探偵Nと相棒Mの平穏な?日常?

「で、僕に何か用かなL?」

 Nは瞳の奥を光らせて目の前の来客用の椅子に座る宿敵Lを見据えた。

 Nの横にあるソファーに腰かけたMも神妙な面持ちをして、落ち着かないのか貧乏ゆすりをしている。

「君はもう僕の本を読んでくれたかな?」

 自身の作品である、つまりウェルテル効果なるものを引き起こす本をバッグから取り出したNはそれをMに差し出してくる。

「いや、僕の脳内には必要のない知識だからね」

「フィクションは読まないと言うことかい?」

「フィクションは役に立たない。捜査においても実生活においてもだ」

 じっと差し出された本を見つめるだけのNに、Lは小さくため息をつく。

「捜査での想像性は必要だと思うけどね。まあ僕は捜査する方では無く、される方だけどさ」

「で、用件はなんだ?」

 痺れを切らしたMが苛立った声音を出すと、ゆっくりとLがNから視線をずらす。

「なに、取材さ。取材をしにここまで来たのさ。本を書くにあたってリアリティが必要なときはこうして取材をする」

「また、あんな本を出すのか!」

 Mは立ち上がると拳を握って今にも襲い掛かりそうな形相をするが、それでもLは僅かに瞳を伏せただけだった。

「M、君は失礼だね。僕は別に彼らを誘導しようとか、そう思っている訳じゃない。もちろん、本の中で数人キャラが死ぬって展開は作ったけどさ」

「ウソをつけ。結局は効果が出るのを見たいだけじゃないか」

「ははっ、その点については否定できないね」

 Lは肩をすくめてみせると。

「落ち着けよM、取りあえず今日、その椅子に座っているって事は少なくとも客の立場だ」

 Nがゆっくりと諭すようにMに言い聞かせ、「分かったかい?」と視線で投げかけた。

 大きく息を吐いたMは納得できないといった表情ながらも、首を縦に振るとソファーに再び腰を下ろす。

「取材なんだろL。嬉しいね。今まで警察の手伝いをしてきただけの僕にスポットが当たるとは。なんなりと聞いてくれ」

「じゃあまず単刀直入に聞こう。今までで一番難しかった事件は?」

「さあ、特に難しい事件は思い当たらないな。なにせ困ったことが無いから」

 と一息置いた、Nだが何か思いついたのか、不意に口の端をつりあげると続けた。

「でも簡単なものならあった。この前、工事現場の音の中にモールス信号を混ぜて通信機器なしでやり取りをし、美術品を盗み出す奴らがいたな」

「簡単だったのかい?」

「ああもちろんだ。現場周辺の音と、館内の警備員の配置二つだけ照らし合わせればすむ話だからな。しかも規則的な音は何度も何度も僕にアピールしてくるように聞こえてきていた。これを犯人に教えた奴は馬鹿としか言いようがない」

 そう、あの手口に直接は犯人たちが考えたものじゃない。誰かから聞いて実行したのだ。

 Nはどうやら、その手口を教えたのがLだと思っているらしい。

 しかし相変わらずのクールな面持ちのまま、Lは少し思案するように顎に手を当てて腰かけに体重を預けた。

「でもN、前は教えた奴をほめる様な」

「M、褒めていない。自分の手を汚さない、ずるがしこい奴とは言ったがな。ついでに僕には及ばないことは事件解決で証明されている」

 Mの言葉を遮って捲し立てるNはじっと、Lの様子を伺った。

「簡単すぎる……なるほど。他には何かあるかい?」

「パッと思い出せるのはそれだけだ。なにせ簡単すぎたからね」

「なるほど。書き留めておこう」

 茶色い皮の表紙のメモ帳を取り出し、ペンを手にした。

 さらさらとリズミカルに書く様子を見つめていたNがふと口を開く。

「それはどこの言語だ?」

「フランスと、ドイツ、英語、日本語を混ぜて書いている。さすがの君も音だけでは内容の想像がつかないだろう?」

「日本語が入っているとなると、少し難しいな。なにせ主語と述語などの基本的構造が少し特殊だ」

「Nにも難しいことがあるんだな」

 とMが口を挟むと、Nは頬を僅かにつりあげて相棒を瞳に捉えた。

「M、君はどっちの味方なんだ? 僕か? それともLか?」

「Nに決まっているだろ」

「だったら!『Nにも難しい』『Lをほめていた』みたいな事を言うのはやめてくれ」

「いやあ、まあ……分かった。俺が悪かったよ。ちょっと、外の空気を吸ってくる」

 Mは立ち上がるとそそくさと部屋を出て行ってしまった。

 数秒の沈黙が流れ、口を先に開いたのはLだ。

「取材の続きをしようか。Mとはどこで知り合ったんだい?」

「家賃折半の為に人を探していたら、彼が見つかったんだ。だから一緒に住まないかと誘った」

「では次だ。警察からの依頼は事件のどの段階でくるんだい? 捜査の初めから? 中盤? 終盤?」

「彼らがお手上げになった時点で依頼が来る。連続殺人事件の時は二人目までは後手に回ってしまうから、三人目からは僕が未然に防ぐアドバイスをしている」

「なるほど」

 さらさらとメモ帳に筆を走らせるLに、今度はMが尋ねた。

「僕からも質問をしよう」

「なんだい?」

「ウェルテル効果は本物か?」

 Lはピタリとペンを止めて、顔を上げると目を細めた。

「少なくとも僕は僕の本が少年を自殺に誘導したと考えている」

「ただの本でか?」

「そう。僕が確認している中で、百人中、二十人は自殺をしている。どれも僕の本を購入してから四日後だ」

「偶然だな」

「Nはただの文字にはなんの力も無いと思っているのかい? 思考を変え、行動させることは出来ないと?」

 Nは鼻を鳴らして首を縦に振った。

「文字と思考に関するフィクションは多い。文字の意味を減らすことで民衆から思考を奪い統制をとる作品、文字の中に『虐殺』の文法が含まれているとされる作品があるが……理性を持って対処すればどれも回避可能と考えているね」

「Nはそうかもしれないけど民衆は違うよ。常に文字の意味によって思考を変え、行動している。伝達方法が紙でも電子でもそれは変わらない」

「正確に言うなら情報によって……だろう?」

「……ああ、そうかもな。でも僕はねこの本を通して既に人の行動を変えたと確信しているよ。次でも同じことになるかは分からないけどね」

「出版停止にしてやるさ。警察に僕が言えば簡単な事だ」

 挑むような視線でLを睨みつけるN。

「けれど証拠はない。警察は今ここで話したことを信じるはずもないし、ある人がマンションの屋上から飛び降りた時、僕は朝食を食べているか、午後の読書をしているか……つまるところアリバイがある」

 小さくため息を吐いたNが何を言おうか思案するも、Lが言った通り警察は信じない。いや、Nでさえも信じることが出来ないのだ。

「質問はそれだけかいN?」

「また本を書いた時こそ、お前を捕まえてやる」

「執筆期間に関しては口外しちゃいけないんだ。でもこれが最後の作品ってわけじゃない。序章だよこれは」

「なんだと……」

「文字には穴がある。思考を伝えるための手段としては物足りない。伝えられるのは表面上のことだけだ。それは言葉も動画も同じで自身の思考を完全に他者に与えることは出来ない。けれど……そこを埋めることができるとしたら」

「無理だな。新言語を作り出すようなものだ」

「その行為に近しいとは思っているよ。けれど……文字の穴を埋めることが出来れば……まあいい。私はこれで失礼するとしようか」

 Lは立ち上がるとバッグを肩にかけてNに背を向けた。

「僕の話はまだ終わってないぞ」

「僕の話は終わった。依頼人からの依頼は終了しているんだN」

 手を上げて「また会おう」と残して去っていくLの姿を見つめながらNは眉根を寄せ。

「Mが返ってきたら八つ当たりするしかないな」

 そう呟いて瞳を伏せた。









 

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