それはどこか、寒参

キジノメ

それはどこか、寒参

『今宵の月は、美しいですね』

天からの声に、僕は緩く頷き窓を開けた。カーテンから漏れていた光はより一層強まり、部屋中に月光が零れる。中心にあった陣が、風の音を立て光りだした。

『強靭、けれど終わりを迎える魂を回収するには良い日です』

陣の中に立つ。月の光は目に強く刺さり、毎度のことなのに目をつぶってしまう。

 途切れた神の声に祈りを捧げる。身体が溶けるような感覚には、とうに慣れてしまった。


 革靴の底が土を踏む。体感的には長かったが、傍から見れば一瞬の移動なんだろう。ずっと瞑っていた目を開けると、いつも通り拝殿がそこにはあった。上を向けば鳥居があるのだろう。この神社の、鳥居の下。それがいつも僕が人間界で降り立つ場所だった。

 月の明かりだけが照らしているこの場を見渡す。周囲を囲む木々は黒々と広がっている。そして月光すらも降り注がない、拝殿の影の中。いつも通り――1年ぶりだが――そこから鈴のような声がする。

「今年も今日だと思ったの」

賽銭箱から飛び降りる足が光の下へと現れる。すらりと伸びた脚は黒いハイソックスで隠されている。

 知った人物だから、そちらへ向かう。内心ため息をついた。いるだろうとは思ったが、いることを喜ぶわけにはいかなかった。

 少女が歩みを進めるごとに、姿が月光で露になる。ローファーに黒いハイソックス、プリーツスカートに赤いリボンのついたセーラー服。髪が伸びたのだろう、おさげにしていて、左目は眼帯をしていた。

「……今年も会ったね」

なにひとつ、喜ばしいことではない。そもそも僕は、この世で誰かと話しても得はない。けれど数歩先に立つ彼女は、赤い唇を楽しそうに歪ませた。

「ええ、お待ちしてたもの」

「いつ来るか、そしてここに来るかなんて分からないのに」

「あら、冬の間の満月の日、そのどこかでこちらに来ることは、あなたから聞いたから知っているわ」

「ああ、2年前に僕が口を滑らしたからね」

「おかげで狙って待てるようになり、風邪を引かなくなりましたわ」

「こんな夜中にお嬢さん、ひとりで出てくるものではないけどね」

「私、悪い子ですもの」

ふふ、と空気を震わす。魅惑な音を奏でる子だ。恐らくこのような子を、魔性というのだろう。けれど僕は彼女にそれを言わないし、きっと魔性と呼ばれる類であることを、彼女自身も分かっている。

「ねえ、今年は誰のもとへ行くの?」

「猫だよ」

言った途端、彼女の右目が少し曇った。上目遣いでこちらを見てくるが、僕は見つめたまま何も言わない。しばらく見つめあって、ようやく折れてくれたのだろう。彼女はもう一度笑って、腕を絡めてきた。

「あら、動物なんて珍しい」

「そうでもない。よくあることだよ」

「近く?」

「ああ。すぐそこだから、付いてきてもいいよ」

「言われなくても、そのつもりだわ」

たとえ遠くとも、あなたならね。

 じっと見つめられたが、するりと視線を外す。つまらないと言いたげにため息をついているのが聞こえた。

「もう4年目よ?」

「そうだね。君はさらに美しくなっていく」

「じゃあ」

と言ってさらに密着してきた身体を離した。

「それはなし」

階段を降り始めるも、彼女はすぐに隣に並んだ。

「つれないわ。女の子に嫌われちゃうわよ?」

「好かれる理由もないからね」

「彼女いないの?」

「いると思うのかい? この僕に」

「ええ。とても顔がきれいじゃない」

撫でようとしてきた手をやんわりどかし、僕は階段を降り切った。

「セクハラはやめてくれないかな」

「セクハラなんて言葉、知ってるのね」

「僕は勉強熱心だからね」



 着いた先は、寂れた公園だった。さっと周囲を見渡す。夜更けだ。シーソーもブランコも滑り台も空っぽで、人間なんて彼女を除いてひとりもいなかった。

「こんなところにいるの?」

セーラーの袖をさする彼女を見て、僕はコートを脱ぐ。それを羽織らせた。

「あら、ありがとう」

「風邪はひかないでくれよ」

「身体は強いわ」

それより本当にここに? と言われて頷く。

「いるよ。ほら、もう出てくる」

――と。

 公園に、寒々しい風が強く吹く。目を瞑らず見ていれば、滑り台の影から、すらりと猫が歩み出た。

 真っ白な、どこか神々しく毛並みの輝く猫だ。少し潰れたような顔はこちらをしっかりと見ており、青い瞳が月明かりに反射し、夜に光る。

「あら、ペルシャ」

小声で彼女が言う。どうやらペルシャという種類らしい。その知識は必要ないし、明日には忘れてしまおうと思った。

 彼女に動かないよう手ぶりで示し、猫の方へ歩く。そっと見た尾は予想通り、二股になっていた。

「……長年の時を過ごし、人智を超えようとする猫の魂よ。回収仕った無礼をまずは詫びよう」

改まり言葉を述べることが、僕らの慣例だ。背筋を伸ばして言えば、猫はその青い目で、ひたりと僕をみつめる。

『いいえ。そのような必要はないとも、死の使いよ。いささか私も、疲れたのだ』

猫の青い目が伏せられる。先ほどまであった神々しい様子が少し陰ったようだった。僕はしゃがみ、小さく頭を下げる。

「本当に、お疲れさまでした」

僕を異形なものと扱わないような態度に、堅苦しいのもどうかと思った。だから崩したのだが、猫は驚き目をあげる。

『……まるで人間のようにも喋れるのだな、死の使い』

「ええ。1年に一度、訪れているうちに」

『多い回数よのう。……そこのおなごは、貴様の連れか』

ちらりと振り返る。彼女は心底興味なさそうに、無表情にこちらを見ている。

「連れと言えば、語弊が生じます」

目線を戻すと、猫が少し笑っている気がした。

『まあ構わぬ。しかし使いよ、私は長い時間を過ごしたから知っておる。別の世界というのは、厄介ぞ』

「……そういうのでは、ありませんから」

本当に、そういうのではないのだ。

 そういうのであっては、困るのだ。

もう、会話はいいだろう。僕は猫に向かって手を合わせる。祈り? ――否、「いただきます」の合図だ。

「では、魂の回収を開始する。よろしいか」

口調を戻したから察したのだろう。猫は座り、尾をゆらりと振った。

『ああ。文句など何もない。楽しい生き様だったものよ』

いただきます。

 合わせた手をほどき、右手で猫の頭を撫でる。吸い込まれるように目を瞑った猫は、次の途端に粒子となって弾ける。僕の手の中には、青白い、片手で掴めるほどの魂が残った。

 それを口に押し込む。まるで氷のように冷たく熱いそれが、喉を滑り落ちる。こくん、と飲み込む。重たく冷たく熱い魂が、胃に落ちる。

「終わったのかしら」

口を拭いながら立ち上がると、彼女が小首をかしげている。頷くと、にこりと笑った。

「やっぱり魂を飲み込む姿、美しいわね」

「改めて言わせてもらうけど、変な趣味だね」

「もう言われるの、4回目だわ」

「毎年言ってるからね」

じゃあ神社に戻るよ、と言うと、右手にするりと手が滑り込んだ。僕は振りほどかなかった。ゆるく握り直した。


 神社の鳥居の下。行き来た時と、寸分違わず同じ位置に。これで目を瞑れば、僕は戻れる。

 寒さに思わず身体を震わす。そういえなコートを渡したままだった。

 声をかけようとした瞬間、ねえ、と言われる。彼女は僕のコートを着たまま、しっかりと掴んでいた。

「来年、返すわ」

「……来年もここの担当とは限らないんだよ」

「あなた、偉いんでしょう。どうにかして頂戴」

「厳しいことを言うねえ」

思わずくつくつと笑ってしまう。彼女もつられたように微笑み、そしてするりと言った。


「ねえ、来年こそ私の魂を持っていってくれる?」


僕は一瞬、目を瞑る。毎年、会った時から、言われていたことだ。魂、魂、魂――この子は生きていたい気が、ないらしい。

 彼女の顔は、眉が寄って歪んでいた。それでも顔は整っていて、きれいだった。

「……多分、無理だ。まだ君は、消滅する時ではないから」

「私、いいのよ。あなたのお腹の中でなら消えてしまってもいいの。それより早くこの世から」

「そんなことを言わないでくれよ。君はまだ、生きてるだろ」

強く否定すると、ぐ、と黙り込む。

 でも僕は知っていた。彼女がそう吐き出す理由も、早くと言う理由も。

 だから代わりに、おいでと手を動かす。呼ばれた犬のように近くへ来た彼女の頭を撫でた。

「――また、来年」

耐え切れず、初めての約束を口に出す。それだけで彼女は、泣きそうなほど顔を上気させ、微笑んだ。

「待ってるわ。このコートをきれいにして、待ってる」

満月が煌々と神社を照らしている。僕は彼女の頭に手を置いたまま、目を閉じた。



「無事、魂は回収したので?」

「した」

部下の言葉をさらりと流し、暖かい室内で資料を漁る。机の後ろにある棚のファイルを見れば、目当ての物はすぐに見つかった。

『黒林 みく ××××年誕生 重要度3 今後増大の可能性高 母による虐待 父のギャンブラー性 同学年によるいじめ それに対する本人の行動は……』

長々と書かれたその下に、僕の数年前の字で一文。

「本人の境遇はあまりにひどく、しかし生き続けている本人の魂は、……残り5年が限度だろう」

読み上げ、ファイルを閉じた。

 きっと、あそこまで耐えた魂はさぞ冷たく、さぞ熱く、さぞ重たいのだろう。腹をさすりながら、椅子に座る。

 それを僕は食べたいのだろうか。生きてほしいのだろうか。

 彼女の笑みが浮かぶ。僕は彼女を、なんとも思っていないはずだ。人間界に住む人間など、魂の回収場所にいて、ただ僕らの仕事を邪魔をしてくるだけだ。

 それでも、笑みが離れない。

 僕は来年も、あそこへ行くだろう。そして彼女に会うだろう。次に組まれた腕は、次に差し出された手は、次に見た懇願は……。

 僕は彼女を食べてしまうかもしれない、と思う。

 おいしいからではない、救済のために。

 それであの子が、救われるのならば、と。

 自分の仕事を乱用した考え方に、思わず笑いかけた。ああ、なんて僕は人間らしい考え方をしてしまっているんだろうか。

 自分を嘲笑っても、記憶の中の顔は離れなかった。


 彼女ともう一度会うまで、あと1年だ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

それはどこか、寒参 キジノメ @kizinome

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ