探偵Nと相棒Mの料理教室

 Nは今窮地に立たされていた。

「なあM、どうしてこんな事をしたんだい?」

 隣に立つ相棒Mは肩眉を上げると、鼻を鳴らして腰に手を当てる。

「君が少しでも真人間になるためだよN」

「真人間だって? おいよせN。エプロンつけて包丁を持つ探偵が、真人間?」

 そう、NとMは今都心部にある料理教室に来ていた。

 Mは難解事件を解決するために手伝ってくれとNに頼み込み、その内容を聞かなかったNは意気揚々と着いてきたのである。

「ああ、真人間に見えるね。少なくとも……朝から酒とアダルト雑誌を読んでいて、天井に銃をぶっ放すような奴には見えない」

「帰る」

 一言、言い放ってNはエプロンを脱ごうとするも、Mが慣れた手つきで止めに入った。

「まてまて、これは俺のためでもあるんだよ」

「Mのため? それはどういう事だい? 料理教室がMのため? 分からない」

 前をぱちくりとする探偵Nはその思考で解決しようとしたのか、じっと黙りこんでいしまうも。

「分からない」

 数十秒してそう結論付ける。

 料理教室は今どきといった感じで、若い先生に二十歳後半から三十代半ばまでの女性で構成されていた。

 会話が途切れない当り、友達連れが多い。

 その光景を見て

「本当に分からない。答えは何だM」

「正解は、俺の負担が減るから、さ」

「負担?」

「そうさ。俺がいつも食事を作り、掃除をし、洗濯をしている。男のパンツを洗う気分を君は知っているかい? そりゃ同性愛の人とならいいけど、俺は違う」

 つまるところ、この料理だけでもNにさせようとMは連れ出したのだ。

「ふん、どうせ、若奥様がお目当てだろう? Mは的が広いからな」

「んなわけあるか!」

 料理教室が始まり、二人は言われたとおりに作っていく。

 Nはブツブツと文句を言っているが、その手つきは朝から酒を飲んでいたからか、全くと言っていいほどおぼつかなかった。

 逆にMはテキパキとこなしていき、名も知らない女性と仲良しになっていた。

 そしてNの話が一段落すると。

「彼女独身だってさ」

 Nに耳打ちする。

 しかしNは作業を続けながら。

「左手薬指に新しい指輪の後があるぞ。それに高級バッグとイヤリング」

「バッグとイヤリングなら今の時代高い物を身に着ける女性も多いぞ」

「かもな。だが靴の汚れとズボンの裾のほつれがある。これは自分で買ったものだろうな。金持ちならここまで気を使うはずだ。つまり、小物を送ってくれる男はいて左手に指輪の後がある」

「離婚した直後かも」

「だったらこんな和気あいあいとした所にはこないだろう? もっと落ち込んでいる方が自然だ」

そこまで言うとNは無造作に手をMに差し出した。しかしその視線は自分が作っている「何か」に向けられている。

「N、なんだいその手は?」

「砂糖を取ってくれ。見ての通り僕は忙しい。女性と話している君とは違ってね」

 仕方ないとばかりにため息交じりに、Mは周囲を見渡しそれから背伸びをする。調味料全般が上の棚にしまっている。なんでもGが出たのだとか。

「これか、ほら、重いから気をつけろ」

 一度Mは砂糖を相棒に渡したが、すぐに気が付いたように。

「いやいやN。今日の調理では砂糖は必要ないだろ」

 外見が全く一緒のMは間違えて渡してしまってから気が付いた。

「おっと、間違えた。塩だな」

そうぼやくNの肩越しからMが顔を覗かせる。

「いったいNは何を作っているんだい? 本当に先生の指示通り?」

「これか? これは……」

Nは一度顔を上げて周りの参加者の手元を見る。それから先生が持ってきた作り方の用紙に目を落としてそこに描かれている写真と自分の物を比較した。

「さあ僕にもさっぱりわからないな。君にやろう」

「いるもんかそんなもの!」

 Mが声を上げると同時に、チャイムが鳴り、一旦休息となった。

 調理場から退散して、別室で休息を取るのだ。

 ロッカーが置かれ、四角いテーブルが幾つかと椅子があるだけの休憩室。ビルの外から眺める景色はいいが、Nは隅っこで座っているだけだった。

「ほら飲めよ」

Mがコーヒーを手渡すと、Nは一口ずずっとすする。

「来たくなかった。謎なんてないし、それに君がこんな人間だとは思わなかったね。詐欺だよ全く。たちの悪い詐欺だ。いや、詐欺が立ち悪いのは当たり前か」

「だったら今度から自分で料理する? 俺はそれならいいけど」

「僕はごめんだ」

 ともう一度カップに口をつけるN。

「それじゃあこの教室のことを役に立てて」

「でも料理はしたくはない」

 Mが皆まで言いきる前にNは即座に口にする。そこには一歩も譲り気はないとばかりの信念が籠っていた。

 休息が終わるまで残り十分。

 何人か調理場に戻ろうと腰を上げて動き出した時。

「きゃあああ!」

 その方から悲鳴が聞こえてきた。

 とたんにNは放たれた矢のように休憩室を飛び出し、そのあとをMが追う。

 調理場には悲鳴を上げた女性と、もう声を出すことのない女性がいた。

「これは一体……」

Mが戸惑った顔絵を上げると、

「こ、この場所に来た時にはもう死んでました! 私じゃありません!」

 とっさに悲鳴を上げたポニーテールの女性が声を上げる。この状況では自分が疑われても仕方ないのだと認識しているらしい。

「あー。落ち着いてください御嬢さん。とにかく警察を呼びましょう。俺達は何も疑ってないですよ。なあ、N」

「そりゃそうだ。捜査の基本は第一発見者を疑えだが、僕はそんなことはしない。先入観が邪魔をする」

 目を輝かせながらNは床に転がる死体を見つめた。

 被害者は女性でこの料理教室の生徒だ。頭部からの出血が床を赤色に染め、大きく見開かれている目にはもう光が宿っていない。

 警察が来るのを待ち、それからしばらくすると、やっとのことでNが捜査に加わる。

「鈍器みたいなもので一撃で殺されているな。ふむ、床に散らばっているのは砂糖か……上の塩と間違えて、手にしていたところをやられたか」

「これ……作業に集中している時に襲われたって事?」

 MがいうとNは頷いた。

 だが、Nの表情は僅かに険しい。周りを見渡しては死体に視線をもどす。

 挙動不審のNにMは腰に手を当てると。

「どうかしたのかい?」

「いや、鈍器が凶器なのか、と思ってね」

「警察の見解でもそうなっている。固い物で一発だとさ。まあ、あり得る殺し方ではあるね」

「いや、あり得ない」

 Nはとっさに自分の中にある靄を吐き出すように首を横に振る。

「M、ここには凶器になりそうなものはいくらでもある。それこそ包丁なんて代表的だろう? でも犯人は鈍器を使ったんだ」

「まあ確かに殺傷能力で言えば刺した方がいいな」

 Nの言葉を聞いたMも僅かに違和感を感じた様に額に皺を作った。

「で、その鈍器は見つかっていないってことでいいんだろう? 警察が見つけていれば指紋でもとって既に事件は解決だからな」

 Mが無言で頷き、Nは死体を見下ろす。

「また凶器さがしか」

「それが終わればすべて解決?」

 Mが尋ねるとNは首肯する。

「ここの料理教室は手袋をしないからな。触った物には必ず指紋が付く。特に用意周到に計画されていなければの話だけどな」

 それからMは鑑識が調べ上げた物を聞いた。被害者の近くにある鍋にフライパンにもちろん刃物類まで。

 犯人は第一発見者の女性とみて間違いなさそうだが、彼女が犯人である証拠は何一つ見つかっていない。衣服にも飛び血なんか付着していなかったとのことだ。

「Nはほんとに彼女が犯人だと思っているの?」

「……可能性でしかない。第一容疑者だしな」

「でもさっきそれは先入観を招くって……」

 戸惑うMはさっきの会話を思い出してみる。

 しかしNはなんてことないとばかりに肩をすくめると。

「今回は可能性の問題だ」

「それはいつでも当てはまると思うけど?」

 突っ込みを入れるMだがNはすでに聞いていなかった。こういう性分なのだ。

 とりあえずMは警察から聞いていた被害者の情報を伝えようとメモ帳を開くが、すかさずNから止められた。

「人物関係はいまは必要ない」

 しかし、思ったよりも推理は難航していた。考えてみればここの調理器具には今まで使った人のも含めてべっとりとした指紋があって、容疑者の女性が使ったものもいくらでもあるからだ。

 それに飛び散った血によって調理器具に血痕が付着していても決定的にはならなかった。

 調理器具に着いた血痕、指紋のある調理器具。だが該当する者が多すぎて証拠になりそうなものが役に立たない。

「ふむ。M、彼女の……被害者の持ち物を持ってきてくれ」

 人使いが荒いのを重々承知しているMは何も言わずに足早にロッカールームへと向かった。

「几帳面すぎるな」

「そうかい?」

「バッグの中身もそうだったが、被害者は凄く几帳面だ。手帳、スマホのカレンダーに同じ予定を書きこんでいる。それにバッグの中には折り畳み傘があった。でも同じガラの傘が入り口にあったのを覚えている。二つ持っているってことは、臆病で慎重で、あるいみ几帳面だ」

 Mはそれから調理の際に使われた彼女のメモ用紙を一瞥した。そこにはびっしりと線が引かれ、コメントも書き込んであった。

 間違えそうな箇所は特に、ぐるぐると囲んである。

 Nは自分の手を見つめ、何かを思い出したかのようにハッとすると。口の端を吊り上げ、それから調理中の作業台をみた。

「ああそうか、彼女は砂糖を手にしていないんだ」

「ここまで几帳面で臆病な彼女が『砂糖』を手にしているはずがない。いやもしラベルを確認しただけなら指紋は着いているが……同時に犯人のもついているはずだ」

 目を輝かせるNにMは眉根を寄せる。

「僕にはさっぱりだね」

「凶器は砂糖だよM」

「は? 砂糖? まさか砂糖で殴ったとか言わないだろう? さすがに殺せないと思うぞ。瓶に入っているならまだしも、見ての通り袋だ」

 戸惑うMにNは別の砂糖の棚にあった砂糖を取り出してきて、投げてよこした。

 それをキャッチしたMは思わず目を見開く。

「こ、、これ凄い硬さだ!」

「鈍器はそれだよM。被害者の傍に落ちている袋を調べると犯人の指紋は出てくるはずだ。もちろん、今日ここに居る人間の指紋はないだろうけどね」

「そうか、殴った後はバラバラになるし、血液と混ざれば融解するから気付かないってわけか」

「おまけに砂糖と塩は酷似している。棚は上にあるからそれを調べようとして滑って事故死、なんてのも考えていたんだろうけど……まあ調べればわかるさ」

「分かった。すぐに伝えてくる」

 NとMは報告を終えた後、すぐに帰路へと付いた。

それから受け取った情報によると、料理教室の先生も教室をする気はないとのことだった。現場の調理場も洗浄後に別の用途として使われるらしい。

「それに犯人はやっぱりあの女性だったそうだよ……おい、聞いてるのか?」

 Mが読んでいた新聞の上から顔を出して、無反応はNを見つめる。

 暖炉の炎が弾け、ゆらりとした影が部屋に踊る。

「ああ。でも興味ないね。それよりも……あの方法を思い付いたのは彼女なのかどうかってところだな」

「もちろんそうだろう? だって殺したのは彼女だ。他に誰が思いつく?」

 あっけらかんとするMに、しかし納得いかないと言った様子のM。

 ソファーに座ったまま、読みもしない本の背表紙を撫でていて、別世界でも覗いているようだったが。

「ああ。Mの言う通り考えすぎかもな」

「でも君から考えることを取り除いたら何も残らないけどね。ほら結局俺が全部やる事になったし」

「君は頭を動かさない分体を動かせって事だ」

「そんなことない。俺だって時々は……」

 と言葉を辞めたMはスマホを取り出して、画面を見せつけてきた。

 それは今はやりのSNSだ。誰でも簡単に呟くことが出来て動画も写真も乗せることができる。

「なんだこれ?」

「若者の間て流行っているサービスさ。俺とNのアカウントを作ってみたんだけど、既に数百人が見てくれている」

「それはすごい。じゃあ彼らに頼んで酒を調達してもらおう。安いのでいいからさ。なあに活動内容を見せてる見返りだよ」

「N……」

 あきれ気味のMは取りあえずこのやり取りも、呟くことにした。






 

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