11

 昇二はもう夢を見なかった。すべての夢が消えてしまった。目が覚めると、父親に両脚を掴まれてジャイアント・スウィングをかけられていることに気がついた。

「もう、ガッコ、いか、ない」昇二は頭に血がのぼってくらくらだった。

「甘ったれるな!」

「よーん、ごーお、ろーく」母親が回転数をカウントした。

「ぜ、ぜ、ぜったい。こんなの、は、ま、まちがって――」

「屁理屈を言うな! お前はみんなに変人と思われてそれで終わりだ!」

「はーち、きゅーう、じゅーう」

「このまま学校まで投げ飛ばしてやる! お前のために言ってるんだ!」

 昇二は玄関から放り投げられると、空の彼方へ飛んでいった。

 落ちたのは百一段階段のたもとだった。階段には、百一匹チアガールがずらりと並んでポンポンを振り回していた。

「スタンダップ!」

 リーダー格のチアガールが切れのいい英語で言った。

 昇二は目が回ってとても起きあがれなかった。

「イエス・ユー・キャン!」

「の、のー……、あい、きゃんと」

 昇二は壁に掴まりながら、やっとの思いで立ちあがった。

「イエス・ユー・キャン!」

「のー・あい――」

「イエス! イエス!」

「ゴー・ゴー・レッツ・ゴー・しょうじ!」

「ウィー・ラブ・しょうじ!」

「イエス! ウィー・ラブ!」

「ウソつけ」

 昇二は吐き捨てるように言うと、地べたに手をつきながら階段をのぼっていった。

「異議あり!」

 昇二は授業中に突然起立し、決死の思いで宣言した。ずるずると地獄に引きずり込まれる前に、できるだけの抵抗はするつもりだった。

「異議ありに異議あり!」英語の教師は言った。

「い、異議あり!」昇二は出鼻をくじかれた。

「それに異議あり!」

「異議――」

「ない!」

「あります。あるんです」昇二はなおも食い下がった。

「ないない! 全然ない!」

 英語の教師は、まるで話にならないというように手を振って否定した。

「ぼくは――」

「そうだろ? 言いたいことなんか何もないんだ」

「いや――」

「ここで教えられていることなんて、どうせ何の役にも立たないんだから」

「え? 今何て?」

「何って何が?」

「今言いましたよね」

「何を」

「絶対言った! ここで教えられていることなんて、どうせ何の――」

「私は何も言ってない」

「でも――」

「いいから黙るんだ!」

 昇二は口に黒板消しを押し込まれた。

「むご、げば……」

「れんしょうじしょうじ。ははは、変な名前だ。きみは夢でも見てるんじゃないか?」

 昇二は、黒板消しを抜き取って床に投げ捨てた。このまま引き下がるわけにはいかなかった。

「みんなだって聞いたはずだ!」

 昇二はクラスメイトたちに訴えかけた。

 クラスメイトたちは、黒板の方を向いたまま昇二を無視した。

「聞いただろ? きみも」

 昇二は近くの席の生徒に声をかけた。

「きみも。きみも」

 そのときだった。昇二は、声をかけた生徒の机に開かれた教科書とノートがどちらもまっさらな白紙であることに気がついた。ノートはまだしも、教科書まで白紙だなんてありえなかった。昇二は信じられない思いでそれを引ったくると、他のページを確かめた。どのページもすべて真っ白だった。

 教科書を持つ手が震えた。受け入れがたい思いで他の何人かの生徒の教科書とノートを確かめた。同じようにすべて白紙だった。この連中は勉強するふりをしていただけなのだ。教師も生徒もみんなグルで、学校ごっこをやっていたのだ。

 昇二は一拍遅れてやってきた恐怖に身をすくませ、教科書を取り落とした。それがばさりと床に落ちると、クラスメイトたちが一斉に昇二を振り返った。彼らの目は、まるで目玉の代わりに青色LED豆電球を入れたみたいに妖しく光っていた。

 何もかも手遅れだった。この連中はもはやまともな人間ではなくなっていた。この場所はすでに狂気の論理に支配されていたのだ。

 昇二は身の危険を感じて後ずさりした。

「メガネのくせに生意気だ」

 英語の教師が進み出て言った。その目も同じように妖しく青色に光っていた。

「メガネのくせに生意気だ」

 生徒たちが付き従って言った。彼らは一斉に立ち上がり、昇二にゆっくり迫ってきた。

「メガネのくせに生意気だ」

「メガネのくせに生意気だ」

「メガネのくせに生意気だ」

 昇二は、床に置いてあった鞄に足を取られて尻もちをついた。腰が抜けてしまい、這うようにして後ろのドアを目指した。

 ドアに手をかけると、それは突然廊下側から開けられた。

 そこには、苛立ちを露わにした父親が仁王立ちになっていた。

「逃げるのか! 卑怯者!」

 昇二は、恐怖のあまり昆虫のように腹を上にしてひっくり返り、手足をばたつかせた。なんとか自力で腹這いの姿勢に直ると、手足を素早く動かしてゴキブリのように父親の股下をすり抜けた。

「待て!」

 昇二は廊下の隅っこをかさかさと駆け抜けた。

 階段口のところに来ると、先回りした父親が逆上して待ち構えていた。

「お前はそんなに自分に自信がないのか!」

 昇二はトカゲのように壁に張りついて父親をかわすと、体をくねらせて壁伝いに降りていった。

 視聴覚室に逃げ込もうとすると、狼男のように鋭い牙と爪を剝いた全身毛むくじゃらの父親が立ちふさがり、問答無用で襲いかかってきた。

「親に恥をかかせる気か!」

 昇二は恐怖に飛びあがり、ムカデのように死に物狂いで足を動かしてそこから逃げた。

 わずかに残された本能に従って、昇二は南棟四階のトイレを目指した。

 フンコロガシのように階段を後ろ向きに上がり、踏みつぶされた毛虫のように体液を垂らしながらのそのそ床を這った。

 命からがら目指す場所にたどり着くと、昇二は安堵して個室のドアに手をかけた。

 中には半狂乱になった父親が両手に殺虫スプレーを持って立っていた。

 昇二は顔面に殺虫剤を吹きつけられ、床のタイルに裏返ってぴくぴく痙攣した。

「ついにゴキブリ野郎を仕留めたぞ! ざまぁみろ! いいか、お前のためを思ってやってるんだ!」

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