第19話 おおきくなったらみんなでケッコンしようね

「……ここか」


 階段を上がり、紫乃の部屋前まで来ると、ドアをノックしようとした。だが確実に気まずくなるだろうな、と思うと気が引けてそれが出来ない。


 ――どうする?帰るか?……でも!!彼女を慰める事が出来るのは、きっと碧乃と俺だけだ!!


 コンコンッ……


 無意識にドアをノックしていた。


「…………お姉ちゃん?」


 少し憔悴しょうそうしているような声色。だが一応大事は無さそうだ。


「すまん、俺だ、龍だ」

「…………」


 場が静まり帰った。数秒しか経っていないのだろうが、時間がやけに長く感じる。


「………帰って」


 そう言った紫乃の声は、本気で帰って欲しいと思っている感じではなかった。寧ろ助けて欲しいと言っているような気がする。本当に帰ろうかと思ったが、こんな弱った紫乃を放置するわけにはいかない。というか放置したくない。


 紫乃の部屋のドアに背を付けて座り込む。


「いや、帰らない」


 ここで帰ったらきっと後悔する。俺も、紫乃も。だから絶対に帰らない。帰りたくない。


「それよりお前、昨日痴漢に襲われたんだって?何で俺に教えてくれなかった?」


 それで何かが解決するというわけではない。でも教えてくれれば何か出来たかもしれない。例えば学校をサボってカラオケに行くとか、水族館に行くとか、慰める方法は沢山ある。それなのに何故。


「…………龍君には関係ないでしょ」


 これははっきりとした拒絶だ。しかしここで負けるわけにはいかない。


「確かにそうかもな、でも俺はお前の幼馴染だ。力になりたいと思うし、頼って欲しいとも思う。だから教えて欲しかった」

「…………」


 紫乃は黙り込む。ちょっとばかし後悔させてしまっただろうか?しかしこれは本当の事だから、紫乃には分かって欲しい。


「そう言えば俺達が初めて会った日の事覚えてるか?」

「……覚えてないよ」

「あの日、俺は本気で――」





 ウソ、覚えている。あれは私達がまだ五~六歳ぐらいの時だった。

 あの日、私はお姉ちゃんと公園で二人でだるまさんが転んだをしていた。当時の私とお姉ちゃんは――今も私はそうだけど――かなりの人見知りだった。なのでもちろん友達と呼べる者は一人もいない。でもあの頃の私はそれでも構わないと思っていた。だってお姉ちゃんさえいれば寂しくないから。けれどその思いを龍君はいとも簡単に打ち砕いた。

 だるまさんが転んだをしている時、ふと砂場の方に目をやると、ビックリする程大量の砂をかき集めて、何か大きな物を造ろうしている龍君がいた。


 ――どうしよう……あのこがなにをつくろうとしているのかとってもきになる。


 お姉ちゃんも同じ事を考えていたのか、彼女は木の陰に隠れながら龍君を見ていた。因みにあの頃の私は今とは違い、お姉ちゃんより活発だったから……


 ――もしかれにはなしかけるとしたら、わたししかいないよね?


 そう思った。


 知らない人に話しかけるのは怖い。正直、いきなり喧嘩を売られる可能性だってあるから、話しかけたくない。でもどうしても彼が何を造っているのか知りたかった。


 ――よし!!


 気合を入れて彼に近付く。そして、


『なにしてるの?』

『んー、かんがえるひとぞうをつくろうとしているんだ』

『なんで?』

『きょう、いもうとのたんじょうびだからプレゼントするんだ。アイツさいきんアートがすきだから』


 妹の為に砂で像を造る。それは無謀過ぎる、小さい子供がそんな複雑なものを造れるわけがない。ましてや考える人の像は石造りなんだ。物の密度や硬度が全く別物の砂では造れない。でもあの頃の私がそれを知っているわけがなく、頑張れば造れるだろうと思った。


『わたしたちもいっしょにつくっていい?』

『わたしたち?ほかにもだれかいるのか?』

『うん!お姉ちゃん!』


 そう言って近くの木の陰に隠れている碧乃を見る。


『わかった。じゃあいっしょにつくろう』

『うん!』

『あっ、そういえばきみのなまえはなんていうの?俺はミヤヒラ・リュウだ』

『わたしはアサクラ・シノだよ!』


 それから龍君と私達は一生懸命頑張った。水を撒いて砂を固め、土台を造り、考える人像と同じ形になるよう砂を削る。それはとても難しい作業で、何度も何度も失敗した。それでも私達は諦めない。絶対に造れると信じて……そして三時間後に出来上がったのが高さ二メートルはある巨大な考える人像だった。


『『『かんせいしたぁーー!!』』』


 三人で思いっきり万歳しながら、嬉しさのあまりピョンピョンと飛び跳ねる。


『やったな!ふたりともありがとう!』


 龍君は人差し指で自分の鼻っ柱を擦ってニカッと笑った。


『そうだ!いっしょにシャシンとらねえか?もちろんこのぞうもいっしょに!』


 それを聞いて私とお姉ちゃんはお互いを見てアイコンタクトを取ると、ニコッと笑った。そして――


『『うん!』』

『じゃあ俺、いえにかえってカメラとってくる。あっ、ついでにいもうともつれてきていいか?』 

『だいじょうぶだよ!ね?お姉ちゃん!』

『うん!』

『いっぷんだけまってて、すぐもどってくるから!』

『わかった!』


 私がそう返すと、龍君は走り去って行った。


『お姉ちゃん、あの子おもしろいね!』

『うん!わたしリュウくんとケッコンしたい!』

『じゃあふたりでケッコンしよう!』

『うん!』


 それから本当に一分で龍君は戻って来た。その龍君の後ろには、私達の一つ年下と思われる可愛い女の子が立っていて、恐々とした顔でこちらを見ている。


『コイツはいもうとのキラだ。で、キラ、この人はシノでとなりにいるのはアオノだ。さっきかんがえるひとぞうをつくるのをてつだってくれた』


 それを聞いてキラちゃんは、龍君の後ろから顔だけを出して軽く頭を下げた。そして龍君はそんなキラちゃんを見て苦笑する。


『キラ、あそこをみてみろ』


 そう言って龍君は砂場を指差す。


『???』


 キラちゃんは首を傾げつつ砂場を見る。そして考える人像がある事に気付くと、目を輝かせ、辺りを照らすんじゃないかと思う程の明るい笑みを浮かべた。


『おにいたん!こわしていい!?』

『いいわけないだろ!どんだけがんばったとおもっているんだよ!』

『ふえっ……』


 キラちゃんの目に涙が浮かぶ。このままだと泣いてしまうだろう。


『わかった!こわしていい!こわしていいからなくな!』

『うん!わかった!じゃあこわしてくる!』

『まてまてまて!』


 龍君は嬉々として像を壊しに行こうとするキラちゃんの襟首を掴んで彼女を止める。一方のキラちゃんは我慢できないらしく、まるで散歩中に興奮し過ぎた犬のように、先へ先へ進もうとじたばたしていた。


『じゃあしゃしんとろうぜ!』

『『うん!』』


 私とお姉ちゃんはコクリと頷く。


『これは……こうか?』


 龍君は三脚を用意して、それにカメラを設置した。


『じゃあいくよー』

『『うん!』』

『わーい!こわすこわすー!』

『ちょっ!?キラ!こわすのはまだはやいよ!』


 龍君は撮影のモードをタイマーにして、ボタンを押し、急いでこちらに戻って来ると、キラちゃんの両脇を押さえ、カメラの方を向いた。

 多分、後五秒ぐらいでシャッターが下りるだろう。

 私とお姉ちゃんはお互いを見てアイコンタクトを取り、コクリと頷くと、両サイドから龍君の頬に――――キスをした。

 そしてシャッターは下ろされる。


『ななな、なにするんだよ!?』


 龍君は顔を茹蛸にしながら、一瞬で五メートル程後ずさり、私達との距離を取った。


『えへへぇー、いまのはコンヤクのキスだよ。おおきくなったらみんなでけっこんしようね!』

『……まあ、いいか。じゃあそのときは俺がおまえらをシアワセにしてやる!』


 そう言って龍君はニカッと笑う。それを見て私は嬉しい気持ちになった。この人なら本当に私とお姉ちゃんを幸せにしてくれると思ったからだ。


『とぅっ!!』


 キラちゃんは砂の彫刻にドロップキックした。彫刻は大きく崩壊し、キラちゃんの上にドサッと落ちる。


『キラがうまったぁーー!!』


 それからすぐにキラちゃんの救出は出来たのだが、危ない目に遭ったというのに満面の笑みを浮かべる彼女を見て、苦笑したのは言うまでもない。





「――本気でお前らを幸せにしたいと思っていた。それは今も変わらない。まあ、結婚は考えてなかったけど……でも紫乃、それでもお前は関係ないと思うか?」


 これでも関係ないと言うのなら、俺にはもう何も出来ない。だから紫乃に心を開いて欲しい。


 数十秒が経過しても返事がない。


 ――もう帰るしかないのか……?


 いつまでもここに止まっていたら、紫乃にストレスを与えかねない。残念ながらもうこの場から去るとしよう。


「じゃあ俺は帰るわ」


 ――このままってわけにはいかない。明日も来るか?いや、でも俺が本心を告げても心を開いてくれなかったんだ。これ以上俺に何かが出来るとは思えない………仕方ない。暫くは様子を見るとしよう。


 立ち上がり、階段を降りようとした瞬間、紫乃の部屋のドアが開いた。そこから紫乃が出て来て俺に抱き付く。が、そこで俺と紫乃は階段から転げ落ちた。


 ――痛ってぇー……紫乃は大丈夫か?怪我してたらどうしよう……


 咄嗟に紫乃を抱きしめて俺が下敷きになったから、大怪我はしていないと思う。だがもしかしたらという可能性もあるので心配だ。


「…………ごめんなさい…龍君は全然関係なくない……」


 俺の胸倉に顔を埋めて謝る紫乃の頭にポンポンと手を置いて、優しく撫でる。


「私……本当に怖かった……」

「うん」

「もう男の人には近付きたくないと思った……」

「うん」

「でも……龍君は違う……」

「うん」

「本当は……龍君に助けて欲しいと思った……守って欲しいと思った……」

「うん」

「だって……だって私は!!」


 紫乃は顔を上げた。ずっと泣いていたのか瞼が腫れて目が充血している。それを見ただけで、どれだけ紫乃が怖い思いをしていたのかが分かる。


「っ!?」


 いきなり紫乃に唇を奪われた。


 とてもぎこちないキス。唇から紫乃の温もりが伝わる。紫乃はこれで俺に嫌われると思っているのか、体を小刻みに震わせている。


 ――抱きしめたい……でも!!


 紫乃が次に言うであろう言葉を待つ。


「私は龍君が大好きだから!!」


 俺は紫乃を抱きしめる。強く、でも紫乃の体が壊れない程度の力で……


「紫乃の気持ち、とっても嬉しいよ。紫乃は美人だし、萌える程奥手だし、優しいし、笑うととっても可愛いし、ずっと隣にいたいと思う」


 ――そう、ずっと隣に………でも、


「でも俺、紫乃とは付き合えない。だって俺、ヘタレだし、地味だし、ルックスだってどこにでもいるような普通の感じだし、優柔不断だし、それに彼女いるし――あっ、相手はもちろん内藤じゃないぞ?だ、だから紫乃とは――っ!?」


 もう一度紫乃に唇を奪われる。とても短いキスだ。時間にしたら一秒ぐらいだろう。


 紫乃は俺から離れるとクスリと笑った。


「別に付き合いたいとは思ってないですー」

「………へっ?」

「私はただ龍君が大好きって言っただけだよ」

「いや、だって流れ的にはそうだろ」


 普通は告白の後『付き合ってください』と言って相手の返事を待つものだ。だからここは俺が付き合えるか、付き合えないか、どちらかの答えを出す流れになる。それなのに付き合うつもりはないだって?告白したのに?


 ――あっ、ヤバい。不測の事態に混乱してきた。


「そうかもね。でも………きっと私よりもお姉ちゃんの方が龍君の事好きだから……」

「ごめん、最後らへん聞こえなかった。もう一度言ってくれ」

「言わない。龍君エッチだし」

「はあ!?俺のどこがエッチなんだよ!?」

「お母さんに『テクニックは凄いわよ』って言われて速攻で頭を下げたじゃない」

「っ!?」


 ――なんで知っているんだ!?コイツもしかしてあの場面を見ていたのか!?


「な、何故知ってる……?」


 紫乃はフフンと胸を張って笑うと、部屋に戻ってまたこちらに来てスマホの画面を見せた。


【龍ちゃん、お母さんが『テクニックは凄いわよ』って言ったら、凄い勢いで頭を下げたわよ!紫乃ちゃん、チャンスチャンス!盛りの付いた龍ちゃんを押し倒すのよ!】


「柚子さああああん!!」


 ――あの人何してくれちゃってんの!?


「龍君のエッチ」

「待て、これは男ならそうなるもんなんだ!男はテクニックという言葉に弱い!」


 ――って!俺は何を言っているんだあああ!!


「だってそうだろ?気持ち良くないセックスなんてつまらないじゃないか!!」


 ――だから俺は何を言っているんだよ!!


「ま、まあ、俺は気持ち良くなくても、相手を満足させられればそれでいいんだけどな!!」

「龍君、言い訳が見苦しい」


 ――ですよねー。


「すみませんでした。あっ、それより碧乃はどこに行ったんだ?アイツも休んでるんだろ?でも家にいないぞ?」


 ――これで何とか紛らわせる事が出来ればラッキーだ!!


「お姉ちゃんなら朝からいないよ」

「そうなんだ。どこ行ったかとか分からないの?」

「うーん……分からない。でも物凄い剣幕で家を出て行ったから、喧嘩とかかな?」


 紫乃は唇に人差し指を付けて考えた後、首を傾げる。


「そっか」


 ――…………ん?喧嘩?


 アイツはヤンキーだからそういうのは日常茶飯事なんだろう。だけどこのタイミングで喧嘩をしに行くってのには違和感を覚える。


 第一、こんなに精神を病ましている紫乃を置いて、喧嘩をしに行くだろうか?普通なら紫乃に寄り添ってあげるところだろう。俺だったらそうする。それなのにアイツはいったい何をしているんだ。


「…………っ!?」


 嫌な予感を覚える。そしてその直後、とある可能性が脳裏を過った。


 ――まさか!?


「どうしたの?」

「い、いや、何でもない。それより用事を思い出したから俺はもう帰るわ。じゃ!」


 紫乃に手を振ると、急いで朝倉家を出る。

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