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 現れたのは、テレビをつければ一日に何度かお目に掛かることもある男だった。その名を聞けば三人に一人は恐れをなし、残りの二人は思わず顔がニヤニヤするだろう。おれはニヤニヤするのを抑えて座るよう言った。

「や、や、や、どうも。早速だが、仕事を頼みたいんだ。私が誰かは分かるだろうね?」

 センセイは皿にひっくり返されたプリンのようにぷるぷる震えながら、額に汗を滲ませている。何か焦っているらしい。

「まあ、そう急ぎなさんな」

 おれは部屋の壁にナイフで刻まれた文字にちらりと目をやった。「よく聞け/よく見ろ」。元相棒のマイキーが残したものだ。当時、ある仕事でこの事務所に盗聴器が仕掛けられている疑いが生じたのだった。おれが一言も発さないよう身振りで指示したところ、あいつは手で鼻と口を塞ぎ、間違えて息まで止めてしまった。そして、そのまま窒息死したのだ。哀れなマイキー。

 この業界では信頼できるのは死人の言葉だけだ。これだけやばい仕事。頼んでくる方も隠していることが山ほどある。それを見抜けないようでは探偵は務まらない。

「あんたの置かれてる立場は分かっている。もっと落ち着いて喋ってもらおう」

「や、申し訳ない、コヨーテさん」

「コヨーテだ」

「え?」

「コヨーテさん、じゃない。ただコヨーテでいい」

「ああ。申し訳ない。コ、コ、コヨーテ」

 センセイはようやく人心地ついたような表情を見せた。

 先週のこと。ぬいぐるみのテディ・ベアの密輸に数名の国会議員が関与していた事実がマスコミにすっぱ抜かれ、このセンセイは矢面に立たされたのだった。それを伝えるメディアの誇張もあって、センセイはすっかり世間の評判を落としてしまった。だが、そうは言っても何期も続けて当選している国会議員。

「あんたほどの力があれば、側近にちょろっと言うだけで何でも解決するだろう。おれみたいなハミ出し者に頼まなきゃならないような話ってわけだな」

「さすがに鋭い」

「すっかり聞かせてもらおうか」

 おれは机の上に足を投げ出して楽な姿勢になった。

「実は困ったことになってるんだ。ご存知の通り、私は政治家だ。人前で話をするのも大事な仕事の一つなんだよ。応援演説、講演会、様々なメディア対応。だが、近頃じゃ私の話なんぞに誰も耳を貸しやしない。

 例のテディ・ベアの一件のせいだけじゃない。みんな自分のことにしか関心がないんだ。私が話してる目の前で携帯をいじる。イヤホンを外しもしない。携帯ゲーム機も手離さない。政治なんて勝手にやってくれっていうわけだよ。前回の選挙のときの街頭演説なんて酷いもんさ。私が意気込みを話しているというのに、こちらを指差して笑ったり、手伝いの政治学科の女子学生と記念撮影をしたり、おまけに『うるさいから他所でやれ』と野次られる始末。選挙カーなぞ、いつのまにか落書きだらけだ。

 家内にも相談してみたが、あいつは私の話がひどく退屈だと言うんだ。家で私の話を聞いてるときも、半分以上は聞いたフリをしてると告白したんだ。考えてみれば、食事中に話してるときなんかにふとあいつを見ると、度々白目をむいてるときがあった。そのときなんかはまるで話を聞いていなかったらしい。

 秘書に聞いてみたところじゃあ、もっと身近な話題を挟んだらどうかとか、誰にとっても面白い話を、と言うんだ。誰にとっても面白い話! 私にはそれがどんなものかさっぱり分からん。こんなことは言いたくないんだが、恥をしのんで近所の話し方教室も覗いてみた。だが、あそこで教えられてる程度のことは私にだってできるんだよ。だけど、そういう問題じゃないんだ。話のところどころで聞き手をちらっと笑わせて、相手の心を掴む。私にはそれが必要なんだよ。今のしあがっている連中を見てくれ。あいつらはみんなそうやって人気を得てる。

 コヨーテ、私が演説やなんかで訴えていることはひどく真面目なことなんだ。私は政治家なんだよ。聴衆に信念を伝えなければならない。私の話に耳を傾けてもらいたいんだよ。こうみえても、大学時代は雄弁会でならしていたんだ。会長にもなった。喋るのは嫌いじゃないんだ。だが、それが今じゃこのザマだ。聴衆の心をちっとも掴めやしない。短い演説を一つするにも笑える要素が必要なんだよ。冗談だとかユーモアのセンス。分かるだろう? 『鶏がらのスープだってね?』『コケコッコ~』ってやつさ」

 センセイは、今、自分が思いがけず面白いことを言ったとばかりにけらけら笑い出した。おれはまだ話に続きがあるのかと黙っている。センセイの顔が気まずそうに引きつった。常に何かに驚いたように見開いている目玉、でっぷりした体格と額に滲む玉のような汗、やけに光沢感のある幅広のネクタイ、そしてその話し方。どれを取ってもいかにもユーモアのセンスが欠如していることが伺える。大学の雄弁会で鍛えた弁舌もまったくの役立たずってわけだ。

「そんなわけなんだ。頼むよ、コヨーテ。あんたしかいない」

「おれに何をしてほしい?」

「あんたにジョークを作ってほしい。私が喋るときに何かと重宝するものだ。様々なケースに応じた、様々な種類のもの」

「なるほど」

「無理だなんて言わないでくれ。でかいヤマだということは承知してる。でも、これで救われるのは私だけじゃない。今やこの国全体の問題なんだ。見てくれ、この国の現状を。失業率は上がりっぱなしだし、わけの分からない事件ばかり。組織と名のつくものは例外なく腐りきっていて、まるで誰も彼もが自分で自分の首を絞めているような有様だ。もちろん政界だって例外じゃない。酷いもんだ。国は笑いを必要としているんだよ。私は責任ある立場としてそれを提供したい。今の時代を乗り切るためには笑いなしじゃやっていけない。そうだろう、コヨーテ」

 おれが動かされるのは演説なんかじゃあない。おれを見込んで積まれる、その金だ。おれは探偵。多少無茶な依頼でも報酬分はきっちりこなす。ただし支払いは現金のみ。女は自分で調達できるし、接待なんてものに用はない。おれはややこしい手続きとティーン・アイドルは大嫌いだ。

「分かってるだろうが、こいつはちょっとやそっとでできる仕事じゃない。危険も伴うし、経費もかなり高くつくと思うがね」

「そっちの方はかまわん。都合はいくらでもつく」

 センセイの提示額からすれば割のいい仕事にも見えるが、下手をすれば国中を敵にまわしかねない。引き受けるのなら相応の覚悟が必要だ。

 おれとしては、このセンセイのジョークとやらを求めるえらく滑稽な姿が気に入った。センセイは自分にも少しはユーモアのセンスがあるとアピールしようと、まだタイミングを伺っている。だが、驚いたように見開いた目玉がいかにも余裕なさそうに小刻みに右に左に動くその様は、まるきり挙動不審者だ。どうやらこの男には本格的な助けが必要らしい。

「この依頼、引き受けよう」


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