第59話 栄光の瞬間は暗い予感に終わる

「陽介ぇ! ぶっちぎれぇぇええ!!」


 そして陽介は1位の選手とほぼ同時にテープを切った。



『ゴォォオオル!! 様々な苦難を乗り越えてついにゴールです!』

『いやー! すごい展開でしたねぇ。それで1位はどっちなんでしょうか?』

『テープを引きずっているのは4組のようですが……?』


 実況と解説の言葉に、グランドは一斉に静まり返った。

 皆固唾を呑んで結果を待っているのだ。



 審判たちが顔を寄せ合って審議している横で、膝に手をついた陽介が顔を上げた。

 そのまま腰に手を当てて息を整えるために辺りを歩き回っている。


 ここからじゃその表情が見えないけど、どうなのよ……!? 勝った確信があるなら何か合図しなさいよ!


 それから審判たちが互いに頷き合い、陽介の腕を持ち上げた。



『え、1組? 1組が勝ったの? い、1組です! 激動のクラス対抗リレーを制したのは1組です!!』


 その瞬間、グラウンドを歓声が埋め尽くした。

 負けたはずのクラスの生徒も、他の学年の生徒も皆陽介を祝福していた。

 ある者はあらん限りの声を上げ、ある者はにこやかに手を叩き、ある者は静かに笑みを浮かべていた。


 陽介が、勝った……? あの状況から、最下位から1位になった……?



「おいおい! ほんとに1位になっちまったよ! なぁ夏希、陽介のやつスゲーじゃんか!」

「柳澤君すごい! なんで彼陸上部に入らないのさ!? 勧誘しよう勧誘!」


 隆平と結奈は興奮を隠しきれない様子で、今にも飛び跳ねそうな勢いだ。


「あの陽介が、ね。ふーん、そういう人だったのか、彼は」

「確かに根暗っぽいもんね、柳澤君って。でもあんなに運動できたんだぁ、知らなかったなぁ」

「違うよヒナ。そういうことじゃない」


 広瀬君はヒナと何か話していて、やけに真剣な目をしていた。

 ヒナはそれを不思議そうに眺めていたが、やがて興味を失ったのか、歓声を上げるのに戻っていく。



 グラウンド中の歓声をその身に浴びながら、陽介が私の元へ帰ってくる。

 その表情はきょとんとしていて、何が起こったのかわかっていない様子だった。

 その様子がいつかの陽介のそれと被って見えて、私はようやく陽介が勝ったんだと、1位になったんだと実感した。


 でもあの速さは見たことがない。中学の時より体も大きくなったとはいえ、ろくに鍛えてないはずの陽介があそこまで速く走れるはずなんてないのに。

 途中で足が言うことを聞かなくなってもおかしくないはずなのに。


 なのに、陽介は走り切って見せた。

 最下位から1位になって見せた。

 本気で走って見せた。


 その本気が、私のためじゃなくてユッキーのためだってことはわかってるけど、4年ぶりに見た陽介の本気を見て、私は感動していたんだ。

 声も出ないほどに。涙が出そうなほどに。



 陽介は駆け寄った隆平たちに囲まれて、戸惑いながらも微笑みを浮かべていた。

 そんな気取らない間抜けな表情が、どうにもおかしくて笑ってしまいそうになる。


 陽介は私と目が合うとゆっくりと近づいてきて、私の顔を見て安心したように息を吐いた。


「ほら、大丈夫だっただろ? ちゃんと1位になった」


 そしてそう言って笑うのだ。

 子供みたいに無邪気な笑みで、笑うのだ。


 もしかして、大丈夫ってそういう意味だったの……?

 私がバトンパスをミスって、最下位からスタートしたとしても1位になれるって、そういうことだったの?

 じゃ、じゃあ、陽介があんなに本気になって走ったのは、もしかして――




「夏希の足を引っ張るなって言われてたからな。久々に本気だった」




 私のため、ってことなの……?

 ユッキーのためじゃなくて、私のためにあんなに必死で……?


「よ、陽介……! あんた――」


 ――ユッキーのために走ろうとしてたんじゃないの?


 そう聞こうと思って開いた口からは、それ以上言葉が出てこなかった。


 今はそんなことを聞く場面じゃない。今は他にもっと言うべき言葉があるでしょ?

 いいの。陽介は私のために走ってくれたって、そう思っておけばいいじゃない。またいつか聞けばいいんだし。


 だから今は、この場にふさわしい言葉を送ろう。

 きっと私のために走ってくれた、この人に。


「――無理するんじゃないわよ。……でも、ありがとう」


 歓声にかき消されてしまいそうなほどか細い私の声に、陽介は確かに頷いて、


「大したことじゃねぇよ。あぁ、肺がいてぇ……」


 なんてことなさそうに顔をしかめるのだった。



「ねえねえ柳澤君っ、陸上部入らない?」

「そうだよ陽介! あんなに早いなんて知らなかった。陸上部入ろうよ!」

「いや、俺部活はなぁ……。多分すぐ飽きるし」


 それから2年生のリレーは終わり、次の3年生にグランドを譲るために移動する最中、陽介は結奈と隆平に熱烈な勧誘をされていた。

 それでも陽介は陸上部に入るつもりはないみたいで、あまりいい反応を返さない。


「えぇー! そんなにいい脚持ってるのにもったいない……」

「そうだぞー! 俺や夏希もいるんだし、飽きたりしないって!」

「いやーどうかな。俺走るのとかそんなに好きじゃないし、続かないと思うぞ?」

「えぇー……」


 フラれたわね、隆平と結奈。まぁ私が陸上に勧誘した時もこんな感じだったし、どれだけ言っても無駄よ無駄。



 そんな二人の勧誘が一段落したところで、私は言わなくちゃいけないことを言うことにした。

 そしてみんなに向かって頭を下げる。


「ごめん、みんな! 私がバトンパスをミスしたせいで余裕だったはずなのに、迷惑かけちゃって……」

「大丈夫だよ、小山さん! 結局陽介が頑張ってくれたおかげで1位だったんだから、何も謝る必要なんて――」

「そうだぞー? あれは俺のミスだからな」


 広瀬君の言葉を遮り、陽介はとんでもないことを言った。

 みんなも驚いた様子で陽介の顔を見る。当然一番驚いているのは私だ。


「俺が夏希の渡してくれたバトンを取り損ねたんだよ。手汗で滑ったのか、ただ慣れてなかったのか。なんにせよあれは俺の責任だ」

「ちょ、陽介――」

「でもまぁ? 1位取ったんだし文句ないよな? 自分の尻拭いは自分でしたわけだし。でもこんなのは金輪際こんりんざいごめんだな……」


 訂正しようとする私を遮って、陽介は言葉を並べる。

 それにみんな納得してしまい、私が真実を述べる前に興味を失ってしまった。


 陽介は後ろであっけにとられる私を見向きもせず、さもそれが当然のことのように振る舞っている。


 ……まったく、どこまでお人好しなのよ、あんたは。


 でも正直、その優しさが嬉しくて、ついつい甘えてしまう。

 もしかしたら本当にそう思ってるだけかもしれないけど、私の中ではかばってくれたってことにしておこう。

 それでいつか何かの形でお礼をしたいと思った。



 それからユッキーの待つところへ移動する途中、千秋が慌てた様子で声をかけてきた。


「夏希せんぱーい! 大丈夫でしたか!? お怪我とかされてませんか?」

「うん、私は大丈夫よ。特に転んでないし」

「あぁ、よかったです……。走り終わったときに座り込んでたから、何かあったんじゃないかと心配で……」


 そういう千秋は本当に心配していた様子で、私が元気なところを見ると、ホッと息を吐いた。


 それから千秋は目の前を横切っていく陽介に目を止め、一瞬顔をしかめるも呼び止めた。


「ん? なんだよ杉山。……た、確かに夏希の足を引っ張ったかもしれないが、ちゃんと自分で巻き返したからチャラだろ?」


 陽介が言い訳がましくそう捲し立てると、千秋は鳩が豆鉄砲を食ったような顔をして、その後にそっぽを向いて言った。


「そ、そうです! 先輩がミスしなければ夏希先輩が余計な心労を抱え込むこともなかったんですから、反省してくださいっ! ……まぁ、それはそれとして、ちょっと見直しました」

「え?」

「だ、だからっ! 先輩もやるときはそれなりにやるんだなってことです! 虫以下じゃなくて、虫くらいにはできるんだって認めてやるって言ってるんです!」

「いや、そこは人並みにできるって認めてくれよ」

「……嫌です」

「お前なぁ……。まぁいいけどさ」


 陽介は呆れたようにそう言ったけど、ちょっとだけ嬉しそうだった。

 千秋も、いつものとげとげしい感じが今はどこか薄い。



 そんな微笑ましい光景を見ていると、少し離れたところから悲鳴にも似た声が聞こえてきた。

 目をやると、その方向は私たちが向かっていた場所、ユッキーのいた方向と一緒だった。


「お、おい! 誰か先生呼んで来い!」

「大丈夫!? しっかりして!」


 どうしたんだろう、誰か熱中症で倒れたとか?

 でもなんだろう、この胸騒ぎは。嫌な予感がする。


 きっと、このまとわりついて来るような嫌な感じは、空を覆っている曇天のせいだけじゃない。

 もっとなにか、確信に近い予感だ。



「ちょっとどいて!」


 私は人混みをかき分け、騒がしさの元へ向かう。

 一歩進むごとに焦燥感が高まって、嫌な汗が噴き出て来る。


 だって、あんなに元気だったじゃない。今朝だって顔色は悪くなかったし、さっきだって陽介に笑顔を向けていたもの。

 大丈夫、大丈夫よ、きっと。何かあったのは他の人で、あの子じゃない……!


 そうして騒ぎの中心にたどり着いたとき、私は自分の嫌な予感が的中したことを知る。




「しっかり!? しっかりして、!!」




 そこには同じクラスの女子に抱えられてぐったりしているユッキーがいた。

 顔は青白く、苦しそうに歪んでいる。


「……ユッキー?」


 女子生徒の声掛けにも反応せず、ただ浅く呼吸を繰り返しているのみ。

 意識がないようだ。




「雪芽……?」




 隣で囁くような声が聞こえた。

 振り向くとそこには呆然とした様子の陽介が立っていて、じっとユッキーを見つめていた。


 しかし、私が未だ手放したままの自我をいち早く取り戻した陽介の表情は、次第に感情の色を取り戻していく。

 焦り、不安、恐怖。様々な感情が入り混じった陽介の顔に、しかし明るい感情は1つも見当たらなかった。



 次第に陽介はその表情を恐怖に歪めていく。

 ユッキーが突然倒れたことに対する焦りではない。ユッキーの体に何かあったのではという不安でもない。

 まるで、こうなってしまうことを何よりも恐れていたかのような、そんな恐怖に顔を歪めたのだ。


 そして陽介はゆっくりと口を開くと、今まで聞いたことないような悲痛な叫びをあげた。




「……雪芽えッ!!」



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