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目が覚めたら隣で見知らぬ女が寝ていたというのは、おれにとってはごくありふれた現象の一つ。その朝もそうだった。ただし、これまでとちょっと違うのは、その女がとびっきりの美女だということ。まだ名前も知らないこの女、ベッドに広がった赤毛からはそそり立つような香りが立ちのぼり、薄手のシーツの下にはハンドボールを二つ無理やり押し込んだような財宝が眠っている。その体つきとは裏腹な無邪気な寝顔は、自分が街をひと歩きするだけでどれだけよそ見運転による交通事故を引き起こしているのか、まるで自覚していないかのようだ。
「ベイビー、目を覚ますんだ」
おれは肩をそっと揺り動かした。
「う、う~ん」
女神さまのお目覚めだ。
「今何時だと思う? 朝のワイドショーはとっくに終わったぜ」
「そんな。今日はティモシー・シャラメのインタビューが流れることになってたのに」
その手合いの女ってわけだ。
「録画予約しておくべきだったな。ちょっと聞くが、おれたちはどこで知り合ったんだったかな?」
「ひどい人。でも、どこでもいいじゃない。一つだけ言えるのは、あなたと私は昨日とってもステキな夜を過ごしたってこと」
「それはもちろん一緒にって意味だろうね?」
「うふ、かわいい人」
男に訴えかけるコツを熟知しているこの手の女には、警戒が必要だ。
女は薄手のシーツをそのギリシア彫刻みたいに滑らかな曲線を描く身体に巻きつけてベッドから起き上がる。片方の手で胸元を押さえ、「うーん」と伸びをしておれにウィンク。おれは昨日できた最高のジョークをこの女に試したい気持ちに駆られた。それを言えば女が笑う。女が笑えば、普段ポーカーフェイスを崩さないおれも微笑むくらいはするだろう。そうなれば、おれはハンドボールの扱いにかけておれの右に出る者はいないということを証明して見せるわけだ。だが、その手にのるわけにはいかない。おれは素知らぬふりで話題をそらした。
「今年の野菜はどれも値が高いらしいね。例えばピーマンなんだが――」
おれが話しはじめると、女はすぐに遮った。
「ねぇ、私たちにはもっとふさわしい話題があるって思わない?」
女が正体の片鱗を見せたのを見逃すわけもなく、おれはすかさず切り込んだ。
「何が聞きたい? 例えばジョークか?」
「ジョジョジョジョジョ、ジョーク?」
女はたまらず動揺する。予感的中。敵は早くも女スパイを差し向けてきたってわけだ。
次の瞬間、クローゼットの中で拳銃が「パン!」と吠えた。鉛玉がおれの頬をかすめ、傷口から霧吹きみたいに鮮血がほとばしる。おれはかすり傷。だが、後ろで「キュウ」とゴマフアザラシみたいにうめく声がした。鉛玉は彼女の眉間に命中していた。彼女は美人薄命を証明し、片道切符でネヴァー・カム・バック。まだ名前も連絡先も聞いていなかった。
「この国民年金未納者!」
おれはクローゼットの中に潜んでいたケチな中国ヒゲを生やした男を捕らえた。おいたをした手を後ろに捻り上げる。
「か、勘弁してくれ。雇われただけなんだ」
「ほう? どこの誰に?」
男はおれの質問に答えようとせず、奥歯に仕込んだ毒薬を噛み潰して泡を吹いてこと切れた。失敗すれば、出来の悪い芝居みたいにたった一晩で公演打ち切りってわけだ。
人間を種類別に分けてみれば、きれいさっぱり二つに分かれる。加藤茶という名前の人間と、加藤茶ではない人間とだ。ちょっとだけにするべきか、しないべきか。問題はそこだ。はたしてジョークにもタブーがあるのか。
股間にパンダの刺繍があるトランクスを履きながら、おれは悪い予感にとらわれていた。何か巨大な黒い力が動きつつあるのではないか。そして更に、昨晩ホットカーペットのスイッチを付けっぱなしで寝てしまったのではないか。
事務所へ向かう途中、おれは手持ちのカードを頭の中であれこれ組み合わせてみた。だが、どうやってもしっくり来る繋がりが見えてこない。確かに、ショパンは英語読みすればチョピンになる。だが、それとこれとは関係ない。誰が、いつ、どこで、何を、なぜ、どのように。5W1H。ジョークに論理学を持ちこんじゃお終いだ。この仕事は、どうもただのジョーク作りでは終わってくれそうにない。
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