海の話

 電車に乗るのは好きだ。

カタンカタンと均質なリズムで揺られていると、自分が特別な何者でもなく、世界を構成する歯車の一つなのだと思わされるのがたまらなく愉快だ。

隣で君がすうすうと寝息を立てている。

時刻は午後四時を回ったところで、冷房の効いた車内に少し傾き始めた西日が僕たちを眠りへと誘う。


                  *


 夕焼けに染め上げられた海と砂浜、君と僕。

「なんていうか、少しロマンチックだね。」

「そうかな?」

「そうだよ。」


「ほんとうにいいの?」

「うん、いっしょにいこう」

手をつないで波間へ分け入っていく

    

                  *

深く、深く……

                  *

真っ暗な海の底。


                  *


「ねぇ、起きて。起きてってば。」

「ぅ」


 気が付くと、床も、壁も、天井も、全て真っ黒な空間にいた。

 僕と君だけが黒色の中にいてはっきりと見えている。

「ここって天国なのかな」

「こんな何もない天国やだなー」

君がケラケラと笑う。


                  *


 遠くのほうに、夜空から落ちてきた星みたいな、ほんの小さな光が見えた。

「あの光の方、あそこへ行けばここから出られるんじゃない?」

なぜかはわからないけどそう思った。

「私はいけない。」

「どうして!」

「あれはきっと向こうに帰る道だよ。それに私は……、もう生きられないから。」

「わたし、さ、末期の子宮頸ガン、なんだって。」


                  *


 夏休みが始まってしばらく経った8月のある日、家にいた私は突然、意識を失って倒れた。幸い、お母さんがいたからすぐに救急車で市内の大学病院へ運ばれた。

 

「落ち着いて聞いてください。娘さんは末期、ステージⅣの子宮頸がんです。」

「詳しく検査してみないとわかりませんが、恐らく全身に転移している可能性が高く、もって1ヶ月といったところかと。残酷なようですが、これからは家族と、最期の時間を安らかに迎えられるよう、過ごすのがいいと存じます。」

泣き出すお母さん

突然の宣告に考える機能が停止してしまったみたいに、あたまの中が真っ白になった


 検査結果は、刻一刻と死が近づいていることを私に突きつけた。


                  *


「今は薬で痛みを止めてるけど、もう長くないんだよ。だから行けない。」

「それなら僕も一緒に、」

「君は生きろ!」

 君が声を張り上げる。身も心もぼろぼろのはずなのに。

「そんな、僕なんかが生きていても……。」

死にたがっている僕じゃなくて、生きたがっている君こそ。

「『僕なんか』じゃない! 君が生きるんだ! 『君だから』生きるんだ!」

「でも……」

「それでも生きるんだ! 生き続けるんだ! 死ぬまで生きろ! 死ぬまで死ぬな!」


「じゃあね。」



言いたい放題言って彼女は、笑顔で消えていった。


「死ぬまで……」



 僕は今日も生きる。

君はもういないけど、僕はまだ生きているから。

僕はまだ死んでいないから。

僕は生き続ける。死ぬまで生きる。

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死にたがりの僕と、生きたがりの君 Chironnup @Chironnup

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