5
事務所に着くと、センセイが来ていた。古い洗濯機みたいにかたかたと震えるそのずんぐりした巨体を見れば、うろたえているのが一発で分かる。
「コヨーテ、ずっと待ってたんだ」
「朝から一悶着あってね」
「この件はもうダメだ。やつらが動き出したらしい」
「やつら?」
おれは五メートル離れた距離から帽子を帽子掛けに投げ、尻を机に乗せた。帽子はくるくると回転し、狙いをはるかに外れて開いていた窓から外に飛んでいった。小さなことを気にするおれじゃない。
「政府のある一派のために動く連中だよ。非常に厄介なやつらだ。議員バッジをつけた連中とその手下ども。大道芸人や指圧師なんかもいる。私も詳しくは言えんがね。とにかく、やつらが本気で動いたらただじゃ済まない。私一人じゃ、とても太刀打ちできない。今のうちに手を引こう」
「そう焦りなさんなって」
「あんたはまだやつらの恐さを知らないんだ」
「そうは思わんね」
「まさか、もう何かあったのか?」
「まぁな。だが、よくあることさ。心配はいらん」
そう言いながら、おれは今朝の出来事を思い出した。哀れな赤毛の女、二つのハンドボール、ケチな中国ヒゲ、付けっぱなしのホットカーペット。
「そいつらの狙いは何だ? もし、本当に動いてるとしての話だが」
「あんたが作ったジョークさ」
「おれのジョークを?」
「それでどうするつもりかは分からん。大方、あんたのジョークを使って自分たちだけ大衆のウケを取って、政界での地位を揺るぎないものにするつもりだろう。だが、ことによると翻訳してどこかの国に売りさばこうって腹かもしれん。いずれにしても、でかい金が動くだろう。犠牲になる人間も出てくる。まあ、自分の孫にでも話して歓心を買おうってだけなら話は別だがね。いずれにしても、この話はお流れにするしかない」
「そうは思わんね」
おれは相手の目を見据えて言った。
「おれはほんのちょっぴり頑固なところがあってね。一度引き受けた依頼は最後までやり通す主義なんだ」
「コヨーテ、あんたの作ったジョークはすでに機密文書に指定されてる可能性だってあるんだよ」
「おれだって伊達にこの世界で飯を食ってきたわけじゃない。危険は百も承知。まだ様子を見ていられる段階だ」
「いつズドンとやられるか分からんよ。コヨーテ、白状するが、私はおっかなくてたまらん」
「センセイ、そんなことではおれのジョークを使いこなせないぜ。おれに考えがある。もう少しだけ任せてもらおう」
「あんたがそう言うんなら。自信はあるんだろうね?」
「絶対って確証はない。いつでもフィフティー・フィフティーだ」
「まさか、やつらを笑い死にさせるのか?」
「それも悪くないな」
おれは適当に答えてセンセイを帰らせた。
もしセンセイが危険な目に遭ったらなんて言い訳しようと考えながら、おれはぼんやり宙を見つめた。相手はセンセイの反対勢力。おれの作った切れ味抜群のジョークを盗んで、先に政治の舞台で使おうって腹らしい。いずれにしろ、政府の目もあながち節穴じゃないようだ。
確かに、ジョークに著作権はない。念の為、おれはジョークリストに失笑必至のジョークも混ぜておくことにした。そうしておけば、もし盗まれたとしても挽回の余地があるってわけだ。やつらが、何の判断もつかないまま最低のジョークを自信たっぷりに喋ったときのことを想像すればいい。気まずく静まり返った聴衆。冷ややかな視線。聞こえよがしなため息。ハンバーガーにかじりついた太った男の遠慮知らずなゲップ。
それだけじゃない。人種差別、貧富差別、職業差別、性差別。TPOをわきまえずにうっかり喋ってしまえば、その三時間後には第三次世界大戦がおっぱじまっていることにもなりかねない。そのときこそ、政府はジョークの持つ本当の力を思い知るだろう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます