第2話

   第二章


 この世界には、今でもそうだが、裏が存在する。表向きの世界とは違う、誰もが隠したがる世界があるってことだ。その理由は、スティーブの存在が影響していると言われているが、真相は分からない。しかし、スティーブの存在が弱まっている今現在、裏の世界の情報が漏れ始めている。

 裏の世界といっても、その場所自体が裏道や地下に存在しているわけではない。普通に街中に溶け込んでいるため、小学生であっても自由に行き来ができる。ショウはよく、一人でもそんな場所に顔を出していた。

 学校では仲良しの三人といっても、いつも一緒にいるわけではない。家に帰ればそれぞれの時間が待っているのが普通だった。約束をして遊びに出かけたり、それぞれの家を行き来したりもするが、そんな日が毎日続くわけではない。

 ショウがよく行く場所には、不思議な置物があり、ショウはそれを見たくて通っていたと言っても過言ではない。それがなんなのか不思議に感じ、スティーブに尋ねて検索をしたが、なんともあやふやな答えが返ってきた。

 私はきっと、知らないと答えることでしょう。

 ショウは戸惑いのあまり、どういうことだよ! なんて言葉をその置物に対して叫んでしまった。

 ここでスティーブと会話をするなんて、まだまだお子様だな。突然背後から声をかけられた。

 ショウが通っていたその場所は、連結型スニークのターミナル駅がある横浜の中心街にあった。

 連結型スニークとは、決められた道だけを走ることが出来るスニークだ。詰め込めば数百人が入ることができる箱型スニークが十台前後繋がっている。俺は当然乗ったことなんてない。実物すら見たことがない。しかし、当時使用されていた駅は今でも残されている。横浜駅という名も、いまだに使用されている。

 横浜駅から南に下って行くと、川を渡ってすぐの所に三角柱型の建物がある。ショウはその建物の裏で、不思議な置物を見つけた。裏に並んでいる建物との間に、挟まるように置物台があり、その上に置かれている。おっちゃんのような顔をしているが、その背格好が不細工で、田舎道でたまに見かける地蔵さんに似ている。

 地蔵さんってのは、その由来は分からないが、大昔から存在している置物で、田舎道で見かけることが稀にある。石を削って作られている。その大きさは、ショウよりは小さいが、フルチンほどの背丈があるものが標準的だ。まん丸の頭をしていて、笑顔で町並みを眺めている。胴体と足が繋がっているのは、前掛けをつけていることを表現しているからだと思われる。右手を肩前に上げている。なにか杖のようなものを手に持っていたようだが、今ではその杖が残っている地蔵さんは少ない。左手はお腹に当てている。

 ショウが見つけた置物は、地蔵さんに比べるととても小さい。石ではなく、木で作られている。しかし、通り過ぎる人達がよく触って行くのだろう。手脂により茶色く光っている。その肌も、地蔵さんのようにつるつるしている。

 このお方は、神様だよ。いつからそこにいたのかは知らないが、わしらはそう呼んでいる。そう信じてもいるしな。

 背後からの声を聞きながらも、ショウはその置物から目を離せないでいた。ショウの目にはなんとも魅力的に映っていたようだ。

 あんたはまだお子様だから、一ついいことを教えてやるよ。この神様はな、実は双子なんだ。双子を揃えると、世界が変わる。いい方向に進んで行く。そう言われているんだ。見つけたらこの横のスペースに置くんだよ。

 その言葉にショウが振り返る。そこにいたのは、予想とは違って若い男だった。ショウの母親よりも少し若い。声だけを聴くと死にかけの爺さんかと思っていた。世界が変わる? いい方向に? 意味は分からずとも、魅力的な言葉だ。

 言っておくが、スティーブに頼っちゃいけない。この辺りはスティーブを混乱させる光が流れているからいいが、あんたらの学校にはそれがない。当然、家の中だってそうだろう。スティーブに知られたら厄介なことになる。いくらお子様とはいえ、心の声を抑える方法くらいは心得ているだろ? スティーブを誤魔化す方法はどうだ?

 ショウは一度は頷き、二度目に首を横に振った。

 だったら教えてやろう。まぁ、子供のやることをいちいち本気にするとは思えないが、念のためだ。ちょっと怪しい話をしたいときにはな、心を真っさらにしてお願いをするんだ。ほんの少し眠ってくれとな。冗談のように聞こえるが、かなりの効き目がある。二時間くらいは大人しくしてくれる。その間の記憶は、ほぼ曖昧になっているはずだよ。けれどな、ただお願いだけをするってわけにはいかない。鼻をつまんで息を止める。一分間は我慢しなければならない。その後に息を止めたままお願いをするんだよ。

 男はそう言ってショウに笑顔を零した。その笑顔を受け、ショウも自然と笑顔になる。

 それは分かったけど、神様の双子はどこにいるの? そんなショウの言葉を聞き、男はため息を零した。

 それが分かっていれば、苦労はしない。わしでも探せてしまうからな。けれどまぁ、ヒントはある。この街のどこかにある。いたずら好きの神様でもあるから、あっと驚く場所に隠れているはずだ。わしが思うには、この近くにいるんじゃないかって考えだな。よく探せば現れる。きっとな。あんたはきっと見つけるんだろうな。まぁ、頑張ってみるこったな。

 その言葉を聞き、ショウは決意する。チャコとジョージを連れて絶対に探し出して見せると。しかし不思議だ。この場所には何度も通っているが、こうして話しかけられるは初めてだった。そんな疑問を感じたが、忘れることにして、スティーブを使用してチャコとジョージを呼び出した。スティーブを混乱させると言っていたこの場所でも、音声通信は普通に行える。そんな疑問も、ショウは忘れることにした。

 思い立ったらすぐに行動をする。ショウの気質は子供の頃から変わらない。チャコとジョージに全てを話し、早速双子の捜索を始めた。誰かに聞くことはできない。この場所がスティーブに混乱を与える場所だとしても、この場所を離れれば知られてしまう危険が多いってことだ。そんな危険を犯そうとは、子供だって考えたりはしない。全てのスティーブがたった一つの生命体だということは知っている。それがどういう意味なのかも、漠然とはいえ知っていた。記憶を抑える方法は、たいていが五歳くらいで学ぶものだ。親がそういう風に子供を導くのが常識になっている。もちろん、スティーブには内緒で。

 ショウ達三人は、とりあえずは横浜の街を歩きながら考えることにした。近くにいるといってもどれだけの範囲なのか? どんな場所にいるのかも分からない。きちんと飾っているとは考えにくい。もしもそうなら、別の誰かがとっくに探し出しているはずだ。どこかの陰に転がっている。そう考えるのが正しいように感じられた。ショウ達三人は、建物の隙間を中心に駅周辺を歩き回った。

 こんなことして意味あるのかな? 建物の隙間を歩きながら、チャコがそう言った。

 隙間って言ってもさ、人が簡単に入れる場所にあるのかな? きっと、こういう場所じゃないんだ。

 じゃあどこなんだよ! 少しイラっとしながらジョージが言う。

 近くじゃないかってその人が言っていたんでしょう? 僕もそう思うよ。双子なんだし、似たような場所にいるのが自然だと思うからね。けれどこの辺りにあそこと似ている建物なんてないしさ、ひょっとしたら、同じ場所にあるんじゃないかな。あの隙間の奥に転がっているんじゃない?

 チャコの言葉を聞き、ショウは腕を組んで思考する。いいこと言うなぁ。そんな呟きを漏らしながら、似ている建物はないかと街の様子を頭に思い浮かべる。そして一つ、思いついた。

 あそこのことか? 駅の反対側に、そんな建物があったよな? ショウがそう言うと、チャコとジョージは顔をパッと明るくさせた。

 ショウ達三人は、それぞれになにかを言いながら走り出した。

 息を切らせながら走り、到着したその建物を眺め、三人は絶句した。確かに建物の形自体はよく似ていた。けれど、隣り合う建物が一つもないため、双子の置物が隠れる場所がなかった。念のためにと周りを一周したが、やはりというか、なにも見つからなかった。

 やっぱり、あの隙間の奥なのか? でもどうやって中に入る? あんなに狭い場所、僕達にだって入れない。

 ショウの言葉に、ジョージが頷く。しかし、チャコは顔を横に振る。

 考えたんだけど、あの建物って、三角柱だよね。三枚の壁しかなくて、その一枚が全面隣の建物に隠されているんだよね。あの置物があったのって、三つある角の一つじゃん。一つの角はどことも接点がないから、もう一つの角になにかあるんじゃないかな? そう考えると、なんとなくだけど、納得いくんだ。双子っていう意味も分かるしね。

 チャコはそう言いながら、ショウとジョージの頭に思い描いた絵を送った。スティーブを利用すると、言葉の通信だけでなく、画像や思考を送ることもできる。混乱状態にあったとしても、そんな基本機能への影響はない。スティーブを混乱させる目的は、機能低下にあるわけじゃない。スティーブに知られたくはない秘密を守ることにある。

 隣の建物に接している角二つをさ、もう一つの角を支点にして重ねて見なよ。その折り目を境に、左右対称の二つの形ができたよね? 双子って、そういうことなんじゃないかな?

 おぉー! そう言えば反対側はチェックしてなかった。あっと驚く場所・・・・ 確かにそこにあれば驚きだ。

 ショウ達三人は、再び走って最初の場所に引き返した。

 ここになければもう、僕達には手に負えないってことだ。なんだか緊張するよな。

 ショウ達三人は、置物の置いてある隙間の前で立ち止まった。ショウの言葉を受け、二人は頷く。そしてゆっくり、反対側へと歩いていく。ショウを先頭に、二人が後ろをついていく。

 その場所に立ち、ショウは複雑な表情を浮かべた。これって・・・・ そんな呟きを聞いた二人も、複雑な表情を作り、項垂れた。

 昔はここに合ったってことかな? これって、向こう側の置物台と同じだよね? ジョージがそう言った。

 うん・・・・ でもなんだが、向こうとはちょっと違う気がする。

 チャコはそう言いながら、隙間を覗き込んだ。あれ? ひょっとして、こっちからな隙間に入れるんじゃない? 下を潜っていけば途中までは問題ないよ。

 チャコの言葉にショウはすぐさま反応を示した。そしてチャコを押し退け、隙間の中に入って行く。そこには光が全く届いていなかった。真っ暗で、なにも見えない。ショウはスティーブの機能を使い、目から光を飛ばした。スティーブ自体が光を媒体に構成されているため、光のコントロールは得意だった。

 足元を中心に探したが、それらしき物は見えなかった。入るときこそそれなりの幅があった隙間だが、進むにつれて先細りになっていく。真ん中を過ぎた辺りから、横向きにならなければ進めなくなり、さらにその半分を進むと、身動きができなくなってしまった。ここで引き返さなくては完全に挟まってしまう。ショウはほんの少しだが恐怖を感じた。そして、冷静さを取り戻そうと顔を上げ、深呼吸をする。

  あっ! あれじゃない? ショウは独り言のつもりでそう言った。すると、背後から二つの声が聞こえてくる。

 ひょっとしてあれ? 空に浮かんでいるやつ?

 ショウが振り返ると、すぐ背後にチャコとジョージの姿を感じた。どうしてここに? と思ったが、来てくれたことが嬉しかった。このまま挟まって身動きが取れないかも知れないとの恐怖が和らいでいく。

 ちょっと待ってて。こういうの俺、得意なんだよ。ジョージはそう言うとすぐ、両側の壁に手足を突き、するすると飛び上がっていった。そして少しの悪態を吐きながらも、挟まっていた物体を取り外した。

 やったー! 双子の置物! 大当たりだ! そう叫び、するする飛び降りて来た。

 ジョージからそれを受け取ったショウは、本当によく似ている。けど・・・・ なんだかこっちの置物の方が表情が硬いな。そう呟いた。するとその置物が、ぱあっと明るい笑顔に変わった。と、ショウは感じたそうだが、真相は分からない。俺が見る限りでは、二つは全くの同じ置物にしか見えない。それはチャコやジョージも同じ考えだったようだ。

 これを向こうに置けばいいのかな? それともこっち? ショウがそう言った。

 男の人は向こうに並べて欲しいと言ったんでしょ? だったら向こうに並べようよ。チャコがそう言う。

 けれどこんなことで世界が変わるのかな? ジョージがそう言う。

 よく分かんないけどさ、そんなことはどうでもいいんじゃない? こうして楽しい冒険ができた。それだけのことだよ。

 ショウの言葉を聞いて、二人は、そうだよねー、と笑顔を見せる。

 ショウ達三人は、反対側に周り、双子の置物を並べて置いた。当然だが、なにも起こらない。ショウは、男がもう一度現れることを期待したが、そんな気配はなかった。三人は連結型スニークに乗り、それぞれの家に帰って行った。


 順調に飛び級を重ねたショウ達三人は、十歳にして十五年生になっていた。中学生最後の年だ。

 中学生にもなれば、恋人を作る輩が大勢だが、年齢的に若かったショウ達三人に、そういう気持ちはなかった。ショウ達三人は、横浜駅周辺の、裏社会をうろつくのが好きだった。学校帰りには必ず、当てがなくともブラブラする。その際必ず双子の置物の前を通り、触っていく。相変わらず世界はなんの変化も起こしていない。双子の置物も、いつも通り茶色く光っている。

 今日も勉強をしていくのかい?

 三角柱型の建物の隣の前で、声をかけてくるおばさんがいる。いつものことだ。ショウ達三人は、このおばさんと仲良くなることで、裏社会との繋がりを築いていった。

 そうなんだ。おばさんもたまには一緒にどう? ショウがそう言うと、私には無理だよと、顔を横に振った。

 その建物は、なかなかに広く、楽しい空間が広がっている。建物の中には、いくつかの店が入っている。ショウ達三人は、二階へと上がっていく。二階へは、外から直接入ることもできる。川を渡る橋は二箇所が並んでいて、一つはそのまま真っ直ぐ川の上を渡り、もう一つは大きく上を通り、直接三角柱型の建物の隣の建物の二階へと繋がっている。

 二階の一室に、お目当ての店がある。表向きはカフェだが、ショウ達三人の目的は飲食ではない。店の奥のトイレから更に扉を開けて奥に行くと、秘密の部屋が存在する。小さな部屋で、真ん中に机があり、椅子が四脚、それ以外はいくつもの棚が所狭しと置いてあるちょっと暗い部屋だ。

 ショウがドアを開けると、中から声が聞こえてくる。今日も来たのか? 毎日ご苦労なこったな。

 苦労なんてないよ。こんなに楽しいこと、他にはないからね。ショウはそう答え、机の下に荷物を置き、椅子に腰掛ける。チャコとジョージもそれにならった。

 机の上には、数冊の本が置いてある。噂じゃ聞いたことはあるが、俺はまだ実物にはお目にかかっていない。こんな場所が存在していたなんて、今でも驚きだが、当時としては事件だよ。形のある本は、この時代には存在していないことになっている。

 この世界の文明は、少なくとも一度は崩れ去っている。今いる俺たちの文明は、その始まりから二千年ほどしか経過していない。それ以前の文明の歴史と文化はなかったことになっている。この世界でも様々な文化が生まれては消えているが、文明以前の文化は、基本的には全てが消滅したとされている。調べることさえ禁止だが、現実には多くの文化が残され、街や地域によっては大切に受け継がれている。国や街の名前は、なぜだか文明以前からの名前を使用しているらしい。形ある本は、そんな文明以前の代表的な文化の一つである。

 この世界にも本は存在している。しかしそれは、光媒体のものに限っている。そのほぼ全てがスティーブによって管理されていて、俺達はいつだって、好きなときにこの頭の中で本を読むことができる。古い本も新刊も、スティーブを通して検索をし、購入すればいい。無料の本も、高価な本もある。

 支払いも、スティーブが勝手にしてくれる。俺はよく本を読むんだが、いくらで買っているのかを把握していない。

 今日はちょっと面白い本を見つけたんだがな、後でみんなで解析してみるか?

部屋のどこかからか聞こえてくる言葉に、ショウは嬉しそうに返事をする。もちろんだよ。それでどんな内容の本なの?

 まぁそれは、読んでからのお楽しみだな。

 ショウ達三人は、机の上に置いてあった形のある本を開き、なにやら紙の束に棒を使って文字を書いている。

 不思議な光景だよな。俺たちは基本、文字なんて書かない。実際に紙を使って書くことはしないってことだ。全て頭の中で、スティーブを利用して書くんだよ。この手を使って文字を書くなんてことは、俺はしたことがない。絵だって、手を使って書く奴は珍しい。

 とは言っても、数十年前までは、この国に限っての話だが、文字や絵を書く独特の文化が残っていた。墨汁と呼ばれる真っ黒な汁を使って、束にした毛を使い、細長い紙に書き記す。書道なんて呼ばれているが、その方法は様々で、横長に絵を書くこともあれば、縦長に文字を書いたりする。特に決まりなんてなく、自由に感情を表現するのが書道だ。

 ショウ達三人が手に持っている木の棒には、真っ黒な芯が仕込まれている。その芯を擦って文字を書いている。束に重ねた紙は、形のある本によく似ている。

 ショウ達三人がなにをしているのか、俺には理解ができなかった。そりゃあそうだ。俺は、文明以前の文字が読めない。そんな物をいくら眺めていても、ちっとも楽しくはならない。

 この世界の文字は、一種類しかない。しかし、文明以前の文字は、限りがない。その全てを解析するなんて、俺にはできないし、そんな考えすら浮かんでこない。ショウ達三人は、それを成し遂げようとしていた。しかも、たったの十歳で。

 この本なんだがな。と、部屋のどこかから現れたのは、白髪で背の高い爺さんだった。

 爺さんが机に置いた本は、なんだがオタマジャクシのイラストが描かれている不思議な本だった。サイズが大きい古びた紙でできている。五本の線が横長に並び、その上をオタマジャクシが泳いでいる。オタマジャクシ以外のイラストの意味は分からないが、なかなかに美しい絵柄だった。五本の線は、二段を一セットになるよう左右真ん中など五箇所を縦の線で繋いでいる。一枚の紙に、そんな五本の線が四セットか五セット描かれている。イラストのタイトルを示すような文字が書かれているページもあった。

 ショウはその本に強い興味を抱いていた。ページを捲っては戻りを繰り返し、なにかを解読しようとしていた。

 これって、なにかの記号だよ。このオタマジャクシが文字かなにかを表わしているんじゃないかな? 他にも似たような本があるはずだよ。見つかったらお願いね。五冊くらいあれば、解読できるかも知れない。

 ショウの言葉を聞き、お前は天才だな。と爺さんが呟く。けれど気をつけな。絶対に、スティーブに知られてはならないからな。形ある本を解読していることが知られたら、間違いなく殺される。例え子供でも、容赦はしないだろうな。俺の仲間の多くが殺されている。これは事実なんだ。爺さんの声が大きくなった。

 俺は感じる。どうしてそんな危険なことにまだ幼い子供を巻き込んだんだ? けれどこの爺さんとの出会いが、ショウの未来を変えることへと繋がり、それは世界をも変えていくことになる。

 爺さんとショウが出会ったのは、この日の二ヶ月ほど前だった。ショウは一人のときでも必ず双子の置物を触りに行く。天候が悪くても、学校が休みの日にでもだ。

 お前が神様を揃えたんだってな?

 背後に聞こえてくるそんな声を、ショウは背中で受け止める。

 二人はずっと側にいたんだ。僕達はそれをほんの少し手助けしたに過ぎないよ。

 達ってことは、一人じゃないってことか? まぁそんなことはどうでもいい。お前が揃えたっていう事実は変わらない。だが、お前はまだ若いな。

 そんな爺さんの言葉にショウは反応をする。勢いよく振り返り、声の主を確認した。

 ショウは、子供扱いをされるのが好きではなかった。飛び級を重ね、年上連中に囲まれて生きていたからだろう。学校ではよく、身体が小さいことをバカにされていた。しかしショウは、その頭の良さと負けん気の強さで全てをかわしてきた。次の日には、年齢差を理由にバカにされることはなくなり、仲間として認められるようになる。

 見た目や年齢で判断をすると、痛い目に遭うよ。爺さんだってそうだろ? 見た目はヨボヨボだけど、中身は違う。なにか危険な香りがするのはなんでかな?

 そんなショウの言葉を受け、爺さんが笑った。

 ちょっと中を覗いてみるか? 面白いものを見せてやるよ。もちろん、スティーブには秘密でな。

 爺さんはそう言い、建物の中に入っていった。二階へ上がり、カフェの中からトイレを抜けて、この本だらけの部屋にやって来たんだ。ショウは俺と同じように、棚を埋め尽くす物の正体には気がつかなかった。形のある本なんて見たこともない。それがなんなのか、分からないのが当然だ。

 形のある本の説明と、その文字の種類が多いことと、誰も解読できる奴がいないことを伝えた後、爺さんは好きな本を読んでいいぞと言い、ショウは棚に並んでいる形のある本を物色し始めた。そして適当に、数冊を手に取り、机に並べた。

 これって、本当に文明以前からあるの? なんだろう? 物凄くいい匂いがする。

 ショウは本に鼻をくっつけて匂いを嗅いだ。

 だろ? 私もそう思うよ。爺さんがそう言って、笑顔を見せた。

 ページを捲るショウの顔は、とても真剣で、活き活きとしている。読めないはずの文字を必死に眺めているが、なにが楽しいのか、俺には分からない。

 これってさ、どういうことかな?

 ショウはそう言い、一冊の本の中の文字を指差した。そこに描かれていたのは、やはり俺たちの世界とはまるで異なる発想から生まれた文字が描かれていたんだが、その隣に、口の形をした絵も描かれていたんだ。

 こいつは面白いな。口の形を真似てみるといい。もしかしたら、発音の記号かなにかかも知れない。爺さんがそう言ったが早いか遅いか、すでにショウはその口真似で様々な声を出して遊んでいた。

 他にも似たような本がないかな? これって絶対にそうだよ。文字を読むためのヒントなんだ。

 ショウは立ち上がり、棚の本を物色し始める。爺さんも一緒に物色し、五冊の本を探し出した。

 他にもまだあるはずだけど、まずはこれくらいから始めるといいだろう。爺さんがそう言った。

 そうだね。けどさ、これだけを調べるのだって大変だよ。しかも解読するとなると、どれほど時間が必要か分からないな。爺さんはもちろん手伝ってくれるんだよね?

 私には無理だよ。この場所を管理して何十年が経っていると思うんだ? 手伝えることなんて、本を探すことくらいが関の山だ。

 それでもじゅうぶんだよ。ショウは爺さんに顔を向けてそう言った。これだけの数があるんだ。読みたい本を探すだけでも一苦労だよ。

 それはそうだがな・・・・ 実はな、この下にあるレストランの奥にも部屋があってな、そこにも大量の本が隠されているんだ。ここよりも広い部屋でな、私でさえ把握しきれていない量の本がある。しかもな、新しく世界のどこかで形のある本が見つかると、ここを管理している連中はそれを買い取ってくる。ときにはここの本が欲しいという者もいてな、貸し出したりもしているんだが、売り渡すことはまずないからな。形のある本は、日々増えているんだよ。そろそろ三階にも部屋を作るって噂になっている。

 爺さんの話に、ショウは興奮を隠さない。そいつは凄いや! 見てみたいよ! なんて叫んでいた。

ちょいとだけ、下を覗いてみるか? 爺さんの言葉に、ショウは満面の笑みで、うん! と言い、椅子から勢いよく立ち上がった。

 おいおい、この部屋ではあまり乱暴をするなよ。形のある本はもちろんだが、この棚や机なんかも相当に古いものなんだよ。文明以前の代物だっていう噂だからな。とても壊れやすいんだ。

 爺さんが言うにはだが、この建物自体が文明以前の物かも知れないそうだ。確かに見た目ではそう感じられる。しかし、俺の時代でもそうだが、古さを演出する建物や街並みは多く存在する。最先端の建物は、政府関係のものくらいだ。それ以外の建物は、その素材だけを最先端でまかない、外見を古く演出する。この建物もそうだと、当然思っていた。ショウ達三人が通う学校についてもそうだ。政府が所有する建物の中で、唯一学校だけはその外観に拘っている。

 ここ全体がそうなの? チタン製に表面処理をしているんじゃないんだ? そうか・・・・この机、本物なんだ?

 そう言いながら、ショウは机を撫で回す。そういえば、あの双子の置物もそうだったよね? 木でできているって言ってたな。正直、そんなことどうでもよくって、気にもしていなかったよ。ここの机も同じだね。だからこんなに輝いているんだ。偽物の輝きとはやっぱり違うよ。学校の机は偽物だから、こんなには輝いていないもんね。

 まぁそう言うことなんだがな。本物ってのはいいことだけじゃないんだ。手入れをすれば輝くが、なにもしなければすぐに朽ち果てる。文明以前の建物が今に残されていないのはそういうことだ。ここみたいな建物は、珍しいんだ。ちなみにだが、隣の三角柱は偽物だ。けれどな、横浜駅周辺にはまだ、いくつかの本物が残っているんだ。今度自分の目で探索でもするといい。きっと大きな発見に繋がるはずだからな。

 爺さんはそう言うと、ショウが立っている向かい側の机の前に立ち、その机を横に動かした。

 ここに階段が隠されているんだが、お前には分かるか? 爺さんがそう言う。

 ちょっと待って、とショウはしゃがみこんで床を手探りする。けれどなにも違和感がなかったようで、困惑の表情で爺さんを見上げた。

 そんな顔をすることはない。無理もないな。なんて言いながら声をあげて笑った爺さんは、こうするんだと、ズボンのポケットから取り出した二本の板状の棒を取り出した。

 まずはこれで、ここの溝を擦るんだ。詰まっているゴミを取り除くんだよ。

 爺さんはそう言いながら、板材の形に沿って、一定の場所だけを擦っていく。なんだか歯抜け婆さんの口の中のような形が浮き上がっていく。

 さぁこれで準備はできたな。後はこの二本をこことここにちょいと深めに刺して、持ち上げればいい。よいしょっと。爺さんは間抜けな声でを力を込めた。すると、ギイギイ音を立てて板が外れた。歯抜けの形に取り外された板材を、爺さんは横にずらした。

 ここから下へと降りるんだが、行ってみるか? 爺さんがそう尋ねる前から答えは決まっていたようで、ショウは下を覗き込んでいる。

 だけどどうやって? 飛び降りてもいいのかな?

 それでも別に構わないが、壊さないように気をつけてくれよな。

 爺さんがそう言ったときにはすでに、ショウは下へと降りていた。

 うわぁー! 凄いや! 辺りを見回してショウがそう言った。そしてすぐ、なにかに気がついた。天井に空いている穴の端から二本の棒が床まで降りている。その棒の間を等間隔で横棒がつないでいる。そう言うことか。ショウは気がつき、その縦棒を手で掴み、横棒に足をかけた。これで登り下りをするってわけか。そう独りごち、足に力を入れて壊れないかどうかの感触を確かめた。そして上へと登って行く。

 これって、爺さんが作ったの?

 そうだよと言いたいが、私にそんなことはできないな。これは元々ここにあったものなんだ。実はな、三階へと登る棒も以前はあったんだ。今は使っていないので邪魔だから外しているんだがな。いずれまた、三階を利用する際には取りつけるつもりでいるんだ。

 そんな爺さんの言葉を受け、ショウは二階の天井を見上げた。本当だね。あの辺りだけなんだか色が違っているね。後きっと、あの穴に棒を刺すんだ。

 お前は洞察力まであるんだな。だからこそってやつか。まぁいい、私も降りるから、そこをどいてくれないか?

 爺さんの言葉を聞いてすぐ、ショウは飛び降りた。なんだか呆れたような爺さんの呟きが聞こえてきたが、ショウの耳には届かない。ショウは、棚に並んだ本を夢中で物色していた。

 これなんてどうだ? いつの間にかショウの隣にいた爺さんがそう言いながら取り出した本は、とても分厚く、とても片手で持てる代物ではなかった。

 一階の部屋も広さこそ違うが、二階と同じ様に本で埋まった多くの棚があり、一つの机と四つの椅子が置かれていた。扉が一つあり、そこからレストランへのトイレと繋がっているはずだ。

 これってきっと、昔の辞書だよね? これは全部同じ種類の文字かな?

 辞書っていうのは当然この世界にも存在している。なにかを調べるときに必要だからな。しかし、今時はわざわざ直接辞書を調べる奴はいない。スティーブに聞けば済むからな。ただ稀に、どうしても直接調べたいときもある。そんなときは、スティーブにそれに見合った辞書を取り出してもらい、自分で調べたりするんだ。俺は一度もそんなことはしていなけれどな。

 どうだろうな? 私にはこれとこれとこれが別物にも感じるが、これと似たような文字の連なりはよく見かけるな。しかし、私にはなんとも言えないな。

 そうなんだ・・・・ と答えるショウは、すでに別の本へと手を伸ばし、意識もそっちに向いている。

 これもなんかの辞書だねと言いながら、爺さんと二人で七冊の本を選んで机に並べた。

 これを上に持って行きたいんだけど、いいかな? ショウがそう言うと、ほんの少し爺さんは困った表情になった。無理なの? ショウはすぐに反応を示す。

 無理じゃないんだがな、そいつだけはちと重すぎる。

 爺さんはため息をつき、一階に降りてから最初に手にした辞書を指差した。

 大丈夫だって、僕が持つから。そう言うとショウは、両手と腹を使ってその辞書を持ち上げた。そして棒に身体を預けながらバランスよく足をかけ、上へと登っていった。全く器用なもんだな、との呟きが足元から聞こえてくる。

 何度かの往復で全ての本を運び終え、机の上に並べた。これだけの量を読むなんて、例え文字を読めたとしても、俺には一年はかかるなと感じたよ。

 メモをしたいんだけど、スティーブを使っちゃダメなんだよね? 墨汁で書いていたら、時間がかかり過ぎるしな。

 そんなショウの独り言とも言えるトーンの言葉を聞き、爺さんは静かに立ち上がった。そしてドアを開けてトイレの中に消えて行った。

 どこまで行ってきたのか、本当にトイレだったのかは分からないが、爺さんが戻ってくるまでには、それなりの時間がかかった。戻ってきた爺さんの手には、分厚い紙の束と、小さな棒が数本握られていた。

 これに書くといい。爺さんはそう言い、それらを机に置いた。文字を書くことはできるんだろ?

 俺にはできなくとも、ショウにはできる。当時は六年生で書道を習っていたようだ。とは言っても、実際に紙などに文字を書く機会は少なく、忘れてしまう輩が圧倒的に多い。スティーブに頼りっきりだから仕方がない。読むことだけができるっていうのが、現実だ。

 当然だよと、ショウは言った。書道は大好きなんだ。今でも家では書いているからね。

 なら問題はないな。この棒を削って書くんだが、これを使ったことはあるか?

 爺さんの言葉を聞き、ショウはすぐにその棒を手に取った。そしてやたらと触りまくる。頭の回転は相当早く、すぐにその棒の使い方を把握したようだ。

 これを削る道具は? ショウがそう尋ねた。

 まぁ方法は色々あるんだが、こいつを使ってみるか?

 爺さんはポケットからまた、板状の棒を取り出した。床板を剥がしたときに使用したものと同じやつだ。

 こいつの先っぽが尖っているだろ? これでこうやって、削っていくんだ。コツはいるがな、慣れるとそれほど難しくはない。

 爺さんは器用に、その丸い棒の先を削って円錐状に尖らしていく。丸い棒の素材は木製で、板状の棒は鉄製だ。どちらも今の世の中では珍しいが、全く存在していなわけではない。しかし、物を削るのに、なんて原始的なやり方をと感じるだろ? 柔らかい物を硬い物で削るっていう理屈は分かるが、俺達は普段、なにかを削ったり切ったりするのに光を利用する。光は持ち運びも便利だしな。俺は普段から、切削切断用の光を携帯している。小さくて軽いからとても便利だ。指に埋め込む奴もいるが、俺としては、取り外して使用できないと不便なんだよ。冒険家って仕事をしていると、普通じゃない状況にはよく出くわすからな。そんなときに対応できるよう、携帯型を使用しているんだ。

 この装置は結構古くから存在している。ショウが子供の頃にはすでにあったはずなんだが、利用しなかった理由はきっと、そこには木製の物が多く存在していたからだろうな。形のある本もそうだ。紙っていうのは大抵は草木が原料だからな。光っていうのは、案外とその扱いが難しいんだよな。身体に埋め込んであればスティーブが勝手に制御をしてくれるが、携帯型では自分で制御をして使用するんだ。光装置を身体に埋め込むには免許が必要となる。十六歳にならないと取れないんだ。学校なんかで使用する場合は、周りがチタン製だから問題はない。しかも、コーティングまでされている。チタンの加工にも光を利用するんだが、携帯型ではそこまでの出力を上げることは不可能だ。間違って机を切ってしまう恐れはない。しかし、木製となると、その制御が難しい。よほど慣れていなければ、あっという間もなく全てを燃やし尽くすだろう。

 やってみるか? 爺さんにそう言われ、ショウはすぐに新しい棒を手に取り、板状の棒を使用して削り始めた。爺さんが削った見本を見ながらだが、器用に削っていくショウの姿を見て、爺さんが呟く。流石になんでもこなしてしまうんだな。

 結構難しいと思うよ。ほら! なんとか形にはなったけど、爺さんのに比べると全然だよ。

 ショウは笑顔でそれを差し出した。確かに歪だが、使用目的にはなんの支障もない。爺さんもそう感じたのか、笑顔だけを返していた。

 しばらくは無言で、ショウは本を捲っては紙になにかを書き記すって行動を繰り返していた。そして突然、あっ! なんて叫んだ。

 なんかあったのか? ショウの向かい側の椅子に腰を下ろし、じっと一冊の本を眺めていた爺さんが、顔を上げもせずにそう言った。

 間違えて書いたんだけど、消すことってできるのかな?

 あぁ、そういうことか。今まで一度も書き間違えていないのか? 線を引いて消したり、塗り潰したりしてもいいんだぞ。

 俺だったらそうするが、ショウはそんなことはしたくないと言った。紙が汚れるのって、なんだか寂しいよ。そう言ったんだ。

 それならこれを使うといい。そう言って、爺さんはポケットから白い小さな塊を取り出した。

 これはゴム製なんだ。ちょっとした汚れは消すことができる。なにより、紙が痛まないってのがいいんだよ。そう言いながら、その塊をショウに向かって投げ飛ばした。

 そのゴムを受け取ったショウは、間違えて書いた文字を擦った。すると綺麗に文字は消えたが、擦って汚れたゴムのカスが生まれ出た。

 これはどうするの? 捨てちゃえばいい?

 まぁ集めて再利用もできるが、一度汚れてしまうと綺麗に消すことはできなくなるからな。私はいつも、集めてから最後に捨てるようにしているよ。爺さんの言葉に頷き、カスを集めて邪魔にならない場所に置いた。ゴムってのも、元は木だ。木の液を固めたのがゴムだからな。紙とゴムは相性がいい。俺の予感だが、丸い棒に埋め込まれている黒い芯も、きっと木製なんじゃないかと思うんだ。どうでもいい予感だけどな。

 それからまた、ショウは黙々と作業を続ける。爺さんは時折ショウに顔を向けては笑顔を浮かべるが、基本は本を読んでいた。ページを捲るスピードが遅く、文字が読めているのかどうかは微妙だった。

 もうそろそろ帰った方がいいなと爺さんが言ったときには、すでにそこへ来てから五時間は過ぎていた。飲食もせずに、たいした集中力だと、爺さんだけでなく、俺さえも呆れたよ。

 爺さんは、隣のカフェで簡単な食事をご馳走してくれた。そして帰りには、二人乗りスニークで送ってくれた。

 明日もまた行っていいかな? そんなショウの言葉に頷きながらも爺さんは、明日からはちゃんと時間を見ながらするんだぞ。と言いい、あまり遅くなると家族が心配するだろうしな。居場所を検索されて乗り込んで来られては困るんだよ。と言って笑顔を見せた。

 分かったよと、ショウもまた笑顔を見せる。明日は友達を連れて来てもいいかな? そんなショウの言葉に、好きにするといいよ、と頷き、スニークに跨ってどこかへと消えていった。今日はありがとうね。本当に楽しかったよ。とのショウの言葉を背中に受けながら。

 次の日から毎日、ショウ達三人は、その場所に通っている。そして、文字の解読に夢中になっていったんだ。

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