探偵Nと相棒Mの工事現場

「なあM、なんで僕はこんな事をしているのか疑問じゃないか?」

「別に疑問じゃないね。君は自分の推理が本当か確かめる為にいるんだろう? だったら、この炎天下の中、座り続けてもいいじゃないか」

「僕は頭脳労働担当だ。肉体労働は君に任せるって事で決まっていたはずだけどね」

 Nは持ってきていた手持ち用の小型扇風機で顔に風を送りながら、覇気のない声で言う。

「そんなものいつ決めた? 今朝? 昨日? それとも去年とか?」

「出会ってからに決まっているだろ」

 Nは袖口で汗を拭うと、蜃気楼で揺らぐ目の前の工事現場を見つめた。

 彼らは今、事件現場にほど近い工事現場をじいっと眺めているのだ。

「んな約束した覚えはない」

 Mは腕を組んで眉根に皺を寄せるが、Nは襟元を広げて中に扇風機の風を送りながら、ひょうひょうと。

「約束はしてないさ。でもこれまでの事件解決をしているうちに大体分かって来るだろ」

「分からないね。一ミリたりとも」

「じゃあ一ミクロンは?」

「それでも分からない。んことよりもN、事件に集中だ。今回のは厄介だぞ」


 数時間前のこと。

 二人が訪れたのはとある美術館だった。駅に近くて利便性がよく、ビル群の開発が急ピッチで進められている地域。

 美術館では一足先に遠方からの移住予定者に街を見てもらうために、とある企画をしていた。それが名画五十選を一気に集めるという企画だ。美術館の独断と偏見で選んだ名画を他美術館から借りると言うことだ。

「でも実際には有名どころばかり。教科書やテレビ、ネットで話題になっている作品ばかりだ。独断と偏見とは言うけど、結局は……」

「Nそこまでにしておけ。館の関係者にきかれたら困る」

「そうかい。じゃあやめにしよう」

 バロック様式で出来た豪華な建物。三階建てのそこは、街一番の大きさを誇っている。しかし同時に街一番の問題を抱えている場所でもあった。

 この美術館から連絡を受けた二人が向かうと、まず館長室へと通され、三十分はゆうに待たされていた。

 業を煮やしたNをMがなだめて時間を稼いでいると、部屋の扉が音を立てて開き、でっぷりとした館長が入ってくる。

「やあ、御足労をおかけします」

 禿げている館長はハンカチで汗を拭いながら、N達とテーブルを挟んだ向かい側に座った。

「そう思うならゆっくりと休憩なんかしてないで早く来い。こっちは朝一に来て三十分も待たされているんだ」

 Nは背もたれに体重を預けると足を組んで苛立ちを吐いた。

「休憩ですか……?」

「もっと言うなら煙草を吸う時間だ」

「ああ、臭いますか?」

「臭いは気にしない。だが今朝煙草を吸う時間があるならもう少し早く来いと言ってるんだ。報酬を倍にするぞ」

 足を組んだNに館長の目がきらりと光る。

「どうして朝、私がたばこを吸っていて遅れたと? 臭いだけですか?」

「それもあるが、まずこの館内は全面禁煙だ、たばこを吸えばスプリンクラーが作動する。そして街中も禁煙。移住者を呼び込むために環境美化についてはかなりうるさいからな。となれば家で吸うのが自然だが……乱れたネクタイに皺の酔った背広、ズボンにも織り目がいくつもある。服は無頓着な方で帰ったらすぐに脱ぎ、そのままなんだろう? てことは身支度にかかる時間は十分程度。では寝坊で遅れたと考えたがこんな事件が起こっている時にする可能性はない。そこで有力なのは中毒者もでるたばこだ。かなりの臭いがするから、今朝吸ったのは一本だけじゃないだろう。それで遅れたんだ」

「しかし中毒など……」

 と館長が言いかけたが、Nは部屋にあるゴミ箱に視線を送って。

「そこにニコチンパッチの箱が捨ててある。効果は聞かないでおこうか」

 口の両端を一瞬だけつりあげて笑顔を作った。

「分かったもういいですよ。その通りですから。遅れたことは謝罪します」

「だったら報酬は電話で聞いた通りでいい」

 Nが満足そうに頷くと、今度はMが口を開いた。

「それじゃあ館長。電話で聞いた通り、ここに運ばれた名画のうち、一番高額なものが盗まれたと言うのは本当ですか?」

 館長は大きく首を縦に振って、それから身を乗り出すと語りだした。

 企画のために運び込まれた名画。飾る順番もライトの角度調整も全て終わり、外の警備員の配置からルートまでを決定し、いよいよ開催しようとした前日。

 なんと一番高価な名画『パンの耳』が盗まれたのである。

「美術館内の警備員の配置はどうなっていたんです?」

「館内には二人ほど置く予定でした。なにせ客の邪魔にもなりますし。ですから館外の方を厚くしたんです」

「客がいればそれが監視となって盗みが出来なくなると考えた……ってところですか?」

「はい。それが裏目に出てしまいました」 

 しょんぼりとする館長にMはメモを取りながら続ける。

「全ての配置が決まったのはいつですか?」

「一週間ほど前です」

 MはちらりとNに視線を送るが彼はじっと目を閉じて聞いているだけだった。

 館長が言うには開発途中の小さな町であるため、高額なセンサー付き防犯機器なんかは導入できていなかった。故に警備員を倍にすることで対処しようとしていたらしい。

 館内への入り口は四つ。正門、西門、東門、そして従業員が出入りする裏口だ。

 設置されている監視カメラには、怪しげな男たちが絵を持ち出している瞬間が捉えられている。

「カメラに映っていた男たちは変装とか? その、従業員や職員に……?」

「いえ、ただ覆面を被っていました」

「M、取りあえず現場を見よう。館長、案内してくれ」

 Nが立ち上がると、それにつられて館長も重そうな腰を上げた。

 館内の半分のスペースを使って行われるこの企画。大きなホールの壁一面に名画を張り付けて鑑賞予定だったらしい。

 そして一か所だけ寂しそうに絵が外れている所があった。

「ホールへの出入り口は二か所、あそこから絵が運ばれて飾られて盗まれた。扉の警備員は二人。そして監視カメラ……」

「外は大丈夫だから館内をおざなりにするとは……呆れたね」

「こらN」

「失礼、館長。本音が出てしまった。いくら開発中で田舎の美術館とは言っても警備態勢がずさんさ過ぎる。まるで今日の遅刻のようにね」

「本当はまだ根に持っているだろ」

 Mがつめ寄ってくると、Nは口笛を吹いてそっぽを向く。

 何とも分かりやすい。

「まったく。まあいい。館長、それで出入り口の警備員なんですけど、犯人が忍び込んだ時にはいなかったんですか?」

「施錠だけだ。扉は閉めているから出入り口の警備は開催当日でいいと思っていてな」

「だったら問題は外だろう?」

「いやN、俺は中の方だと思うね。外は警備が厳重すぎる。そりゃ人員が増えたと言っても建物が大きいから穴はあるけど、それをカバーできるように配置されている」

「たとえば?」

「美術館の外には庭園があって、そこに警備兵がいる。けれどこの建物の周りを巡回している警備員もいて、出入りするためにはつまり二回か三回はかいくぐらないといけないってこと」

 Mは館長から受け取っていた警備員の配置図と巡回ルートを見せながら言ってくる。

「少なくとも出る時は絵を持っているんだから難しいだろう。犯人は二人だから、両手がふさがっている状態だし、外から警備員の配置を把握するのも難しいだろう」

 Nがスマホを肩と頬に挟んでみたが、それは「これじゃ絵を持てない」とするゼスチャーだった。

 入る時は一般人に扮していればいいのだが、外の警備員の目をかいくぐってどうやって脱出したのか……。

「なるほど。巡回ルートも増員も最近で犯人たちは以前の情報を当てに出来ないって事だな。警備員の中に裏切り者でもいなければ」

「Nさんバカな事を言っちゃいけません。ちゃんと身元を調べて雇っているんですよ」

「そのくらい館内のこともよく見たほうがいい」

「うっ……」

 Nはぐるりと辺りを見回すと、歩き始めた。炎天下の中だからか少し足早だ。

 Mと館長は何も言わずに着いて行くと、Nは顔を上げて辺りを見回した。

「この辺りの工事現場から地下に続く道があったりは?」

「無いですよ。大理石の床で厚さ五十センチ、さらにその下はコンクリートですから掘ろうにも掘れません」

 館長が肩をすくめると、Nは「ふむ」と言ってそれからもう一度周りを見渡す。

「この美術館と庭園、通りからは丸見えだな。柵で囲われているだけだ」

「まあそりゃそうです。なにせ立ち寄ってもらうために中が見えないのでは入りにくいでしょう?」

 何を今更とあきれ気味の館長が言う。

 Nは一人で頷くと。

「なるほど。犯人は分からんが、出入りした経路なら分かったぞ」

「ほ、ほんとかいN!」

「ああ。まあでも仮説段階だ。今から実証しに行こうじゃないか」


「何て言い出すから、こうして現場じゃなくて近くの工事現場見てるんだろ」

 Nは首を振ってやれやれと示してみるが、Mはじっとしたままだ。

「それにしても工事現場なんて……うるさいだけじゃないか? ほらこう、いろんな音が混じってクラシックみたいな……いや違うか」

「ああ、違う。この雑音とクラシックを同じにするなんて、Mの耳はおかしい」

「だから違うって言ってるだろう」

 Mは何度目かも分からないため息をつく。

 すると、不意にNが立ち上がった。

「聞いたかM! 今の音を!」

「音? 音って工事の?」

「ああ。考えた奴は何とも頭のいい人間だ。まあ僕よりもバカではあるがな」

「どういう事だい?」

「いま向こうの水道管を工事している作業員、そしてあっちと、向こうの奴。んでもってその通りの右にいる作業員が犯人の一味だ。あとは美術館の裏手にもいるだろうな」

 そう言い切ったNにMは首をかしげる。

「一体どういうことだい?」

「モールス信号さ。この雑多な音の中に規則的な音が混じっている」

 Mは耳を澄ませてみるが全く分からない。いや、何所に何が混じっているのか見当もつかなかった。

 しかしNは現在巡回している警備員を目だけで追いながら続けた。

「美術館内にいる窃盗仲間に、警備員の配置を知らせるためのものだ。今もこうして目の前にいる作業員の出す音を聞くと、庭園を回っている警備員の位置と合致する」

「それじゃあ今すぐ警察に……」

「ああ、行ってきてくれ。調べればすぐにぼろが出るはずだ。僕は暫く館内で涼んでおくよ。頭脳労働は終わったからね」

「犯人は?」

「あいつらから聞きだせ。僕はもうクタクタだ」

 フラフラになりながら室内に入って行ったNを見送って、Mは急いで館長の元へとかけて行った。

 翌日。

「おいN、昨日の美術館の事件載ってるぞ。君が言った通り、あの作業員は犯人の一味だったそうだ。館内に入った犯人も逮捕されたそうだが……」

「だが?」

「計画を立てたのはこいつらじゃないそうだ」

 ギシッと椅子に深く腰掛けたNはニヤリとして目を細め、開いていた本を閉じた。

 それからテーブルの上にあったコーヒーカップを手にして口をつけると一口すすって、長くため息をつく。

「やっぱりか……手段を隠し、なおかつ直接現場で動く輩を少なく配置する手口。しかも手段だけ教えて我先に消えるとはね」

「他に首謀者がいるってこと……でいい? あとそれ俺のコーヒーだからな」

「固いこと言うなって。素晴らしい相手が出て来たんだ、楽しみだろう?」





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る