


 ――あー、イヤだなあ……死にたくねえなあ……


「碧…乃……最後にお前と……一発したかった……」


 そこで俺は気を失う。その前に碧乃の悲鳴が聞こえたのは多分、気のせいではないだろう。

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