第2話

「警部補さんは、無差別殺人だと思っておられるのでしょうか? 僕は違うと思います」

 この男――、

「無差別では、面白くない」

 見かけ通りか。

「というのは冗談ですけど」

 こちらの顔色を見てすぐ言い添える。付き合っている暇はないと追い返すために一歩踏み出そうとして、足元にまたもや例の問題児がいることに気付いた。こいつらは上手いこと死角から接近してくる。捕まえようと手を伸ばすが、するりとくぐりぬけ、胸を張って言い放つ。

「無差別にしてはちっちゃいんだ! とジュリアンは言いたいんだと思うわ」

「おや、もしかしてお出迎えかな?」

 優男はそう言いながら彼女を抱き上げると左手の甲に軽くキスをした。

「ずいぶんと早かったのね。歌姫のお話は聞けた?」

「警官がうろうろしててなかなか思う通りにいかなかったから」

「あら、それですごすごと帰ってきたの?

 挑発的な少女の言葉に護衛ナイトは上手にウィンクする。

「被害者の身元、友人三人との関係、この街での噂を少々。短時間にしてはよくやった方だと思うけど?」

「成果によっては褒めてあげる。けど警部補さんが頭のてっぺんから火を噴かないうちにさっきの話を進めましょう」

 まず、とセイラは右手の人差し指をピンと立てた。

「無差別を考えるなら、ホテル側か、警察にそういった犯行声明は届いているのかしら? ……その顔じゃないようね。それにたかが一人なんて、やるなら複数人。死ぬような毒でなくニ、三日寝込むぐらいのものにするんじゃない? 次はこうはいかないぞってね。そうなれば捕まったとしても脅迫と傷害で済むもの。状況によってはホテル側はこの話を警察に通報しないまま進めることだってできる。金が目的ならね。ホテル側にダメージを与えるってのでも殺すまですることはないし、大勢の方がいい」

 少女の話に思わずうなる。自分の考えとほぼ同じ経路をたどっているのだ。

「と、なると。ある特定の人物を狙ったもの。それ以外の人間には興味がなく、そして対象を殺害しなければならないほど切羽詰まっているか、憎んでいるか。とにかく死んでもらわないと困る。そうでしょ? しかもこの香り。噂の【甘い毒】ロクームが使われている」

 流れるような少女の説明を今度は男が引き継いだ。

「【甘い毒】ロクーム。長ったらしい正式名称は置いといて、マロンの甘い香りがする無味無色の致死性のかなり高いものだ。古来より毒殺の代名詞として用いられている。今回のメニューの中にはモンブラン。当人が気付くはずもないでしょうね」

 いつの間にかジュリアンを追いかけていったはずの部下が戻ってきていた。苦虫を噛み潰したような表情で歌うように語る男を睨みつけている。本人もわかっているのだろうが、口を挟む暇を与えない。彼の独唱曲アリアは続いた。

「さて、ここで問題なのが、本当に件の女性がその対象だったのか? また毒はいつどうやって混入されたのか?」

 真っ直ぐテーブルの上にある、食べかけのモンブランを指した。

「警察の方でも調べていらっしゃると思いますが、ここのモンブランは目玉商品。しかもいくつも食べられるようにと小さい他のケーキに比べて、これは二倍の大きさがある。お友達と一緒に来られている方は、だいたい半分ずつにして食べることが多いですね。むしろそれが推奨されていた。なるべく多くの人に当たるようにと」

「私は一口ずつジュリアンとクライドにあげて、残りは全部食べたけどね!」

「えっ? セイラあれ食べたの? 騒ぎになっていたあとだったろ?」

「うん。でも二人とも食べてたし、あんなおいしそうなの目の前にして我慢するなんてできないもん。ジュリアンを待ってる間に残りのケーキ全部食べたよ?」

 ナイト役の彼はお姫様を叱るわけにもいかず、持論から行くと入ってる心配はないとは言え、あたることなくよかったという複雑な感情を抑えるのに一分ほど時間を要した。

「とにかく、そこら辺のお話を詳しくして差し上げたいのですが、ここで始めますか? それともどこか別の場所へ移動しましょうか?」

 完全に彼のペースに乗せられてはいるが、先ほど気になることを言っていたので話は聞きたい。どうするかと悩んでいると、警官が一人やってくる。

「警部補、毒瓶が見つかりました」

「なにっ?!」

 毒を仕込むにはそれなりの準備が必要で、なおかつ運搬用の容器を始末しなければならない。そこまで考えてことに及んでいると思っていたのに、まさか毒瓶が見つかるとは予想外だ。

「気をつけてくださいね、警部補殿。瓶が見つかった相手をそのまま疑うなど愚の骨頂」

「そうそう。罪はなすりつけるためにあるのよ?」

 笑いながら言う二人をエグバートはじろりと睨みつけ、咳払いをして尋ねた。

「誰のからだ?」

 やってきた警官は身体検査をしていた一人。荷物か、洋服のポケットか。どっちにしろ問題は持ち主。

「それが――」

 彼は変な顔をして、ちらりとある方向を見た。

 そちらにいる彼がきょとんとした顔を返してくる。

 と、知らせを持ち込んだ警官の後ろからお嬢様の保護者片割れが、灰色の髪を揺らして現れた。前髪に隠れそうな二つの瞳が細められ、ジュリアンを見つめている。

「レノックス様ですよ。貴方の鞄から」

「えーっ! ジュリアン殺人犯だったのー?」

「そりゃ困った。ナイトから容疑者へ一気に転身だなあ」

 なんとも緊張感のない男である。

 

 

 死因は毒物による中毒死。モンブランの上に乗っているマロングラッセや、その下のマロンクリームにも混入していた。嚥下し、胃酸と反応を起こすと、さらに甘い香りがする。甘い香りとともにガスが発生し、それが胃壁から吸収されて中毒を起こす。酸と反応しなければ無害であり、皮膚から吸収されることもないため使いやすい毒ではある。相手の口に入れることさえできれば。

 もともとごく微量で死に至るため、今回使われた量も数滴程度だったようだ。

 被害者はクリスティーヌ・チェスター。二十一歳女性。この春に結婚が決まっており、警察署で婚約者が暴れるという一幕もあった。

 クリスティーヌは友人三人とこのバイキングに午前十二時に来店した。問題のモンブランが出来上がったのが十二時半。待っていましたとばかりにモンブランの列に並んだらしい。

「そこで登場するのがあんただ」

「ジュリアン・レノックスです。ジュリアンと呼んでいただいてかまいませんよ、警部補」

 本日二度目の自己紹介。犯人として疑われているというのに、彼は自分のペースを崩すことなく笑顔で振舞う。場所を、殺人現場のホールからホテルの一室に移していた。低いテーブルを挟んでソファーに座る。ジュリアン、セイラ、クライドと三人は仲良く並んでいた。

「で、あんたがその三回目のモンブランを取り分けたときの話だ」

「ええ。セイラに頼まれて八回目のお代わりを取りに行ったときのことです」

 あの小さい身体にどれだけ入るのかといったことは、聞かないでおく。突っ込みどころがありすぎて尋ねる気にもなれない。

「ちょうどモンブランがやってきて、僕とセイラが一番前に並ぶ形となった。モンブランはなかなかに人気者で――もちろん僕には敵いませんけどね。まあ、可愛らしいお嬢さんたちが少々目の色を変えて突撃してくるんですよ。このままでは起きずとも済む熾烈な争いが僕の眼前で繰り広げられるのかと思うと胸がつぶれそうになったために――」

「余計なことはいいから簡潔に話しちゃもらえないですかね、レノックスさん」

 堪えきれずに低い声で言うと、少しだけ目を丸くして了解と話を進めた。

「まあ、ちょっとその勢いが怖かったんで、僕が給仕よろしく順番にお嬢さんたちに配ることにしたんですよ。もちろんセイラの分はきっちり取っておいてね。彼女が僕に新しい皿を差出し、僕がトンクを使って乗せてモンブランに群がるお嬢さんたちに渡す。一度に出てくるモンブランの量はちょうど五十個。件のクリスティーヌ嬢は結構後ろの方にいたので、僕らも配り終えてテーブルへ戻り毒見を済ませた頃に例の騒ぎです。モンブランはだいたい手前から順番に。規則的というわけではありませんが、普通に取って渡していましたよ。同席していた女性がもう一人いらしてましたね。彼女の方がクリスティーヌ嬢より後ろに並んでいました」

「よく覚えてらっしゃる」

「女性のことですので」

 胸を張って答えるジュリアンの横で、セイラが頬に手のひらを当ててその様子を楽しそうに見ていた。

「となると、他の人間があれに毒を仕込むことはできず、先ほどのあんたらのご高説だと無差別殺人ではない。――拘置所に行こうか?」

 腰を上げる仕草をすると慌てたようにジュリアンが両手を前に出し押し留める。

「警部補殿、少々、気が早いかと。僕の鞄に毒瓶を入れるのは、あのときの混乱を考えれば結構簡単ですね。席の側に置いてありましたが、警察が来るまでの間ずっと見ていたわけではありませんから。問題は、なぜ僕の鞄なのか、ですよ」

「それはあんたから見た状況だろう? こちらから見れば単純明快。毒瓶を始末する暇がなかった」

「それはないでしょう。僕は貴方の部下を巻いて、ホテル内をうろついていたんですから」

「肝心の毒瓶を始末し損ねるとは、ずいぶんと間抜けな殺人犯だなぁ」

 平行線のまま交わることのなさそうなこの話に終止符を打ったのは、やはりセイラだった。

「ジュリアンがやったというなら動機は? 無差別でないなら動機が必要だわ。クリスティーヌに限定はしない。あの【甘い毒】ロクームを使って殺そうと思う相手は誰?」

「そうそう! 自慢じゃないが僕がこの街に来たのは初めてだ。なんなら入国許可証を調べてもらってもいい」

「……あんた、ガードラントの人間じゃないのか?」

 大国ガードラントに他国の人間が入るには、必ず許可証がいる。さらに国の中の一つのエリアを越すたびにそれなりの手続きがいるのだ。それは記録として残る。

「ええ。だからかなりはっきりと僕の足取りはわかるはずですよ。それとクリスティーヌ嬢の旅行履歴等を調べれば、接点がなかったら僕は晴れて無罪放免」

 側に控えていた部下に、彼の差し出した入国許可証を渡す。十分ほどでわかるだろう。

 確かに今までの態度を見ると、彼が本当に犯人ならば迂闊すぎる。この男のことだから、それが作戦の一部である可能性を消すことはできないが、だからといって、彼だけに絞って捜査を進めるのも危険だった。ひとまず結果が出るまで他へ目を向けることにする。

 そうなると怪しい人物が限られてくるのだが、いつどうやって毒を仕込んだのかがわからなかった。

 もしトンクに毒を塗ったのなら、次のケーキにも毒が付いていなければおかしい。元から入れられていたとしても、毒入りモンブランを触ったトンクで次のケーキを触ればほんの少しでも移る。報告書によると、毒はモンブランの表面にも付いていたのだ。鑑識がそれを見逃すはずがない。

 そして何より、トンクにもトレーにも毒の反応はなかった。

「さて、結果が来るまでせっかくですから僕がとある客室係のお嬢さんに聞いた情報を警部補殿にも聞いていただきましょうか」

 もちろん、セイラに聞かせることが第一目的だ。

「裏づけはそちらで取っていただければいいのですが、クリスティーヌ嬢を殺す動機があったあの三人の話を」

「わーい。聞きたかったの、それ!」

 付き合っている暇はないと怒鳴りそうになるが、部下が優秀で実はある程度出揃うまで時間はあった。後をつけていた警察を巻いて聞きだしてくるような男の話には少し興味もある。

 反対意見が出なかったので、ジュリアンは嬉しそうにまずはと指を四本立てた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る