第4話

   第四章


 十四歳で大学生になったショウ達三人は、別々のクラスで勉強をすることになった。学生生活の中で、二度目の出来事だった。大学生は、基本自分でクラスを選ぶことができる。好きな勉強だけをしていいってことだ。基本的な教養は、高校までに終えていることになっている。

 ショウ達三人は、自らの意思でそれぞれの道を歩み始めた。チャコとジョージは、やりたいことを見つけ、まだ迷いのあるショウは、自分にはなにが出来るのかを、真剣に模索し始めていた。

 とは言っても、やりたいことを見つけるのは難しい。そう簡単には見つけられない。チャコとジョージが見つけることが出来たのは、それなりのきっかけがあったからだ。ヨーコの爺さんの死を目の当たりにしたことで、チャコは医療関係を目指し、ジョージはスティーブが間接的にではあるがヨーコの爺さんを助けたことに興味を持った。ショウは、形のある本の解読とヨーコの爺さんの死により、半ば燃え尽きてしまったようだった。

 大学での四年間は、あっという間に過ぎようとしていた。勉強に夢中だったチャコとジョージは敢えて飛び級をせず、なにかを探し求めていたショウは、飛び級なんて言葉すら忘れていた。

 学校の授業が終われば、チャコとジョージには研究室での仕事が待っている。大学生にとって、研究室に入るってことは、半分は就職をしたことになる。当然、給料も貰える。

 ショウは一人でよく、横浜駅周辺をぶらついていた。ときにはあの建物の中に入ることもあった。形のある本で溢れる部屋だけではなく、他の店などにも顔を出す。どうすればいいんだと悩んでいたとき、一人の男と出会うことになった。双子の置物のあるあの場所で、ショウが置物を撫でているときの出会いだった。

 あんたさ、いつもそのおっちゃんを撫でているけど、なんか意味あるの?

 この場所で突然声をかけられるのには慣れている。しかし、若い声を聞くのは珍しい。それまではたいていが年寄りだった。

 意味がなくても息はするだろ? それと同じだよ。こうすることは、僕にとっての呼吸と一緒なんだよ。

 ショウの言葉を受けた若い男は、面白いこと言うんだな。笑いながらそう言った。

 俺のこと、知っているか? この街じゃ、そこそこの有名人なんだけどさ、あんた暇人なんだろ? ちょっと手伝ってくれよ。

 男はそう言い、ショウの返事を待たずに歩き出す。ショウはため息を一つその男の背中に零して、ゆっくり後をついて行く。

 聞き屋って、聞いたことあるか? この街で生まれたなら知っているだろ? なんせ聞き屋は、文明以前から続いている仕事だからな。俺で確か、五百代だったんじゃないか?

 聞き屋を名乗る男は、ショウに背中を向けたまま声を出す。大きな独り言だなと、ショウは鼻で笑った。

 駅前にある箱型の建物の裏が、聞き屋の仕事場だ。橋を渡って真っ直ぐ駅に向かった右側にあるその建物は、表側は地下への入り口になっている。

 椅子はないけどさ、適当に座ってくれよ。俺のこと、本当に知らないのか? まぁどうでもいいか。俺はさ、ミッキーって呼ばれている。あんたもそう呼んでくれよ。

 ミッキーはよく喋る。聞き屋って言うのは、人の話を聞くのが仕事じゃないのか? ショウは心でそう思った。聞き屋の噂は当然、ショウの耳にも届いていた。その歴史的活躍も知っている。横浜の街では、ミッキーの言葉通りに知らない者は一人もいないはずだった。しかし、駅前でのミッキーを見かけたことのあったショウだったが、まるでイメージが違うことに戸惑っている。

 僕に用があるんだろ? 余計なことはいいからさ、早く本題に入らないか?

 ショウはミッキーの隣の地面に腰を下ろした。ミッキーはいつも置きっ放しなっている簡易椅子に腰をかけている。ショウは壁に背を凭れ、少しミッキーを見上げて眺めている。背中に当たる壁の感触に、ほんの少しの違和感がある。この壁、なんか普通とは違うな。ショウのその言葉は、独り言のつもりが、表に漏れてしまった。

 この差に気がつくのか? あんたやっぱり、噂以上だな。

 僕の噂? なんだよ、それ。ショウは少し語気を強める。

 この街で起きていることを、俺が知らないはずはないんだよ。ミッキーは無駄に誇らしげな態度を取る。聞き屋のイメージが、どんどんと崩れていく。

 この壁はさ、あの建物と同じなんだよ。この意味は分かるだろ? そうだよ。文明以前から残されているってわけだ。こいつはな、本物のコンクリートだ。土でできているんだよ。この温かみは、そういうわけだ。ちなみにな、本物はこの一面だけだ。悲しいがな、後は全部偽物だよ。

 ミッキーの言葉を聞き、ショウは壁に顔を向け、手とおでこをそっと当てる。確かな暖かさを感じ、笑顔を零す。

 あんたさ、過去の世界に行けたらどうする? そのことになにか理由があるとして、なんだと思う?

 いきなりなんだよ! 僕のこと、バカにしているのか? ショウはミッキーを強く睨んだよ。気持ちは分かる。俺でもそうするだろうからな。

 まぁ、その反応は普通だな。信じるか信じないかはどうでもいいんだが、数年後だな、あんたは突然過去に旅立つんだよ。しかもそれには明確な理由が存在している。この話はさ、聞き屋に代々受け継がれているんだから本当だよ。疑うなんてバカな考えだな。

 タイムスリップなら勉強したことがあるよ。僕の考えではさ、それほど難しいとは思わないんだ。時間を早送りしたり巻き戻したりすればいいだけだからね。けれどさ、それを内側から操作するってのは難しい。そんなことができるのは、神様くらいだろうな。とは言っても神様は、外側からそうするんだろうけれどね。この世界の外側に行ければ、ぼくにだって操作は可能だよ。

 ショウはいたって真面目な顔でそう言った。

 まぁ、そこまでは誰でも考えつくんだよ。そう言ってミッキーは笑顔を浮かべる。

 外からの力は、この際シカトだな。命がかかるとな、不思議な力が生まれるもんなんだ。俺は何度もそういった現場を見て、乗り越えてきているからな。言っとくが、俺はまだタイムスリップはしていないぞ。

 ふっ、とショウはミッキーの言葉を鼻で笑い飛ばす。それって、僕が死ぬってこと?

 それはどうかな? 俺が知っているのは、あんたが過去に戻って命を救うってことだ。一つの命を救うことで無限の命が救われる。その一つが、あんた自身だってことだ。頭のいいあんたなら、その意味は分かるだろ?

 ショウはミッキーの言葉を頭で反芻する。そういうことかとほんの少しの納得を見せる。

 言いたいことは分かったけど、信用するのは難しいよ。まずさ、どうやって過去へ行く?命がかかっているなら、今すぐにでも行くべきだろ?

 それはまぁ、俺にも分からない。まぁ、そのときになれば分かるはずだよ。気長に待つこったな。二、三年後だってことは確実だよ。

 ミッキーの言葉に対しての疑問は残っていたが、反論する気が起きなかった。そのときが来れば分かるというのなら、そのときを待てばいいだけだ。気長に待つのが一番だ。ミッキーの言う通りだと、ショウは感じた。

 僕に話があるって、これだけ? だったらもう、帰るとするよ。聞き屋の仕事は話を聞くことだろ? 僕はここで話すことなんてないから、仕事の邪魔になるだろ?

 そう言いながら、ショウは腰を上げた。

 ちょっと待てよ。と、ミッキーがショウの背中を押し、立ち上がるのを阻止した。ショウはその勢いに押され、再び腰を下ろすことになる。

 さっきも言ったろ? 俺の仕事を手伝って欲しいんだよ。

 そういえばそんなことを言っていたかもなと、ショウは素直にミッキーの言葉に耳を傾ける。で、なにを手伝う?

 この世界に音楽がないってことは知っているだろ?

 それは当然知っている。しかしそれは、世界ではっていう話だ。当時はまだ、音楽っていう言葉すらなかったんだ。横浜の街を除いてはな。横浜でだけ、ひっそりとだが、音楽の文化が残されていた。と言っても、後の音楽とは少し、その形が違うんだがな。

 今回の依頼人がな、音楽家なんだよ。さっき会った場所あるだろ? あそこの三階でよくライブをしているんだ。見たことないか?

 その場所には何度も足を運ばさせていた。ライブという名の興行を見世物としたレストランだ。ショウがよく拝見していたのは、ちょっとバカな話を二人組でするものや、カードや身近な素材を使って普通ではあり得ない現象を見せたりする手品と呼ばれるものだった。音楽はまだ、未体験だった。

 今夜そいつのライブがあるから連れて行くよ。それよりな、その依頼ってのが、俺には不可能に近いんだよ。まさにあんた向きってやつだ。どこで手に入れたのか、一冊の形のある本を解読して欲しいんだとよ。その言葉を、父親に伝えたいとか言っていたな。

 予想のしていなかった展開に、ショウの目が輝いた。今すぐ会えるのか? その本だけでも見せて欲しいな。

 早速行くのか? いいねぇ、そのノリ。あんた意外と聞き屋に向いているかもな。ミッキーのそんな言葉に、ショウは何故だかいい気分になっていた。

 ショウとミッキーは、真っ直ぐライブを行うレストランに向かった。

 これなんだけど、あなた本当に読めるの?

 ミッキーに紹介された依頼人は、ショウの予想とは全く違い、かなり可愛い女性だった。真っ直ぐな黒髪、小さな顔、ほんのり焼けた肌、大きな瞳に小さな唇、細すぎないバランスのとれた体型。どこを見ても可愛さしか感じられない。ヨーコと付き合っていなければ、その場で好きだと言ってしまいそうなほどだった。

 私の顔になにかついているの? 彼女がそう言った。

 あなたがあまりにも可愛いからとの言葉は、しっかりと飲み込んだ。そして、差し出された本を受け取り、これを全部? そう言った。

 できないの? なんて彼女が言う。そんなことはないと、ショウはなぜだか口籠ってしまった。

 このページだけでもいいのよ。今日中ならもっといいんだけどね。

 彼女はショウに顔を近づけ、開いている本のページを捲る。彼女の腕が、ショウの胸を掠める。

 ここだけでいいなら、できなくはないよ。これってきっと、なにかの詩だね。解読だけでいいの? 詩っぽくした方がいい?

 さすがは聞き屋の紹介じゃない。可愛い顔して、本当に凄いのね。

 彼女の言葉に、ショウは素直に喜んでいる。指で頬をツンとされ、その頬を真っ赤に染めている。

 流れる風の中に、みたいな意味だと思うよ。きっとこれがタイトルだね。僕ならそうだな。風に吹かれて。なんてどうかな?

 あらあなた、意外と言葉のセンスあるんじゃない。音楽やってみる? きっと向いているんじゃないかな?

 彼女のそんな言葉を、ショウは少しばかり間に受けているようだ。満更でもない笑みを見せる。

 ライブは三時間後なんだけど、自信があるなら父を呼びたいのよ。どう?

 三時間もあればじゅうぶんだけど、それじゃ覚える時間がないんじゃない? まさかスティーブにメモして朗読?

 あのね、私はプロなのよ。詩は覚えるわよ。そうね、十分もあれが問題ないわ。ただ覚えるだけなら五分もかからないわよ。けれどね。これは詩なのよ。感情を込めるためにも、十分貰えると助かるわね。

 それじゃ僕は、解読に取り掛かるよ。すぐそこに仕事場があるから、ちょっとこれは借りて行くよ。

 本を抱え、ショウは二階のカフェからいつもの部屋へと向かって行く。

 本まで持っていかれちゃったけど、信用してもいいのよね? ミッキーに向かってそう話しかける彼女の声が聞こえてきたが、ショウは無視をして立ち去った。

 解読には十分もかからなかった。驚くほどにシンプルな詩だった。シンプルでいて、力のある言葉達。作者の感情が強いのに、その答えを聞く者に委ねている。ただ感じるだけの言葉じゃない。考えずにはいられない言葉達が並んでいる。これを詩として組み立てるのは難しい。

 けれどショウは、約束した以上はやり遂げなければと言葉を探し、何度も紙に書き記していく。

 ショウは一人、黙々と作業を続け、ようやく二時間後、詩が完成をした。やっと終わったと、天井を見上げて両手を開き伸びをする。

 そんなに真剣な顔するの、久し振りじゃない?

 部屋のどこからともかく聞こえてくる聞き覚えのある声に、ショウは身体をビクつかせた。

 ひょっとして、気づいていなかったの?

 なぜだかショウは、左右と後ろを見回し、最後に正面に顔を向けた。

 うぉっと、驚きの声を漏らすショウに対し、ふざけてるの? と笑いながらヨーコが言った。

 いつからいた? 真剣な表情でショウは答えた。本当に気がついていなかったのだから当然だ。

 三十分くらい前かな? それ、誰かに頼まれたの?

 ヨーコの言葉に、少し棘を感じる。ショウは繊細なんだ。その空気感を読むこともできるが、言葉のちょっとしたニュアンスをも読み取ってしまう。

 ひょっとしてだけど、なんか知っているでしょ?

 ショウのそんな言葉に、ヨーコはムッとする。

 知っているっていうか、気がついていなかったの? 上のお店に私もいたんだけどなぁ。

 ヨーコの言葉にギョッとする。あそこにいたってことは、全てを見ていたってこと? なにかをしたわけじゃないけれど、後ろめたい気持ちでいっぱいになる。

 ごめん・・・・ とりあえずの謝りの言葉だが、その表情が意外なほどに真剣だった。

 彼女、可愛いものね。私ね、何度かライブも見ているんだ。今日もそのつもりで来たんだよ。

 そうなんだ。なんてショウが言う。

 何度か誘ったことあるんだけど、覚えてないわよな? 興味なさそうにしていたもの。

 ヨーコの言葉に、ショウは反論をしなかった。まるで覚えていないし、確かに興味なんてなかったはずだからだ。三階で行われているライブがどんなものなのか、きっと知ろうともしていなかったはずだ。

 この頃のショウとヨーコは、少し距離を置いていた。特に理由はないとショウは考えていたが、ヨーコの意見は違かった。なにをしていいのか分からず、悩んでばかりのショウを見るのが嫌だった。ヨーコは、やりたいことに一生懸命なショウが好きだった。

 それ、彼女が唄うの? ちょっと読んでもいい?

 ショウの返事を待たずに、ヨーコは机の上の紙を取り上げた。

 これ・・・・ ショウが書いたの?

 紙を持つヨーコの手が震えている。上目遣いでゆっくりとショウを見上げる。

 うーん、半分はそうかな。解読した文明以前の詩を、この時代の言葉で書き換えたんだけど、僕の感情が篭っているのは確かだよ。

 凄いよ、これ! 彼女が唄うの? 勿体無いわよ! ショウが唄いなよ。

 ヨーコはかなり興奮していた。手に持っていた紙の端が、ギュッと捩れる。

 これは彼女に頼まれたから書いたんだよ。お父さんに贈りたいだってさ。しかもさ、今日唄いたいらしいよ。

 ショウはそう言いながら、ヨーコの手からその紙を奪い取り、そろそろ渡しに行かないとね。一緒に来る? そう言いながら立ち上がった。

 ヨーコは無言で頷き、ショウの後をついていく。

 三階のお店で出来上がった詩を彼女に手渡した。出番が近づいているため、楽屋を訪ねることになった。そこには聞き屋のミッキーも一緒にいた。

 早かったのね。なんて時計に顔を向けながら彼女が言う。

 その子、恋人か? 随分と余裕があるんだな。ミッキーがそう言う。

 いいや、仕上げた後に会ったんだよ。そんなことよりこれ、まずは読んでみてよ。

 そう言いながらショウは彼女に紙を手渡そうと差し出した。

 恋人じゃないってこと? 彼女がそう聞いてきた。ほんの一瞬戸惑ったが、ショウはすぐに口を開く。

 うん。なんて頷き、今日で恋人は卒業だよ。結婚することに決めたんだ。だから今は、婚約者だよ。そう言った。

 ショウの言葉を聞き、ヨーコが大きく目を見開いた。ショウはヨーコの手を、そっと握る。ヨーコの目から、涙が溢れる。

 あらやだ。こんなところでプロポーズするの? 羨ましいわね。そう言いながら彼女は、彼女に顔を向けた。おめでとう! 幸せになってね。そう言い、ショウが差し出す紙を受け取った。

 凄いじゃない! やっぱりあなた、センスあるわね。

 手渡された紙の文字を読むと彼女はそう言い、何度も繰り返し詩を読み始めた。初めは心の中で読んでいたが、次第に呟きに変わり、最後には唄い出していた。

 目の前で音楽を味わうのは、生まれて初めての経験だった。路上でそんなパフォーマンスを見かけたことはあったが、どれもあまりいい出来ではなかった。ただ言葉を並べて喋っているだけで、ちょっと愉快でお喋りな学校教師のようだった。そんなのしか見たことがなかったから、ヨーコに誘われても覚えがないほどに興味がなかったのだろう。

 しかし、目の前の彼女は、なにかが違うと感じる。文明以前の言葉を、ショウが書き直したはずの言葉なのに、まるで彼女の内側から発せられているように感じられるんだ。ショウは早く、舞台上での彼女を観たくて堪らなくなっていた。

 そろそろ本番だろ? 俺たちはテーブルで楽しむとするよ。

 ミッキーがそう言った。そして、再び詩を呟き始めた彼女を残し、楽屋を後にした。手を繋いで歩くショウとヨーコがドアの前で彼女に顔を向けて頭を下げると、彼女はニコッと笑い、手を振った。

 これで仕事は終了?

 用意されたテーブルには、豪華な料理が並んでいた。椅子に腰掛け、ショウがミッキーに尋ねる。

 さぁ、それはどうかな? 見てみなよ。あそこにいるのが彼女の父親だ。まともな仕事をしているようには見えないがな。まぁ、人ってのはたいていが見た目には騙される。

 とにかく、僕の仕事はお終いってことでいいんだよね?

 ショウはテーブルの上の料理に手をつける。野菜、肉、魚。どの料理も普段は決して食べられないように着飾っている。大きな皿の中心にヘソほどの量しかない。一つまみで消えてしまう料理を、ショウは無造作に摘み、口へと運ぶ。隣のヨーコは、ショウとミッキーの言葉に耳を傾けながらも、味わい料理を楽しんでいる。頭の中では、味や見た目の感想を呟いていることだろう。一方ミッキーは、料理には一切手を出そうとしなかった。

 あぁ、それはそうだな。まぁ、このライブを最後まで楽しんだら帰ることだ。なにかが起きたとしても、それは俺の仕事だからな。

 ミッキーの言葉に、ショウはただ頷いた。

 あんた今いくつになる?

 僕は今年で十七だよ。

 俺よりは若いんだな。知っているか? 彼女はあれで十九なんだ。俺より若いんだよな。いい女だが、俺には役不足だ。

 ミッキーはいくつになる? 僕よりはおっちゃんでも、まだまだ若者でしょ?

 そりゃそうだ。俺は若者だよ。聞き屋ってのは、若者の仕事だからな。歳をとると動きが鈍くなる。

 で、いくつなんだい?

 二十二だよ。これでもまだ大学生でね。俺は勉強好きなんだよ。飛び級なんて勿体無いことはしないんだ。そんなことよりそろそろだな。彼女が登場する前に、なにか飲むか? 二人とももう学生じゃないんだろ? 今日は飲み食いがタダだからな。酒でもなんでも飲んでいいんだぞ。俺は仕事があるし、そもそも学生だからな。

 残念だけど、僕も学生なんだよ。ミッキーの同級生ってとこだよ。ヨーコはもう卒業しているけど、酒は飲んだことないよね?

 ショウの言葉にヨーコは頷く。俺達の国では、年齢には関係なく、学生でなければ酒を飲むことができる。言い換えれば、卒業するまでは飲めないってことだ。

 あんたと俺が同級生か。なんてミッキーが独りごちていると、店内の照明が、すうっと明かりを減らす。ライブが始まる合図だ。この日の出番は彼女一人きり。たった一人で十五分間の興行が始まった。

 彼女は登場するなりいきなり唄い出す。俺には聞いたことのない詩だが、店内は意外なほどに盛り上がっていた。聞き屋のミッキーは足を踏み、音を出していた。客たちの中には、手を叩く者さえいる。そこには確かに、音楽があった。

 彼女の音楽は、聞いていて楽しくなる。音楽に溢れた時代に生まれた俺でさえそう感じるんだ。当時は尚更強く感じたことだろう。

 言葉の間に生まれる空白も、彼女がそこに立つと音楽になる。身体全体を使って表現する様は、後の音楽家達と変わらない。楽器の演奏がなくとも、これほどに音楽を感じられるのは、彼女だからこそだろう。

 彼女は四つの詩を続けて披露した。言葉の内容だけでなく、どれもがまるで別物の曲に聞こえた。ただ詩を読んでいるだけじゃないってことだ。ショウは彼女の音楽を、真剣に見入っていた。この瞬間こそが、音楽を始める気かっけだったんだ。音楽という文化が誕生した瞬間であると言っても過言ではない。ショウの頭の中では、別次元の音楽が、すでに流れ始めていた。

 最後の詩は、今夜始めての披露になります。愛する父親が大切にしていた本の中の一節を引用しています。どうか最後まで楽しんでいって下さい。

 彼女はそう言うとすぐ、最後の詩を唄い出した。

 楽屋で聞いたときよりも、その言葉が強く胸に響いてくる。彼女はショウが書いた言葉を、完全に自分のものにしていた。

 彼女のライブが終了すると、店内の明かりが増える。ショウは立ち上がり、彼女に会いに行ってもいいかな? とミッキーに尋ねた。

 ミッキーは辺りを見回しながら、そうだな、と言って立ち上がる。

 僕がやるべきことが見えた気がするよ。ヨーコと手を繋ぎ歩くショウが、独り言のように呟く。うん、そんな気がする。と、ヨーコが返事をする。

 楽屋の中、彼女が誰かと抱き合っていた。だいぶ歳が離れているおじさんだ。どこかで見たなと、ショウは感じる。

 あら、あなた達も来てくれたの? 嬉しいわ。今夜の興行、どうだったかしら? 楽しんでもらえた?

 おじさんから身体を離した彼女は、満面の笑顔でそう言った。もちろん最高に楽しかったと、ショウが言う。ヨーコとミッキーも、それぞれ簡単な感想を述べた。

 そう言ってくれると励みになるわね。彼女はそう言い、隣のおじさんに顔を向ける。

 そうだわ。紹介しないといけないわね。この人が私のお父さんよ。そう言い、彼女は隣のおじさんに手を向けた。

 娘が世話になりまして。なんて言い、頭を下げた。ミッキーの言う通りだ。人の見た目っていうのは、当てにならない。

 この人達がね、あの本の解読をしてくれたのよ。彼のことは知っているでしょ? 有名な聞き屋のお兄さんよ。そう言ってミッキーに手を向ける。隣の彼が解読屋さんね。本の言葉を解読して、詩にしてくれたのよ。隣の彼女は解読屋さんの婚約者よ。

 彼女の紹介が終わると、彼女の父親が突然、ショウの前に一歩を踏み出した。

 君があの詩を! 素晴らしかったよ。本当にありがとう! まさかこうしてあの詩を今の言葉で聞けるとは思わなかったよ。あんな意味があるなんて、本当に驚いた。

 彼女の父親はショウの右手を両手で掴み、何度も上下に揺さぶる。喜びと感動の表現のようだが、ショウの身体が壊れてしまいそうだった。

 ちょっとお父さん! 興奮しすぎよ。そんな彼女の言葉に、父親が動きを止める。おっと、これは失礼をした。そう言い、一歩足を後ろに戻す。

 あの本はどこで手に入れたんですか? ショウが質問をする。

 うちにずっとあった物なんだ。代々大切に受け継がれてきたんだよ。ここだけの話だが、私たち家族はみんな、あの本の文字が読めるんだ。意味は分かっていなかったがね。その中のお気に入りが、あの詩だったんだ。今日はその意味を知れて本当によかった。ありがとう。

 彼女の父親はそう言い、ショウに握手を求めた。今度は片手で、一度だけ軽く振り、すぐに離した。

 あの文字が読めるって、本当に? 教えてくれませんか? 今後のためにも、ぜひ。

 一度離れた手を、今度はショウの方から近づき、握り返す。

 お願いです。意味なら僕が解読しますから。

 ショウの熱意は伝わり、後日でよければと、その文字の読みを教えてもらうことになった。しかし、彼女の父親が言うには、文字を読めているわけではなく、どう読むかを知っているだけだそうだ。つまりはその本を丸々一冊暗記をしているだけで、文字の読み方が分かっているわけではなかった。それでも、ショウが文字を読むための大きなヒントになったことは事実だ。

 聞き屋の仕事は、実にあっけなく終了した。こんな仕事ばかりだと楽なんだけどな。ミッキーの独り言だよ。

 仕事の内容は、あの詩を解読するだけでお終いだった。ショウがやったことは、大きなおまけに過ぎなかった。なんでも彼女の祖父が、財産分与をするにあたり、本の中のあの詩を解読することを条件にしたようだ。解読をできた者に、財産の四分の三が与えられ、残りは兄弟で等分する。彼女の父親に 兄弟は四人いる。大きな差が生まれるってわけだ。必死になるのも無理はない。

 しかし、彼女の父親が必死に解読したがっていた理由は、別にあった。風に吹かれて、とショウが名づけたあの詩は、彼女の祖父のお気に入りで、死ぬ前にその意味を教えたかったそうだ。あの日、楽屋にはいなかったが、彼女の祖父はテーブルからその詩を聞いていた。

 その後に兄弟の揉め事が巻き起こるかとの予想を聞き屋はしていたが、そうはならなかった。彼女の祖父は二週間後に亡くなったが、財産分与で揉めることはなかった。四分の三を相続することになっていた彼女の父親だったが、兄弟達を集め、五等分することを提案した。反対する者は当然いなかった。

 彼女の父親がその決意をしたのは、ショウが書いた言葉による影響が強かった。父親なりにその言葉を解釈した結果だった。

 報酬を受け取った聞き屋は、取り分としてショウに半分を手渡した。驚くほどの金額だったが、ありがたく受け取っている。その金があったからこそ、ショウは音楽を始めることができたとも言えなくはない。

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