喪失のプレリュード―2133.9.10
〔4〕
「じゃあ、いいですか。そろそろ皆さん市街地に降りてみましょう」
その手には妖しげに溢れ出る蛍光の鮮緑を纏ったキューブが。彼が全員にフラグメントを制服のポケットから取り出すように求めると、次の瞬間にはマスターフラグメントから放たれた瘴気のような粒子が、生徒たちの黒き正方体に一斉に流れ込む。磁石に砂鉄がくっつくように、漆黒に瘴気が伝染する。
神秘的な緑の火の粉に包まれた空間で、男子生徒が怪訝そうな顔つきでついに口を開いた。
「何なんですか?これ……」
「ああ、“マギアイト”ですね。クロノステラの鉱物資源で《ブラックボックス》の動力源ですが、今はこのように淡い緑色の粒子として放出されています」
クロノステラは2091年に発見された系外惑星で、ハビタブルゾーンに位置している。最近ではAF(アサルトフレーム)と呼ばれる人型ロボットが送り込まれ、その荒野においてマギアイトの資源分配を懸けた戦略性の高いゲームが繰り広げられている。幾つかのスポンサー企業の下、政府推奨の新規スポーツとあって、学年を問わず校内でも人気がある。
「もっとも、これに用いられているものはその亜種というべき代物ですがね」
「……亜種、なんて聞いたことがない」
「一般には公開されていないですからね。僕もこれ以上は教えることができないな」
先ほどから閉口気味の女子生徒が、長い髪を垂らして俯いたまま、スニーカーのつま先で床を摩る。話には一切の興味が無いようだった。
「……ああ、ごめんなさい。脇道に逸れてしまいましたね。簡易ダイブ、始めます」
――キーン……。
……前回と同じ、あの浮遊感。
肉体から解放された魂ってこんな気分なのかな。その身体を循環していた暗く煤けた赤の
――キーン……。
振幅の周期が乱れ出し、途端に卑しい鼓動の音がまた始まる。
今しがた眠りから覚めたように、芽衣は瞬きを繰り返して、重い瞼をゆっくりと持ち上げる。
「それはちょっと大袈裟じゃないかしら」
雛乃がにこっと微笑む。夢うつつから一転、意識が鮮明になる。芽衣が目を離した隙に彼女の表情が僅かに曇る。
そこは既に見るも無残な町の一角だった。それからというもの、何の気なしに辺りを見渡してしまったことを芽衣は後悔した。
遠くのビルでは屋上で助けを待つ人々が皆一点を見つめて悲鳴を上げている。目と鼻の先の四階建てビルの屋上に避難していた人が次々と津波に呑まれていく。慟哭は掻き消され、ここまでは届かない。それでも一目瞭然だった。誰であろうと明日は我が身を思わずにはいられない。
「足元には注意してください。さっきお伝えしたルートに従っていけば、足場の危険性を除いては安全ですから。多少ゆっくりでも大丈夫です。制服などに深い傷ができると光学迷彩でカバーできなくなるので気を付けて」
現地時間はもう直ぐ午後の一時。ここから二時間の被災地見学。
生徒四人が一列と二列を行ったり来たりでスタッフの後に続く。芽衣は最後尾、目の前には雛乃がいた。道なき道、ぬかるんだ地面。それでも着々と歩を進める。
「きゃっ⁉」
泥濘に嵌った雛乃の右足がぐいぐいと沈む。咄嗟に駆け寄ってその手を握り、ぐっと引き上げる。
「ほら、危ないよ。黙って前の人たちと同じとこ歩きなよ」
「優しいのね、漆喰さんって」
「普通だよ、これくらい」
「ほら、やっぱり優しいのよ」
「どうしてそうなるのさ」
芽衣は不貞腐れた声で訊ねる。
「誰も彼も無関心なのよ、良くも悪くも。プライバシーの保護だとかハラスメントの定義づけだとか。思いやりが段々と度が過ぎて無関心を生んだのかしら。だから貴女のような人って珍しいの」
松林は薙ぎ倒され流失している。急造された防波堤は半壊といったところだろうか。あちこちに木材やら金属板やらが散乱し、所々で瓦礫の山を築いている。
「バタフライ効果は年を追うごとに弱まっている、って聞いたことは?」
雛乃がバランスを保とうと僅かに両手を広げる。そのままステップを踏むように軽やかに、可憐に踊る。静かにくるりと回るとスカートがふわりと舞う。光の束が靡いていても想像に委ねるしかない。彼女は慈しみに溢れていた。その妖艶な姿を捉えたものは芽衣以外にいない。
「あるよ、知らなかったら足跡を付けるのももう少し躊躇うでしょ」
「流されて消えると分かっていても?」
「それだって蝶がはばたく程度の小さな攪乱に値すると思うけど」
「過去の人との閉口コミュニケーションだったら?」
それこそ禁忌だ。……あってはならない。
「……ごめん、無駄話に付き合う暇はないよ」
「いいえ、それでいいの。私は貴女を知りたいから」
「……どういうこと?」
「お楽しみは最後まで取っておくものでしょ?」
明るい口調とは裏腹に芽衣を心配そうに見つめる瞳に、違和を感じる。
あの子、どうして私を?
私より優等生なら少なく見積もってもクラスに百人はいる。知的で捻くれた話をしたいだけなら私をわざわざ選ぶこともないだろうに。今更になって、あの子に気に入られた理由がさっぱり分からなくなった。
……はぁ、もう、なんだか疲れるな今日。
およそ一時間が経過し、瓦礫に埋もれた町からは遠のいて、今では見下ろした先に小さく見える。次第に近くを人が行き来するようになったが、誰一人として、未来からの観光客に触れることも振り返ることもない。この先は純粋に地震による被災エリアということらしい。
砂利道やともすれば獣道といった、舗装が行き届いていない経路とはうって変わって、ここは罅割れたアスファルトの灰色の上。ほとんど車や人の往来がないのは大方避難を済ませたか、そんな暇もなく圧し潰されてしまったか。例の午後二時三十六分が刻々と迫っていたが、生徒は誰も気に留めてなどいなかった。
「たすけて、……すけて、おねがい」
意外なことに、一同がはっきりと助けを聞いたのがこれが初めてだった。津波は人ごと呑み込んでいき、避難先で生き残った人々は互いに声を交わし助け合っていた。
故にたった一つの衰弱した幼い声に気付かされることもなかった、これまでは。
「振り返らないほうが身のためです」
時刻を照らし合わせると、先頭のスタッフの顔つきが変わった。心なしか雛乃らの表情も緊張で引き攣っている。その声は芽衣のすぐ後方から聞こえている。
「声……?」
「少し走ろう。……急いで離れないと」
「男の子……」
雛乃は向かう先とは反対方向に視線を泳がせ、足を動かすのを僅かに躊躇う。
「だから何だっていうのさ、ほら早く」
最後尾だった芽衣が雛乃の横に着くと、有無を言わせず戸惑う色白の手を引いて気後れもなく走る。一つ前の生徒までの距離が不思議と遠い。
「まって……たすけ……」
振り返るな、ダメだ、振り返るな。お願い、去って、お願いだから。
――トン……カタッ……。
片足を引き摺り、何度折れようとも手や膝を犠牲に、これでもかと生に縋る覚束ない足音は既に路上まで顔を出している。
遠く向こうの雷鳴のように、救助ヘリの轟音や倒壊の音色が虚しく響く。それでも、その小さな足音が近づくほどに芽衣の鼓動は重なっていく。予定調和のような不協和音にいやに胸騒ぎを覚える。
「……み、さん?」
心は落ち着いているはずなのに、あれ?
金縛りに遭ったかのように身体が動かない。
「……しばみさん」
ダメだ、……何で?……怖いの、私?
「芽衣!」
怒鳴るにはまだ足りない精一杯の叫び声。雛乃が足を止めて手を差し伸べる。
うん……待って、登鳥川さん。
動けなくても、だって動くしかない。足元を見るべく眼球がぎこちなく動く。首は軋むばかりで当てにならない。腕、腕ならなんとか……。あーもう、とにかく一歩さえ踏み出せれば……。
――トン……カタッ……。
よろめき彷徨う、それは亡霊の如く。
――え、嘘?
自らの足元を映す視界に、ほっそりとした手首の影が見える。
「……いかない、で、おねえちゃん」
planet-code/archetype 深月 耀葉 @mitsuki4138yoo2
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