第136話 チョコの行方は右に左に

「なーつきせんぱぁーい! いらっしゃいますかー!?」


 私が鞄からチョコを取り出そうと手を伸ばしたとき、そんな陽気な声が私を呼んだ。

 こんなときに誰よ? 無視してやろうかな。


「……夏希? 呼ばれてるぞ」

「え? わ、分かってるわよ。ちょっと行ってくる」


 陽介にせっつかれ、チョコを取り出そうとした鞄から手を離して廊下へ向かう。


「あっ! 夏希先輩! やっと会えましたね」

「……なんの用?」

「むむ? あまりテンション高くないですね? なにか嫌なことでもありましたか?」


 千秋は何も知らない顔で首を傾げる。

 まぁ、千秋が悪いわけじゃないけどね。ただタイミングが悪かっただけで。


「おっかしいですねぇ……。夏希先輩は朝からたくさんのチョコをもらって喜んでいると思ってたんですが」

「ん……? なんで千秋が私のチョコのこと知ってんのよ?」


 そう尋ねると、千秋は満面の笑みで言うのだ。




「夏希先輩のことは何でも知ってますから! ……と言いたいところですが、夏希先輩へのチョコは私が指揮をっていたので」




「ちょっとまって。今なんか変なこと言わなかった? 指揮がどうのって」

「はいっ! 部活に勉強にとお忙しい夏希先輩の空き時間に、効率的にチョコを渡せるよう、私が! チョコ受け渡しスケジュールを組んだんですよ!」


 ……なるほど、こいつが元凶だったのね。道理でみんな切れ目もなく次々と来るわけだわ。


「よーく分かったわ。あんたのせいだったのね」

「はいっ! 私のせいなんです! ……え? せい?」


 私は無言で手刀を構える。そして天高く掲げたそれを、千秋の頭頂部に勢いよく振り下ろした。


「んぎゃあ! なんでですかぁ!?」

「あのねぇ、確かにあんたの組んだスケジュールは私の空き時間にピッタリ収まるもんだったわよ? でもそこに私の自由時間がないでしょうが!」

「そんなバカな……、お花を摘みに行くくらいの時間は考慮していたはずですが……。それにお昼休みだって少し余裕をもたせていたので、ご友人と食後の談笑を愉しむことはできたはずです!」


 確かに談笑を愉しむ余裕はあった。ていうかこの子なんでそこまで正確に私の行動把握してんのよ!?


「そして残りの時間は私がチョコを渡して、夏希先輩とそのチョコをお茶請けにお茶をする予定です! そのためだけに他の子たちの受け渡し時間を前後にずらして、昼休みを独占するように調整したんですからっ!」

「やっぱりあんたのせいじゃない!」


 そして再び手刀を振り下ろす。さっきよりちょっと鈍い音がした。


「うごご……。なぜですか、私は夏希先輩のことを想って……」

「最後の方は私欲だったでしょ」

「うぐっ」


 返す言葉もないようで、千秋はシュンとして黙ってしまった。

 そんな萎れた千秋に向かって、私はため息をつく。


「はぁ……。そんな風に色々仕込まなくたって、お茶くらい付き合うわよ」

「え……? ホントですか!?」

「程々ならね。可愛い後輩の頼みなら断れないし」

「夏希先輩……! ああもう好き!」


 感極まった様子で飛びついてくる千秋を手で押さえつけて、私はこの後に続く大事な言葉を口にする。


「でも今日はだめ。いろいろ図った罰よ」

「ええ〜!? そんなぁ……」


 千秋は一転して肩を落とす。

 当然よ。だって今日は私も色々やらなきやいけないことがあるし、暇じゃないんだから。


「また明日来なさい」

「うぅ、分かりました。ではせめてチョコだけでも受け取ってください! 夏希先輩への想いを込めた力作ですのでっ!」


 ……チョコは置いてくのね。また後日とかでも全然良かったんだけど、まぁいいわ。

 いまさら1つ2つ増えたところでそう変わらないでしょ。


 そして千秋は嬉しそうにそれを差し出した。


「夏希先輩の凛々しさと美しさをイメージして作ったチョコケーキです! 念の為持ち帰れるようにドライアイスも入れておいたので、安心してくださいねっ!」


 ……外箱のサイズからしてワンホールあるんだけど。二人で食べる予定だったとしてもサイズ感おかしくない?


「あ、ありがとう。すごく立派なのを作ったのね」

「えへへ、夏希先輩を表すにはこんなのじゃ足りないですが、精一杯頑張りました!」

「頑張り過ぎな気もするけどね」

「じゃあ明日、楽しみにしてますねー!」


 そして千秋はカロリー爆弾を残し、廊下を駆けていった。

 ……この大きさは一日じゃ無理ね。数日に分けて食べるか。



 それを抱えて教室に戻ると、何故かみんな笑みを浮かべている。


「な、なによ」

「ハッピーバースデイ夏希」

「うっさい」

「あたっ」


 冗談を言う陽介の頭を軽くごついて席につく。

 でも陽介の言うとおり、これだけチョコがあると誕生日のようね……。

 一年に二度も年を取りたくない。そんなことを考えながら山積みのチョコを一つ口に放り込む。


 それからしばらくの間昼休みは続いたけど、結局タイミングを逃してチョコは渡せず仕舞いだった。

 千秋の話じゃこの後も後輩が来るようだし、私にチョコを渡す機会は巡ってくるのかな……。





 ――――





 気がつけば外は薄暗くなり、放課を告げるチャイムが校内に響き渡っていた。

 結局それからもチョコはもらうばかりで一向に渡せなかった。


 今も廊下では、この寒い中後輩の女子たちが教室の中を伺っている。

 放課後になったばかりだっていうのに、早すぎない? 千秋の組んだスケジュール、どんだけキツキツなのよ。


 クラスの男子たちはなぜかそれを見てソワソワしてるけど、まさかあの中の一つたりとも男子の手に渡ることはないなんて想像もできないでしょうね……。


 そんな風にあたりの様子をうかがっていると、チャイムが鳴り終わると同時に帰り支度を終えていた陽介がこちらに向かって来た。


「じゃあな夏希、この後も大変だろうけどがんばれよ」

「あっ……」

「ん? どうした?」


 背を向け去っていこうとする陽介の背中に、思わず声が漏れた。

 振り向く陽介は私の気なんて知らずに間抜けな顔をしている。

 なによ、少しくらい期待してくれたっていいじゃない! 私だって頑張って作ってきたのに……。


 でも、そんなこと言えるはずもなかった。こんな大勢人がいるところで渡せるほどの勇気はないし、渡せる場面なんていくらでもあったはずなのに、私のチョコは未だ鞄の中で眠っているんだから。

 今だって、ここで渡さなきゃもうチャンスはないって分かってるのに渡せずにいる。


「あぁ、その……、おでこ赤くなってるわよ。また授業寝てたんでしょ」

「えうそ、まじか」

「ははっ、嘘よ」

「なんだよもう」

「でも寝てばかりいるとまた赤点取るわよ?」

「はっ、うるへえ」


 陽介は会話を楽しむように笑うと、じゃあなと言って背を向けた。

 その背中に思わず手を伸ばしかけて、私はマフラーの下で唇を噛んだ。


 ああ、ほら。結局渡せなかったじゃない。柄にもないことするからこんなことになるのよ。こんな気持になるのよ。

 所詮、私がチョコを渡すなんて無理な話だったんだ。昔っから女の子らしいところなんて一つも見せてこなかったし、陽介だって私のこと男友達みたいに思ってるんでしょ? どうせ渡したって笑われるのがオチよ。

 むしろ良かったじゃない。らしくないって笑われるくらいなら、こっちのほうが、ずっと……。


「なっちゃん、いいの?」


 陽介と入れ違いになるようにして私の前に立ったのは、少し怒ったような顔をしたユッキーだった。

 じっとまっすぐにこちらの目を見てくるユッキーに、私はバツが悪くなって目をそらす。


「……いいのよ。どうせ大した出来でもないし」

「でも……!」

「あはは、ホントにいいんだって! じゃあ私部活行くから」


 そして私は逃げるようにして教室をあとにした。

 後輩たちの歓声に包まれながら、私はずっと背中にユッキーの視線を感じていた。



 それから、私はさながら芸能人のように女子の相手をしながら部室へと向かった。

 そしてそれもようやく収まった頃、ちょうど目の前には部室のドアがあった。

 ここまで計算づくだとしたらすごいことね……。今度スケジュールを立てるときは千秋に頼んでみようかな。


 そんな思考で自分をごまかしても、頭をよぎるのは陽介の顔だ。

 はぁ……、なにやってんだろ私。チョコ一つ渡すことが怖くて、自爆して、バカみたい。


「おつかれ、夏希」


 すぐ後ろの声に振り向くと、すでにウインドブレーカーに着替えた隆平が立っていた。

 それが少し残念で。私は何を期待していたんだろうって自虐的な気持ちになる。


「なんだ、隆平か」

「ほんとにお疲れみたいだなー。もう練習始まるから、急いだほうがいいよ」

「うん」


 ……こいつ、ヒナたちによれば私のこと好きなのよね。本当にそうなんだとしたら、私がチョコをあげれば喜んで受け取るのかな。

 喜んでもらえるならチョコだってそっちのほうがいいわよね。どうせ持って帰ってもお父さんにあげることになるだろうし、隆平にあげたって変わんないわよ。


 そして私はチョコで一杯になった鞄に手を入れる。

 この重い鞄が少しでも軽くなれば、私の気持ちも軽くなるかもしれない。なんの根拠もないけどそう思えた。



「はいこれ。隆平にあげるわ」


 取り出したのは、手のひらサイズのプラカップに詰め込んだトリュフリョコ。きれいにラッピングまでした、ただ一つだけ用意した私の作ったチョコ。


「これを俺に?」

「そう。今まで渡すタイミングなかったから」

「そ、そっか……。じゃあ――」


 そう言って手を伸ばしかけた隆平は、すぐにその動きを止めた。

 そして私の手のひらの中のチョコをじっと見つめて、確かめるように口を開く。


「……これさ、陽介の分はないの?」

「……ないけど? それがどうしたのよ」

「てことは、俺だけにくれるチョコってわけかぁ」


 私の答えを聞いて、隆平は嬉しそうに微笑んだ。

 そして、途中まで伸ばしかけていた手を下ろし、私の目を見て言う。




「やっぱり俺はいいや」




 それは想像もしていなかったセリフだった。

 今のは完全に受け取る流れだったじゃない!? どういうことよ!


「ど、どうしてよ?」

「俺ほんとは甘いもの苦手なんだよね~。このチョコは見るからに甘そうだし、俺には無理かなぁって」

「そんなこと言ってユッキーからはもらってたじゃない!」

「あれはそんなに甘くなかったんだよ。昼休みに陽介と食べたけど、ビターな感じだったなー。義理チョコって味がした」

「なによそれ!?」


 わけのわからないことを言う隆平に食って掛かると、隆平は声を上げて笑った。




「だからそれは陽介にでもあげなよ。あいつ甘いもの好きだしさ、きっと喜ぶよ」




 そして優しげな笑みを浮かべたまま、そんな事を言った。

 あぁ、私のチョコは隆平でも受け取ってくれないんだ。そう思うと悲しくなるかと思ったのに、どういうわけか私は安心していた。


「でも、陽介はもう帰っちゃったし……」

「そういえばさっき昇降口に靴を取りに行ったとき陽介に会ったよ。なにか待ってるみたいだったし、今行けばまだ間に合うんじゃない?」

「…………」


 私は黙ったまま部室のドアを開け、そこに鞄をそっと置いた。

 上着と首に巻いたマフラー外してその上にかけ、誰にも受け取ってもらえなかったチョコを手に外へ出る。


「どうする?」

「まぁ、練習前のアップには丁度いいかもしれないし、ちょっと昇降口まで走ってくるわ。ついでに陽介を見つけたらこれ押し付けてくる。どうせ持って帰ってもゴミになるだけだし」

「いいんじゃない? 山井田先生には俺から言っておくからさ」

「そう? じゃあよろしく」


 そして私は走り出した。凍てつく冬の空気を切り裂いて。

 頬を横切る冷たい風を感じながらも、私は自然と笑みを浮かべていた。


 陽介がいる。一度は諦めた機会がまた訪れたんだ。

 今度こそ渡そう。恥ずかしいとか怖いとか、そんな風に逃げないで、真正面からチョコを叩きつけてやろう。


 らしくないって笑われたって何よ。それならお返しに手作りお菓子を要求して、笑い返してやればいいじゃない!


 一歩踏み出すたびに足が軽くなる。その度に気持ちも軽くなる。

 悩みのタネが一つなくなって、そのせいかもしれない。


 だって、やっぱり違ったから。ヒナやユッキーが勘違いしてただけで、隆平は私のことなんか好きじゃないって分かったから。

 ユッキーのチョコは受け取って、私のは受け取らなかったじゃない。

 ……そう考えるとユッキーのほうがいいってことよね。なんかムカつくけどまぁいいわ。


 リノリウムの床を蹴って、上履きのゴムが高い音を上げる。

 廊下にはもうほとんど人影はない。この寒い中、おしゃべりするのはもはや修行だ。


 教室から漏れ出る明かりが、道標となって断続的に廊下を照らす。

 視界の端に映る窓越しの中庭では、庭石に積もった雪が薄青く輝いていた。


 あの角を曲がれば昇降口は目の前。右手に握ったチョコをチラリと見る。


 ……それに、隆平が私のことをどう思っていようと、私には関係のないことだったんだ。


 あいつは色々気が回るし、部活内でも部員の間を取り持ったりしてるとこを何度も見てきた。


 いいヤツで友達。それが私にとっての隆平。

 好きって言われればそりゃ嬉しいだろうけど、その認識が変わるわけじゃない。


 だって私にはもう心に決めた人がいるから。

 私を守ってくれたあの日から、手を伸ばせば届く距離にいてくれた。あいつはあの日以来、私の心の真ん中に居座って離れない。



 廊下の角を曲がると、昇降口が視界に飛び込んできた。

 そして、私は壁にもたれかかるその人を見て、走るのをやめた。

 惰性だせいで数歩前に出て、足を止める。


 外から吹き込む冷たい風が、足元を撫でていく。そいつはその冷たさに肩を震わせ、鼻をすする。

 その口元は吐いた息で白く曇り、熱を逃さぬようにネックウォーマーを引っ張り上げた。


 一歩、歩き出す。

 私の視界の中心にはあいつがいる。


 三歩、大きく息を吸う。

 高鳴る胸を抑え、上がった息を整える。


 六歩、この目にその姿をはっきりと映す。

 眠そうな目でスマホを眺めるあいつは、まだ私に気づかない。

 手に持ったチョコを、そっと後ろに隠した。


 九歩、立ち止まる。

 あいつがこいつに変わる距離で、私は最初の言葉を口にする。




「なーにしてんのよっ、こんなところで」




 手を伸ばせば届く。そんな距離で、目の前のこいつは間の抜けた表情で顔を上げる。

 そしてその瞳に私を映すと、柔らかく微笑んだ。




「お前を待ってたんだよ、夏希」



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る