探偵Nと相棒Mの敗北

「N、君がミスをしたのは大いに笑えたよ」

「俺には笑えないな、どうしてまたLがここにいるんだ!」

「静かにしてくれM、気が散る」

 NとMの事務所にLが再び上がり込んでいた。

 三人はいつもの定位置、つまりMとNは隣り合って座り、その目の前にある相談者用の椅子にLは腰かけていた。

「カメラの中に小型の銃を仕込んでおくなんて、誰にでも予想できるのに」

「だまれL。僕は少々疲れていただけだ。本来ならあんなものすぐに見抜けたさ。今回は……時間はかかったが言い当てただろ」

 フンっと鼻を鳴らしてNはLを見据えた。

「なるほど。結果的には真犯人を突き止めたから、というわけか」

「Lはそんな話をしに来たのか? とっとと帰れ」

 そう口をはさんだのは、扉の方を指さすMだ。

 Mは今にも飛びかかりそうな形相でLを見つめていたが、さすがに暴力で問題を起こすのはまずいと考える理性は残っているようだった。

「いいのかいM? 僕は今日、犯行を打ち明けに来たんだけどね」

「な! なんだと! それは一体どういうことだ!?」

「頭のいい君たち二人なら……」

「いや、頭がいいのは僕の方だ。Mは関係ない」

 一瞬だけ室内の空気が固まった。

「それじゃあMの役割はなんだい?」

 Lは目をぱちくりとすると、クスリと笑った。

「僕は頭脳担当、Mは肉体労働担当だ」

「おいN、それいつ決めた。俺は知らないぞ」

「たった今、僕が決めた。というか前にもこんな話をしたような覚えがあるな」

「俺は知らないぞ」

「君は記憶力が悪いから、仕方ない」

 あきれ顔をするMだったが、Nはそんなことはしあないとばかりに、Lに視線を送った。

「肉体労働担当ね、なるほど、それじゃあ僕も下手をすれば捕まえられるかもしれないってことか」

「今すぐ捕まえて警察に渡してやるさ。さっき犯行を打ち明けるとかなんとか言ってたしな。白状しただろ」

「ふふっ、それはどうかな。自白したとしても不起訴になることがあるからね。僕はすぐに出てくるよ」

「そ、そんなことがあるのか?」

 さっきまでの勢いを落として、MはちらりとNを一瞥する。

「外国籍の人間による家畜解体事件だな」

「その通りだN。とある外国国籍の男が、家畜を解体し売りさばいていた事件があった。自白と証拠品が出てきたにもかかわらず不起訴になっている。つまり僕がここで何を言おうが、たとえ証拠が出てこようが不起訴になる確率はゼロじゃない」

「いやむしろ、証拠は残さないはずだ。牢にぶち込まれる可能性はさらに低くなる。それを見越して、犯行をすると打ち明けたんだろ」

「Nは話が早くて助かるよ」

 Lは薄く笑って足を組んだ。

「高潔なる魂を持ったものが裁判官になるのではなく、正義と公正に準ずるものが警察になるのではなく、潔白と奉公的なものが政治家になるのではない。おかげで僕は行動しやすいんだ」

「スウィフトの引用にしては雑すぎるなL。そんな記憶力で僕に勝てるのか?」

「心配しないでほしい。今回は僕の方も準備はそれなりにしているつもりだよ。一応執筆も取材もひと段落したからね」

 Lがそこまで言うと、Nの携帯が振動した。

「僕だ……分かったすぐに行く」

「おいN誰からだった?」

「警察だ。来てほしいといわれた」

 Nが目を細めてLを見つめるが、何も言わずに席を立った。

「仕事だ。悪いがL今日は帰ってくれ」

「ふふっ、楽しみにしているよN。犯人を捕まえられるといいな」

 Lは椅子から立ち上がると服の襟を正して去っていく。

 その姿が見えなくなるとNとMもすぐに外を出た。

「なあN概要は聞いてるんだろうな」

「一言でいえば、呪いだそうだ」

「呪いだって?」

「始まりは、病死した男からだそうだ。その男の死後、職場の上司や同僚が次々と亡くなっている。全てその男に繋がりがあるってことだけが手がかりらしい」

「でも男は死んでいるんだろ?」

「ああ、病院で医者と三人の看護師が見ている」

 Nは通りに出てからタクシーを止めた。

 二人して乗り込むとMが悪態をつく。

「これがLの言っていた殺人か。けれど一つだけ分かったことがある」

「ほう、聞こうかM」

「呪いじゃないってことだ。あいつが殺人といったからには何かしらのトリックが絶対にある」

「悪くないM。確かにその前提は覆らないな。けれど、あまり驚きはない」

「悪かったな」

 NとMが到着したのは、その呪いの原因だという遺体が眠っている遺体安置所だ。

 問題の死体は部屋の一室に置かれ、今は誰もいない状態だった。

 遺族は葬式の準備をしているらしく、今日の夕方にでも火葬されるという。

「M、この男が死ぬまでの経緯を知りたい。ちょっと資料を貰ってきてくれ」

 Mは首肯すると、すぐに警察へと電話をかける。

 そのあいだにNはじっと死体を眺めていた。

「N、言われた資料持ってきたぞ」

 Mがクリップで止められた紙束を渡し、それから腕を組んだ。

「特段以上はないようだけどな」

「本当に、そう思うか? もう一度見てみろ」

「被害者は初め頭部にけがを負い、意識不明の状態で病院に搬送。その後、心臓麻痺で死亡とあるな。健康状態にも異常があって健診じゃ心臓疾患も持っているって書いてあるぞ」

「しかし入院と健診した病院は一緒だ。意識不明で患者が運ばれたときに、そのあたりの疾患を見逃しているとは思えないな」

 資料を丸めて肩たたき変わりにするN。

 一度死体安置所を出ると、今度は呪いで殺された事件の現場へと向かう。

「えっと、呪いで殺されたといわれた被害者男性だな。死亡時刻は夜の九時ごろ。窓から転落死したところを近くの住民が発見。死ぬ数日前、あの男の幽霊を見たって言ってたらしい」

「なるほど、だから呪いなのか。Mはここを見てどう思う?」

 Nは被害者男性の住んでいた自室を見回しながらMに尋ねた。

「特に何もないが、職場からインフルのため休むように言われてたらしい」

「ともすれば飲んでいた薬は、少し前に幻覚を誘発するといわれたタミフル……ではないか」

「だとすればLが男の変装をしていて、殺人を行っていたってことか」

「その案は考えたが……どうにもそんな単純な話ではないような気がするな。まあ念のため、防犯カメラの映像で事件当日どこにいたか調べるよう言ってくれ」

「まあ、もう言ってるけどな」

「……M君は熱があるのか? もしかして僕は幻覚を見ているのか?」

「俺は先を見据えて行動してたんだ。そんなに驚くことか?」

「いや、Lが気に食わないから先に手を回していただけだろ」

 Mは図星を突かれたのか、口をへの字に曲げた。

 監視カメラでの行動をMから聞くと、今度はNが口を歪める。

 Lの行動には問題なし。被害者男性が飛び降りたとき、遠くのカフェにいたことが判明していた。変装をして事件現場に行くのは不可能なのだ。

「M、もう一人の被害者は女性だったかな?」

 カメラの報告を聞いても眉根をピクリとも動かさないNに、Mは半ば不安を覚えながらうなずいた。

「被害者女性は男の同僚だな。どうにもいじめの主犯格だったらしい」

「いじめ? その報いで呪いを受けたってことか。ほんと、人から嫌われるなんて僕にはできないね」

「……なあN、それ本気で言ってる?」

「ああ。僕みたいな完璧な人間を嫌いにならない人間なんていないだろ。おいM、どうしてそんな顔をする?」

「はあ、自分の胸に手を当てて聞いてみろ。俺はさきに女性被害者の現場に行ってるぞ」

 Mは足早に歩きだし、その後ろではNが今まで以上に真剣な顔をして悩んでいた。

 二人が次に訪れたのは、一軒家だ。Mが話していた女性の被害者の家で閑静な住宅地にある。

「被害者女性も幻覚を見ていたそうだ。そして必死に謝った末」

「殺されたってわけだな」

 Nが後を引き継ぐ。

「こっちは被害者男性と違っていたって健康的。だが、ちょっとスピリチュアル的なところもあったようだ」

 Mは事件当日のままにしてある女性の部屋へと足を踏み入れると、机の上にあった何枚かの写真に目を落とした。

「寺社仏閣の写真と、数珠、お札も大量だな」

「M、見てみろ」

 Nが靴箱を顎で指した。

「靴だな。おしゃれなのが相当ある。金持ちみたいだな」

「M、そこだけか? 今日一瞬でも『使えるな』と思ったことを後悔している」

「は?」

「これではっきりしただろ、やっぱり殺人だ」

「でもここまででLが関与している気配はないぞ。犯人は一体……」

「犯人の目星はついている。しかしこのままだと、どうして……いやそういうことか! Lは何故『犯人を捕まえられるといいな』といったのか分かったぞ」

 はっとした様子のNは女性宅を飛び出すと、すぐに走り出す。

「ちょっとまてN! Lの言葉がどうしたっていうんだよ」

「M、僕が今まで犯人を逃がしたことがあったか?」

「いや俺が知る限り、ないな。この前は一度間違えただけだが、結果的には捕まえたし」

「ああそうだ。今回、Lの言い回しは『捕まえられない』と捉えることができる。けれどこれは逃がすといった意味じゃない」

「つまり?」

「犯人を逃がしたことがない僕に、逃がさないようにと言うのはおかしいんだ。もし僕が、犯人を捕まえることができないとすれば」

「犯人が自殺したときか!」

 Mも目を見開いてハッとする。

「そうだ、自殺はさすがに僕も止められない。そして自殺の方法が……くそっ間に合わないか!」

 二人はあらかじめ教えられていた火葬場に行くと、そこにいた人物を睨みつけた。

「やあNとMじゃないか、遅かったね。もうすでに火葬は終わったよ」

 礼服に身を包んでいたのはLだった。

「その様子だと犯人は誰で、事件の経緯は分かったようだね」

「推測はついたが……まさか犯人が自殺する前提で殺人が行われているとは思わなかったな」

 Lは拍手をすると、そこに男の遺族がやってきた。

 うやうやしくLは一礼すると、MとNに向かって。

「遅れてこられた方はこちらで個人へのご挨拶をお願いします」

 恭しく二人を先導して、誰もいない部屋へといざなった。

 物置と化している部屋でLは適当なパイプ椅子に腰かけ、Nを見据える。

 その視線が何を意味するのかNは全てさとって口を開いた。

「犯人は男だ。たった今火葬されたその男こそ犯人だ」

「ご名答だ。素晴らしいねN。続きを聞こうか」

「一度男は意識不明で病院に運ばれた、しかしその後心臓麻痺で死亡となっているが、おそらくこれは仮死状態になっただけだ。そして仮死状態から戻った男は安置所から抜け出し、犯行を行う」

「そう。その通りだ。ここで肝心なのは仮死状態であることを見破られないこと。そのためには呪いとするほうがよかったんだよ。でもNが来たってことはミスがあったようだね」

「女性宅には寺社仏閣の写真があったが、靴は全て都市部で測れることを想定してあるヒールやブーツばかりだ。あの写真の中には山の中にある神社もあったからな。運動靴の一つも見つからないのは不自然だ」

「なるほど。そこでミスったのか」

「けれど、それだけでは犯人には結びつかなかった」

「ほう、でもここまで来たよね」

「仮定として残っていた『安置所にいる男が生きていること』そして、お前が言った『捕まえられない』という言葉の意味でたどり着いたんだ」

 Nは汗をぬぐってまくしたてると、Nは再び拍手をする。

「けれど、今回は僕の勝ちだ。犯人は火葬され、彼の標的となった二人は死んだのだからね」

「L! 貴様!」

 Mが大股で近寄ると、襟をつかみ上げた。

「そういえば僕の役目を言ってなかったね。僕の役目はそう、火葬する際の点火スイッチを押すことだけさ」

「計画を教えたのはお前だろ!」

「さあどうだろうね。でも前に言ったように、白状しようが僕は何も手出しはしていないのだから捕まることはないだろう。犯人も死んでしまったのだからね。もし指紋なんかが出てくるとしたら、それはすでに死んでいる男のものさ」

 LはMの手をそっと退ける。

「さてと、僕は仕事に戻るよ。一応、彼の願いを叶えてやった身だ。最後まで世話をしなくちゃいけないんでね」

 Lが出ていくと静寂だけが訪れた。

 Nは大きく息を吐くと。

「くそっ! もっと時間があれば! 火葬が明日になっていれば僕の勝ちだったんだぞ!」

 Lが座っていたパイプ椅子を蹴り上げ、Nは大声を上げる。

「N落ち着け」

「これが落ち着いていられるか! 前回は失態をさらして、今回は負けたんだぞ! Lには今度こそ泡を吹かせてやる」

 二度も失態を見せたNは憤慨すると、Mを置いて外へと出ていった。

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