ヤスダとオレ
むしろキャンプは行ってもいいだろ
テスト前に部屋を掃除をする心理には名称がある。忘れたけど。
とにかく、掃除をする人は低い点数をとった時に備えて言い訳を作っているという。
ばかばかしい。
低い点数ごときに後ろめたさを感じるのなら、勉強すればいいのに。
オレは点数に一喜一憂しないタイプなので、リビングで堂々とトランプタワーを建てている。
「……おい。明日もテストあるだろうが。苦手な英語が終わったからって、気を緩めてんじゃねえよ」
同じテーブルで宿題をしている弟のフキョが呆れている。
さっきまでスピードで盛り上がっていたのに、もう気持ちを切り替えて算数プリントに取り組んでいる。
「ちゃんと気を引き締めているから、トランプタワーは二段目までいけている。集中するから話しかけるなよ」
「その集中力を暗記に活かせばいいのに……」
フキョはしっかりしている。
もし中学にあがっても、オレのように「まだ1学期だから肩肘張らずにテストに挑めばいい」などと手を抜かない。
効率よく、そこそこ良い点をとる。
頭がいいから、それなりに良いポジションを陣取る。なんとうらやましいことか。
「ドン! フキョ! 8月にひろみがキャンプに行くんだけど、あんた達もついてくる?」
茶碗洗いをしている母上の大声が耳をつんざく。あ、コラ。声をかけるなと言っただろ。母の大声は鼓膜に響く。きっと前世はコウモリかイルカだから、口から周波数が出せるんだ。おかげでトランプタワーが壊滅したぞ。
はあ? と顔を上げると、なんとも言えないフキョと目が合った。
たぶんオレも似たような顔をしているだろう。
『ついてくる?』って、まるでオレ達がおまけのような言い方だ。
「へえ! ひろみ、キャンプ行くんだ」
オレはテレビの前でくつろいでいるアネキに声をかけたが、当の本人は微動だにせずテレビを凝視している。
名前を呼ばないと話しかけられていることに気づかないひろみだが、他のものに集中している時は、名前を呼ばれても反応しない。話しかけるタイミングに困るが、今回はくだらない話だから無視されてもかまわない。
「ええー。ひろみがキャンプかよ。無理だろ」
フキョは母上に言った。はなから姉に話しかけないところが合理的だ。
「無理ぃ? なんでよ? ひろみはお泊まり好きよ。我が家でキャンプ大好きランキングをつけるとしたら、ひろみがダントツで一位だからね。どうだ、すごいでしょ」
「役立たずナンバーワンな時点でキャンプに参加しないでほしいけどな」
フキョはニコリともしないで鋭いツッコミを入れた。
1回だけ家族でキャンプをしたことがあるが、フキョは「もう二度とひろみと外出したくないと」言っていた。当時は幼稚園児か小学校にあがりたてだ。まだ幼いフキョに嫌な思い出を植え付けるような問題行動は起こしていないと思うんだけどな。
その頃のオレはまだ小学生で、バーベキューやテント設置のお手伝いはできなかったけど、姉のひろみの面倒をみていた。
上機嫌のひろみはいつも通り飛び跳ねたり、いつもより大きな声で歌っていた。怒って喚いたりしなかったので、キャンプは大成功と言えるだろう。
「これこれ、フキョさんや、自閉症に協調性とか求めたところで意味ないぞ」
「なんでドンは気にしないんだよ。あんなヤツ、社会じゃ生きてけないからな」
「では放牧でもするのか? たしかに、ひろみは牛っぽいしな」
冗談半分でオレがのると、母上が「なんだと!」と怒鳴ってきた。障がいがなくてもバカな人間がわんさかいる世の中だというのに、「自閉症だから」という理由で娘がバカにされるのは許せないのだ。
「あたしは牛を産んだ覚えはないよ! 牛って言ったヤツが牛なんだ」
「つまりオレが牛ということだから……結局母上は牛を産んでいるな」
「お姉ちゃんを牛呼ばわりする子はウチの子じゃありませーん。明日にでも出荷されまーす」
「ま、待ってよ母ちゃん!」
役立たずだの社会じゃ生きていけないだの言われた挙句、牛呼ばわりまでされたというのに、ひろみは無反応だ。知能的に悪口を言われていることに気づいていない。
ぼんやりしているひろみのことだから、キャンプに参加したいと主張したのではなく、親の提案で参加させられるのだろう。まあ、お泊りが好きなら、オレから反対意見はない。ただ、フキョは姉との外出は嫌がる。
「あんた達はお姉ちゃんを見下しているわね? あのねえ、ひろみは毎日洗濯干しとお風呂掃除をしてくれるのよ」
「家事をしてくれるのはありがたいな。おかげでオレは漫画を読む時間が増えた」
時間通りに動きたいひろみのルーティーンに、家事が組み込まれている。おかげで母の助けになっている。
「それに風船バレーの全国大会に何度も出場してんのよ!」
「出場チームが少ないから、地区大会や県大会がないってオチだろーが」
体力の有り余っている我が姉は、休日になんのスケジュールもないと、機嫌が悪くなる。なにかをしないと心が落ち着かないくせに、これをやりたいという主張は一切しない。
母上はドライブに連れて行ったり、カラオケでおかあさんといっしょの歌を歌ったり、サーティーワンのアイスを食べに行ったりして、娘の気分転換に付き合き、最終的に風船バレーに落ち着いた。
ルールを把握できない障がい児を受け入れてくれるなんて、心の広い人達だと思っていたら、参加者の過半数が障がい者だという。
ひろみはストレス発散になり、母上はひろみと同じ障害の子の親と交流ができる。勝ち負けとは別に利点かある。
「風船バレーで一緒のそらちかくんのお母さんから聞いたんだけど、自閉症協会がなないろキャンプを開催するんだって。参加する自閉症の子には、ボランティアさんがつくから、今回はあんた達はひろみの面倒は見なくていいわ」
「てことは、いろんな自閉症の子がキャンプに参加するのか」
オレが心の中で思っていることを、フキョは口に出した。だがトーンが異なる。オレは納得して、フキョは不満げだ。
「なんで、わざわざ自閉症の子を集めてキャンプなんかするんだよ? 大人たちが苦労するのは目に見えてんのによ」
「フキョは厳しいわね! 自閉症はキャンプに行っちゃダメなの? 自閉症だからバーベキュー食べたりテントの中でお寝んねしちゃダメだというの?」
「いや、それは極端だろ。そこまで言ってねーよ」
「バーベキュー!」
おとなしかったひろみが台所のほうへ顔を向けた。普段はぼんやりしている目が、ちゃんと意思を持って台所の方を見ている。本当に姉の耳は都合がいいな。好きな言葉を拾うと、即座に反応する。
「お昼に、カレーを、作るよ。バーベキューは、ありません」
「バーベキュー! バーベキュー!」
母上が言い聞かせるが、ひろみは張り切っている。
さて、どこまで通じているのだろう。
最初から言葉の意味がわかっていなければ、どうして今すぐ食べられないのか怒るだろうし、普段なら聞き取れていてもバーベキューに意識が向いているせいで母上の言葉を聞き流しているかもしれないパターンもある。
「ひろみは、もう夜ご飯、食べたでしょ。グラタン」
「バーベキュー、バーベキュー」
「この前、バーベキュー、したねえ」
ひろみは何度も「バーベキュー」と繰り返している。かなりの偏食で、数年前のキャンプではウインナーとキャベツしか食っていなかったな。たった1回の体験は印象に残っているのか。それも言葉を覚えるくらいに。
「なあフキョ。ひろみの『バーベキュー』って、ただの繰り返しだと思うか?」
フキョにしか聞こえない声量でたずねてみる。お肉食べたい。かつてのバーベキューは楽しかった。キャンプに行きたい。どういう意味合いなのか、単語と希望に満ちた瞳では読み取れない。
「さあな。あいつの食い意地は本物だから、今すぐ食わせろって言ってんじゃねーの?」
興味をなくしたフキョは、宿題を再開している。キャンプに行きたければ勝手に行けばいいと、どこか他人事の様子だった。かたくなに障がい者の姉と関わりたがらないからとはいえ素っ気ない。
「ふりむけば、ミトコンドリア〜。ともだちは、アンモナイト〜」
ひろみは大きく体を揺らし歌っている。嬉しい時の反応だ。母親譲りの周波数混じりのビブラートをきかせているため、鼓膜がビリビリくる。おい、トランプタワーがまた崩れたぞ。
「ひろみは行く気まんまんだねえ。それで、二人はどうする?」母上がたずねる。
「ひろみと似たような子がたくさんいるんだろ。俺はやめとく」
「キャンプか。行ってもいいならついていく」
「マジかよドン。能天気だろ」
オレの判断にフキョが信じられないと言わんばかりの目で見てくる。思慮深い弟はなにを想像して「能天気」と評したのだろう?
キャンプというのは能天気でも楽しめるものだ。始まる前から(弟の場合は参加すらしていないのに)あれこれ考えるのは愚行である。
「なないろキャンプは自閉症向けだ。理解者がいるぶん、問題なくキャンプを楽しめるだろう」
「まあ、今回はいいけど……」
フキョは姉の影響を受けて、みんなに迷惑をかけるから障がい者はあまり公共の場に連れて行くべきではないと考えている。
いやいや、言いたいことはわかりますよ? 美術館で飛び跳ねる人や、コンサートで大声で歌う人がいたら、白い目で見られるだろう。
しかしキャンプなら声が大きくても、はしゃいでも問題はない。
自閉症なんて、基本的に言葉が通じなくてひとりごとが大きいだけなんだから、警戒しなくてもいいのに。
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