第107話 占い師の目は未来に至れず

『今朝雪芽が倒れました。今日これからそちらに向かうのでお話しできませんか』


 私が休憩をしていると、スマホにそんなメッセージが届いていた。

 その簡潔なメッセージに、私は妙な焦りを感じていた。


『分かりました。私もすぐに向かうのでいつものカフェで待っていてください』


 こちらも簡潔に返信を送ると、スマホをしまい込む。



 以前柳澤君の話を聞いたとき、雪芽さんは広瀬君と言うクラスメイトとお付き合いを始めたって言ってたな。話を聞く限りだと雪芽さん気持ちは柳澤君から離れていないようだったし、柳澤君も雪芽さんに彼氏ができたことにショックを受けていた様子だった。もし雪芽さんがいやいや広瀬君と付き合っているのなら助け出そうともしていたようだったから、差し迫って危険ではないと思っていたけど……。


 前回雪芽さんが倒れてから、彼女が倒れ、死に至る原因は分かった。しかしその原因のせいで私はこれまでのように柳澤君を支えてあげることができなくなってしまった。

 彼女の命を救うこと。それはつまり柳澤君の人生を、彼の未来を一つに定めてしまうことになる。今後彼にあまりに大きなものを背負わせてしまう。


 それ故に前回会った時もろくなアドバイスができなかった。本来なら雪芽さんと広瀬君を即刻別れさせろと言うべきなんだろうけど、大人の私が彼らの青春に首を突っ込むわけにはいかない。それに柳澤君の気持ちを無視してそんなことをさせれば、後でどんなことが起こるか分からない。


 でもそんな消極的な姿勢が今回のことを招いたのかもしれない。だけど今朝倒れたというならまだ数日は猶予があるはず。詳しい話を聞けば対策も思いつくかもしれない。


「……そんな風にして、いったい私はいつまでごまかしているつもりなのよ」


 でも私から雪芽さんの気持ちを柳澤君に伝えることは決してできない。それは大人としてしてはいけないことだ。

 だけど、そうした核心的な部分に触れない限り、柳澤君を真に救うことはできないのだとも思う。


「はぁ、どうするのが正解なのか、私自身を占ってみようかな」


 そんなことを呟きながら、私は仕事に戻っていくのだった。





 ――――





 仕事を終え、急ぎいつものカフェに向かうと、柳澤君の背中が目に入った。

 ドアを開けた拍子に鳴りだす軽快なベルの音に振り向いた彼の瞳は、濃い不安と言う闇の中で微かに希望の光が瞬くような、そんな危うさをはらんでいた。


「お待たせしました。詳しくお話を聞かせていただけますか?」


 私は柳澤君の正面の椅子に腰かけると、マスターにコーヒーを注文してからそう切り出した。


「はい……。まずは前に飯島さんと会ってから今までに何があったか、お話します」



 それから聞かされた話は私の想像をはるかに超えて悪いものだった。

 柳澤君を苦しめた噂を流した張本人が広瀬君で、その噂を消すことを条件に雪芽さんに恋人になることを強要した。

 柳澤君は雪芽さんに広瀬君と別れるように言ったものの、これを拒絶。それにショックを受けた柳澤君は雪芽さんとほぼ絶好状態になった。


 前回会ってからの2週間で随分と状況が変わってしまったらしい。私の見通しでは問題ないはずだったけど、その広瀬君とやらがかなりの曲者くせものだったようだ。


 以前話を聞いてから少し怪しいと思ってはいたけど、広瀬君とやらはもしかしたら……。

 ううん、まだそうと決まったわけじゃない。可能性はあるけどまだ情報が足りない。



「その広瀬君は雪芽さんを恋人にするために柳澤君をありもしない噂でおとしいれた。そういうことですよね?」

「そうだと思います。どうしてそこまで雪芽を手に入れたかったのか分かりませんが……」

「柳澤君の噂が流される以前、広瀬君と雪芽さんの関係はどのようなものだったんですか?」

「えっと、それほど仲良くはなかったと思います。広瀬がたびたび声をかけてはいましたが、雪芽はあまり心を開いていませんでした」

「ふむ……」


 私は届けられたコーヒーを一口含むと、その苦さと香りで頭を刺激する。


 前回話を聞いたとき、広瀬君が雪芽さんに近づき始めたのは、柳澤君の学校に雪芽さんがやってきて間もなくと言う話だった。ということはそれにもかかわらず広瀬君はつい最近まで雪芽さんと親しくはなれていなかったということになる。


 おそらく雪芽さんが柳澤君に恋心を抱いていたことも要因だろうけど、単に広瀬君と波長が合わなかったのかもしれない。どちらにしても広瀬君としては望ましくない状況だったわけだ。


「おそらくですが、広瀬君は速やかに雪芽さんを恋人にしたかった理由があるんでしょう。柳澤君の話を聞く限りでは広瀬君はずいぶんとプレイボーイのようですし、そんな手を使わなくても何かしら他の方法で雪芽さんに近づけたでしょうから」


 単純な時間だけで言うならまだあと1年はあったはずだ。それなのにそんなに急いで雪芽さんを手に入れたがった理由は何か?



「そんな脅すような手を使っても雪芽さんの心は離れていくというのに……。それが分からないほど浅慮せんりょな人物だとは思えないし。と言うことは必要なのは雪芽さんの体か存在そのもの……?」

「体って……! そんな理由であいつ雪芽のことをッ……!」


 思わず考えを口に出していたようで、柳澤君が怒りに拳を震わせる。

 私はそんな彼を落ち着かせるために諭すように言葉を選ぶ。


「落ち着いてください。そう言った可能性もあるという話ですから、真相は本人に聞いてみないことには分かりません」

「はい……」


 雪芽さんの体や存在、あるいはその命を必要とする。それは世界をループさせてまで雪芽さんを生かそうとした犯人の目的と一致している、かもしれない。ますます広瀬君が容疑者か、またはその協力者として怪しくなってきた。


 雪芽さんが倒れる条件がああなっているのも納得できる。広瀬君はあの夏休みの間で雪芽さんと接触できる時間がない。その点柳澤君なら住む地域が一緒のこともあって適している。


 でもそうなるとこうして雪芽さんが倒れてしまった理由が分からない。条件の更新がなされていないのか、あるいは犯人にとってはすでに用済みとなったのか。

 なんにせよまだ判断材料が足りない。結論を出すのには早い。



「それで雪芽さんに拒絶されて疎遠になったというのは、どの程度なんですか?」

「えっと、最初はほとんど目も合わせられませんでした。話しもしませんでしたし。最近挨拶ができるようになってきたくらいです」

「なるほど……」

「……やっぱりそれが原因ですかね?」

「可能性はありますね」


 柳澤君を拒絶したということは広瀬君が何か吹き込んだのかもしれない。脅しか、取引か、なんにせよそれは雪芽さんの本心ではなかった。

 そうして柳澤君と雪芽さんの間に距離を作り、雪芽さんの心が弱っていって倒れてしまった。可能性としては十分あり得る話だ。



「それでは最後に雪芽さんと話したのはいつで、何を話したか覚えていますか?」

「最後に話したのは昨日です。内容は確認でした」

「確認?」


 柳澤君は真剣な表情で頷くと、とんでもないことを言った。




「はい。俺に彼女ができたっていうのは本当かって」




「彼女? 柳澤君にですか?」

「はい。広瀬に聞いたって言ってて、それは本当かって。認めたらおめでとうって言ってたんですけど、なんか様子がおかしくて……」

「おかしい、というと?」


「泣いていたような気がするんです。本人は寒くて鼻水が止まらないだけだと言ってましたが……。今日雪芽の両親に聞いた話だと、ずぶぬれでしばらくいたと聞いたので、本当だったのかもしれませんが、まだ意識が戻らないみたいで確認はできませんでした……」

「そう、ですか……」


 柳澤君に彼女ができていたなんて……。これは考え得る限り最悪の状況だ。

 しかもそれを雪芽さんが知ってしまった。まず間違いなく雪芽さんが倒れた原因はここにある。


「ひとまずおめでとうございます。素敵な彼女さんなんですか?」

「ありがとうございます。もともとは妹の友達で昔はよく一緒に遊んでいたい子なんですが、気の利くとっても優しい子です」

「なるほど、彼女さんのことが好きなんですね」

「はい」


 頷く柳澤君は微笑みを浮かべていた。その笑みに、柳澤君の言っていることは嘘ではないと分かる。

 もし彼が本気で今の彼女さんを好いているなら、雪芽さんの死は免れないだろう。

 でも、今の柳澤君から受ける印象だと、あるいは……。

 いや、今はそのことを考えるのはよしなさい。どのみち私にできることはほとんどないのだから。



「ところで雪芽さんが目を覚まさないと言いましたよね? それは過去にもあったことなんですか?」


「えっと、鉄信さん、あっ、雪芽のお父さんから聞いた話だとこっちに引っ越してくる少し前にも2日ほど目を覚まさなかったことがあったらしいです。その時は体調に特に異常はなくてすぐ退院したらしいですけど。今回もそうなのかは分かりませんが……」


「こっちに来る少し前に一度だけ……。夏休み中にはありませんでしたか?」

「夏休み中は倒れたその日には意識があったはずです」

「ふむ……」


 特に異常がないのに目を覚まさないことに何か意味があるような気がしてならないけど、今はまだ様子を見ないといけなさそう。広瀬君の動きも気になるし、今後は柳澤君と密に連絡を取っていかないと。



「大体の事情は分かりました。それで、これからどうしていくかですが……」


 私は一度そこでコーヒーを飲み、乾いた口を潤す。

 まさかこんなに状況が悪いとは思っていなかった、なんて言い訳にしかならないけど、私は彼に伝えなくてはいけない。

 これを伝えた時の柳澤君の気持ちを思うと心が痛む。でも言わないと。


 私は小さく息を吸うと、まっすぐに柳澤君の目を見て口を開いた。




「今回、私はあまり力にはなれません」


「え……?」




 驚きと疑念。彼の目に宿る感情は大きくその二つに分けられた。

 突然の協力辞退に対する驚きと、なぜ急にそんなことを言い出したのかという疑念。その二つが不安で満たされていた双眸そうぼうから私に向けて放たれている。


「私はあなたに有益なアドバイスをしてあげることができない。何をすればいいと、そう指示をすることもできないんです」

「……ど、どうしてですか? どうして急にそんな……?」


 それは驚くよね。今まで協力してきた私が、急に今回は無理だなんて言うんだから。

 でも仕方のないことなの。今回ばかりはもう手遅れ。私にできるのは正解を教えることくらいしか残っていない。だけどそれはできないことだから……。



「ごめんなさい。でもこれは柳澤君、あなたの人生なんです」

「俺の、人生……?」


「今回私が力を貸すと、それが柳澤君の人生を決定してしまう結果になりかねないんです。以前もお話ししたかと思いますが、私はあなたの人生の選択肢を狭めたくない。あなたの人生を大きく左右する決定を、私の指示でさせたくないんです。決して意地悪とか、柳澤君が何か悪いことをしたというわけではないんですよ」


 そう、これは柳澤君の人生に関わる大きな選択肢。

 答えを教えてしまうことは簡単だ。今すぐ彼女と別れろと言えばいい。でもそれは違うと思う。


 私は大人だから、子供が道を大きく外れてしまったら正しい方向へ導く義務がある。でもそれは正解の道を懇切丁寧に教えてあげることとは違う。

 私たち大人がするのは、間違えた時にもといた場所まで導いてあげて、もう一度スタートさせてあげることだけ。正解の道を歩ませるために間違いの道を封鎖するのが役割じゃないんだ。

 そしてどうしても進み方が分からないと立ち止まってしまったとき、そっと前に進むためのヒントをあげる。それが大人が子供にしてあげられることだと私は思う。

 だからこそ、私は柳澤君に正解の道を教えるわけにはいかない。


 でも世界が再びループしたとき。彼の心が壊れてしまわないか心配ではある。

 だからこれは非常事態なんだと答えを教えてあげてもいい気もするけど、それは結局雪芽さんの気持ちを柳澤君に暴露することになる。やっぱりそれはできない。


 そうして悩んだ結果、私は今回は力を貸せないという結論に至った。



「俺は、俺はっ! 自分の人生なんてどうなってもいい! 雪芽を救うって決めたあの夏休みから、俺の人生はとっくにくるってて……。だから、いまさら人生の選択肢なんて……!」


「違いますよ。あなたの人生はまだ続いています。確かに思い描いていたものとはだいぶ違うかもしれませんが、まだ終わりではありません。

 そして人生は選択の連続と言います。常に迫ってくる選択肢を、あなたは自分の意志で、責任をもって選んでいかなくてはいけない。そしてその選択肢自体あなたが作り出すんです。けして与えられた選択肢を、与えられた答えを選ぶのではないんですよ」


「でも、でもっ! 何も分からない今のままじゃ、また雪芽は死んでしまう! また世界は繰り返してしまう!」


 柳澤君は悲痛な叫びを上げ、訴えかけるような目で私を見る。

 そんな彼の様子に、私は自分が悪役にでもなったかのような錯覚をしてしまう。こうまでして頑なに彼に選ばせる必要があるのか。答えを教えてしまえば誰も傷つかずにいられるのではないか。そんな考えが脳裏をよぎる。


 ……いや、でもそれは違う。誰も傷つかない選択肢なんてものはない。今付き合っている彼女さんと別れればその彼女さんは傷つくだろうし、そのままお付き合いを続けるなら雪芽さんは死に至る。そして柳澤君の心が、大きな傷を負うだろう。

 それでも、私は――。


「では、そうならないよう努力してください」

「飯島さん!」


「もし仮にまた世界がループしたら、私のところに来て今まであったことのすべてを話してください。どこまで戻されるかは分かりませんが、早めに私に相談していただければ対策も練れるでしょうから」

「そんな……」


 柳澤君は絶望にその目を暗く染める。

 そんな彼の表情に、私は思わず謝って前言撤回してしまいたくなる衝動に襲われた。

 息を吸って、口を開きかけて、でもそこでぐっとこらえる。



「……でも、私は占い師です。柳澤君を占ってあげることくらいなら、力になれるかもしれません」

「飯島さん……!」


 微かな希望の光をその目に宿す柳澤君に、私は思わずそっと微笑む。

 我ながら甘いとは思う。でも若い男の子をいじめて楽しむ趣味はないもの。やっぱり笑っている子のほうが断然かわいいと思うから。


「さあ、手を出してください」


 そっと差し出された柳澤君の両の手を、じっと眺めてみる。

 この年にしてはありえないくらい、苦労してきた人の手相だ。


 手に取ってみるとちゃんと男性のごつごつした手だった。



 じっと手相を眺めて、少し先の未来を見てみる。このままいけば起こりうる未来の可能性の一つを見通す。

 そうして見えた未来は、あまりに残酷なものだった。


 柳澤君の周りに、とても巨大な悪意が見える。それは暗く、どこまでも広大に彼を包み、彼の周囲の人すらも不幸にしていく。

 そしてこの先の未来をも飲みこみ、彼はまた時を巡ることになる。やっと勝ち取った未来を、また奪われてしまう。



「……あまりいい結果ではないんですね」


 柳澤君は静かにそう言った。

 その声には諦めが見て取れたけど、彼の顔には諦めとは逆の感情で満ちていた。




「大丈夫です。だって飯島さん言ってたじゃないですか。占いはあくまで未来を見るもの。確定させるものじゃないって。だったらいくらでも変えていけるはずですよね?」




 その言葉に私は笑みを浮かべる。

 なんだ、この子は私が思っている以上に強い子だ。今にも壊れてしまいそうで、ボロボロになりながらも必死に前を向いて、足を引きずってでも進んでいく。そうして今目の前に再び真っ暗な闇が現れても、微かな希望の灯りを手に進もうとしている。


「はい、そうです。あなたはこの先巨大な悪意に襲われるでしょう。でも挫けてはいけません。立ち向かいこれを払ったとき、未来が訪れることになるでしょう」

「悪意を払う……」

「そうです。そして一人ですべてを抱え込もうとしないでください。きっとあなたを助けてくれる人が、あなたのそばにはいるはずですから」

「はい!」


 あぁ、きっと、きっと大丈夫だ。この子はたとえ再び絶望の淵に落ちようとも、繰り返す時間の中にとらわれようとも、必ず光を見つけ出して未来を勝ち取れる。


 それでも願わくは、彼の失われてしまった未来が再び戻ることを。もうこれ以上傷つかず、彼の望む笑顔があふれる未来に進めることを。

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