周りの理解と許容が大事だって改めて痛感した

 入り口で受付を済ませると、待ち構えていたボランティア(学生さんなんだって! 若ーい)がやってきて、一泊二日のキャンプをともに過ごす。

 普通の人なら「よろしくお願いします」とお互い自己紹介をするのだが、キャンプに参加する子は目の前にいるボランティアから視線を逸らしたりひとりごとをつぶやりたり飛び跳ねている。うん、らしいな。

 でもこの反応、機嫌がいいのか落ち着かせているのか見極めるのが難しい。


「ひろみちゃん。こんにちは」

 姉ひろみのボランティアさんがやってきた。


「ピザ!」

 目を合わせていないものの、ひろみはお姉さんに向かって言った。これは、いつもの単語を口にしているわけじゃない。お姉さんはひろみの言いたいことがすぐにわかって会話を続けた。


「この前ピザ食べたね。ウインナー。おいしかったね」

「おいしかったね。パンツ」

「買ったんだよね」

「買ったんだよね」

「ねえひろみ。お姉さんの名前覚えてる?」

「覚えてる」


 母上の質問をオウム返しする姉。「ナ?」とうながされ、義務的に「ナオスちゃん」と回答した。

 お姉さんと出会って「ピザ」と即答した時点でオレは安心した。お姉さんを覚えている。覚えているなら、もう一度関係を築き直す手間が省けた。

 ボランティアを警戒しては、せっかくのキャンプが楽しめない。


「きょうだい児にもボランティアはつくけど一人だけなの」


 受付の女性がオレに言った。


「先に受付に来た女の子と小ホールへ行ったわ。赤いドレスが目印だから合流してね」


 ドレス。キャンプで? 動きにくいだろう。

 もっとマシな目印があったハズだ。たとえばお面とか。とにかく熱中症で倒れてしまう前に合流するべきだろう。


 小ホールの方へ向かうと、建物の影でシャボン玉を遊ぶ子たちを見かけた。小学生くらいの子もいれば、高校生くらいの子も夢中だ。

 いいよねシャボン玉。大人になるにつれて離れるけど、いざ手に取ると楽しい。

 それにしても個性がでるな。強く吹き過ぎて液体を飛ばす子、容器を空にするために(そういう風に見える)せっせっとシャボン玉を生産する子、ボランティアに吹かせる子。


「ねー、ねー(バシバシ)」


 ぼんやり眺めていると、肩を強く叩かれた。痛い。手加減が一切ない。

 せめて声をかけて反応してしなかったら肩を軽く叩こうよ。


「は、はい。なんでしょう」


 中高生くらいの少女がオレをまじまじと見ていた。


「なにしよー?」

「見ての通り、何もしていない。強いて言うなら、眺めていたかな。ちょうど今きたばかりだし」

「みんな、シャボン玉してる。フーッて。あれ下手くそ」

「見ればわかる」

「はい。どうぞ」


 シャボン玉を差し出された。

 ここはシャボン玉で遊ぶ場所で、手ぶらの子を見かけたから持ってきてくれたのか。


「でも、いいのか? これ、自閉症の子の分だろう?」

「んんー?」


 その少女はキョトンとしている。オレの言っている意味がわからないようだ。

 しまった。その歳になって「自閉症」という言葉を知らないのは、親の教育のたまものだ。

 自閉症だからと接し方を変えず、普通の人と同じようにあつかったおかげで、この子は違いを意識していない。

 

「ところで君はシャボン玉をしないのか?」

「うん。ほら、これはきみのだよ」

「あ、どーも」


 さすがにないと思うが、もしきょうだいが使っちゃダメだったら、誰かが怒ってくれるだろう。

 ゆっくりと息を吐き、ぽこぽこと小さなシャボン玉が空へ飛ぶ。


「ちがうよ」


 オレのシャボン玉を見て、少女が否定した。


「え?」

「もっと大きく。ゆっくり吹いたらできるよ。フーッて」


 どうやら小さいとシャボン玉として認められないようだ。なんで自分でやらないの?

 不思議に思いながらも、次は大きなシャボン玉を目指す。


「ツーン」


 と、言いながら人差し指がやってきて、シャボン玉を割りやがった。


「うおおーい!」

「キャハハハ!」


 少女は楽しげに笑っていた。オレのリアクションが面白かったようだ。悪趣味である。


「君は割る担当か! もっと大きく膨らませたのに!」

「あはははは!」


 ねえ、ちゃんと聞いてる?

 からかうためにワザとシャボン玉を割っているのなら、性格が悪いぞ。でもこの子、意地悪してやろうとしているようには見えない。悪意がないのに人を怒らせるタイプだ。


「あー! ごめんねえ!」


 赤いジャージを着たボランティアがあたふたを駆けつけてきた。

 赤いジャージ。さすがにドレスはキツかったのだろう。


「ふー子さん。『トイレに行くからここで待ってて』って……『じっとしてて』の方がよかったかも」ボランティアはオレを見て「ごめんね。振り回されてなかった」

「気にしていないですよ」


 今のところは振り回されていない。もしかしてこの子は、仲良くなると図々しくなるタイプか? 今日がはじめましてなのに、よくわかったな。


「あのね、この子ね。シャボン玉が下手よ」


 この子、のところで肩を叩かれる。だから手加減して!


「下手ではないだろう。むしろ上手なシャボン玉ってなんだ?」

「シャボン玉が小さいし、大きくてもすぐ割れる」

「君が割るからだろ!」


 んんん? なんか、受け答えにズレを感じる。ヘンだなあ。


「ああ! 大丈夫⁉︎」


 後ろから叫び声が聞こえた。びっくりした。

 いきなり大きい声を出すから、周りにいた子が目元を押さえて固まったり、各自安心する言葉を唱えている。

 その中で、大柄な男子がうつむいてよだれを垂らしている。


「ほら! 見て! あの人が大きい声を出したんだよ。ああ! 大丈夫!」

「あの、いちいち肩を叩かないで。あと耳元で大声出さないで」


 足元に転がっている吹き口で察しがついた。おそらくシャボン液を吸い上げたのだろう。いちおう吸い上げないように穴は空いているが、その子は握りしてめいたから、穴を塞いだのだろう。

 持ち方を直すなり、液をつけて吹き口を渡すなり、注意深く見ていれば防げていた。

 いや、たとえ見ていても想定できなければ対応できない。少なくとも悲鳴をあげたボランティアは、信じられないと言いたげな顔で呆然としている。

 もし誤飲した子が小学生くらいの幼い見た目なら、もっと注意していたかといえば……怪しいな。


 過ぎたことをああだこうだ言っても意味はない。苦しんでいる子を放っている場合ではないのだ。うがいしたほうがいいよな。


 あ、ボランティアの背後に筋肉ムキムキのツインテールが立っている。

 大人でツインテールの人を現実で初めて見た。


「対処がおそーい!」


 シャララ〜ン♪

 ムキムキツインテールがハリセンを振り下ろした。

 おもちゃの電子音っぽい効果音が聞こえてきたが、そんなことより、ツインテールさんの気迫にみんなは意識を向けている。


「危険を予見して回避しろと朝の朝礼で言ったであろう! に何かあったら迅速に対処せよと念を押したハズだ。たった数時間前に伝えたのにもう忘れたのか! 貴様の耳はギョーザか!」


 めっちゃご立腹である。

 ボランティアなのに危険な目に遭わせるなど腑抜けている。言いたいことはわかる。

 わかるが今は説教よりシャボン液を飲んでしまった子のケアが最優先だ。


 オレにできることはあるだろうかと思考を巡らせた矢先、別のボランティアがプラスティックのコップを持ってやってきた。

 コップを受け取った子はその場でガラガラペー。そのまま手を引かれて行ってしまった。


 すごい。行動が早い。そしてなにより慣れている。ベテランさんだ。


「ところで、あのゴツいツインテールの人は……」

 オレの質問に赤ジャージのボランティアさんは答えてくれた。

「自閉症協会の会長で、なないろキャンプの主催者だよ」


 責任者! そりゃ誰よりも厳しく現場を見張ってて当然だ。


「自閉症は知的に偏りがあるからね。好きなものに一直線で周りが見えずに事故を起こす」

 赤ジャージさんはしみじみと言った。

「周りの人がどれだけ注意できるか。それが大事ですね」

「ふー子さんみたいにちゃんと言葉にできる子は少ないからね。行動パターンや表情をしっかり観察しないと……」

「ん?」


 …………あー! この子、自閉症か!

 だから、自閉症についてよくわからなかったわけだ。

 真相が見えると、会話のズレや悪意ない行動も納得がいく。


 オレは姉が自閉症ということもあって、他の自閉症の子を見たことがあるが、みんな会話が苦手だった。いや、苦手というより、できないのだ。

 好きなアニメのセリフを繰り返したり、ハミングのような声を出したり、それらの発声は一方通行で何が言いたいのか伝わらない。 

 自閉症を大きな赤ん坊に例える人もいるが、たしかに会話レベルがほぼ同じだ。


 自閉症はうまく喋れないから、本人も周りの人も大変だと思い込んでいた。

 だから、会話ができる自閉症を知らなかった。

 それなりに会話や意思疎通ができるのに自閉症と診断されたのか。

 へえ……?


 驚きの発見だ。しかしオレは、別のことでショックを受けていた。

 オレはこの子が自閉症だと気づくまで「ヘンな人」だと感じていた。思ったのではなく感じとった。それなのに、障がい者だとわかるなり、すんなり受け入れることができた。

 ふー子さん。ごめんなさい。

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