え、それ障がい関係なかったの?

 中学1年生の夏休み。部活に所属していない、塾や習いごとに通っていない。そんなオレは規則正しい生活を送っていた。

 夜更かししても昼の12時までには起床し、夏バテしないように夕食後もオヤツを食べ、集中力を鍛えるべく1日の3時間をゲームの時間に割り当てた。


 計画をたてて厳しい真夏日を過ごしているオレは、母上に叩き起こされた。


「ドン! いつまで寝ているの! そろそろ起きなさい!」


 時計を見る。9時10分。まだ9時過ぎである。いつもなら、もっと遅い時間に目を覚ましても激怒しないのに。わけもわからぬまま顔を洗い、台所へ行きオレンジジュースを飲む。朝にオレンジジュースを飲むのは健康にいいらしい。


「荷物はあれだけ? テントや食材は向こうが用意してくれんの?」


 留守番組の弟のフキョが母上に尋ねる。

 そうだ。今日からオレ、姉のひろみ、母上はキャンプに行く。玄関に鎮座している荷物が、以前家族で行った時より少ないから気になったのだろう。


「少年自然の家に泊まるわよ。宿泊施設だからテント不要。ご飯も向こうが用意してくれるわ。あ、ドン」母上は自分の後頭部をつつきながら「あと10分後に出発するから寝癖直しなさい」


 うそーん。

 夏休みになると時間にゆとりがあるので、オレは毎朝凝った朝食を作っている。今日はアボカドツナトーストを作る予定だった。アボカドをカットしてツナとスライスチーズをのせて……く、寝癖を直す時間がない。


「母よ。もう少し、早く起こしてくれてもよかったんじゃないか」

「昨夜、『明日はキャンプだから目覚まし時計をセットしておきなさいよ』って言ったわよ」

「覚えがない! ちゃんと返事をしていたか?」

「したわよ。鼻から息するような『ふーん』って気の抜けた返事。ゲームに夢中だったから生返事だったら承知しないわよって思っていたのよね」

「ビンゴ! 予想的中! その通りだよ! わかっているならゲームが終わった後に言ってよ!」

「なんでアンタのために夜更かししなくちゃいけないの? それより寝癖。この前みたいに、女の子がジロジロ見てくるから自分に気があると信じて声をかけたのに寝癖を指摘されて大恥かいてもいいの?」

「母ちゃん! その話は掘り下げないで!」


 ご飯か寝癖かといえばもちろん寝癖だが……それでもご飯は食べたかった。


「だいたいアンタはたくさん食べる代わりにたいして動かないのよ。安心しなさい。脂肪がついているから一食抜いたぐらいじゃ死なないわ」

「まるでオレが太っているみたいに言わないでくれ! 寝る前と起きてから腹筋と腕立て伏せをしてますケド⁉」

「でも、朝ごはんを食べないとうるさいからね。車で食べなさい。はい、茶わん蒸し」

「8月に茶わん蒸し……ってあっっち! チンしすぎ!」

「茶わん蒸しは栄養豊富で低カロリー。ダイエット食におすすめ」


 べつにダイエットなんてしていないけど……もしや、遠まわしに『お前、体型を気にしろ』というメッセージ? なんでキャンプ当日に教えるの? 遅いよ。


「大丈夫。肉がついてもいい男。肉がついてもいい男」

「自分で自分を慰めて惨めにならねーの?」

「おい弟。言葉を選べ。オレは打たれ弱いんだぞ」


 寝癖を直していると、弟の容赦ない声が聞こえてくる。


「ドンは誰にカッコよく見られたいんだよ」

「女性全般」

「迷惑。ボランティアさんが集中してお世話できねえじゃん。背景に溶け込んどけ」


 筋は通っているが言い方があんまりである。


 今日のキャンプは自閉症協会が開催し、参加する障がい児にはそれぞれボランティアがつく。

 オレの姉ひろみにも、ペースを合わせてくれるお姉さんがついてくれる。この前オレも会ったのだが、ひろみに動じず、むしろ親しげだった。ひろみもだんだんとお姉さんに心を開いていたから、きっとキャンプでもうまくやれるに違いない。


「ナオスちゃん。ナオスちゃーん!」


 ひろみがお気に入りのぬいぐるみを顔に寄せて叫んでいる。ニコニコで、これからキャンプでお世話になるお姉さんの名前を呼んでいる。よかった。心穏やかになってくれて。

 

 実は、昨夜のひろみはずいぶん荒れていた。なかなか怒りがおさまらず、ずっと吠えていた。「喚いていた」や「大声を出していた」ではなく「吠えていた」がしっくりるほど、凄まじく荒れていた。


 普通の人なら、愚痴をこぼしたりストレス発散をするのだが、ひろみは「みるくぼうや」、「みるみるちゃん」など単語しか言わない。

  怒っている時に「どうしたの」と近づくのは逆効果で、むしろ一人にさせたほうがオレたちも殴られずに済む。

 ところが我がアネキはルールに沿って動いているので、「隣の部屋に行ってきて」と言っても拒否される場合がある。

 特に夜は融通が効かない。夜ご飯を食べる時間を自分の機嫌がごときで変更できない。しかも「みんなとで食事したい」というマイルールがあるので、やむを得ずオレと母上がひろみと一緒にご飯を食べる。


 おい、ひろみ。吠える時はかならずオレに顔を向けるな。オレの顔は文句がないから、おそらくなんらかの行動が気に食わなかったのだろう。謝ってやるから事情を話してみろよ。

 だが怒りを言葉にするだけの知能はない。そして力加減もわからない。乱暴に食器を置いて、割りやがった。


「おでん三姉妹ぃぃ!」

「お前が怒るな! 片付けるのはこっちだぞ。あ! 食べるな。破片混ざってるから危険だって!」

「ぐ〜チョコランタン!」


 姉は、自分の食べる分を取り上げられると問答無用で激怒する。今回は危ないから食べちゃダメなの! もちろんひろみはわからない。一応説明してみるが、皿が割れたショックとハンバーグを最後まで食べられなかった悲しみで大粒の涙を溢している。


「ドン。ここで怒ったら悪化するだけよ。つられちゃだめ。これ以上刺激しないでおきましょう」


 母上は、大の字になってテーブルの脚を蹴るひろみに目もくれず、冷静に割れた皿を処理していた。

 その後ひろみはシャワーを出しすぎたせいで、節約家の母上にゲンコツを食らっていた。

 怒りというのは周りにも伝染する。だからイライラを長引かせると、周りにいる人の堪忍袋の緒が切れて殴られるのだ。


「もしかして、キャンプが不安だったのかもしれんな」

「だからってあんな怒るかよ。つーか、そもそもそんな理由で暴れてんじゃねーよ」


 フキョは舌打ちをした。障がいとは関係なく、不安や悲しみで怒り散らす人が大嫌いなのだ。

 もしひろみが喋れていたら「明日のキャンプが不安」と気持ちを伝えて、オレや母上は慰めてあげられた。少なくとも、あんな最悪なキャンプ前日にはならなかった。


「でもひろみは旅行やお泊まりは大好きなのに。あの怒り具合は異常だ」

「あ、わかった! 昼間に俺とドンでアイスの取り合いで口論になっただろ。ひろみは目の前で喧嘩されると精神が不安定になるからな」

「ただでさえ、明日がキャンプで緊張していたかもしれないのに。大人げないことをしてしまった」

「仕方なくね。俺たちまだ子供だし」


 オレたちが納得していると、母が割り込んできた。


「大丈夫よ。今日から月経が始まったから落ち着いたわ」

「…………」

「…………」

 

 え? まさかの生理前によるイライラでしたか。


「あんたたち、家族なのに知らなかったの? ひろみ、始まる直前は大荒れよ。キャンプ当日に始まってくれてよかったわ」

「1日目からキャンプって大変ではないのか? 頻繁にお手洗いに行かないといけないし、なにより生理痛で苦しむだろう」

「薬で和らげるわ。それにひろみの場合、始まる前の方が精神的にキツイわ」


 障がいだから感情がうまく表現できずに、怒りをぶちまけていたと思っていた。

 知らねえよ整理なんて!


「アンタたちも女性とお付き合いする時は生理周期を把握しておきなさい。いつもなら気にしないことでも逆鱗に触れるし、たまに吐くわよ」

「あ、はい」

「肝に銘じます」


 吐くって何⁉︎ 血を? 口から⁉︎


「それより行くわよ。フキョ、父さんをよろしくね」

「おう、任しとけ」


 我が家で1番しっかりしているフキョは、母上から頼られている。小学生なのに家事全般を覚えているので、我が家にカーストがあるならば上位だろう。


「お土産に何がいい?」とオレ

「キャンプでお土産? 特に期待しねーよ。楽しんでこいよ」


 ちょうどその時、玄関の閉まる音が聞こえた。時間になったからひろみが家を出たのだ。本当にあいつは時間に厳しいな。

 茶わん蒸しは車の中で食べるとするか……熱い!

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