このエピソードを読む
2019年1月20日 23:04 編集済
謎であった関山と関河の血縁関係が、ここでなんとか分かりますな。私もこの部分は理解できず、読み飛ばしていて勘違いしていました。原文では、山曰:「臣之二兄,用力成癯,相繼而故,臣姆年已八旬有五,每每與吾兄弟哭泣,言百年後,得與臣伯夫妻一處而葬,則不枉育汝弟兄矣。今二兄已亡,臣又不得奉姆歸於故土,則有負向日之所付託矣。且臣兩鬢已星,生不能怡悅晨昏,老又不能承其夙志,既不孝於親,又焉能忠於君哉?況臣母年七十有九,思鄉之心切於夢寐,故此冒瀆天威,乞賜殘軀,奉二母前往錦屏山,以慰其所願。若天不殺臣,再來謝恩陛下,是大幸也!」漢主揮涕而謂山曰:「卿欲全孝,朕當從之,關繼忠與關河可在此間,少慰朕念,亦以見君子不忘故舊之心。」山未及對,只見關河上奏言:「臣父防、叔謹相繼遐棄,以朝廷多事,從征關西,不獲服制,終天之恨,迄今無已。茲者臣母痛父成疾,毀脊骨立,飲食少進者四十餘日矣,乞賜放臣侍疾終制,生死感恩不泯矣!」漢主方欲開言,只見關心出班頓首面奏曰:「臣兄關山年過六十,筋力已憊,且有二嫂,非臣不能以終餘年。臣安敢獨留,以貪榮祿,而忘晨昏定省之勞乎?乞求並放歸田,以贍母兄之倚,勝荷寵沐之恩矣!」名前から、関山と関河は兄弟と思っていましたが、関河は関防の子ですね。関心は関索の子であることは分かります。問題は関山ですが、まず、関山の嫂(姆)は85歳。これは関防か関謹の妻のことでしょう。続いて、一緒に葬って欲しい伯父夫妻(伯夫妻)ですが、通常は、関防・関謹の父である関興夫婦だと思われます。とすると、関山は関興の子ではなく、関平か関索の子となりますね。この場合、関平の一族は、龐会に皆殺しにあったと言われているので、父は関索となり、関心の実兄となります。「通俗続後三国志」の首巻において、関心を関山の弟としているのはこのためでしょう。ただ、関山の母は七十九歳とあり、年の差が離れているのが気になりますが、これが鮑三娘となるのでしょう。この年齢差を納得できず、この部分は読み飛ばしていたのが勘違いにつながりました。馬場信武さんが間違えていたと思っていましたが、馬場さんの方が正しかったようです。まだまだ、精読が足りませんな。とにかく、関氏の血縁関係はこれでなんとか判明したようです。【追伸】>「伯」は伯仲叔季幼の最年長にあたりますので、>「長兄夫妻」の意味に解される可能性があると見ています。それも考えたのですが、そうすると関謹の妻が85歳なのに、弟の関山の母の年齢が79歳で、母が違うにしても余りにも離れすぎているのですよ。年数から計るのは無意味ですし、正直、どっちの形でも納得はしにくいですね。【再追伸】関河の血族関係、調べましたが、やはり、関河が関防の子とするには解し難いですね。①関防が死んだとき、『二子關勇、關曼襲職』と明言されている。(三国志後伝、第94回)②典升に迫る時、『乃其(関防のこと)從弟關河字繼遠也』と記述されている。(三国志後伝、第43回)③字が継遠と『継』の字が関防や関山と共通。親子関係は考えられない。④劉淵が即位した時、任じられた役職が関河は建威將軍であり、関山の役職、護軍都尉より格上である。護軍都尉は楊興寶も入っているのでなんとなく、『才能はあるが若くて地位をあげられない人たちの役職』ってイメージですね。関河が、辞職する時だけの設定で、多分、酉陽野史が忘れているだけだと思われます。ということで、関防・関謹は関興の子、関河・関山・関心は関索の子とします。私としては、関河・関山は関平の子の方がイメージにあうのですが、関平の一家は滅亡したと明言されているので仕方ありません。
作者からの返信
こんばんは。関氏の血縁関係は難しいですね。調べきれていないのですが、「伯夫妻」の解釈により変わりそうな感じですよねえ。ご承知のとおり、「伯」は伯仲叔季幼の最年長にあたりますので、「長兄夫妻」の意味に解される可能性があると見ています。そうすると、伯夫妻は関防夫妻、兄嫁は関謹の妻となりますかね。用例を調べていないので、確定できないのですけど。翻訳の際はけっこう気持ち悪く感じておりましたので、気が向いたら詰めてみたいと思います。
編集済
謎であった関山と関河の血縁関係が、ここでなんとか分かりますな。私もこの部分は理解できず、読み飛ばしていて勘違いしていました。
原文では、
山曰:「臣之二兄,用力成癯,相繼而故,臣姆年已八旬有五,每每與吾兄弟哭泣,言百年後,得與臣伯夫妻一處而葬,則不枉育汝弟兄矣。今二兄已亡,臣又不得奉姆歸於故土,則有負向日之所付託矣。且臣兩鬢已星,生不能怡悅晨昏,老又不能承其夙志,既不孝於親,又焉能忠於君哉?況臣母年七十有九,思鄉之心切於夢寐,故此冒瀆天威,乞賜殘軀,奉二母前往錦屏山,以慰其所願。若天不殺臣,再來謝恩陛下,是大幸也!」漢主揮涕而謂山曰:「卿欲全孝,朕當從之,關繼忠與關河可在此間,少慰朕念,亦以見君子不忘故舊之心。」山未及對,只見關河上奏言:「臣父防、叔謹相繼遐棄,以朝廷多事,從征關西,不獲服制,終天之恨,迄今無已。茲者臣母痛父成疾,毀脊骨立,飲食少進者四十餘日矣,乞賜放臣侍疾終制,生死感恩不泯矣!」漢主方欲開言,只見關心出班頓首面奏曰:「臣兄關山年過六十,筋力已憊,且有二嫂,非臣不能以終餘年。臣安敢獨留,以貪榮祿,而忘晨昏定省之勞乎?乞求並放歸田,以贍母兄之倚,勝荷寵沐之恩矣!」
名前から、関山と関河は兄弟と思っていましたが、関河は関防の子ですね。関心は関索の子であることは分かります。
問題は関山ですが、
まず、関山の嫂(姆)は85歳。これは関防か関謹の妻のことでしょう。
続いて、一緒に葬って欲しい伯父夫妻(伯夫妻)ですが、通常は、関防・関謹の父である関興夫婦だと思われます。とすると、関山は関興の子ではなく、関平か関索の子となりますね。この場合、関平の一族は、龐会に皆殺しにあったと言われているので、父は関索となり、関心の実兄となります。
「通俗続後三国志」の首巻において、関心を関山の弟としているのはこのためでしょう。
ただ、関山の母は七十九歳とあり、年の差が離れているのが気になりますが、これが鮑三娘となるのでしょう。この年齢差を納得できず、この部分は読み飛ばしていたのが勘違いにつながりました。
馬場信武さんが間違えていたと思っていましたが、馬場さんの方が正しかったようです。まだまだ、精読が足りませんな。
とにかく、関氏の血縁関係はこれでなんとか判明したようです。
【追伸】
>「伯」は伯仲叔季幼の最年長にあたりますので、
>「長兄夫妻」の意味に解される可能性があると見ています。
それも考えたのですが、そうすると関謹の妻が85歳なのに、弟の関山の母の年齢が79歳で、母が違うにしても余りにも離れすぎているのですよ。年数から計るのは無意味ですし、正直、どっちの形でも納得はしにくいですね。
【再追伸】
関河の血族関係、調べましたが、やはり、関河が関防の子とするには解し難いですね。
①関防が死んだとき、『二子關勇、關曼襲職』と明言されている。(三国志後伝、第94回)
②典升に迫る時、『乃其(関防のこと)從弟關河字繼遠也』と記述されている。(三国志後伝、第43回)
③字が継遠と『継』の字が関防や関山と共通。親子関係は考えられない。
④劉淵が即位した時、任じられた役職が関河は建威將軍であり、関山の役職、護軍都尉より格上である。護軍都尉は楊興寶も入っているのでなんとなく、『才能はあるが若くて地位をあげられない人たちの役職』ってイメージですね。
関河が、辞職する時だけの設定で、多分、酉陽野史が忘れているだけだと思われます。
ということで、関防・関謹は関興の子、関河・関山・関心は関索の子とします。
私としては、関河・関山は関平の子の方がイメージにあうのですが、関平の一家は滅亡したと明言されているので仕方ありません。
作者からの返信
こんばんは。
関氏の血縁関係は難しいですね。調べきれていないのですが、「伯夫妻」の解釈により変わりそうな感じですよねえ。
ご承知のとおり、「伯」は伯仲叔季幼の最年長にあたりますので、「長兄夫妻」の意味に解される可能性があると見ています。そうすると、伯夫妻は関防夫妻、兄嫁は関謹の妻となりますかね。用例を調べていないので、確定できないのですけど。
翻訳の際はけっこう気持ち悪く感じておりましたので、気が向いたら詰めてみたいと思います。