第3話

   第三章


 高校生活は、十六年生から十八年生までの三年間である。文字の解読に夢中になっていたショウ達三人は、学校でも勉強をそこそこにこなしていた。試験を受ければ飛び級も可能ではあったが、そんな時間的余裕がなかった。特になにかを言われたわけではないが、一日でも早く、文字を解読したい理由があったんだ。

 文字の解読を初めて一年が過ぎた頃、部屋の中で突然、爺さんが倒れた。本当ならすぐスティーブを通して助けを呼ぶべきだが、場所が場所だけにそれは出来ない。爺さんもそれは望んではいなかった。

 どうすればいい? 助けてくれ! 爺さんが死んだら僕、どうやって生きていけばいい? お願いだから、死なないで!

 ショウの叫びは、スティーブに届いた。スティーブはすぐさま、連絡を入れた。政府関係の施設ではなく、爺さんにとって身近で安全な相手を選ぶ。

 お爺ちゃんが倒れたって連絡が入ったんだけど、あなたは誰? 今からそっちに向かうけど、お爺ちゃんはまだ生きているの?

 ショウの頭に突然響いたその声は、少し震えていた。ショウの頭にはその声の主が映し出される。ショートカットの可愛らしい女の子だった。ショウよりは少し、年上にも感じられた。

 ショウは女の子に対し、分からないけど、息はしている。そんな間抜けなことしか言えなかった。

 生きているってことね。女の子はそう言い、だったらすぐ、お爺ちゃんのポケットから薬を取り出して! 早く!

 女の子の叫び声に驚きながらも、ショウは爺さんのポケットに手を入れる。チラッといつも爺さんが板状の棒を取り出すポケットに目を向けたが、すぐに反対側のポケットに視線を移して手を入れていた。

 ポケットの中身を全て取り出し、これのこと? 小さな透明の箱を手に取り叫んだ。

 そうよ! 中に入っている一番大きなのが薬だから、それをお尻に突っ込んで!

 女の子の言葉に、ショウは一瞬怯んだ。すでに箱を開いてその薬を掴んでいたが、意外に大きい。飲み込むには苦労する大きさだが、お尻に入れるにも大きいんじゃないと思われる。人差し指の第一関節ほどに大きかった。

 大丈夫よ! 戸惑っている暇なんてないのよ! それは緊急用だから、絶対にすぐよくなるから! お願い! 早く入れてあげて!

 分かった・・・・ と呟き、ショウは爺さんのズボンを下ろし、その薬をお尻の穴に突っ込んだ。

 爺さんは、ゆっくりと崩れるようにうつ伏せて倒れていた。それが良かったのだろう。一気に倒れて頭を強く打つこともなく、無理に身体を動かさずに簡単に薬を入れることができた。

 薬の効き目は抜群だった。お尻に入れてから一分も経たずに爺さんの意識は回復し、一人で立ち上がれるまでになった。

 お前が助けてくれたのか? 爺さんは真っすぐ、ショウを見つめてそう言った。

 僕だけじゃないよ。チャコもジョージも手伝ってくれたんだ。

 爺さんが倒れたとき真っ先に爺さんを助けようと立ち上がったのは、爺さんの隣の席に座っていたジョージだった。ショウはあまりにも衝撃を受けたのか、腰が上がらず、椅子ごと背後に倒れていた。その意識はパニック寸前でもあった。そんなショウを正気に戻したのがチャコだ。チャコはすぐにショウの顔を持ち上げ、何度も頬を引っ叩いた。爺さんを助けたいんだろ? しっかりしろよ! そんなチャコの言葉と行動によって、ショウは正気を取り戻した。二人が一緒にいなければ、爺さんを助けることはできなかっただろう。

 それからもう一人・・・・ ショウがそこまで口にしたとき、ドアが開いた。

 お爺ちゃん! ドアが開いたと同時に声が聞こえ、それと同時に女の子が爺さんに抱きついた。

 よかった! 死んじゃうのかと思ったじゃない!

 おいおい、あまり強く締め付けないでくれよ。苦しくて死んじまうよ。

 爺さんのそんな言葉に、女の子が笑顔を見せ、そっと身体を離した。

 もう! 本当に心配したんだからね。そう言いながら、爺さんの肩をポンと叩いた。

 この三人が助けてくれたんだ。話をしたことはあるだろ? この歳でもう十六年生なんだぞ。文字の解読だって、時間の問題だしな。

 爺さんの言葉を聞いたショウ達三人は、なんだか少し誇らしげな表情をする。そしてショウが、僕達だけじゃ助けられなかったよ。と言ったんだ。この子からの連絡があったからなんだ。爺さんの薬のことなんて、少しも知らなかったんだから。本当に死んじゃうのかと思ったよ。

 お前がヨーコを呼んだのか? どうやって? 私はてっきり、スティーブの非常用機能が働いたんだと思ったよ。

 なにを言っているのよ。と、爺さんの言葉にヨーコが答える。ここでは非常用は働かないって知っているでしょ? だから薬を持たせていたんじゃないの。

 スティーブの機能が制限されている場所では、なにかが遭ったときの非常用機能が働かないようだ。スティーブに秘密を作るってことは、それなりのリスクがあるってことだろう。普通の場所であれば、スティーブの機能により、身体の異常を一時的に修復してくれる。スティーブの光は、医療にも用いられているんだ。倒れる前に治療を施すのが、今の世界では一般的になっている。そしてその後、医療機関に連絡がいくようになっている。しかし、万が一にこのときのように倒れてしまっても、家族への連絡は忘れない。医療機関ではとっさの状況に対応できないこともあるんだ。忙しくてすぐには迎えにこられなかったり、スティーブを用いた遠隔操作では治療が難しかったりと、問題は多い。このときのように、家族だけが知っている治療法も存在しているんだ。家族を呼ぶのが一番の対処法になる。

 ちょっと待てよ。・・・・ってことは、スティーブがヨーコに連絡を入れたのか? どういうことだ? スティーブが正常に働いていたら不味いだろ?

 爺さんの言葉は最もだが、ヨーコはそれを否定する。大丈夫じゃないかな? だって、その連絡はこの子からきたんだから。ショウ君でいいのよね?

 ヨーコはそう言い、ショウに笑顔を向けた。今日は本当にありがとうね。

 ヨーコのそんな言葉に、ショウが顔を赤くした。

 お前、スティーブの前で泣いたのか? 爺さんがそう聞いた。

 泣いてなんてないよ。ショウが答える。

 けれど本気で願ったのか? 感情を百パーセント出したのか?

 そんなの分からないけど・・・・ そうかも知れない。

 ショウの言葉を聞き、爺さんが涙を見せた。そしていきなり、ショウに抱きつく。

 お前はやっぱり、最高だな。鼻水まで零しながら爺さんがそう言った。

 つまりはこういうことだ。スティーブには心がある。相手の感情や心を読み取り、ときには制御だとかルールだとかを無視して心を優先する。特に本気の涙には弱いが、泣かずとも心が響けば問題はない。スティーブはいつだって、感情を最優先に動いているって噂が存在している。しかし、俺もそうだが、この爺さんも、実際にスティーブが感情を最優先にした場面に遭遇するのは初めてのことだった。

 ヨーコはこう見えても十歳なんだ。お前達と同じ歳だよ。けれど、大学生なんだよな。二十年生だったか?

 爺さんの言葉に、ショウが頷いた。チャコとジョージはほんの少し驚いていた。ヨーコの見た目は、自分たちよりも年上には見えたが、女の子の方が大人びている子が多い。同い年だとしても不思議ではなかった。しかし二十年生とは驚きだった。飛び級を重ねたとしても、十歳で大学生になる子供は珍しいからだ。ショウ達三人は、常に自分達がクラスの中で一番の年下だった。初めて出会った同い年の上級生がヨーコだった。驚くのが普通だ。

 しかし、ショウは全くもって驚かなかった。

 そうか。お前はヨーコと直接スティーブで話をしたんだよな。全て知っていたか。爺さんの言葉に、再びショウが頷いた。

 スティーブでの通信をすると、相手に自分の情報が伝わってしまう。誕生日や名前はもちろん、簡単な略歴や趣味や性格が紹介される。俺はその機能を気に入っているが、中には嫌がる輩も多い。プライベートの侵害だとよく言っているよ。しかし、その機能を制御することは難しいようで、いまだに為されていない。

 爺さんの病気って、そんなに重いの? 真剣な眼差しでショウが尋ねる。緊急用の薬を持参しているってことは、そういうことだ。しかも、あれほど大きな薬ってことは、相当な重病を予想できる。

 はぁー、やっぱりお前達には話すべきだよな。爺さんはそう言い、ヨーコに顔を向ける。続きはヨーコが喋ってくれとの意味らしい。

 この際だからはっきり言うけど、お爺ちゃんはね、どう誤魔化しても後三年の命だって言われているのよ。スティーブと薬の服用で、普段通りの生活はできるんだけど、今回みたいなことは、またいつ起きるか分からないのよ。

 そんな・・・・ ショウ達三人が、揃ってため息をついた。

 気にすることはないよ。爺さんは信じられないほどに明るい声でそう言う。私はもうこんな歳だし、死んでしまうことに恐怖はないんだ。お前達と別れるのは辛いがな。

 僕だって、辛いよ。ショウが独りごつ。

 私はな、お前達が羨ましいんだ。長年ここで大量の本に囲まれて生きているがな、どんなに眺めていても、私にはまるで意味が分からない。それなのに、お前達はたったの数日で、解読に成功をしている。神様に選ばれたとはいえ、信じられない偉業なんだよ。正直私は、ちょっとばかり悔しくもあるんだ。いつも眺めている本があるだろ? 私の夢はな、あれを解読することなんだよ。

 そんなことならなんでもっと早く言わないんだよ! ショウが叫びを上げた。解読をしたって言っても、たったの一語なんだ。しかもとっても簡単な言葉だよ。読み方については正しいのかどうかの証明もできていないんだ。

 そう言うとショウは、机の上に置いてある爺さんがいつも読んでいる本を掴み、ページを開く。

 これだけの量を解読するのは大変なんだ。早速今から取り掛からなくっちゃね。爺さんには悪いけど、しばらく僕達に貸してくれないか? もちろん、この部屋にいるときだけだけどさ。

 分かったよと、涙ぐみながら爺さんは頷いた。これが時間的余裕がなく解読している理由だ。

 この日から、文字の解読にはヨーコも参加をするようになった。ヨーコがいれば爺さんになにかがあったときも安心できる。もちろん、なにかが起こらないのがベストだが。それだけでなく、ヨーコはショウ達三人に負けないくらいに頭の回転が早い。即戦力として、文字の解読に貢献している。


 ヨーコの参加により、ほんの少しだが、ショウ達三人の関係に変化が起きてしまった。この時点では、その変化がどう転んでいくのかは分からなかったが、人間関係っていうのは、常に変化を続けていくものだ。その変化を止めることは、誰にもできない。

 形のある本が溢れているこの部屋に、たったの一日だけ爺さんが現れなかったことがある。身体の調子が悪かったわけではなく、遠い親戚が亡くなり、挨拶にいかなければならなかったからだ。

 お爺ちゃんがいないから、今日は箱型スニークで来たんだ。久し振りに乗ったけど、結構人が多いんだね。

 ヨーコがそう言った。ヨーコは、ショウ達三人と出会った翌月に飛び級のテストを受け二十二年生になり、その年の暮れに卒業している。いまだに破られていない、この国での最年少記録になっている。他の国を合わせても、最年少じゃないかと言われているが、真相は分かっていない。学校を何歳で卒業をしたかっていうことを、国同士で争うことには意味がないらしい。国内でもそれは変わらない。それでも国内でそういう話がほんの少しでも話題に上がるのは、実のところ、事実を伝えるニュースが義務化されているからだ。なにか新しいことがあれば、スティーブによって国内に配信される。世界へと配信をしないのは、その重要性によってスティーブが判断をする。最年少による卒業は、それほど大した話題ではないとスティーブが判断をしているってことだ。

 その日の帰り、スニークの中で、ショウとヨーコが二人きりになった。帰り道の方向が同じだったんだ。しかもヨーコは、ショウよりも家が遠かった。送っていくよと、ショウが言い、ありがとうと、ヨーコが言った。

 二人は互いに出会ったその瞬間から惹かれ合っていた。爺さんの命の危機だったこともあり、表には出さなかったが、その気持ちを忘れることはなかった。ヨーコがショウ達三人と解読を始めたのは、そういった理由の方が強いっていうのが真実だ。

 二人の付き合いは、この日から正式に始まった。爺さんの前でも、二人はその感情を隠さない。平気で手を繋いだり、寄り添ったりと、イチャイチャすることを止めようとしない。爺さんもチャコもジョージも、特に嫌な気分になりはしなかったが、一緒にいる時間が減ったのは確かだ。ショウとヨーコは、二人きりになる時間を欲しがった。

 ショウにとっても、ヨーコにとっても初めての恋だった。ほんの少しでも周りが見えなくなるのは仕方がないことだ。とは言っても、二人は決して爺さんが望んでいた本の解読に手を抜いたりはしなかった。

 高校最後の年に、ようやく形のある本の解読を成し遂げた。おまけにショウは、その読み方についても理解をしたと言っている。爺さんの前で、まずはその文字の言葉をそのままに読み上げた。そしてその後から今の世界の言葉に変換して読み上げる。

 嬉しいよ。爺さんの感想はとても簡潔だった。それ以外の言葉に、意味はないと感じたのだろう。

 物語の内容は、一人の少女の不思議な冒険譚だった。爺さんがその本に魅力を感じたのは、挿絵が素晴らしかったからだ。内容を知り、さらにその本を気に入った様子だった。

 運命っていうのは、哀しくもあり、美しくもある。この次の日に、爺さんは亡くなった。一冊の本を解読した記念にと、家に招待をした。形のある本の話は一切しなかったが、愛する家族と愛するショウ達三人に囲まれ、終始笑顔のまま息を引き取った。不思議なことに、そこにいた誰一人として涙を流さなかった。哀しみは、爺さんの心に吸い込まれていく。爺さんの笑顔の前では、涙を流すことはできなかった。

 爺さんが死んだことにより、ショウ達三人は、以前のように毎日は形のある本の溢れるあの場所に顔を出さなくなってしまった。管理をする人が代わったからが理由ではない。代わりの管理者は、いつも双子の置物の前で声をかけてくるおばちゃんだった。足が遠退く理由はない。顔を出さなくなった理由は、文字の解読が一段落したことと、興味が別に向かってしまったからでもある。ショウはヨーコとの時間を優先し、チャコは医療関係に興味を抱き、ジョージはスティーブの研究を始めた。しかし、ショウ達三人がバラバラになったわけではなかった。一緒にいる時間がほんの少し減っただけのことだ。

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