翌朝、昇二が現実の際限のない繰り返しのような夢から目覚めると、自分が寝ても覚めても変わらない醜くて哀れな高校一年生であることに気がついた。

 昇二は問答無用に両足を掴まれ、奈落の底に引きずりこまれた。

 無理やり車の助手席に放り込まれそうになると、昇二はドアを掴んで抵抗した。

「ちょっと話が――」

「子供のくせに生意気な口をきくな!」

 まだ何も言ってないのに、父親がいきり立って封殺した。

「学校に行くのが子供の義務!」母親が得意の常套句で気力をくじいてきた。

「それは違う。親の方に子供に教育を受けさせる義務が――」

「口答えする気か! 何様のつもりだ!」

 話の通じる相手ではなかった。今さら分かり切ったことだった。昇二は舌を引っこ抜かれた罪人のように黙り込んだ。車は急発進した。

 またしても百一段階段のたもとに放り出された。

「ゴー・ゴー・レッツ・ゴー! しょうじ!」

 チアガールたちが手を貸し、一段また一段と昇二をのぼらせていった。

「イエス! ユー・キャン!」

「イエス! ユー・キャン!」

「イエス! ユー・キャン!」

 教室のドアを開けると、上から金盥が落ちてきた。

 もろに脳天に食らって床に倒れると、今度はクラスメイトたちに囲まれて足蹴にされた。

「やめ、やめてくれ」

 誰もやめなかった。

 やがて、昇二はいくつもの手に押さえつけられ、まるで人食い族に捕らえられた生け贄のようにしてどこかへ連れていかれた。校舎を出ると、渡り廊下のすのこがげらげら笑うように鳴った。その先にあるのは旧体育館だった。

 今にも朽ち果てそうなその木造の古ぼけた建物は、割れた窓ガラスや破れた床板がそのまま放置されており、雨の日に新体育館からあぶれた運動部が筋トレをするのに使用する他は誰も使うことがなかった。

 昇二は、後方の更衣室に連れ込まれると、壁際に並んだ錆びついたロッカーの一つに押し込まれた。外から鍵がかけられる音がした。

「開けてくれ!」昇二は扉を叩いて懇願した。「閉所恐怖症なんだ!」

 外で笑い声が起こり、それがそのまま遠のいていった。

「頼む! おい!」

 もう返事はなかった。ロッカーの中は窮屈な上に、斜めになって引っかかっている箒の柄がひどく邪魔だった。扉を蹴ろうにも体勢が悪くて足に力を入れられなかった。呼吸が浅くなり、それを意識することで余計に気持ちが焦った。昇二は狂ったように扉を叩いた挙げ句、気を失った。

 ロッカーの扉が突然壊れて開き、昇二は更衣室の床に投げ出された。

 全身を打ちつけた痛みと、床板の冷たさで意識を取り戻した。窮屈な姿勢で閉じ込められていたせいで体の節々がこわばっていた。

 薄暗く湿っぽい更衣室は、あちこちに蜘蛛の巣が張りめぐらされ、割れたガラスが床に散らばっていた。奥には壊れた長机やパイプ椅子が雑然と積み上げられていた。

 どれくらい時間が経ったのか分からなかった。外はまだ明るかったが、グラウンドの方から運動部の声が響いてくることもなかった。なぜか、休みの日に間違えて学校に来てしまったような感じがした。

 そのとき、別のロッカーから突然男が躍り出た。同じ制服を着ていたが、やけに老けていて三十代後半くらいに見えた。男は薄目を開けると周囲の明るさに恐れおののき、あわてて窓の方に手をかざした。

「まだ昼間かっ!」

 男はすごすごとロッカーの中に戻ろうとした。

 昇二はあっけに取られて男を見つめた。

「ドラキュラちゃうちゃう!」

 男は、昇二が小芝居に突っ込まないのを見て取ると、自分で自分に関西弁風に突っ込んだ。

「笑え。先輩先輩」

 男は着ている制服をアピールしながら言った。

「この学校の人ですか?」

「ほれほれほれ、同じ制服」

 昇二は改めて相手をよく見た。目尻や額に刻まれた何本ものしわ。かさついた肌。白髪の目立ちはじめた頭。張り出し気味のお腹。どう見ても高校生とは思えなかった。この学校には夜間コースもないはずだった。

「OBの方?」

「現役に決まってるだろうが」

「でも」

「大先輩だから。二十三回留年してるから」

「二十三回?」

「何。おかしい?」男の目は笑っていなかった。

「いえ」昇二は一度否定し、それから「はい」と正直な気持ちを言い、それから焦ってもう一度「いえ。全然」と否定した。自分の年齢に二十三を足してみて、何とか納得した気になった。

「この学校はいろいろとおかしいんだ」

 二十三回留年の男は、ふんと鼻息を吹いてぼやいた。

「それはぼくも思います」

 昇二が控えめに同意すると、二十三回留年の男は片眉をぴくりとあげ、品定めするような目で昇二を見た。

「一年坊主。この学校にはお前の知らないことがまだ山ほどあるぞ」

「はぁ」

「知らないままでいたら絶対に卒業できない。卒業したかったらすべて理解して自分のものにしないとダメなんだ。試験の出来なんか関係ない」

 昇二はそう断言されて思わずたじろいだ。それと同時に、自分が知らないことというのが何なのか、少しではあるが興味を引かれた。

「この学校のことなら何でもおれに訊け」

「はぁ」

 少しおかしい気がした。もしこの人が何でも知っているというなら――。

「じゃあなぜおれが二十三回も留年してるのかって顔をしてるな」

「いや、別に」

「知るべきことを知ったあと自分で考えてみるんだな。いいか、教師どもを信用するな。まさかとは思うが、してないよな?」

 まったくしてなかった。昇二は深くうなずいた。

「連中をよく観察するんだ。そうすればすべて見えてくる」

 昇二は肝に銘じた。

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