第76話 猫の手は意外に便利

 授業が終わり放課後になると、俺は雪芽たちと共に駅までの道のりを歩いていた。

 俺の自転車のかごには、俺のものではない荷物が3人分。ぎゅうぎゅうになって詰め込まれている。


 そして俺の周りには、半袖から長袖に変わった制服に身を包んだ女子が3人。皆整った容姿をしている。

 これはハーレムなのではと思ったが、一人は幼馴染、一人は親友で、もう一人はなぜか俺のことを嫌っている後輩。案外そうでもないんじゃないか?

 冬服という新たな装いが未だ新鮮で、目の保養にはなると思うけどさ。


「それで、なんで先輩まで付いて来るんですか。私と夏希先輩の邪魔しないでください」

「しょうがないだろ、帰り道が一緒なんだからさ」

「一本後で帰ってくださいよ」

「1時間も何してろってんだよ……」

「ボーっとしてればいいんじゃないですか? 先輩そういうの得意そうですし」

「あのなぁ……」


 俺を嫌っている後輩の杉山は、荷物を運んでやっている俺に対して随分と冷たい態度をとる。

 いつもなら文句の一つでも言って5倍になって返ってくるところだが、今日はぐっとこらえる。

 なぜなら今日は、杉山にとって特別な日だからだ。



 それは今日の放課後のこと。夏希が珍しく部活が休みとかで、雪芽と楽しそうに話をしていた時、教室に杉山がやってきたのだ。


「夏希先輩! 今日部活がお休みだって聞きました! 私もそうなんですよぉ!!」

「あれ、千秋じゃない。ウチのクラスに来るなんて珍しいわね。……それで、どうして私が部活休みだって知ってるわけ?」

「ところで、今日が何日か分かりますか?」

「11日でしょ? それでなんで――」

「今日が何の日か、分かりますか!?」


 杉山は珍しく夏希の言葉に耳を貸さず、興奮気味にそう尋ねていた。

 夏希は少し面食らいながらも、頭をひねる。



「体育の日じゃないかな?」

「それはこの前の祝日ですよ池ヶ谷先輩」


 そう指摘されて、雪芽は恥ずかしそうにはにかんだ。


「じゃあポッチーの日じゃないか?」

「それは11月11日ですよ。くだらないこと言ってないで視界から消えてください先輩」


 俺のくだらない冗談も取り合うつもりはないらしく、杉山は冷たい態度でそう言った。


「ウインクの日じゃない? なんかテレビで聞いた気がする」

「正解なんですが、私の言っている特別な日とは違います! 夏希先輩が間違えるはずありませんから、これは私のミスです!」


 この反応、夏希が何答えても喜ぶんじゃないかこいつ。

 まぁ仲がいいのはいいことだけどさ。


「お二人ともおしいですが残念ながら正解ではありませんね。正解は……、私の誕生日ですっ!」

「あ! そうだったそうだった! ごめん千秋~、忘れてた」

「そうなんだ! じゃあお祝いだねっ」


 そうだったのか、今日は杉山の誕生日。だから夏希に祝って欲しくて教室まで来たと。

 ……あれ、というか今お二人って言わなかったか? 俺含まれてなくね……?


「じゃあこれからプレゼント買いにいこうか。千秋は何がほしいの?」

「そのことなんですが――」



 ……ということがあって、杉山の誕生日プレゼントのためにこうして4人で一緒に下校中というわけだ。


 しかしあれがプレゼント……? あんなことわざわざ誕生日にお願いしなくてもいつでもできると思うんだが……。


「先輩は夏希先輩の家までついてこないでくださいよ。それだとせっかくの幸せ誕生日計画が台無しですから」


 そう、杉山のお願いした誕生日プレゼントというのは、夏希の家にお呼ばれされる権利、だそうだ。

 そんなの頼めばいつでもいい気がするのだが、杉山曰く恐れ多くてできないらしい。


 そういえば俺も最近夏希の家には入ってないな。最後に入ったのはいつだったか、もうずいぶん昔な気がする。


 そんなことを考えながら歩いていると、いつの間にか駅のそばまで来ていた。

 俺は自転車を駐輪場に置くために、いったんみんなと別れる。重い荷物がなくなった自転車は、とても素直に動いてくれて、上機嫌に見えた。



 自転車を置いてみんなと合流すると、駅への残りの道を歩き出す。

 そこで俺は小さな後ろ姿を見つけた。


「……あれ? なんであいつがここに?」

「どうしたの、陽介?」

「いや、駅にいるハート柄の猫が見えた気がしたんだが……」

「気のせいじゃない? こんなところまでどうやってくるのよ」

「それもそうか」


 たしかにハートの猫だと思ったのだが、猫の足でこんなところまで歩いて来たら、ほぼ1日はかかるぞ。他人の空似だったのかな。


「そういえば私、昨日その猫に会ったわよ。なんかやけに近くに来てじっとこっち見てたから、ちょっと可愛かった」

「あ、私もこの間会ったよ。すごく甘えてきて可愛かったなぁ」


 どうやら夏希も雪芽も、ここ最近ハートの猫に会ったらしい。

 まぁいつも駅にいるんだし不思議なことは何もないが、何か用事があるとか言ってなかったか? 何かしてるようには見えないけど……。


「そういえばその時、晴奈ちゃんにも会ったよ。変態だから離れた方がいいって言ってたけど、晴奈ちゃんって猫嫌いなの?」

「いや、そんなことはないぞ。ただあの猫が特別なだけで」

「特別?」

「まぁ、いろいろ因縁があるんだろ。多分」


 猫が喋るなんて言っても、きっと信じられないだろうしな。そしてその猫がエッチらしいということを言っても、ますます信じられなくなるだけだろうし。

 俺からしてみればそういうこともあるんだろうな程度のことだが、雪芽たちからすれば荒唐無稽こうとうむけいな話だろう。



「それよりほら、早くしないと電車でちゃうわよ。これ逃したら1時間待たなきゃいけないんだから」

「そうだね。いこっ、陽介!」

「先輩だけ逃してくれてもいいんですよ」

「誰が逃すか。急ぐぞ!」


 そうして俺たちは急いで駅に向かうのだった。





 ――――





 帰ってきたいつもの無人駅で、さっとハート猫を探してみたが見当たらなかった。また晴奈にひっついてるのかもな。


 杉山と夏希は二人で楽しそうに帰っていき、雪芽も歩いて帰っていった。


 最近は雪芽も歩いて帰ることが多くなり、健康さが伺える。

 体調が悪いそぶりも見せないし、飯島さんが言う通りもう大丈夫なのかもしれない。



 現状を維持する限り、雪芽はもう倒れることはない。それは簡単なようでいて難しいと思う。

 雪芽の気持ちなんて俺にはコントロールできないし、今回みたいに夏希が関わってくる可能性も、他の人が関わってくる可能性もある。俺一人に何とかできる問題じゃない。

 だから今回の夏希の件のように、事が起こってから飯島さんと対策を練って行動するしかない。後手後手になってしまうのだ。


 飯島さんは俺に、特に何もしなくていいって言ってくれたけど、本当にそれでいいのか、俺はまだ迷っている。



 吸い込む空気は夏の湿り気を忘れ、すっかり秋の冷たく乾いた空気になっている。

 制服も半袖から長袖へ、やがて上着も加わり徐々に変わっていく。夏の面影がまた一つ消えていく。


 ……きっと、変わらないものなんてない。いつかは変わっていってしまう。俺が何をしても、何をしなくても。

 それでも俺だけは変わらないでいよう。雪芽を守るために。未来を守るために。

 季節が変わっても、俺と雪芽の関係だけは、俺の目的だけは、変わらないでいよう。

 きっとそれが、今の俺にできる精一杯だと思うから。



 俺が家に帰ってくると、晴奈はもうすでに帰って来ていた。


「ただいま。なあ晴奈、ハートの猫って今何してるんだ?」

「ん、おかえり。知らないよ、火曜日以来見てないから」


 それからハートの猫のことをいろいろ聞いてみたのだが、晴奈は全体的に元気がない様子。

 何かあったのかと尋ねても何でもないと言って教えてくれないし、分かったのは猫の目的と、名前がエロ猫ということだけだった。


 エロ猫って随分な名前だな。名乗る時どんな気持ちで名乗ったんだろう。


 それはそうと、晴奈の元気がないのは気になるな。エロ猫が何かしたんじゃないかと心配になる。

 この前も今度会ったらお仕置きしておいてくれと言われていたし、あいつ約束破ってたら承知しないぞ。



 その時、俺のスマホが軽快な音を立てる。見れば由美ちゃんからメッセージのようだ。


 そこには短く、相談したいことがあるから近いうちに会えないかということが書かれていた。

 丁度いい。晴奈が元気のない理由も由美ちゃんなら何か知っているかもしれないし、相談を受けるときにさりげなく探ってみよう。


 そうして連絡を取り合い、今週の日曜日に駅で待ち合わせる約束をした。


 相談のことも気になるが、エロ猫の動向も気になるな。誰かの観察と報告って、いったい誰なんだろう。ことと次第によっては飯島さんに報告しておいた方がいいかもしれない。





 ――――





 日曜日の昼下がり、俺は由美ちゃんと一緒に駅から由美ちゃんの家に向かって歩いていた。

 初めはどこかお店に入ろうという話だったのだが、この辺にちょっと話すために入れるような店はなく、店がある街まで行くとなると遠いし、公園で話すのもなんだよねという話になって、結局由美ちゃんの家にお邪魔することになったのだ。



「すみません、部屋を片付けて来るのでちょっと待っててください!」


 家につくと由美ちゃんはそう言い残して家の中に入っていった。


 そういえば由美ちゃんの家に来るのっていつ以来だろう。中学になってから俺も部活のことで大変だったし、それっきり疎遠だったもんな。小学校以来かもしれない。


 小学校の時は晴奈の友達ってことでよく一緒に遊んだっけ。川に行ったり公園で遊んだり、山に虫取りに行ったりもしたな。

 なんだか一時期いつも一緒に遊んでた気がするけど、なんでだったか、もう覚えてない。



 そんな風に思い出に浸ること30分。ようやく由美ちゃんが家から顔を出した。


「す、すみません、お待たせしました……」

「いやいや、まぁちょっと長かった気もするけど問題ないよ」


 申し訳なさそうに謝る由美ちゃんに、俺はにこりと笑って見せる。

 大人と女子のちょっとは長いっていうし、これくらいは許容範囲だ。うん、ちょっと寒かったけどこれくらいはね。

 由美ちゃんからしたら俺は年上、ここは余裕を見せないとな。それに俺は紳士だし、これくらいは許容して然るべきだ。


「まだちょっと散らかってるんですけど、どうぞ」

「うん、お邪魔します」


 そうして玄関に上がると、由美ちゃんはリビングではなく階段を上がった自室に俺を通した。

 あれ、昔はよくリビングに通されてた気がするんだけど、今日は違うのか。



 そうして通された由美ちゃんの自室は、一言で言って女の子らしい部屋だった。

 ベッドにぬいぐるみが置いてあったり、アロマやネイルがこぎれいに並べられている。

 壁には写真やポプリが掛けてあって、晴奈の部屋とは随分違うなという感想だ。


 その壁の写真の中に、一つだけ額縁だけが飾られたものがあった。

 それはちょうど勉強机の目の前に飾られていて、ひときわ異彩を放っていた。


「由美ちゃん、あれは……?」

「え、あぁ。あれは空気を入れてるんです」

「く、空気……?」


 俺が怪訝な表情をすると、由美ちゃんは焦ったように手をばたつかせる。


「あ、い、いえ! 違うんです! 額縁だけ飾ってあるとなんだか窓みたいでおしゃれじゃないですか! だから飾ってあるんですよ~!」

「へぇ、そうなのか……」


 まぁ言われてみればそんな気もするか。あれがおしゃれなのか、俺にはとんと見当もつかないけど。


 顔を赤くした由美ちゃんは、逃げる様にして階下に飲み物を取りに行った。

 それにしても空気とか言ってたな。なんのことだ……?

 いや、やめておこう。秘密は暴いてもきっといいことはない。そんな気がする。



 それから戻ってきた由美ちゃんは少し落ち着いたのか、神妙な顔つきで語りだした。


「相談というのは晴奈のことなんです」

「晴奈の? もしかしてそれって、最近晴奈が元気がないのと関係しているのか?」


 あれから思い返してみたのだが、晴奈は連休最終日から元気がなかった気がする。そしてそれは今朝まで続いていた。

 俺がそのことを指摘すると、由美ちゃんは悲しそうな顔をして頷く。


「そうなんです。あたしがこの前遊んだ時に昔のことについて少し話をしたんです。あたしがいじめられてた時の事」

「いじめって、小学校の時のやつか」

「そうです。そしたら晴奈、ちょっと元気なくなって……。でもその時はまだよかったんです。問題はその翌日、連休明けの平日の放課後にもっと元気がなくなってて」


 話を聞くと、昼休みが終わったあたりから思いつめたような表情をしていたらしい。

 さらに、晴奈は学校ではあまり由美ちゃんとも口を利かず、他に親しい友達もいないそうだ。

 いったいどうしてそんなことになっているのか由美ちゃんも分からないようで困惑していたが、随分前から晴奈は学校ではそういうスタンスらしい。


 俺としては学校での晴奈を知って少しショックなのだが、今はそのことについて話しているのではない。気持ちを切り替えていかなくては。


 しかしいじめの話が出て、どうして晴奈の元気がなくなるのだろうか。あいつは由美ちゃんに何かしてたわけじゃないって言ってたし、由美ちゃんもそう言ってる。


「あたしからはあまり聞けそうにないので、陽介さんからお願いしてもいいですか?」

「そうだな……、それとなしに探ってみるよ」

「お願いします」


 こうして元気のない由美ちゃんも見ていたくないしな。


 それから由美ちゃんと晴奈のことについてもう少し詳しく話をしてから、俺は由美ちゃんの家を後にした。



 うーん、由美ちゃんがいじめられていたことと、晴奈の元気がないことは関係していると思うんだが、何が原因なのかはまだよく分からないな。

 きっと直接聞いても教えてくれないだろうし、何かいい手は……。


「あ、そうだ!」


 俺はあることを思いつき、駅に進路をとる。

 上手くいくかは分からないけど、協力者は多い方がいい。そのためには猫の手も借りたいってな。



 そうして俺は無人駅に到着する。そこにはこの間まで見かけなかったエロ猫がいた。


「よう。お前エロ猫って名前だったんだな。知らなかったよ」

「ウニャ!? ニャニャーン!」

「うん? あぁ、お仕置きのことを気にしてるのか。それはもういいんだ。今日はちょっとお願いがあってな」

「ニャ?」


 俺は近くの縁石に腰掛け、エロ猫に晴奈のことを相談した。

 エロ猫はしばらくの間おとなしく俺の話を聞いてくれている様子を見せ、途中で相槌を打つように鳴き声を上げたりしていた。

 本当に不思議な猫だ。なぜ言葉を解し、なぜ晴奈としか話せないのかは不明だけど、せめて晴奈の話し相手になってもらいたいな。



「てわけでさ、いま晴奈がなんか元気ないっぽいんだ。由美ちゃんがいじめられてた過去と何か関係があるみたいでさ。なんとかして元気になってもらいたし、協力してくれないか?」

「ニャァ」


「それと、晴奈は学校で独りらしいからさ、その辺もできたら何とかしてほしいんだ。由美ちゃんとも話もしないで一人でいるなんて寂しいだろ? 俺は兄として面倒見てやりたいんだけど、兄だからさ、ウザがられると思うんだよな。だからこれもお前に協力してもらいたい」


「ニャァア? ニャニャン……」


「猫のお前に頼るのもどうかと思うけどさ。それでも俺にはこれくらいしか思いつかなくてな。でも、協力してくれたら今までのことは見逃してやる。たまってたお仕置きはチャラだ」


 俺の出した条件に、エロ猫はしばらく悩むそぶりを見せ、やがて頷いた。

 そのあまりに人間じみた行動に、俺はなんだかおかしくなって笑みをこぼす。

 こいつと話が出来たら、きっと俺は仲良くなれる。そんな気がする。


「でもこれからのことは容認しないからな? まぁ、晴奈のこと気にかけてくれるなら多少のことには目を瞑るけどな。俺も同じ男だし」


 そう言うとエロ猫は、任せておけとばかりに鼻息を吐くのだった。

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