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そういうわけで、おれは早速調査を開始した。
依頼人は、政府の仕事にも笑いが欠かせないということに遅れ馳せながら気が付いたわけだ。ここでいう笑いとは、ポケットに隠していた札束をうっかり落としてしまったところを見咎められたり、ちょっとした勘違いで周辺諸国に爆撃を仕掛けてしまったときに今まで使ってきたようなごまかし笑いなんかじゃない。ただ人をくつろがせ、同時に関心を惹きつけもするような、そんな笑いだ。
議会ではどんなジョークが受けるのか。国民はどんな笑いを欲しているのか。はたしてコミック・バンドとは何か。相手の全容を知り抜かなければツボは見えてこない。ましてや政治。国際舞台ともなれば、狙いを外したときの経済的損失は軽く億を超えるだろう。金だけで済むならまだましだ。例えばの話、もしロシア辺りで外したとなれば、当局の手で自由を奪われ二度とお天道様を拝むこともできなくなるだろう。やれやれ、お国のためにジョークを作るってわけか。
おれは思いついたジョークをメモするための手帳と拳銃とをポケットに突っ込んだ。ステフが心配そうな顔で見送る。だが、そのときすでにおれの頭の中はある在日の夫婦が交わすおかしな会話のことで一杯だった。エレベーターの中でさっそくそれをメモに取る。出だしは快調。街では今頃、ありとあらゆる事象がおれにネタにされるのを待っているだろう。
地下鉄を四つ目の駅で降りると、おれは大通りから一本裏に入ったところにある雑居ビルの地下へと入っていった。バー・アニ丸。マスターの通称アニキはここら一帯のゲイバーを仕切ってるやり手だ。当の本人はゲイではないということだが、その辺の詳しい事情はおれにも分からない。おそらく、おれには理解できないような複雑な要素が絡んでいるのだろう。世界はたった一つだが、その中には互いに何の共通点も持たないように見える小宇宙がごった混ぜになってひしめき合っている。おれの仕事は、そのガラクタの間を飛び回ってうまいことあっちとこっちをつなぎ合わせること。それでおまんまにありつけるってわけだ。
とにかく、マスターは昨年のフィリピンへの旅の途中、飛行機に同乗した政府某省の使節団を笑わせてでかい手柄を立てている。マスターの話を目当てに来る客も多いっていう笑わせ上手だ。店はまだ準備中。だが、そんなことはお構いなし。
「失礼するぜ」
「コヨーテ。ここんとこ顔を出さなかったじゃない。ようやくうちで働く気になったの?」
「勤め口は足りてるよ。ジョークを探してるんだ」
おれは単刀直入に切り出した。今はここに長居する気はない。
「ジョークを?」
「変わった依頼でな。おれを名指しで政府が笑いをご所望なんだ」
「するっていうと何? 政治家のためのジョークってわけ?」
「そんなところだ」
「だけどね、コヨーテ。例えばこのバーじゃ、言葉はいらない。うちの子たちがお尻をフリフリする。それだけでもう大ウケ。ステージの上だけじゃない。時にはお客の顔のほんの五センチ前でもフリフリする。二センチでもいい。近ければ近いほどウケるってわけ。ぶっちゃけ、こすりつけるときもあるわ。嘘じゃない。毎晩目にする光景よ。もっとも私にはそれの何が面白いのか分からないんだけどね」
「しかし、政治家さんにカメラの前でそんな真似をさせるわけにもいくまい?」
「そうね。あの連中の中にも、うちに客として来たときなんかは、自分でもフリフリをやってからじゃなきゃ帰れないってごねるやつもいるけど。とはいえ、それが誰かは口が裂けても言えないわ」
「あんたにそこまで危険を犯してもらうつもりはないよ」
「コヨーテ、悪いけど私から言えるのはそれだけ」
「誰かこの件にご熱心なやつに心当たりは?」
「いいえ。私はこれ以上関わりたくない」
途端にアニキの顔が曇った。何かある。おれの探偵の勘が冴えた。
「あんたともあろう人が、何をそんなに怯える?」
「コヨーテ、あんたには借りがある。でも今回ばっかりは相手が悪い。私だって助けてあげたいけど、悪いことは言わない。この件からは手を引いた方がいいわ」
「なぜ?」
「私からは何も言えない。ネタにも色々あって、ツボも人によって違う。一概には語れない。それだけのこと」
「それだけ聞けりゃあ十分だ」
おれは外に出てタクシーをつかまえると、閉館寸前の図書館に駆け込んだ。
司書の女にいくらか握らせて保存庫に入り、いくつか文献を探す。まずは『ポケット・ジョーク集』。おれがいつも女を落とすときに重宝しているやつだが、今欲しいのはこれじゃない。続いて『世界ユーモア選集』。これも少しばかり違う。おれの直感には引っ掛からない。おれが欲しているのはもっと別の何かだ。説明するのは難しいが、万が一ぶち当たればすぐにそれと分かるだろう。バッファローの角みたいに毛先のカールした髪型がどこか愛らしい司書の女は、しきりに時計に目をやってはらはらしている様子。おれはとりあえず参考になりそうなものを数冊選んだ。
「返却期限は二週間だったな?」
司書はどぎまぎしながらうなずく。おそらく私立探偵というものを現実に見たことがないのだろう。「借りてくぜ」おれはそう言うとさらにいくらか握らせ、おまけに熱いキスをくれてやり、貸し出し手続きをパスしておさらばした。それ以上のことは、二週間後までお預けだ。
オフィスに戻る地下鉄の中で、さっそく文献にあたった。飛び込んできた一行にうっかり爆笑してしまい乗客の注目を浴びたが、何食わぬ顔でやり過ごす。これだけやばい仕事、人の注目を浴びるのはご法度だ。おれが生きているのは、情け無用かつ涙無用の裏の世界。もしかすると、それこそがお笑い草かもしれない。少しばかり感傷的な気分になって、おれは電車の窓に映った自分を眺めた。そこには、両肩に洗濯バサミが二つ付いたままになっているおれが映し出されていた。確かにお笑い草だ。
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