探偵Nと相棒Mの誘拐事件

 「人は不完全な生き物だ。だからこそ、彼らが開発した物は朽ちていくし、欠陥もある。それに文化や風習といった、精神的なものが織り交ざるものならばなおさらだよ」

「……すぐにここをNが見つけるぞ」

「M。今の話を聞いていたかい?」

 ニヤリと口の端をつりあげた青年が、椅子に縛られているMの前に立つ。

 長身ですらりとした体型、一瞬外人と見間違えそうになるほどに深い堀と、切れ目が印象的なこの男の名はL。

 しかし偽名だろうと言うことはMにでも分かった。

 うす暗く、狭い一室。壁は鉄製で錆と、血痕がこびりついていることから、街のどこかでは無いことは確かだ。

 鉄格子のある場所から太陽の光が差し込んできて、宙を舞う埃たちを映し出す。だがこの椅子から解き放たれたとしてもMの身長では届かない高さに設置されているため、外を見るのはほぼ不可能だろう。

「おまえが誰か当ててやろう」

「自分のことはいいのかい? それともNを信じてるから他の話をするのかな? まあいい推理ゲームは好きなんだ」

 Lが近くにあったもう一つの椅子に腰かけて足を組む。その姿は何とも絵になるが同時に恐怖を与えてきた。

 何かを試すような、それでいて観察しているような……。

「それじゃあまず一つ。お前は猫を飼っている」

「ハズレだ。この黒い毛は今日の朝、野良猫を相手にしていた時のものさ」

「二つ目、お前は読書が趣味じゃない。本は持っているけど、どちらかというとただ知識を得るためだ」

「それもハズレだ。本は欠かせないものだ。精神の成長にとってはね。だから本を読むし書きもする。さあここまで全てハズレだよM」

 そういわれMは縛られた体を僅かに前に倒して、Lに顔を近づけ、殺意のこもった眼差しで睨みつける。

「じゃあ三つ目。これは絶対に当たっている」

「へえ、なんだい?」

 興味深そうに見つめ返すLに、しかしMも対抗し口を開く。

「お前はとんでもないクズ野郎だ。ああ反吐が出るくらいにクズ野郎だ。僕をここに閉じ込めただけじゃなく、犯罪に加担している。社会のゴミだ」

 Lは数回瞬きをすると瞳を僅かに下に向けた。次に手に持っていた本を開くと、もうMには興味ないとばかりに文字に視線を落とす。

「何とか言ったらどうだ? 沈黙は肯定だぞ」

「……M。私は嘆いているんだ」

「は? いきなり何を……」

「人は物を作って文字を作って、文化を作って、他の生物とは違う進化をとげた。不完全ながらも自給自足して生きていける知識も身に着けた。だけど僕は人間が自ら作り上げてきた社会の中でさらに殺し合うのには耐えられないんだ」

 本から一瞬だけ目を上げたLは大きく息を吐いて、ページをめくった。

 赤い背表紙の本。確か少し前にベストセラーになっていた作品だ。新聞にも雑誌にも取り上げられていたのをMは覚えていた。

「人はどうすれば真に助け合えると思うか考えたことあるかい?」

「知らないね」

「そう言う思考をする人たちを無くすことさ。物理的にね」

 ふふっと笑ったLがMの首筋に手を当てる。

 透き通った瞳に吸い込まれそうなほどに、見つめられてMは唾を飲みこんだ。

「何も難しくすることはない。Mがさっき言ったような人たちを消すか、助け合いをせざるを得ない社会にするかだ」

「出来るものか」

 Mが睨みつけて牙をむき出しにするも、Lは鼻で笑って椅子の腰かけに深く体重を預け、足を組んだ。

「可能だ。僕が潜ませた種は既に芽吹きつつある。君たちが生活するうえで必要な物のなかに溶け込んでいるんだ」

 Lは人差し指でMの額を指すと。

「その頭の中にもね。すでに入り込んでいるんだよ。楽しみにしているといい」

 椅子から立ち上ったLはMに背を向けて鉄部屋から出て行こうと扉に手をかけた。

「おいどこに行く、この縄をほどけ」

「それは出来ない。追ってこられたら困るからね。ああでも……Nには電話しておこう。それと最初の犠牲者はOという少年だ。後でニュースを見てみるといい」

 それから数時間が経過し、Mは突入してきた警官隊に助けられ部屋から出ることが出来た。

 外は貨物列車の廃コンテナが並んでいる、なんとも殺風景な場所だった。街からは車で一時間ほど離れているらしい。

 そして警官に紛れて、見慣れた顔がMに歩み寄ってきた。

「今朝のスクランブルエッグは美味かったか?」

「どうして俺の朝食がスクランブルエッグだって分かった? 誘拐されてから今日は一日中会ってないんだぞ」

「家に行ったら、食べかけのままMがいなかったからね。で、相手はどんな奴だった?」

「相手? ああ、名前はLって言ってたな。多分偽名だ」

 それから起こった出来事をNに話したMは、ふと思い出したように。

「そう言えば、Oと言う少年が被害に会うって言ってたな」

「O? もしかしてそれはこの子のことか?」

 スマホの画面を見せてきたN。そこに映し出されていたのは、高所から飛び降り自殺を図った少年、つまりはMが聞いた名前のOと言う少年が自殺を図ったと書かれている。

「あ、ああ。その子だ。あいつは名前だけ言っていたけど多分、間違いない」

「それじゃあ、すぐに行こう! きっとLにつながる手がかりがあるはずだ」

 意気揚々とNは走り出し、そのあとにMも続く。

 途中でタクシーを拾って現場のビルに着てみると、既にマスコミとやじ馬でごった返していた。

「まったく、なんだこいつらは」

「テレビに新聞だろ。あと観客」

「邪魔だな。いっそここにミサイルでも飛んで来れば、互いに互いを取材すると思うか? しかも被害者は全部実名でだ」

「ま、しないだろうね」

「だな」

 Nは警察の規制線を潜り抜け、それから高層マンションの入り口付近に目を移す。ビニールシートで周りを囲われているが、そんなものは関係ないとばかりに大股で入っていく。

「失礼する。いや、もう入ってるんだったな」

 飄々とした態度のNだが、警察に強力していることは既に知られているため、誰も止めはしなかった。その代わりスーツ姿の警官が近づいて来て。

「被害者の名前は……」

 と切り出したがすぐにNは言葉をかぶせる。

「それはどうでもいい。後で報道を見れば全国民が知るからな。貴様らはその何にも入ってない脳みそをただ世間に公表して僕に任せましたと言えばいい。それだけやってれば十分だ」

 と捲し立てられた警官は少し呆けていたが、数秒して理解が追いつくとNに掴みかかろうとした。

「お前、いい気になってるんじゃ……」

「おいM、これは本当に自殺だと思うか?」

 警官の言葉を聞かずにMに話しかけるN。

 Mも警察を相手にするつもりはなく、すぐにNの隣に立って上を見上げる。

 Oの住んでいたと思われる部屋のまどからも警官が下を覗き込んでいて場所が丸わかりだ。あんな場所から飛び降りたのならば命はまずないだろう。

「自殺の可能性は高いな。見ての通り、マンションの入り口はオートロック。高級住宅の部類だから素人の犯罪者が入るのはまず不可能なシステムだろうね」

「他には?」

「服装がこの時間帯で寝間着だから、今日は休み……くらいかな?」

「Mにしては頑張った方かな」

 Nはあっさりとそんなことを言うと、Mの言葉を続けるように口を開いて、例の推理を展開する。

「部活には入っておらず、入っていたとしても運動部じゃない。この晴れた日にまず運動部の部活が休みになるなんてのは確率的に低い。それとよくスマホを使っているな。右手の小指関節が曲がっているだろう。一時期話題になったろう、小指の関節が変になるの」

「ああ、あったな。それからは俺も気を付けているよ」

「だろうな。だけどOの指を見る限りはかなり使っている。長時間か、もしくは短時間を連続に……だけどこれだけじゃあ分からないな。M、少年の部屋に行くぞ」

 またもやさっそうと歩きだすN。一部始終を見ていた警官は怒りに顔を真っ赤にさせていたが、Mももう関わるまいとして無視を決め込んだ。

 エレベーターを使って二十階まで登る。浮遊感と共に開いた扉から廊下に出ると、また同じ服を着た人たちが占拠していた。

「人ごみは苦手だ」

「十人くらいしかいないだろ」

「前言撤回、無能な奴らの人ごみだ」

 なんて悪態をつきながらまたしてもNはスルスルと壁を抜けるように、Oの部屋へと足を踏み入れた。

 それから辺りを見回すと眉をひそめる。

「本があるな。それも大量に……」

「読書好きなんだな。結構ジャンルはいろんなものを呼んでるっぽいな」

 Mでも分かるようなタイトルが半分以上ある。それに特に法則性も無さそうだ。

 窓の近くにベッドがあって、そこから飛び降りたんだろうが。

「分からない。どうして飛び降りたんだ」

「Nはトリックを見破るのは美味くても、こうして理由を見つけるのは苦手だよな」

「いつもの仕返しか?」

「ま、そんな所だ」

「でも理由だって推理して行けば絞れはする、はずなんんだがな」

 そう言いながらNはおもむろにOの使っているデスクに歩み寄り、上に置かれている本や筆記用具をまじまじと見つめた。

「やっぱり自殺する理由が見つからないな。机の上の教材からして学業は優秀、ペンや筆箱は振るいモデルだが、綺麗だし部屋を見ても掃除好きだとわかる。カレンダーの祝日に丸印がついているのを見るとデートだろう」

「塾かも? それか学校のテストとか?」

「難関校を受けるならばテストは一日で終わるはずがない。塾にしても一日だけ丸がついているのはおかしいだろ。そう考えると連休のうちの一日だけってのは不自然だ。一日は自由でもう二日は勉強と考えた方が自然だ」

 それに……。とNは続ける。

「下の遺体には指輪がはめられていた。結婚はまだだろうから恋人の線が濃厚」

「なんだよそれ、自殺する理由が見つからないじゃないか」

「だから言ってるんだ。理由が無いって。陰湿な虐めでもあるのかと思ってたが、カレンダーの数日後の日付に丸を付けておくような奴が今更いじめられていたとも思えない」

 あたまを掻きむしったNはMに詰め寄る。

「Lはこれに着いて何かヒントのようなこと言って無かったか? なんでこのOなのか、選ばれた理由は? 手口は?」

 肩を掴まれたMはガクガクと揺さぶられるも、なんとかして相棒の手を振りほどいた。

「落ち着けって。言われたことは全部話した。準備が整っているみたいなことも言ってたし、この少年が死ぬことも。でも理由は教えてくれなかったんだ」

「まったく……面白い奴が現れたもんだ」

「なんだよ変に怒ってるって思ってたけどそうじゃないのか」

「一枚上を行かれていることは悔しいさ。でも同じ位に楽しいねえ、これは世界が変わるぞ」

 さすがに大げさすぎる。とMは内心で笑ってしまった。

 すると、なにやら突然外が騒がしくなり始める。現場検証していた検視の人間も手を止めて、玄関の方へと視線を向けた。

「大変だ! また一人、自殺者が出たそうだ!」

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