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「お前がコヨーテだな」
「そう呼ばれているね」おれは慇懃に言った。「で、あんたは?」
「私か? ふん、誰でもいい。私が直々に出てくることは避けたかったんだがね。だが、こうなっては仕方がない」
「かわい娘ちゃんを殺める男は長生きできないって言うぜ」
「そんな話は聞いたことがない」
「おれもさ。だが、すぐにでも意味が分かる」
「減らず口を叩く男だ。さぁ、出してもらおうか」
「何を?」
「何を? こいつを一発ぶち込んでほしいのか?」
男は気取った様子で銃を振って見せる。
「すまんが商店街の福引券だったら、さっき使っちまったがね」
「何てこった! ……おいおい、調子に乗ってる場合じゃないぞ。私がこの手に持ってるのはキュウリかニンジンか? 試しにその口に突っ込んでやろうか?」
「そいつは御免蒙りたいね。だが、あんたが一体何のためにジョークを使う?」
「お前の知ったことじゃない。だいたい、ジョークにどれだけの使い道があると思う? お前はただ出せばいい」
おれは男の襟元に議員バッジが光っていることに気がついた。だが、この男は断じて現役の議員なんかじゃない。その瞬間、おれの頭の中で絡まりあっていたいくつもの謎が一気に解けた。
今から十数年前、ある事件があった。人呼んで、シークレットシューズ事件。とある高級料亭で開かれた会食の席でのこと、遅れて来た一人の議員がいつまで経っても入り口で靴を脱ぎたがらなかった。
料亭の女将が「皆さんお待ちかねですから」と額に青筋立ててそいつを引っ張りあげようとしたが、その議員は「やはり今日は帰るよ! 帰らせてくれ!」と言って最後までドアにつかまって踏ん張った。ところが、調理場の奥から子猫が顔をのぞかせると、そいつはあまりのかわいさに撫でてやりたくなり、我を忘れて靴を脱いで料亭に上がりこんだのだ。そうしたところ、男の身長は靴を履いていたときと十数センチも違って見えたという。女将はショックのあまり泡を吹いて倒れ、その後二週間店を閉めざるをえなくなった。
この一件は新聞やワイドショーを賑わせ、国民の代表者たるものがシークレットシューズを履いているなど許されないと、世論から猛反発を食らったのだ。その男は国民をだましていたのだし、そんな靴では政情も経済も安定感に欠けるというわけだ。この事件によって当の議員は失脚。また、事件の余波でプロフィールの身長欄を書き改めねばならなかった連中は、全国で三万人にものぼったという。
そのときの議員こそ、今おれに拳銃をつきつけているこの男だ。
「思い出したぜ」
「それでいい。さぁ、早く出してもらおう」
「そうじゃない。あんたのことだ。そのツラ、どこかで見たことがあると思った」
「何を言ってる」
「今日はシークレットシューズは履いてないようだな」
「な、何の話だ!」
男の声が裏返った。ビンゴ。
「余計なことを喋ったら、貴様、ただじゃ済まさんぞ」
おれは脅しは無視して核心に迫った。この男には手痛い過去がもう一つあるのだ。
「そう言えばあんたの犯したミスがもう一つあったな」
途端に元国会議員の顔から血の気が引いた。
「だ、黙らんか!」
この元議員が表舞台から姿を消す決定打となったのは、シークレットシューズ事件そのものではなく、むしろ騒動の弁明会見においての発言だった。
会見の席上、おそらく笑って許してもらおうとでも考えたこの議員は、全国放送で一つのジョークを言った。属する党のマニュフェストにかけたものだったが、なんともお粗末なジョークだった。その発言から二日間、日本中が気まずい沈黙に包まれ、誰一人顔を上げることさえできなくなったほどだ。
それから十数年、幸いなことに今となっては当時のことを覚えている者は一人としていなかった。時間の力とはそういうものだ。ただし、おれは例外。誰にでも触れられたくない過去の一つや二つはあるが、おれの目はごまかせない。
「2006年の10月16日の話さ」
「や、やめろ!」
「悪いが、おれは記憶力に関しちゃ円周率十万桁並みでね。まだほんのネンネだったが、雑誌で読ませてもらった。小さい記事だったがな。確かヤングアニマルのコラムだったと思う」
「お、お前のようなガキが知ってるはずがない!」
「どうかな。切り抜きを持ってるぜ。見せようか?」
「ひ、ひぃぃ~~!!」
「今回の件も個人的な恨みが発端というわけか。観念した方がいいぜ」
「ち、畜生。こんなはずじゃなかったんだ! 私は大衆にウケたかっただけなんだ! 今度こそ間違いなくウケて、もう一度表舞台に返り咲いてやる!」
「黙るんだな、このつるっつるのスベリ野郎!」
「や、やめろ! これ以上私の傷口に塩を塗るなぁ~!」
おれは隙をついてやつのハジキを払い落とした。
あっさりと形成逆転。男は涙をぼろぼろ垂れ流して許しを請いた。おれは耳を貸さず、ガムテープで男の全身をぐるぐる巻きにした。
間もなくやって来た警察によって男は連行された。汚れきった人間が、指をパチンと鳴らしただけで改心できるほど世の中は甘くできちゃいない。十年はまずいおまんまを食らうだろう。
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