世間はどれだけ障がいを受けいけてくれる?

 これは、姉ひろみが小学校に通っていた頃のエピソードである。


 特別支援学級で献身的にひろみの面倒をみてくれた男子がいた。「くのーくん」とひろみは呼んでいたが、苗字なのか下の名前なのか謎のままである。


 くのーくんはひろみより学年が一つ上なだけあって、しっかりしていた。……いや、この表現は違うな。特別支援学級の児童は「年相応」が当てはまらない。みんなは、同じ歳の子が普通にできることが難しい。だから、別の教室で、それぞれのペースで勉強している。


 で、くのーくんは、長時間勉強できないという特性を持っていた。一定の時間をこえると、頭がぼーっとして、文章や数字を読み取れなくなる。それ以外は問題ないので、コミュニケーションや生活面の支障はない。自分で考えて、意思を伝えたり、その場に適した行動をとったりできる。だからオレは、たんに集中力がないだけで障がい者と同じクラスで勉強できるのかと驚いた。


 くのーくんはある一点をのぞいて普通の人だったので、支援が必要なクラスメイトをサポートしてくれた。先生やクラスメイトは助かっただろう。

 それなのに、くのーくんをはたから見ていた普通学級の児童は、こう評価した。「良い人アピールしている偽善者」「自分より劣っている人に優しくして、自身の価値を見出している」。

 なにもしていない人に限って、心のない発言をする。だからくのーくんは激怒した。グーパンを振り回して、バカにしたガキの顔を腫れボッコにした。


 これで「障がいの子には親切にしよう」と気持ちを改めてくれれば良かったのだが、この一件で「くのーくんを怒らせるとヤバい」と彼の顔色をうかがう大人と子供が増えただけだった。

 たとえ自己満足でも、その親切で助かる人がいるのだから、他人は黙っていろよ。





「おーい円藤弟。昼休みまでに数学ノート提出すんだぞ。用事があるなら教室を出る前にノートをだせ」


 教室に戻るなり、総務の世間瀬が手首の腕時計を突きながら催促してきた。どうやらオレが最後の一人のようだ。昼休み終了まであと7分。待っていてくれたのか。


 彼はオレを「円藤弟」と呼ぶ。あの円藤ひろみの弟だから。そりゃあアネキは有名人だからな。それにしても、「円藤弟」って呼び方は、まるでオレがオマケのように聞こえる。姉がいてこそのオレなのか。


「ごめん、ごめん。お詫びに半分持つよ」

「まったく、なぜお前はしっかりしていないんだ」


 どうやら世間瀬の基準では、オレはしっかりしていないらしい。たぶん自分こそ真面目でしっかり者だと自覚しているだけに、世間瀬のペースを乱す人や相性が合わない人を「しっかりしていない」と判定するのだ。自分の意見は正しいと信じている人間こそ、他人に厳しい。


 世間瀬よ、お前は知らないだろうが、ひろみと一緒にいるだけでオレは大人たちから「しっかりしているね」って言われるんだぜ。

 まあ、世間瀬はまだ中学生になったばかりで、まだガキだからな。お前も大人になれば、わかる時がくるだろう。


「知っているか。蟻の集団ってのは、8割がせっせと働き、あとの2割は怠けている。じゃあ怠け蟻を取り除けば働き蟻100パーセント……とはならないのだよ」


 オレが豆知識を披露していても、世間瀬は鼻を鳴らすだけだった。


「英語の単語テストはほぼゼロなのに、雑学ばかり覚えているのか」

「こっちの方がタメになるものでね。もし、怠けものを追い払ったばかりに、頼りにしていた真面目な子がサボりだしたら困るだろう。つまり教室にだらしないヤツがいるのには、ちゃんと意味があるのさ」

「甘えるな」


 うへえ。切り捨てられたよ……。


「怠けている人の分まで動いている人をしっかり者と勘違いするな。みんながやるべきことをやれば充分なんなから、せめて最低限の協力はしてほしいけどな」

「あ、ウッス……」

「障がいのある人は、。でも円藤弟はどこにも不具合がない。世間一般では改善しない奴を努力不足という」


 オレは頭が悪い。宿題をしておきながら提出し忘れる。思いつきで動くのでそれ以外の約束事を後回しにする。


 先を見通して考える習慣がついていれば、「昼休みに3年のあっちゃんに会うから、その前にノートを先に渡しておこう」と動けたはずだ。

 でも、この程度のうっかりは誰にでもある。人によって、許せない人はいるだろうけど。世間瀬は目くじらを立てる気質だ。


 彼は相手のできない部分に着目しては、ダメ人間のレッテルを貼るから、無駄に腹を立ててばかりいる。損をしているよな。彼は障がい者のいない一般的な家庭で育ったから、普通とか完璧を求めるのだろうか。

 そういえば、兄は優秀だと風の噂で聞いた。


「ヨマセはオレのアネキを知っているよな。ひろみを知らない人に、なんて説明する?」


 職員室を出てあとは教室に戻るだけ。オレは尋ねた。


「……どんなシチュエーションだよ。思い浮かばないな」

 くっ。この頭でっかちめ。


「たとえば、君が友達とショッピングモールにいたとしよう。たくさんの人が行き交うなか、大きな声を出しながらピョンピョン跳ねているヤツがいる。おいおい、あれは知り合いのお姉さんじゃないか。納得している君の隣で友達が『なにあれ、宇宙人かよ』と笑っていた時、ヨマセはなんて言う?」

「……特に何も言わないな」

「ええっ!」


 いま、ちゃんと考えていたよな! 考えたうえで回答が「何も言わない」かよ。

 人を笑っているのに? バカにしているんだよ?

 宇宙人なわけあるか。たとえが下手すぎて、悪口のセンスなさすぎだろう。って言い返さないのかよ。


「へんに指摘して空気を悪くしたくないし……」

 あ、うん。お前、口悪いからな。オレには容赦ないのに友達には遠慮するのか。差別だ……。

「自閉症って、脳の障がいなんだっけ?」

「そうそう! なんだ、説明できるじゃないか」

「しかし、教えたところで、そいつが今後自閉症に親切するわけじゃないし……」

 ええ、そういうものか?


 そういえば、ひろみを気にかけた子が声をかけてくれたけど、会話が通じなくて逆に困らせるだけだった。

 体の不自由な人の方が意思疎通ができるし、親切が。自閉症の接し方って難しい。あえて何もしないほうがお互い無傷ですむのか……?


「たとえを変える。ヨマセはひろみの彼氏としよう」

「はああ! 絶対ナシだ!」


 なにムキになっている。ひろみは機嫌が悪いと怪獣になるが、基本はインコだ。


「とにかくお前は、ひろみの彼ピッピだ。家族や友人になんて説明する?」

「……したくない」

「質問の答えになっていないぞ」


 逃げの姿勢に文句を言ってやろう思ったのだが、先に世間瀬は理由を言った。


「紹介するとなれば、どうしても障がいである事実は打ち明けるだろ。そしたら相手はどんな反応をすると思う? 面白がって聞いてくるだろう。不安になっていろいろ問い詰めてくるだろう。でもこれらの反応は、今後彼女との関係を深めるために知っておきたいからではない」

「だから、隠すのか……」


 何故だ? オレは納得できない。

 奇異な目で見られ、心配される。そうだな。世間はそういう反応をするだろう。現在進行形で、オレたちは味わっている。

 でもオレは知的障がいを理由に制限したくないし、されたくない。

 知らないから身構えるのであって、だからこそ知ってもらうことは重要だ。


「そもそも、障がいのある人とは極力関わりたくない」世間瀬はきっぱりと言った。

「な、なんでそうなる! ヨマセは過去に障がい者からいじめられたのか?」

「そこまで接点はない。振り回されたくないと思っただけだ」


 障がいのある子を知った上でその発言か。




 なぜかこの時、オレはくのーくんを思い出していた。くのーくんが初めて特別支援教室にやってきた時、ひろみたちを見て『宇宙人みたい』と言ったという。そのあと障がいを知ろうとして、ひろみ達を支え続けた。あの子は良い人になりたいのではなく、自閉症を知りたいからそばにいてくれた。


 ひろみは、周りの人間のサポートがなければ生きられない。普段は関心がなくてもいいから、いざという時に助けてほしいと思うのは、都合が良いと非難されるのだろうか?

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る