第5話

   第五章


 大学を卒業したショウは、ヨーコと正式に結婚をした。定職にはつかず、形のある本で溢れた部屋を中心に一日を過ごす。ときには寝泊まりすることさえあった。

 三階のレストランへは、ちょくちょく顔を出している。オーナーと知り合えたことをきっかけに、ショウが行けば無料で飲食物が運ばれてくる。以前ショウが手がけた詩の解読、その詩を唄う彼女の父親が、店のオーナーだったんだ。そのことは、聞き屋のミッキーも、あの時点では知らなかったという。

 レストランの名は、ボブアンドディラン。その意味はきっと、人の名前だそうだ。彼女の家族に代々伝わっている先祖の名前だという。後にショウは、そんな読み方をする文字を、形のある本の中で見つけている。

 ボブアンドディランの壁には、奇妙な置物が多く飾られていた。彼女の話では、文明以前に使用していた楽器だという。楽器っていうのは、音楽を楽しむための道具の総称だそうだ。彼女の家には似たような物や、まるで形が違う物まで、楽器らしき物が溢れているという。

 ショウは、そんな楽器に興味を抱いた。楽器がどういうものなのかも分からないまま、勝手に手に取っては、その感触を確かめ、好き勝手に音を出す。

 一方でショウは、ヨーコの手伝いを得ながら、音楽に関する本をかき集めてもいた。

 これってきっと、あの楽器の勉強をする本じゃないかな?

 ヨーコが持ってきた本の表には、確かに同じと思われる楽器が描かれていた。中身は初めの数ページに楽器の説明やら記号の読み方やらが書かれていて、その後は以前に見かけたことのある五本戦とオタマジャクシだった。ただ少し違っていたのは、その五本戦に、オタマジャクシの他に文字が描かれていることだった。その文字が数を表しているってことは、すぐに分かった。その意味を知ることもそれほどは難しくなかった。そして、数字の書かれている線の数にいくつかの種類があるってことにも気がついた。四本と六本が多かった。ショウがボブアンドディランで手にした楽器には六本の細い棒が縦長に張られていた。端と端に下駄があり、数ミリ浮いている。その浮いた棒を抑え込み、弾くことで音を変えることができる。棒の太さも六本共に違いがあり、音に違いが生まれる。

 この楽器の名前が、ギターであるとショウはその本によって知ることになるが、ギターには多くの種類があることを後に知り、さらにはその仲間が何十種類と見つかっている。ショウはそれらの楽器を総称して、弦楽器と呼んでいる。細い棒のことを、弦と呼ぶことからの命名だそうだ。

 ショウはギターに夢中になった。形のある本で勉強をしては、ボブアンドディランで実践をする。勘のいいショウは、音の繋がりや組み合わせを自分なりに生み出していく。正解は分からないが、数字の並ぶ六本戦の上には必ず、同じような形で数字の部分だけがオタマジャクシに変化をしている記号があり、それがきっと音の上下の変化だってことに気がついたんだ。ショウは完全なる独学で、その意味を読み解いた。

 ボブアンドディランの片隅で勝手にギターを鳴らしていたショウだったが、その音が、最初こそ嫌がられていたが、次第に店員やお客さんの間で評判になっていった。

 初めは単純な思いつきで音を並べていただけだった。けれど次第に、規則的な音を出すようになる。そしていくつかの形の曲を完成させたんだ。

 形のある本の五本戦をそのままに弾くと、形のある曲になる。ショウは、そんなモノマネを楽しんでもいた。しかし、そんな曲だけでは、ショウ自身も満足ができず、好き勝手な曲を混ぜながら演奏をする。

 そんなところで遊んでないで、あなたも舞台に上ってみる? 突然彼女に話しかけられた。

 僕はまだ、そのレベルじゃないよ。こいつはまだ、ただの趣味だよ。あなたようにはまだ、舞台の上では輝けないんだ。

 ふーん、そうなんだ。ショウ君ってさ、なにを求めているの? あなたの音楽、私は好きだし、ここに来る常連さんはみんな気に入っているわよ。舞台で聞いてみたいって、よく言われるのよね。

 彼女の言葉に嘘はないが、ショウ自身も、ただギターを弾くだけの現状に納得してはいなかった。

 僕はさ、あなたのように唄いたいとも思うんだけど、そうじゃないとも感じているんだ。このギターには確かに僕の感情が伝わっているんだけど、もっとなにか、楽しくなれるって思わないかい? 色んな形のある本を参考にはしているんだけど、どれもいまいちなんだよね。

 試しに私が唄うってのはどう? ショウ君のギターを背に、いいアイディアだと思わない?

 うーん・・・・ ショウはいつもにも増して深くため息を零す。

 悪くはない話だよ。けれどきっと、そうじゃないんだ。だって、よく考えてみなよ。あなたの唄は、その声だけで成立しているんだよ。バックの演奏なんてなくても、観客が勝手に手拍子や足踏みをしてくれる。それがなくたって、聞いている者には、唄以外の音楽が聞こえているんだ。僕の演奏なんて邪魔でしかないんだよ。

 そんなの実際にやってみないと分からないわよ。

 確かにそうだね。けれどさ、僕は何度も試しているんだ。あなたの唄を思い描き、僕の感情を背後に乗せる。今のままではそう、上手くはいかないよ。残念だけど、僕達はさ、まるで違う方向を向いているんだ。

 ショウ君の言うことも、なんとなくは分かるんだけど、やってみる価値はないかな? 彼女のそんな言葉に、ショウは即座に首を振った。

 そのうちきっと、お世話になるよ。もう少しなんだよね。なにが足りないのか、それさえ分かればきっと、僕はあなたのように輝けるんだ。

 そんなショウの言葉に、彼女は笑う。

 なにを言っているのよ。あなたはすでに輝いているじゃないの。初めて会ったあの日から、今でもずっと輝き続けているわよ。あなたになにが足りないのかって、それはきっと、勇気じゃないかしら? 新しいことを始めるのって、怖いじゃない?

 彼女のそんな言葉を聞き、ショウの頭にある閃きが起きた。そうか! なんて叫び、ギターを壁に立て掛け、店を出て行った。ありがとう! やっぱりあなたは素晴らしいよ。彼女に向かってそう叫んだ。

 ショウは二階の形のある本で溢れた部屋へ行き、紙を使って文字を書き記していく。頭でギターの音を感じながら、言葉を重ねる。唄が歌になった瞬間だよ。詩が歌詞になった瞬間でもある。

 ショウはそのまま部屋に篭り、数曲の歌詞を仕上げた。そしてすぐにボブアンドディランに行き、ギターを弾いてイメージ通りの音を探り、奏でていく。

 彼女を呼んでくれないか? ショウは近くを通った店員に声をかける。少々お待ち下さいと、その店員が答えた。

 しかし彼女はなかなか姿を現さなかった。ショウは暇潰しに、出来上がった曲を奏でる。ギターを弾き、唄を歌う。最初は小さな音で、小さな声を出していた。しかしいつしか、ボリュームが上がっていく。

 気がつくと、ショウは出来上がった曲の全てを歌い終えていた。そして周りに目を向けると、多くの人影が目についた。いつの間にかお客や店員がショウの周りを囲んでいたんだ。ショウはあまりに驚き、立ち上がった。本人の気持ちとしては、ギターを壁に立て掛け、逃げ出すつもりだった。

 イエェーイ! なんて声が、店内に響いた。続いて拍手が巻き起こり、そこにいた全員が立ち上がる。

 これは事実上の、ショウのデビューだ。新しい音楽が、生まれたんだよ。ショウの歌には、メロディーがあるんだ。彼女の詩とは違う。しかも、ギターの演奏がショウの歌を華やかに盛り上げる。今に繋がる音楽の基礎を、たった一人で生み出したんだよ。

 やっぱりあなたは凄いわ。大勢の観衆をかき分け、彼女がショウの前に現れた。

 明日からここで演奏してくれないかしら? お金ならちゃんと、払うわよ。他の楽器だって自由に使って構わないんだし。

 彼女の言葉に、ショウは頷いた。お金が欲しくて引き受けたわけではない。ショウには聞き屋の仕事を手伝ったときに得た金が手付かずで残っていた。更に、この国では、二十二歳を前に学校を卒業した者は給付金が貰えることになっているんだ。卒業をした翌年から、本来卒業をする年の年度末まで、毎月支払われている。しかも、国の平均給料と同額が貰えることになっている。

 ショウが引き受けた理由は、楽器を使い放題ってところにある。様々な本を読み、音楽についての知識は得ていたが、やはり一番の勉強は、実践に限る。ショウはボブアンドディランの舞台で、ギター以外の楽器も散々試すことになった。自分で作った曲や、本の中から見つけた曲を演奏しながら。


 一人きりでの興行は、大成功といえた。横浜の街だけでなく、国中で評判になり、あちこちから客がやってくるようになった。当然、連日満員だった。

 しかし、ショウ自身は、納得がいっていなかった。もっと楽しくなれる。もっと表現ができると考えていたんだ。しかし、一人きりでの演奏には限界があるとも感じていた。悩んでいたショウに、ヨーコが口を出す。

 チャコとジョージを誘えばいいじゃない?

 あまりにも単純すぎる閃きに、ショウは驚いた。どうして今まで気がつかなかったんだ?あの二人ならきっと、期待以上の反応を示すだろう。思い立ったらすぐに行動に移す。ショウはスティーブを使って二人を呼び寄せた。

 あれほどに仲の良かった三人だが、大学生になってからは顔を合わす機会が減っていた。それでも、校内で顔を合わしていたこともあり、お互いの現状は把握していた。しかし、大学を卒業してからは、偶然に顔を合わすなんて機会は全くなく、かといってわざわざ連絡を取ったりはしていなかった。ショウがボブアンドディランで興行をしていることも、特には伝えていなかった。チャコとジョージが見にくることもなかった。チャコとジョージがなにをしているのかも、ショウは全く知らないでいた。知りたくなかったわけではない。知ろうとしなかっただけだ。

 久し振りだね? そう言ってまっ先に顔を見せたのは、チャコだった。ショウが連絡を入れてから、十分後のことだった。

 ショウの生活は、とても不規則だった。ボブアンドディランでの興行は、多ければ日に三度、少なくても一度はある。一ヶ月間の休みもないに等しい。店自体に休みがなく、ショウも休もうなんて気はなかった。店にいないときは、新しく三階に作られた部屋に入り浸りだった。二階の形のある本で溢れた部屋の上に当たる部屋で、今では音楽に関係のある本だけが集められ、その他の空間は様々な楽器で埋まっている。三階と二階を行き来する穴は、少し広げられ、ちょっと狭いが、普通の階段を備えつけている。三階の方が広くできているが、ショウはなにかの調べ物をするときには必ず二階へと降りていく。三階にも机があるにも関わらず、二階の机を使用する。身体も心も落ち着くようだ。

 結婚をし、新居を構えたショウだが、実際に家で寝る日は少ない。ヨーコと一緒にいる時間も減っている。

 思いつきでチャコとジョージに連絡を入れたショウだが、今の時間をまるで把握していなかった。

 随分早かったね。ひょっとして、この近くに住んでいるの?

 ショウの言葉に、チャコが苦笑いを浮かべる。

 もしかして、今が何時か分かってない?

 チャコの言葉を聞き、慌てて時間を確認する。今の時代の俺たちはいつだって、頭の中で時間を知ることができる。しかし、常に確認をしているわけではない。特にショウは、集中をしていてもいなくても、時間を気にする男ではなかった。

 ヨーコがいるってことは、昼間なんじゃないのか?

 そうなんだよ。今は昼間なんだ。この時間にさ、学生は普通、家にはいないだろ? それに、僕の家からはここまで十分じゃ来られないよ。

 チャコの言葉にショウは驚く。

 学生って? 去年一緒に卒業したじゃんよ。チャコが寝ぼけているんじゃないかと、ショウは笑みを浮かべる。

 確かに卒業はしたけどさ、まだ十八じゃん。勉強したいことはいっぱいなんだよ。

 それは僕だって一緒だよ。人生は常に勉強だろ? ここにいるってことが、僕に取っての勉強なんだよ。

 ショウはさ、それでいいかも知れないけど、僕は違うんだよ。学校に残って、勉強させてもらっている。後四年と少しはその権利があるからね。

 そうか、学校に残ったのか。けど、学校からだってそんなに早くは来られないだろ?

 実はさ、転送装置のモニター実験に参加しているんだ。今日はそれを利用したんだよ。

 転送装置って、なんだ?

 ショウの言葉にチャコは驚く。側にいたヨーコまで、まさか知らないの? なんて声を出した。

 おいおい、いくら忙しくてもさ、少しも耳にしていないってことはないだろ? 全く知らないのか?

 全く知らないな。転送装置って、なんだ? 言葉の意味はわかるよ。テレポとは違うのか?

 まぁ、似たようなものだけど、驚くなよ。テレポはさ、基本は物体だけに限っているだろ? 転送装置は違うんだ。生き物を送ってできるんだよ。

 ちょっと前に話題になったじゃないのよ。世界中で一斉に行われた人体実験をしたのよね。大成功だったのよね?

 そうなんだよ。けれどさ、それだけで即実用化とは行かなくてね、今は世界中でモニター実験を行なっているんだよ。僕はそれに参加しているんだ。結構人気があってさ。なかなかなれないんだけどさ、学生は優遇されるんだ。色んな意味で、実験向きなんだ。時間的にも、肉体的にもさ。

 チャコとヨーコが盛り上がるのに対し、ショウはあまり興味がなさそうに、ふーん、そうなんだ。なんて言うだけだった。ヨーコは興味津々に感想などを尋ね、チャコは自慢げに説明をしていた。

 今では当たり前になっている転送装置だが、当時はまだ実験段階だったんだ。その開発は、スコットランドっていう国が中心になっていたそうだ。しかもその転送装置は固定式だったんだ。決められた箱の中に入り、行き先を指定する。指定の仕方は色々あるが、スティーブを通せば余計な操作はしなくてもいい。頭の中でスティーブに行き先を伝えるだけでいいからね。すると、指定場所に設置されている箱へと移動ができるっていう仕組みだよ。ショウが言うように、テレポとよく似ている。テレポは基本、服や食べ物などの実体のある物だけを転送する。用途によって大きさは様々あるが、箱型で設置式になっていた。小さなテレポは、各家庭に一台は設置されていたよ。

 そんなテレポも、今では持ち運び式が開発され、主流になっている。しかし、箱型であることは変わっていない。箱なしでのテレポは可能だが、危険が多い。少し考えれば分かることだ。突然目の前に食べ物が現れるなんて、知っている本人ならば問題はないが、知らなければ驚く。食べ物ならまだしも、大きな物も移動できるんだ。突然現れれば、事故につながることもある。やり方によっては、命を奪うことも可能なんだ。これは俺達の世界での話だが、実際にそんな使い方をしている連中もいる。当然違法行為だが、違法をするのが俺達一般人だけじゃないっていうのが問題なんだ。

 初めは固定式だった転送装置も、十数年後には携帯型が誕生し、その後すぐに主流になっている。身につけているだけで、いつでもどこにでも移動ができる。決まった場所へ向かう必要もない。スティーブの機能を利用することにより、事故防止対策も万全だ。俺達が想像できる心配事は、いまだかつて現実にはなっていない。

 スニークの存在が消えたのは、この転送装置が発展をしたからに他ならない。しかし、転送装置にもたった一つの難点がある。ほんの少しだが、身体への負担があるってことだ。若い時分は問題ないが、年を重ねると、一日に何度もの転送は身体に堪えてくるそうだ。俺達の時代では、平均寿命が毎年下がっているんだが、転送装置が原因だと言われている。

 それでチャコはさ、なんの勉強をしているんだ?

 チャコとヨーコの会話が一段落したその隙に、ショウが言葉を挟んだ。

 僕はさ、相変わらずだよ。

 チャコの言葉のトーンが一気にさがる。

 楽しくないのか? ショウがそう聞く。

 まぁ、それほど楽しくはないよ。なんせさ、医療技術はほぼ確立されているんだ。僕たちはさ、ただそれを覚えるだけだからね。研究っていてもさ、新しいことは一切なしだよ。

 それじゃあなんで勉強を続けているんだ? 遊んでても金が貰えるからか?

 確かにそれもあるよ。僕には両親がいないからさ、国への借金も返さないといけないしね。

 当時は学費については無料だった。ショウ達三人のように飛び級を重ねたり、チャコとジョージのように研究所に出入りしたりすれば給料さへ貰えていた。今の時代とは少し、事情が違うんだけどな。

 しかし、施設で過ごしていたチャコは、その費用を返さなくてはならないんだ。施設利用料は高くはないが、無料ではない。毎月幾らと、積み重なっていく。それに加え、生活費の支給があるんだが、支給という名にはなっているが、実際には貸与であり、それもまた返さなくてはならない。

 だったら僕と、音楽で稼ぐか? 色々アイディアはあるんだよ。ジョージも誘ってやってみないか?

 そんなショウの言葉に最初こそ戸惑ったが、その内容と、その場で歌い出したショウの歌に感銘を受け、チャコは参加を決意した。

 医療の勉強ならここでもできるだろ? 形のある本で、そんなようなのがいくつかあったからな。文明以前の医療を勉強するのは必ず役に立つ。分かるだろ? 今とは違う考え方から生まれた技術だからな。

 それは当然続けるよ。ここの本だって利用させてもらうけどさ、ジョージはどうする? 僕も最近は全く会っていないんだ。卒業式の日以来だよ。学校でも見かけていない。研究所には残っているって噂は聞いたけどね。

 その日は結局、ジョージは姿を表さなかった。連絡さえ寄越してはこなかった。

 チャコは三階で様々な楽器を触っていた。その中で一つ、ショウがドラムと呼んでいた打楽器が気に入ったようだ。見た目が派手なドラムは、チャコのイメージとは合わない。しかし、チャコがドラムを鳴らすと、その派手さがチャコに乗り移り、派手な音を鳴らしてくれるんだ。チャコがドラムに向いているのは、その派手さを表現できるからだけではない。その物静かだけれど芯の強い性格故だった。派手なだけのドラムはつまらない。チャコは、静かな空間さえも表現ができるんだ。

 チャコはその日、学校にも戻らず、家にも帰らず、朝までドラムを叩いていた。


 こっちから連絡してみるか。

 夜が明けた頃、ショウが呟いた。

 今日は休みなんじゃないの? ヨーコがそう言った。

 ヨーコは普段、仕事をしている。そのため仕事がある日はこの場所にはやってこない。が、この日は世界的に休みの日だ。

 この世界では、三日に一日に休みがあるんだよ。と言っても、ボブアンドディランのような娯楽施設に休みはないが、学校などの公共施設や、一般的な会社ではそうと決まっている。ヨーコが働く会社のように、休みの日の前日も休みなんてのは珍しい。ヨーコは、三日に一度しか働いていない。

 ヨーコの仕事がなんなのかは分からないが、十歳で卒業しているんだ。相当な待遇が与えられていても不思議ではない。

 三日に一度しか仕事のないヨーコだったが、この日のように二日間も続けてショウの側にいるのは珍しいことだった。

 ショウはヨーコに顔を向けたが、なにも言わずにそのまま顔の向きを戻し、ジョージに連絡をする。スティーブを使って、ジョージに通信を入れる。

 ジョージに通信が届いていることはスティーブが教えてくれる。しかしなかなか、ジョージは答えない。

 なぁチャコ、本当にジョージがなにをしているのか知らないの? あいつが僕からの連絡に応えないなんて、おかしいんじゃない?

 チャコは本当になにも知らないようで、確かにおかしいね。なんて言いながらなにか考え事をしていた。

 うーん。こんなことってあるのかな? ジョージの位置検索をしたんだけど、所在不明になっているんだよね。

 そんなわけないじゃない! ヨーコが叫びをあげた。

 確かに、生きていたとするならあり得ないことだが、そこまで興奮するヨーコに、ショウとチャコは驚いた。

 通信が届いているってことは、生きてはいるんだよな。矛盾しているってことだね。チャコがそう言う。ジョージはスティーブについての研究をしていたはずだから、なにかまずいことでもしたのかな・・・・

 やっぱりなにか知ってるだろ? ショウがチャコを睨みつけ、そう言う。

 いや、本当になにも知らないよ。ただね、スティーブの研究って、かなり危険らしんだよ。ここ数年で何人かが行方不明になったっていう噂は聞いたことあるよ。その事実は分からないし、真実なら当然隠蔽されているだろうしね。

 そんな・・・・ ヨーコは絶望したかのような声を出し、その場で顔を手で覆い項垂れた。

 こういうときは、行動するに限るな。ちょっと今から出かけてくるから、二人はここで待っていてよ。ジョージがやってくる可能性もあるしね。

 ショウはそう言うと、そっとヨーコに近づき、抱き締める。なにも心配はいらないから。ショウの言葉にヨーコは頷く。

 後は頼んだからと、チャコの耳元で囁き、部屋を出て行った。

 ショウはボブアンドディランの中に入って行き、彼女を呼び出した。彼女はその日、興行の予定はなかった。ショウは用事があるから今日の興行には出られないと言い、代わりの出演をお願いした。

 真剣なショウの表情に、その目を覗き込みながら彼女は頷いた。

 建物の外に出ると、ショウは真っすぐ聞き屋の元に向かった。頼れる相手は、彼しかいなかった。

 ちょっとお願いしたいんだけど、いいかな?

 いつもの壁際で、椅子に座っている聞き屋の前にしゃがみ込み、上目遣いでショウは言う。

 厄介ごとか? 依頼と受け取っていいんだよな。

 そいうことになるね。緊急なんだ。余計な会話はいらないから。

 あんたの目を見ればそのくらいは分かるよ。

 さすがはミッキーだ。頼りになるんじゃないかって思って来たんだよ。

 余計な会話はいらないんだろ?

 ミッキーの言葉を聞き、ショウは笑う。なんだか本物の聞き屋のようだ。そう言った。

 ふっ、聞き飽きたセルフだな。よく言われるんだよ。そんなことより、要件を早く言いな。俺は今別の案件を抱えていて忙しいんだよ。

 友達を探して欲しいんだ。ジョージっていうんだけど、恐らくはだけど、スティーブが関係するなんらかに巻き込まれそうなんだ。ジョージは学校で、スティーブの研究をしていたんだ。

 ・・・・それだけじゃ分からない。そう言いたいんだが、あんたはやっぱりなにかが違うんだな。今俺が抱えている案件が、まさにそれなんだよ。ジョージって男のことは知らないが、きっと被害者の一人なんだろうな。

 ミッキーはそう言うと、さっそく行くとするか。そう言いながら立ち上がった。

 とにかくついてきな。この事件はな、実はほぼ解決していたんだ。話はもうついている。後は被害者を引き取るだけだったんだよ。

 ミッキーが向かって行く場所に、ショウはすぐに気がついた。この道を使って行くってことは、そうなんだろうなと感じている。しかも二階に直行か?

 ミッキーは真っ直ぐに建物の二階へと繋がっている川を渡る橋へと向かい、渡って行く。

 あんた今、ボブアンドディランで興行しているんだってな。なかなかの評判なんだろ? 今度ぜひ、招待してくれよな。

 ミッキーならいつ来たって構わないよ。彼女とも顔見知りなんだし、顔パスだろ?

 まぁそうだな。今度ゆっくり、見に行くとするよ。

 橋を渡り終え、建物の中、カフェへと足を運ばせる。

 おばちゃんいるだろ? 呼んでくれないか? ミッキーは、カフェの中に入るとすぐ、店員に向かってそう言う。

 店内の奥へと消えていったその店員はしばらくすると一人で戻ってくる。

 ショウさんが一緒にいることを伝えたんですが、奥の部屋に直接来てくれとのことです。

 ショウとミッキーは、トイレを抜け、形のある本で溢れている部屋に入って行く。

 なんだここは? こんな場所があっていいのか?

 聞き屋の言葉に、ショウは違和感を覚える。

 まさかとは思うけど、知らなかたってことはないだろ? 横浜の街で聞き屋をしているんだ。噂すら聞いてないっていうのは嘘だよな。しかもあんたはおばちゃんとも長い付き合いなんだしな。しかも、形のある本の存在まで知っているんだ。僕ともこの建物の前で出会っている。今更なんのための嘘だよ。

 ははっ、まぁそう言うなって。確かに大嘘だけどな、ここに入るのは初めてなんだよ。噂以上だな。こんなにも溢れているとは驚きだ。世界中の本が集まっているんじゃないか?

 ここにあるのは一部だよ。この上の階にも、下の階にもあるんだ。あれ? なんて部屋を見回し、ショウは、おばちゃんがいない。そう呟く。

 部屋の中には、おばちゃんだけでなく、出かける前にはいたヨーコとチャコの姿も見えなかった。

 上にいるのか? そう言いながら階段を登ろうとした。すると、どこかからか声が聞こえてくる。

 床の穴に気づかないのかい? 何年ここに通っているんだい。こっちだよ。早く降りてきな。

 おばちゃんの声が聞こえてくる。ショウはすぐに床の穴に顔を向ける。ミッキーもつられて床の穴を見とめる。

 そこから一階に行けるのか? 凄いな。三階への階段もある。しかも入り口はトイレだろ? まるで秘密基地だな。

 僕が先に一階に降りるけど、問題ないよね。そう言ってショウは、穴に飛び込む。続いてミッキーも、なんの考えもなしに飛び込んだ。

 ドンッ! という物音に続き、痛いっ! なんていうミッキーの声が聞こえる。

 うをぉー! ビックリした。そんなショウの言葉が重なった。

 ショウの背後に、ミッキーが落ちてきた。慣れているショウは、飛び降りた瞬間に一歩前に踏み出していた。まさか、すぐさまミッキーが飛び降りてくるとは考えていなかったが、その行動が吉と出た。ミッキーの身体は、ショウの背中を掠めていた。

 落ちてきたミッキーの方向へ振り返ったショウは、尻餅をついているミッキーの姿を眺め、驚きと痛みに目玉を飛び出させながら顔を歪めているその顔を見ると、噴き出すのを我慢できなくなる。そして実際、噴き出した。

 ミッキー! あんた本当に聞き屋なのか?

 思ったより高かったんだよ! それに、あんたがまだそんな所にいるからだろ!

 ミッキーの怒鳴り声に、ショウは再び大笑いだ。

 ちょっとは様子を見てから来るもんだけどね。まぁいいや。怪我はしていないみたいだし。

 クッソー。依頼料にちゃんと慰謝料含めとけよ!

 お尻を擦りながら、ミッキーは立ち上がった。

 あんた達、なにを遊んでいるんだい。おばちゃんの呆れ声に、ミッキーは頭を掻きながら部屋の中を見回す。そこには、ヨーコとチャコもいた。ショウが知らない五人の男女に、ジョージの姿も混ざっていた。

 これで今回の事件は解決だな。あんた達、これからはもう少し気をつけるんだな。スティーブには、あまり踏み込んじゃいけないってことだ。いくら大学で研究しているお偉いさんでもな、踏み込んじゃいけないって領域があるんだよ。それは身を持って分かっただろ? さぁ、早いとこ帰るんだな。

 ショウの言葉を受け、五人の男女はそそくさと部屋を出て行く。俺には不思議だった。誰一人として、ミッキーにもおばちゃんにもお礼の一言どころか、挨拶すらしなかったんだ。

 なぁ、これってどういうわけなんだ? 助かったとはいえ、ジョージはなんだか放心状態だよ。ちゃんと説明してくれるんだよな?

 ショウはミッキーとおばちゃんを交互に見ていく。二人が頷くのを確認し、その視線をヨーコとチャコに移していく。

 その様子だと、ヨーコもチャコもなにも聞いていないようだね。

 そうなのよ。いきなりおばちゃんが来て、こっちに連れて来られたばかりなのよ。本当にさっき来たばかりなのよ。話を聞く時間すらなかったんだから。

 ヨーコがそこまで言い終えると、すぐにチャコが口を開いた。

 そうなんだ。僕たちまだ、ジョージとも話をしてないんだよ。

 そうみたいだね。それは分かったよ。とにかく今は、早く真実を知りたいね。

 そんなショウの言葉に、おばちゃんがため息をついた。

 さっきの聞き屋の言葉を聞いたわよね? 大学の研究が少し、エスカレートしたのよ。スティーブの機能や歴史を研究するのがさっきの子達のテーマだったのよ。けれどまぁ、深くまで踏み込んじゃったのよね。そういう研究は、こういう場所でやるべきなのよ。まぁ、最低でも感情を心の奥に押し込む訓練はするべきだったわよね

この子だけはそれができていたから、捕まるのが遅かったのよ。しかもこの子がまだ捕まる前に事件に気がついたからこそ手遅れになる前に解決できたのよ。あの子達はもっとこの子に感謝しないといけないんだけど、それはまぁ、諦めるしかないわね。あの子達もこの子も、今回の記憶は全て消えるように設定してあるのよ。今まさに、その最中なのよね。後十分もすれば、記憶の書き換えが終了するわね。その前にさっさと話を終えなきゃならないのよ。放心状態に見える今を超えると、ちょっと厄介なのよ。この話はね、後からでも絶対にこの子には言わないことよ。脳がパニックになっちゃうのよ。

 おばちゃんはジョージに近づき、そっと頭を撫で、話を続けた。

 この子達はね、スティーブの秘密を掴んだようなのよ。あまり詳しくは説明しないわよ。それで意味は汲み取れるわよね。文明以前との繋がりを示す証拠に辿り着いたらしいのよ。

 スティーブが文明以前から存在しているんじゃないかって噂はよく聞くが、いまだに証拠は示されていない。スティーブがそれを拒んでいるってことだ。それこそがその噂を真実と証明しているとも考えられる。

 それでスティーブに消されかけていたところを、私が助けたのよ。こう見えてもね、おばちゃんは世界を救うのよ。

 おかしな言い回しに、ジョージ以外のみんなが笑った。

 冗談はさておきね、私は聞き屋から行方不明になった大学生の事件を相談されたのよ。スティーブの研究をしていたと聞いてね、すぐにピンと来たわよ。こう見えても私ね、若い頃にはこの子達と同じ大学でスティーブの研究をしていたのよ。先輩で一人、行方不明になったまま消えてしまった人もいたしね。これは冗談じゃないわよ。

 今度の言葉には、誰も笑えなかった。

 聞き屋のところへ話を持って来たのは、行方不明になった子の中の親だったのよ。随分と過保護な親でね、たった一日家に帰って来なかっただけで聞き屋に相談したのよ。直接な依頼はなかったんだけど、さすがに聞き屋は勘がいいわね。すぐに動き出すからこそ事件は解決するのよ。話を聞いた私はすぐ、聞き屋と一緒に大学に行ったのよ。そこでこの子に話を聞けたのよね。もちろん、大学内でなんて話は聞かないわよ。きちんとスティーブの機能を妨害できる場所に連れて行ったのよ。そこでね、私達は、ちょっとした危険を犯したのよね。そうすることが近道だったのよ。当然、この子には許可を取ったわよ。

 勿体つけた話し方に、ショウは堪らず、なにをしたんだよ! と声を荒げた。

 そう興奮するなって。俺が提案したんだ。事件解決には一番手っ取り早いからな。それに、他にも当てはあったんだよ。

 ミッキーが口を挟んだ。

 分かったから、話を続けてよ。

 ショウは少し冷静にそう言った。

 続きは俺が話すよ。聞き屋はおばちゃんに顔を向け、ニコッとした後にウィンクをする。気持ちが悪いと感じたのは、俺だけじゃないはずだ。

 こいつを囮に使ったんだよ。スティーブが糸を引いていると言ってもな、直接手を下すのは人間だ。その瞬間を掴まなければ、助けられない。こいつが捕まって、他のみんなと同じ場所に連れて行かれるのを待ってから助けるって作戦だ。それと同時に、俺はスティーブの手下になっている人間側を黙らせるために走ったよ。あんた達も知っている人だ。裏の社会に通じている。分かるだろ? この建物のオーナーだよ。ボブアンドディランで唄う彼女の父親だ。事件の説明をすると、彼女の父親はすぐに動いてくれたよ。俺たちと一緒にこいつが連れて行かれた現場まで手下を同行させ、無事に話をつけてくれた。まぁ、言葉にするほど簡単ではなかったけれどな。後はおばちゃんが、スティーブの記憶を操作した。これでも本当に凄いおばちゃんなんだよ。

 ミッキーがそう言うと、おばちゃんは、これでもなんて言い方はないだろ? そう言ってミッキーの胸を小突いた。

 これが真相だよ。しかも、解決したのはついさっきだ。俺はおばちゃんとここで落ち合う約束をしていたんだ。さっきはあの場所に帰って来たばかりでな、ちょっとの休憩をして、腰を上げようとしていたところだったんだよ。

 さぁ、話はここまでだよ。そろそろこの子が正気に戻るからね。

 おばちゃんがそう言った直後、虚ろだったジョージの瞳に変化が現れた。視線がしっかりと、目の前に立っていたショウに向けられたんだ。

 俺のこと、分かるか?

 ショウがそう言った。ジョージはその言葉の意味を考えるようにして、頷き、そっと口を開く。

 久し振りだな。ここに来るのは、何年振りだ?

 ジョージのそんな言葉に、側にいたヨーコが涙した。

 みんな心配していたのよ。そんな言葉に、周りのみんなが頷いた。

 まぁ、これで事件は完璧に解決ってわけだ。俺とおばちゃんはお暇するよ。それじゃあな。

 そう言うとミッキーはおばちゃんと共に部屋を出て行く。

 報酬はちゃんと届けろよな。そんな言葉をショウに向けて残していった。

 ジョージはじっと、ショウを見つめ続けていた。

 ショウもまた、ジョージを見つめる。

 そんな二人の様子を、温かい目でチャコが見つめる。

 なんとも不思議な空気が部屋を占拠していた。堪らずヨーコが口を開く。

 なんだか分からないけど、私は邪魔のようね。今日は取り合えず、帰るね。後でちゃんと連絡してね。

 ヨーコは誰にともなくそんな言葉を落とし、部屋を出ていった。

 なんだかよく分からないけど、俺を助けてくれたってわけか? ありがとうよ。

 そんなことはどうでもいいよ。僕はさ、ジョージに会いたいって思っていた。そして会えた。こっちこそありがとうだよ。

 ショウの言葉を聞き、ジョージの顔に笑顔が広がっていく。

 それよりさ、僕とチャコは今、音楽を始めたんだ。ジョージも一緒にやってくれないか? グループで音楽をするのって、確かバンドって言うんだよな。三人でバンド組もうぜ!

 ジョージはポカンと口を開ける。聞きなれない言葉に、驚きは隠せない。

 ショウはジョージに対し、まずは自分の現状を伝えた。ボブアンドディランでの興行を中心に。それからチャコを誘ったことと、バンドについての構想を話した。そして三階へと連れて行く。

 好きな楽器を演奏するといいよ。ジョージにはこれが似合うとは思うけどね。

 そう言ってショウが手渡したのは、ショウがよく使っているギターに形が似ているベースと呼ばれる楽器だった。太めの弦が四本並ぶベースは、心に響く太い音を出す。

 ジョージは適当に弦を叩いては音を出す。ギターを使ってショウが見本を見せると、それを真似する。弦を弾いたり叩いたりと、独自に音を出すジョージに、ショウもチャコも目を丸くする。

 最高じゃないか! ジョージの演奏が一段落したとき、ショウとチャコが言葉を重ねてそう言った。

 この日三人は、バンドを結成したんだが、バンド名はまだ、つけられていなかった。

ちなみにショウは、翌日聞き屋の元へ行き、以前頂いた手伝いの報酬全てを、今回の報酬として渡した。手渡したなんて表現をよく使うが、この時代、そんなバカなことはしない。正直俺は、お金なんて、その実物を拝んだことさえない。金銭のやり取りは全てスティーブを通している。というか、その管理も全てスティーブがしているんだ。聞き屋はこんなにはいらないぞと言ったが、スティーブを通した支払いは、一度許可をすれば拒否はできない。正直ショウとしては痛い出費ではあったが、それだけの価値はあると感じていた。ミッキーはすぐにスティーブを通して自らが考える本来の報酬金額を差し引いてお金を送り返してきたが、ショウはそれを頑なに拒否をした。最後には仕方がなしに受け入れたが、いつかこの借りは返すからなと呟いていた。

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