君の話
「また死ねなかった。」
「なにバカなこと言ってんの?」
目覚めたばかりの僕の顔を君がのぞき込んでくる。
白い部屋のベッドの上で僕は目を覚ました。
鼻をく薬品の匂い。いやにツルツルした手触りの白いシーツ。
「ここは……、病院?」
「そう。あのあと、近くにいた人が救急ヘリ呼んでくれたんだって」
「そう、なんだ。」
「山では君の話を聞かせてくれたよね」
「だから今度は私が、私の話をするよ」
重い扉を開けるようにゆっくりと、君が話し始める。
聴いているのは、僕と、彼女の傍らにだけ立っている点滴だけだ。
*
「ぃっぅ......」
鼻を衝くゴミの臭いと、身体の痛みと、倦怠感の中で目が覚める。
変わり映えのしない、いつもの朝だ。
汚いぼろきれみたいな布団。これもいつものこと。
隣でお義父さんがいびきをかいて寝ている。これもいつも通り。
昨晩はいつもより激しかった。これはいつもとは違うこと。
あの後、そのまま眠ってしまったのか、身体中がべたべたして気持ち悪いからシャワーを浴びることにした。
小さい公営団地の、狭いユニットバス。
冷たい水がシャワーヘッドから、脚をつたって床へ、排水溝へと、吸い込まれていく。
本物の皮の上にもう一枚、厚い皮が重なっているみたいで気持ち悪い。
水の温度が上がるにつれて、脚から、手、腕へと、シャワーも持ち上げていく。
厚かった皮が少しずつ薄くなっていくのが心地いい。
シャワーを浴びていて身体の異変に気付く。
*
適当に服を着て、浴室からお母さんのいるリビングへ駆け出る。
「お母さん、今月まだなのに血が、」
「なに? わたしやらなきゃいけない事がいっっっぱいあるの。今だって朝ごはん作ってるし、お父さんは仕事で疲れてるからって家の事は手伝ってくれないし、あんたもテストの点数は良くならないし、もう三年生になるんだからいつまでも遊んでるんじゃなくてちゃんと受験勉強してよ? 高校浪人なんてお母さん恥ずかしいわよ。この前言った塾の話はもう決めたの?」
「いや、ま」
「なんで早く決めないの! こっちはあんたのために忙しい中、必死に時間つくって頑張ってるのにあんたがそんなんじゃこっちも何のために頑張ってるんだかわかんないじゃない! この前だって、」
そこで私はお母さんとの会話を諦めた。またいつものだ。
私が何か意に沿わないこと言うと、お母さんは感情的になって手が付けられなくなる。
「うん、うん、わかってる。ごめんなさい。大丈夫。」
そんな中身のない言葉でその場をやり過ごす。これもいつものことだ。
*
生きていくことはとてもつらく、苦しい。
お母さんは、独りで私をここまで育ててくれた。
本当のお父さんは私が生まれる前にいなくなったそうだ。だから、お義父さんは私の本当の父親ではない。
一昨年、私が中学一年生のときにお母さんが再婚して今のお義父さんが来た。
お義父さんはいつも仕事が忙しいそうで、毎週末は夜遅くに帰ってくる。ひどく酔っぱらって。そういう日は決まって私に暴力をふるう。
始めは痛くて痛くてたまらなかった。つらくてつらくて涙が止まらなかった。
再婚してからお母さんはピリピリすることが多くなった。
お義父さんが私にしていることを知っているからなのだとなんとなく察した。
最初は助けてくれるのかと、やっと救われたような気持ちにもなった。
けれど感情の矛先はいつも私だ。
お義父さんとのことをどう知ったのか、解釈したのかは分からないけれど、学校では私のあらぬ噂が出回っている。
みんな自分の事でないし、噂が本当かどうかなんてことはどうでもいいのだ。
夜、お義父さんにすり減らされた心身は、昼、仲良しグループの享楽のために消費される。
ずっとその繰り返しだ。
生きていくことはとてもつらく、苦しい。
それでも私は、私が特別に不幸だとは思わない。
私よりも不幸な人はいくらでもいる。だから生きないと。
毎日ご飯が食べられるだけでも幸せだ。だから生きないと。
毎日帰れる家があるだけでも幸せだ。だから生きないと。
わたしは、しあわせだ。
*
君のお母さんのことを聞いた。お義父さんのことを聞いた。
お義父さんにされたことを聞いた。学校でされたことを聞いた。
想像したこともない話に涙が出そうになった。
でもそれは、君にとても失礼な気がして必死に堪えた。
君はそれでも幸せだと言う。
けれど、きっとすることは僕と同じなのだ。
僕はどうだろうか。
*
「改めて聞くけど、山派?海派?」
「家派。」
君はくすくすと笑いながらこう続けた。
「それじゃあさ、今度は一緒に、海へ行こうよ。」
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