第7話

   第七章


 ノーウェアマンのために造られた地下のお店は、キャベランという名前のライブ専門のお店になった。名前のアイディアはショウが出しているから、きっと文明以前の言葉を引用したんだろう。

 キャベランでの興行は、ノーウェアマンが登場した日は大成功ではあったが、それ以外の日では、それほど多くの人を集めることができなかった。始めた当初は、ライブを専門と謳っていたが、実際には学生の余興や会社のパーティーに使用されることが殆どだ。しかし、もう少し後になってだが、ノーウェアマンに影響を受けたバンドが登場し、キャベランを賑わせることになるんだ。しかも、今でもキャベランは残っていて、多くいる音楽家達に聖地と崇められている。

 ノーウェアマンは、キャベランでのライブを三日に一度のペースで行っていた。にも関わらず、連日満員だ。ちょっと異常だよな。今の時代ではもちろんだが、当時のその後に起きた音楽ムーヴメントのときでさえそんなペースで千人規模の会場を満員にできた音楽家なんていなかったよ。

 どんなにライブが盛況でも、それだけで満足するショウじゃなかった。様々な本を読んでは真似をして、自分のスタイルへと吸収していく。しかし、ショウの心は、違うなにかを求めていたようだ。

 Like a rolling stone 最近凄い人気なんだってさ。僕達みたいに専用のライブハウスがあるみたいだよ。

 チャコがそう言った。もちろん、文字を喋るなんてことはしない。ライクアローリングストーン。そう読むそうだ。

 ライクアローリングストーンの曲ってさ、なんか凄いよね。僕達には永遠に真似ができない。そんな感じがするのはなぜかな? 映像を見たけどさ、演奏している楽器も僕達のそれとは別物だよね。形は似ているけど、音が違う。曲そのものも不思議な感じでカッコいいんだよね。

 チャコの言葉を聞き、ショウはたまらずその場でライクアローリングストーンに連絡を入れようとしたんだ。スティーブを使って、メンバーの名前を確認し、連絡先を尋ね、いきなり通信を始めたんだ。ショウのその行動力は、死ぬまで変わらなかったよ。

 ショウが通信機能で話をしたのは、ライクアローリングストーンのリーダーであるニックだった。驚いたことにニックは、文明以前の文字が読めない。おまけにニックの生まれ育ったスコットランドでは、音楽の文化がまるきり存在していない。楽器の存在すらなく、形のある本で溢れている部屋なんてどこにもなかった。しかし、たった一つの本を手に入れていた。それは、ショウが聞き屋から譲り受けたのと全く同じ本だったんだ。とはいっても、文字も読めずに音楽に触れたこともなく、たった一冊の本だけで新しく音楽を生み出すことなんて不可能だ。ショウはそう感じたが、確かにそうやって音楽を生み出しているんだから、ニックの才能はとんでもない。それを感じたショウは、ただただ嫉妬したよ。

 けれどショウは、そんなことで歩みを止めたりはしない。むしろその歩みを加速していった。新しい表現を考え出し、それに向かって動き出そうとしていた。

 僕達の音楽を、映像で表現できないかな?

 ショウは突然そう言い出した。なにを言いたいのか、チャコとジョージには理解ができなかった。ただキョトンとするばかりだ。

 僕たちの音楽を街中に流すんだよ。その上に会社の宣伝を乗せるんだ。逆でもいいが、楽しいと思うだろ? 横浜だけじゃなく、世界に飛び出すにはいい戦略だと思うんだけどな。しかもな、金になる。会社の宣伝をする代わりに、お金を貰うんだ。

 当時としては画期的な発想だったよ。後に進化を遂げ、当たり前になっているが、その元祖がノーウェアマンだったんだ。

 しかし、その準備にはそれなりの時間がかかった。

 ショウはその準備に疲れ、ふと以前訪れた聞き屋の休憩室を思い出したんだ。あの場所の空気感に浸りたくなったそうだよ。そして一人っきり、地下へと降りて行く。

 部屋に入るとすぐ、ソファーに腰を下ろす。頭を空っぽにし、ただその時間を過ごす。頭の中の空気が一新されるのを感じる。

 ここに来ると、心が綺麗になるんだよな。そんな独り言を呟き、ようやくソファーから立ち上がった。すでにこの場所に来て二時間が過ぎていた。

 ショウは部屋の扉を開け、鍵を閉めて階段を登っていく。なんだか分からない胸騒ぎを覚える。感じる空気が、部屋の中と変らない。どういうことだ? 階段を登るにつれて感じていた現実へと引き戻される感覚がない。

 そういえば・・・・ とミッキーが言っていた言葉を思い出す。部屋に入ったら必ず鍵をかける。僕は鍵をかけなかった。それとこの空気感になにか関係が? そんなことを考えながらも、背の低い扉までたどり着き、開いた。物凄い風を感じる。地下スニークが通り過ぎる瞬間だったようだ。すぐに扉を閉じ、スニークが通り過ぎるのを待った。再び扉を開け、ショウは驚いた。スニークの通路が、いつもと違っていたからだ。そこには四本の溝があり、一台のスニークは、二本の溝に丸く回る板を何枚も差し込んで前へと進んでいく。なんとも原始的な装置だった。

 ショウは待ち合い場所に這い上り、外へと足を運んでいく。その空気感こそ違うが、道成はいつもと同じだった。周りに並ぶ店が変化していることはよくあることだ。普段から特に周りに目を向けていないショウにとっては、その違いを感じることができない。

 地下から外に出て、ショウの驚きは高まる。もしかしてとの予感が止まらない。箱型の建物の裏には、聞き屋が座っている。しかし、その顔がいつもの危機やとは違っていた。そして冷静に、街中を見回す。空気感の違い以外に感じていた違和感の正体に、ようやく気がついた。

 文字が違う・・・・ 本の中の文字が、ここには溢れている。

 ショウは自分がタイムスリップしたことをすぐに飲み込んだ。ミッキーとの会話が以前にあったからだが、物事に躊躇をしないのがショウの性格の特徴でもある。

 取り敢えずショウは、街を探索することにした。このタイムスリップには意味があることは知っていたが、その意味が分かっていなかったからだ。

 文明以前の横浜は、ショウにとってだけではなく俺にしても魅力的だ。本を売っている店で、ショウは何冊もの本を読んだ。音楽が売っている店もあった。どうやって聞くのかはわからないが、様々な種類の四角い板状の箱型が売っていた。楽器屋にも足を運ばせる。見たことがない楽器も見つけた。ショウはその全てをいちいち欲しがったが、手に入れる方法が分からなかった。しかし、最後の一日に、そのチャンスが訪れた。それが犯罪行為だって知ったのは、行動に起こした後だった。ショウはこの世界の言葉が喋れない。今更戻って本を返しても、面倒な事態が待っているだけだ。悩んだショウは、地下の聞き屋の休憩室に、その本を隠した。ソファーの下に。

 ショウが本を手に入れたのは、結果として最後の一日になったその日のことだ。見覚えのあるウーク三大ロックの文字が書かれている本を見つけ、手に持っていた。どうしても欲しいが、この世界のお金のシステムが分からない。分かったとしても、そのお金がない。苦しんでいたショウの隣で、若い男がとった行動に、ショウは驚き、その時点では悪気はなく、無邪気に真似をした。

 隣の若者は、手に取った本を懐に隠した。それを見ていたショウに気がつき、笑顔を見せた。なるほど、そうやって自由に持っていっていいんだと、ショウは自分に都合のいい判断をした。そして真似をし、店を出ていく。

 ショウは本を懐に隠したまま、横浜駅の地下を歩いていた。本を手に入れたのも駅の地下だ。なにか楽しいことが待っているなんて、楽観的な気持ちしかない。まさか、あんな出来事を目撃するとは思いもしていなかった。

 なんだかよくは分からないが、袋に入った食べ物らしき物を中心に売っているお店だった。側にいたおばさんが、ついさっきの若者と同じように品物を懐に入れ、店の外へ出ていった。しかし、おばさんはすんなりと家路には帰れなかった。店員がすぐに後を追い、おばさんに声をかける。万引きはいけないよね。なんて言っていた。すぐには意味が分からなかったが、おばさんの行為が泥棒だってことに気がついた。

 横浜の街を探索していたショウは、いつの間にか南下してした。そして駅を見つけ、乗り込んだ。お金が必要なことなんて知らず、なに食わぬ顔で歩いていたら、なんの支障もなく文明以前の世界ではホームと呼ばれていた待ち合い場所に出て、やってきた乗り物に乗った。連結型のスニークによく似ていたが、その動力が違うと気がついた。中に入ると、やっぱりスニークによく似てはいるが、至る所に描かれている文字が違うのは当然として、感じる振動とスニークが発する物音とは全く違っていた。

 スニークに似た乗り物に揺られて、ショウは三ツ境という名の駅で足を動かした。どうしてその駅で降りたのかは本人も分かっていない。三ツ境以前にもいくつもの駅に止まっていたが、ショウの足は動かなかった。そこに待っている現実が、ショウには見えていたのだろう。

 駅前をうろついていたショウは、一つの店の前で足を止めた。食べ物屋っだってことは分かるが、その食べ物を見るのは初めてだった。お腹が空いていたのは事実だが、それだけが理由で足を止めたわけではなかった。中で働く店員に、わけのわからない親近感を覚えたからだ。それは決して、過去の人物に恋をしたなんて話ではなかった。どうしてもこの人を知りたいと感じたんだ。

 店の前で中を覗いていると、ショウが見つめていた店員がドアを開けて顔を出した。

 お腹空いてるの? なんて声をかけてくる。俺が見ても感じられる。顔は似ていないが、醸し出すその雰囲気が、ショウにそっくりだった。

 その店員は、ショウと同じ雰囲気を身に纏った、それでも可愛らしい女性だった。彼女がなにを言っているのかは分からなかったが、ショウは、うん、と頷いた。

 しかしなぜか、彼女にはショウの言葉が伝わっていた。単純な返事だからだとこのときは感じたが、そうではないとこの後すぐに気がつくことになる。

 ショウは店の中に入り、案内された席に腰を下ろす。彼女は一度、店の奥に引っ込んでいく。ショウは彼女のお腹に目を向けていた。ちょっぴり膨らんだそのお腹に、妊娠しているんじゃないかと感じる。それは予感ではなく、確信だった。

 戻ってきた彼女は、食べ物をおぼんに乗せていた。美味しいから、ちゃんと食べてよね。なんて言ったんだ。ショウはその言葉を自然に受け入れたいたが、俺には違和感があった。その後、全てを食べ終えた後、ショウは、美味しかったと告げた。ついでにお腹の子供についても言及する。お腹の膨らみ具合から、男の子だよねと言ったんだ。

 おかしいと思うよな。俺はそこまで聞いてようやくその違和感の正体に気がついたんだ。文明以前と今では、その言葉がまるで違うはずなんだ。ショウはこの世界に来てからずっとそう思っていた。街で聞こえてくる騒めきなども、異世界の言葉に聞こえていたはずだった。その後に確認したが、確かにそうだった。なにを言っているのかまるで分からなかった。だったらどうしてって思うが、それは俺にも分からない。なにか不思議な力が働いたのか、彼女が俺たちの世界の言葉を話せたのか、街で聞いた言葉が単純に聞き辛くて、その先入観から違う言葉だと早とちりしていたのかも知れない。感情のある言葉は伝わりやすいが、感情がないと伝わらない。それはよくあることだよ。この後に出会った奴とも、ショウは普通の会話をしていたからな。

 店を出た後、ショウはおかしな連中を見かけた。怪しい雰囲気で店の中に視線を飛ばしていた。ショウはそれが気になり、ちょっとばかり調べてみようと考えた。その日から一週間、彼女とその怪しい連中を尾行した。

 なんだか僕って聞き屋みたいだなと感じ、ショウは喜んでいた。

 一週間の調査で、ショウは怪しい男達の素性と目的に気がついた。自分の手でなんとかしたいとも考えたけれど、万が一が起きたら困ったことになる。過去の世界に干渉ができるのは、過去の世界の人間なんだと考えた。そして、横浜の駅前で、顔の違う聞き屋が座っていたことを思い出した。この街でなにか困ったときには聞き屋に任すのが一番だ。

 ショウはすぐに動き出す。スニークに似た乗り物で横浜駅に向かい、聞き屋の姿を探した。いつもの場所にいた聞き屋は、ギターを抱えて歌っていた。聞いたことのない歌だった。ショウが作る歌とも、ライクアローリングストーンの歌とも違う。ショウはじっと、聞き屋の歌に耳を澄ましていた。

 一曲を歌い終えると、聞き屋はギターを壁に立てかけ、椅子に腰掛ける。ショウは目の前に近づき、しゃがんだ。

 いい歌だね。なんて声をかける。少しの音楽話を終えると、この人を助けて欲しいと、紙に書いた似顔絵を手渡した。

 聞き屋にはいくつかの質問をされたが、ショウは、それを調べるのが聞き屋の仕事だろと言い、余計な情報は与えなかった。ショウが調べた程度のことは、聞き屋なら簡単に調べられると思ったからだ。余計な情報を与えることは、聞き屋を混乱させるきっかけにもなり得る。

 聞き屋は無事に三ツ境の彼女に辿り着いた。様子を知りたいというよりも、音楽やこの世界の話を聞きたくて、二、三度聞き屋の前に顔を出した。解決にはまだ至っていなかったが、そろそろ帰るべきかと考えていたとき、見知らぬおばさんが万引きで捕まった。自分も捕まってしまうとの恐怖から、ショウはとんでもない行為を取ってしまった。

 おばちゃんを問いただしていた若者を突き飛ばし、行くよ! なんて声をかけながら手を掴み引っ張った。突然の出来事に唖然とした表情で床に倒れている若者を飛び越え、人混みの中に消えていく。誰も追いかけてこないことを感じ、ほんの少し人影の少ない角で足を止める。泥棒はよくないよ。おばちゃんにそう言うと、ショウは笑顔を作り、じゃあね! そう言い残して再び走り出した。

 ショウはそのまま、聞き屋の休憩室まで走った向かった。このままここには二度と戻ってこられないんだろうな。なんてことを考えながら。

 鍵を開けて部屋の中に入る。懐から取り出した本を眺め、ソファーの下に。僕はこれからどうなる? きっと、役目は終わったはずなんだ。僕は彼女を助けるためにこの世界に来たんだ。ショウは自分がタイムスリップした理由をそう考えていた。聞き屋が全ての解決に向かって動いている。時間の問題で解決するのは間違いない。僕がここにいても、迷惑なだけだ。僕がどこから来た誰なのかを聞き屋にはほんの少し話してしまったけれど、きっと信じてはいないだろうし、僕と彼女の繋がりについてはなにも話していない。このまま消えるのが一番なんだ。この先彼女が無事に赤ん坊を生み、育てたってことは、僕の存在がそれを証明をしている。彼女はきっと、僕の祖先なんだ。僕は彼女を危機から救うためにやって来たってわけだ。聞き屋のミッキーは、それを知っていた。長く聞き屋の間で語り継がれて来たのだろう。話の詳しい内容は崩れても、その大事な核だけは守ってきたわけだ。だからこそ、僕にそれが伝わったんだから。

 ショウはソファーから腰を上げ、ドアを開けると、鍵をかけて階段を上って行く。空気感が元に戻っていることに気がつき、やっぱり・・・・ ちょっとばかり悲しく感じた。

 ショウは真っ直ぐ、聞き屋の元に向かった。

 この鍵は、返した方がいいよね? 僕は無事にやり遂げた。もう必要ないよ。

 ショウはそう言ってポケットから取り出した鍵を投げ渡した。

 そうなのか? 鍵を受け取り、聞き屋が言った。そうなんだろうな。きっと。実はな、ちょっと前にもう一つの鍵をなくして困っていたんだよ。助かるよ。笑顔でそう言った。

 それじゃあ僕は帰るよ。色々とやることが多くてさ。

 そうみたいだな。まぁ、あまり無理をするなよ。あんたが死んじまったら、それこそ無意味になっちまう。

 そうだねと呟き、ショウはいつもの形のある本で溢れる部屋へと向かう。だいぶ疲れたようだ。また顔を出せよ。なんて聞き屋の言葉を背に受けると、右手を上げて手を振った。

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