伝えるべきこと 知ってほしいこと
オレには姉がいる。
名前はひろみで、自閉症である。
……うん。やっぱり、名前の次に「自閉症」がでてくる。
前もってこの情報を明らかにしておけば、たとえ話しかけたのに無視をされても、突然わけのわからないひとりごとを叫ばれても、「まあ自閉症だから」ですまされる。
口下手さんや人見知りがうまく受け答えできないのと、ひろみがはなから会話に応じないのとでは、相手の反応も全然違う。
障がいは時として下手なことや出来ないことが許されるのだ。
「ひろみさんよぉ! ひとの紙風船を取るでない! これ、窃盗だからな!」
気分転換に紙風船で遊んでいたら、姉のひろみに奪われてしまった。
ポンポンポーンと、天井にぶつけるつもりで高く打ち上げたタイミングを見計らい、ひろみはゆったり落ちてくる紙風船をキャッチして、空気を入れて形を整えてくれた。「ありがとう」と手を伸ばしたが、ひろみはしっかり両手で包むように掴んだまま、返してくれなかった。強奪である。
「虹の子は、たびをする」
のんきに歌ってるよ。名前を呼ぶと、歌声が大きくなったから、これはひろみなりの無視だな。
しっかり背を向けている。姉や、いつそんな知恵を身につけた?
「ポジトラ ポジトラ ポジトラタッチ」
負けじと歌ってみる。
パタリと止まるひろみ。ゆっくりとこっちに振り返る。
「フン」
うわっ! 鼻息飛ばしやがった!
「て、てめえ、ひろみ! よくも……よくもひろみい!」
「ダハハハ!」
ひろみは口を大きく開けて笑った。今日は機嫌が良い。まりに上機嫌で、人を揶揄いたい気分のようだ。絡まれた方はウザい気分になるけどな。
「紙風船で遊ぶか? おいでー」
「うーん!」
ひろみは紙風船を上に打ち上げた。こっちにパスする気はない。よかったな。ここが風船バレーだったら、ルール違反で退場だからな。
仕方ない。諦めるか。紙風船はひろみのお気に入りだ。オレがちゃんと「遊ぶね」と、ことわりを入れたところで、ひろみか遊びたくなったら即返さなくちゃならない。
「ねえドン。ひろみについて、何かない?」
ルーズリーフに、でかでかとジュモクさんを描いていた母上に尋ねられた。
母は計画をたてるとき、シャーペンをかまえてルーズリーフを広げるのだが、何を勘違いしているのかひろみはまねっこピーナッツやノンタンなどのキャラクターをリクエストする。「せめて十本アニメにしてよ」と文句を言いながらもスラスラ描きあげる母は偉大である。
オレも僭越ながらジャコビに挑戦したのだが、ひろみからお願いされることがない。たとえ弟に「なにその目つきの悪い犬のようなものは」と困惑されても、オレがジャコビと言えばジャコビなのだ。想像力を働かせろよ! ついてこいよ、お前らが!
「何かって、曖昧だな。紙風船が好きだけど力加減ができなくて破ったくせに、逆ギレしてバナナを三本食べた過去がある」
「そうそう。風船とバナナが好き。っと」
過去のエピソードをかなり簡略して、母上はルーズリーフに書き込む。
で、何を書いているんだ?
「ひろみがキャンプ行くって話をしたでしょ? ひろみの面倒をみてくれるボランティアさんのために、説明書を書いているの」
「説明書……」
そんなの書く必要があるのか。
それが第一の感想だった。
率先してボランティアを買って出るのなら、障がいの人を多少なりとも知っているのではないのか?
「はじめましてでいきなりひろみを把握できると思ってんの? 苦手分野とか機嫌レベルや補助のお願いをひろみ自身がきちんと言えたら、それはもう自閉症じゃありません」
「健常者でも『私はこれが苦手だから手伝ってください』なんて言わないけどな」
「キャンプの前に一度だけ顔合わせをするから、その時に渡すの」
「はえー」
たった一泊二日するだけだ。
二日間を乗り切るための説明書に何を書くべきなんだ?
「赤ん坊の泣き声や犬が苦手だ」
一緒に考えていたパパ上が、ひろみの特徴を挙げる。おおらかで受け流す母上とは違い、パパ上は不機嫌なひろみに苦労している。苦労しているにもかかわらず、ひろみのあつかいが下手だ。
これは性格上の問題といえよう。ひろみが怒ると一緒に不安になる。何年ともに生きているんだよとツッコミを入れたくなるレベルで、対処法を覚えようとしない。
その点フキョは最初から距離を置いているから、とても賢い。でも、父親と弟では立場が違う。親の責任のせいで娘を無視できない。
「怒りが爆発すると、近くにいる人を叩く。それにテーブルをバンバン叩く癖もある。あと、人にやらせといて、その人が手こずっていると不機嫌になるのは勘弁してほしい」
いやな思い出の方は記憶に残りやすいと聞く。
パパ上は次々とひろみの欠点を挙げていく。
「さっきから、ひろみの悪い所しか言ってないわね。他にないの?」
母上がにらみをきかせるが、パパ上は首をかしげている。
「いざ、聞かれるとすぐに答えられない。さんざん振り回されたのに」
「じゃなくて、好きなこととか得意なこととかを教えて欲しいのよ」
「そんなこと、書く必要はあるか?」
「……は、はあ⁉︎」
突き放したような言い方に聞こえたのか、母上はショックをうけていた。
たがオレはパパ上の考えに賛成だ。自閉症に限った話ではないのだが、せっかくプロフィールを教えてくれるのなら、嫌いなものや許せないことを明らかにしてほしい。怒らせてから何をしてはいけないのか気づいても後の祭りである。
それに、怒ってしまった時の対応は知っておきたい。なぜなら、怒っているのだからとりあえず『ごめん』の一言がほしい人もいれば、怒ってから今さら謝罪するなと激怒する人もいる。こちらが同じ行動をとっても、人によって逆効果の場合がある。
「あんたねえ! 自分の娘を災害あつかいするもんじゃないわよ!」
うおお。母上が吠えた。娘が災害なら、親は怪獣だ。
「でも、このトリセツは、いわば防災ブックみたいなものだろう? ひろみが暴れたら、ボランティアさんの安全を優先するべきだ。まずは避難させないと……」
「どうしてパニックになったひろみを放って逃げようとしてんのよ! この薄情者!」
「ボランティアさんだって人間だから、いざというときは逃げるべきだ」
「ひろみもきちんと人間ですけど⁉︎」
「ガハハ! ガハハハ!」
ひろみが大きく口を開けて、豪快に笑った。誰かが怒ったり泣いたりしている時、そしてピリピリした居心地の悪い空気の時にわざとらしく声を上げて笑う。
その場違いな反応のせいで、パパ上は娘に揶揄われていると目を三角にしている。
「とりあえず、ひろみが不機嫌になったら、静かになる場所へ誘導したほうがいいな。ついでに八つ当たりしないよう、投げる物が少ない場所が望ましいって書いとけば?」
皿洗いをしていたフキョが割り込んだ。
ひろみはまだ笑っていたが、オレたちの意識は完全にフキョに向けられた。
「サポートブックを書いてんだろ? なら、ボラさんに何をサポートして欲しいのかだけじゃなくて、パニックになった際の適切な対応はしっかり書くべきじゃねーの? たしかにひろみの好きなものを覚えてもらえとけば、気を紛らわせる時に応用できるかもしれねえな」
「たしかに。フキョ、ナイス!」
小学生のアドバイスのおかげで冷静を取り戻した怪獣は、黙々とシャーペンを走らせた。
同じ家で過ごしている家族のなかで、ひろみに詳しいのは母上だけだ。過去をさかのぼり、ひろみの特徴を挙げる。
道徳の授業で、困っている障がいの人を見かけたら助けてあげようといった内容の話を、健常者である先生が、印刷したマニュアルをもとに教えていた。
しかし世の中には、助けを求められない人だっている。どうしたのと声をかけられても、うまく伝えられない人がいる。
オウム返ししかできないひろみは、困っていても助けてもらえない。
「母ちゃんは、どんなキャンプにしたいんだろうな」
小腹が空いたので台所でアイスを食べていると、フキョがポロリとつぶやいた。
「せっかくのキャンプだから、チャレンジしてほしい。楽しいキャンプにしたいからストレスなく過ごしてほしい。たてた目標次第で説明書もかなり変わる」
……え? そうなの? かなり変わるのか。
よくわからないけど、バカだと思われたくないので、「あーね」と同感してますオーラを出す。
「母上のことだから、アウトドアな娘のためにキャンプに参加しただけかもしれんな」
しかしバカなりにわかることは一つだけある。
このトリセツはボランティアのために作成している。では、ボランティアのためになる内容はどんなものかというと……わからない。
なぜならオレはバカだから。
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