第42話 雪の精は太陽に恋をした
花火大会から帰って来てから、私はなんだかボーっとしていた。
お母さんに何があったのか聞かれても、何か答えたような気がしたんだけど、何を言ったのかは覚えてない。
お風呂に入っている時、眠る前、朝起きた時。そんなふとした瞬間に、花火を見つめる陽介の横顔が頭をよぎった。
まるで壊れた映写機のように、何度も同じシーンを映し出していた。
そんな時、陽介から連絡があった。
『街の方を案内したいんだけど、明日の午後って空いてる?』
……これって、また二人でってことなのかな? それはちょっと、嬉しいかも。
花火大会の時はなんだか恥ずかしくって素直になれなかったけど、今はなぜか陽介に会いたくて仕方がなかった。
だからすぐに返事をした。
陽介からの返信はすぐ来たはずなのに、なんだか随分時間がかかったように思えた。
『よかった。じゃあその時紹介したい奴がいるんだけど、いいか? 雪芽とクラスメイトになる夏希って女子なんだけど』
「なぁんだ」
それを見て私は思わずそう呟く。
そしてベッドに倒れこんで、スマホを胸に抱く。
……花火大会の時はあんなに二人でって言ってたのに。今度は他の人も誘うんだ。それも女の子。
クラスメイトってことは、同い年だよね。
……彼女さん、じゃないよね?
スマホが陽介からメッセージが来たと音を鳴らす。
『夏希もこの辺に住んでてさ、腐れ縁ってか幼馴染ってか、そんな感じなんだけど、いいやつだから安心していいぞ。きっと仲良くなれるから』
「なぁんだ」
今度はホッとして胸をなでおろす。
良かった。彼女さんじゃないんだ。
「……良かったって、なんで安心してるの? 私」
その疑問に答えてくれる者は誰もいなかった。
ただ、スマホがまた音を鳴らす。
『もし不安なら晴奈も連れてくけど。雪芽が来るっていえば多分来るから』
「じゃあ花火大会の時も誘えたじゃん」
そんな小言が思わず口をついた。
でもまぁ、私がクラスメイトになる人と会うのが不安、なんて理由で晴奈ちゃんを呼び出すのは気が引けるなぁ。
私は夏希さんと一緒でも問題ないし、晴奈ちゃんがいなくても大丈夫だと返信する。
それに陽介はただ短く、そうかとだけ返した。
――――
そして迎えた8月10日。
部活終わりに合流するという夏希さんとは、街の方で会うことになった。
だから、駅で陽介と待ち合わせて、二人で電車に乗って街まで行った。
私が学校に通うようになったら、毎朝こんな風に陽介と一緒に通学するのかな? それはちょっといいかも。
陽介が寝坊して、私は間に合うんだけど、陽介が遅刻して先生に怒られたりして。なんかそういうの、いいなぁ。
今まではそんな風に羨んで終わってたことが、現実になるかもしれないと思うと、まだちょっと不安だった学校も楽しみになってきた。
そんなことを陽介に話すと、彼は遠い未来に思いをはせる様に笑って、
「そうだな。そうなるといいな」
と言った。
街につくと、夏希さんは駅で待っていて、私たちは簡単に自己紹介をした。
結論から言って夏希さんはとてもいい人だった。
緊張していた私に優しくしてくれたし、おいしいお店とか、よく服を買うお店とか、いろいろ教えてもらった。
そんなことだから、少しもしないうちにあだ名で呼び合うほどに仲良くなって、これも陽介のお陰かな? なんて思った。
陽介が私となっちゃんの間を取り持ってくれたし、会話のネタもいろいろ用意してくれたおかげかもしれない。
なんだかこういうことに慣れてるように見えたけど、よくやるのかな?
一通りの案内が終わって、陽介がカフェに連れて行ってくれた。
なんだか一見して民家のようなんだけど、中に入ってみると渋いおじさんがマスターをやってるおしゃれなカフェで、陽介なのによくこんな所を知ってるなぁと感心した。
「でも、ユッキーみたいなのがうちのクラスにねぇ……。大変なことになりそう。ね、陽介?」
私がミルクたっぷりのコーヒーを飲んでいると、なっちゃんが突然そんなことを言った。
「まぁ、まず俺は無事では済まないだろうな」
「どういうこと?」
「転入して来たらすぐにでもわかるわよ。もし大変そうなら私が助けてあげてもいいのよ?」
隣のなっちゃんは、私を見て楽しそうに笑い、向かいの陽介に向かっていたずらっぽく言った。
「別に――、いや、やっぱり頼んだほうがいいかもしれん……」
「じゃあその時はなんかおごってよね!」
「はぁ? なんでそうなる!?」
二人は小学校から同じ学校ということもあって、随分仲良しだった。
こんなに仲良しなのに、どうして何もないのか不思議なくらい。
陽介と話している時のなっちゃんはとっても楽しそうで、輝いて見える。
もしかしてなっちゃんは陽介のことを……?
「ねぇ、なっちゃんと陽介はホントに付き合ってないの?」
疑問に思って、ついついそう聞いてしまった。
しまったと思った時には二人の時は止まっていて、私は4つの目に見つめられていた。
「……つつ、付き合ってないわよっ!? こいつとは腐れ縁で、ただクラスが一緒なだけだって言ったでしょ!?」
「そうなの?」
もうこの際だから最後まで聞いてしまおう。そう思って陽介を見る。
「え? あ、ああ! なんか長く一緒にいすぎて妹みたいな感じというか、そんな感じだな」
「はぁ!? なにそれ! 私が姉であんたが弟でしょ?」
「突っ込むところそこかよ!?」
やっぱり付き合ってはいないんだ。そっか、ふーん、そうなんだ。
でも、なっちゃんの反応、やっぱり陽介のこと好き、だよね。
なっちゃんを見ると、まだ陽介とどっちが妹で弟か、そんな話をしていた。
いがみ合ってるように見えるけど、なっちゃんは楽しそう。まるでどっちが上かなんてことはどうでもよくて、ただ陽介と話しているのが楽しいみたい。
陽介はどうなのかな? なっちゃんの気持ちに気付いてるのかな?
さっき聞いたときは少し動揺しているように見えたけど、どうなんだろ。
陽介の顔を見てみても、もう普通に戻っていて、なっちゃんと口論している。でもその顔は微笑みを浮かべていて、楽しそう。
さっき一瞬見えた動揺の色は、私の気のせいだったのかな?
……あれ? おかしいな。なんかちょっと、胸のあたりがモヤッとする。
なんだろ。陽介と一緒に花火大会に行ってから、私ちょっとおかしい。
ホントにどうしちゃったんだろ……?
その疑問の答えは、帰りの電車の中でも、駅についても、家についてベッドに身を投げ出しても、出なかった。
――――
『明日って暇?』
陽介から連絡があったのは、14日のお昼だった。
「まったく、いつでも暇だよ……」
思わずそう呟いた。
なっちゃんを紹介してもらってから今日までの4日、スマホが震えると陽介からの連絡かと思って確認して、陽介じゃないと落胆したりしていた。
私はこっちに越してきたばかりなんだから、陽介たち以外と遊びに行く相手もいないんだし、暇なことくらい分かるはずなのに。
誘ってくれればいつでも遊びに行けるよ。もうっ……。
……だったら自分から陽介を誘えばいいじゃんか。何言ってるんだろ、私。
「ああ、もうっ! やめやめ! 考えてもよく分かんないし、考えるのやめー!」
部屋で一人、目を瞑って頭をぶんぶん振り回す。
お母さんとかに見られたら、頭がおかしくなっちゃったって思われるかも。
陽介に暇だと返信して、私はベッドへうつぶせに倒れこむ。
枕に顔をうずめて、うーうー唸って、息が苦しくなって顔を上げる。
その時、手にしたスマホが震えた。
『知り合いに手相占いできる人がいてさ。雪芽も学校不安だと思うし、見てもらえたらなと思って』
「ふふっ、ホント陽介は優しいよね」
陽介に返信するメッセージに、
『陽介はどうしてそんなに優しいの?』
と書いた後、思い直して全部消し、
『ありがとう!』
とだけ書いて送った。
スマホを放り投げて、私は再び枕に顔をうずめる。
「……私の意気地なし」
そう呟いた言葉は、くぐもって何を言っているかさっぱり分からなかった。
――――
次の日、手相を占ってくれる飯島さんという人に会った。
場所は陽介がこの前案内してくれたカフェだ。
「はじめまして、飯島と申します。あなたが雪芽さんですね。柳澤君から話は聞いてます」
「はい、よろしくお願いします」
飯島さんは表情のあまり変わらない人だったけど、美人だった。
歳は30歳近いかな。これくらいの歳の人とならあまり気負わずに接することができて楽かも。
「陽介、変なこと話してないよね?」
「いや、変なことは何も……。ねぇ? 飯島さん」
「ええ。柳澤君からはこの前やっと二人きりで花火大会に行けたとか、そのくらいしか聞いてません」
「ちょ! 何言ってるんですか!?」
え? そんなことまで話してるの?
飯島さんと陽介って、どんな関係なんだろう……? 年も離れてるし、どうやって知り合ったのかも気になる……。
「私は柳澤君のお母さんと面識があって、その関係で知り合ったんですよ。柳澤君が将来に不安を抱えているというので、手相を見てあげたり、相談に乗ってあげたりしてるんです」
「あ、そうなんですね」
飯島さんは私の目をまっすぐに見つめて、そう言った。
まるで私の心の中が見えてるみたい。占い師の人ってそんなこともできるのかな?
陽介を見ると、なんか驚いてるみたいだけど、どうしたんだろ。
「さあ、さっそく雪芽さんの手相を見させていただいてもいいですか?」
「あ、はい。お願いします」
私は飯島さんに両の掌を差し出す。
それを飯島さんが真剣な表情で覗き込み、陽介は身を乗り出し、固唾を呑んで見守っている。
な、なんかそんなに見られると、ちょっと居心地悪い……。
「ふむ……」
「どうですか……?」
陽介の心配そうな声に、飯島さんは顔を上げると、私を見て微笑みかけた。
「大丈夫です。雪芽さんの未来はいい方向へ向かってます。ただ、ちょっと遠慮しがちの様ですね。もう少し自分の気持ちに素直になった方がいいです」
「自分の気持ちに、素直に……」
「そうです。誰かに遠慮して、自分の気持ちを押し殺してしまったら、あなたの未来は悪い方向へと向かってしまうでしょう」
それだけ言うと、飯島さんはコーヒーをすすった。
それから飯島さんは、17日になったらまた来てくれと言った。
そうして私たちはカフェを後にし、飯島さんと別れた。
「じゃあ帰るか」
「……うん」
本当はまだ帰りたくなかった。
もう少し、陽介と一緒に居たいと思ってしまった。
でも、陽介に迷惑かけちゃいけないし……。
その時、さっき飯島さんに言われた言葉を思い出す。
……自分の気持ちに素直に、か。
陽介も遠慮するなって言ってくれたし、ちょっとくらいは我がまま言ってもいいかな……?
「あの、陽介っ!」
「ん?」
振り向いた陽介は、優し気に微笑んでいた。
そんな陽介の笑顔に促されるようにして、私は言葉の続きを紡ぐ。
「まだ時間あるなら、ちょっとお散歩していかない?」
私がそういうと、陽介は嬉しそうに笑って、
「ああ、いい場所があるからそこ行くか!」
と、言うのだった。
そうして陽介の案内でバスに乗り、高校を横目に通り過ぎて、狭い住宅街に入っていった。
しばらく住宅街をうねうね歩いていると、少し開けた場所に出た。
「ここだ」
そこは小さな公園だった。
ブランコとオブジェが1つずつ立っているだけの小さな公園。
古びた木製のベンチが、大きく枝を伸ばした木の下にポツンと置いてある。
「桜の公園。ほんとはそんな名前じゃないんだけど、春になると桜が綺麗に咲く公園だから、みんなそう呼んでる」
大きな木は、どうやら桜らしい。
今は青々とした葉を茂らせ、桃色は見る影もない。
でも、あんなに大きくて、きっと春になったらすごく綺麗なんだろうなぁ……。
誰もいない公園のベンチに、二人腰掛ける。
「春になるとさ、高校のクラス全員で集まって、花見をするんだよ。学校の行事でさ」
「へ~! そんなことするんだ」
「そこで団子が配られるんだけど、あん時食べたみたらし団子はおいしかったなぁ。来年は雪芽も食べられるぞー」
「ふふっ、楽しみにしてるね!」
こんな風に他愛のない会話をしているだけで、私の胸は躍る。
どうしようもなく楽しい。なんでだろう?
「……雪芽はさ、学校楽しみか? 不安じゃないか?」
陽介は、膝の上で組んだ手に視線を落とし、微笑んでいた。
「楽しみだよ。それに陽介となっちゃんがいるから不安じゃないし。……ふふっ、やっぱり陽介は優しいよね」
「そうか?」
口元に微笑みを浮かべたまま、陽介はこちらを向く。
その優しい瞳を見て、私は昨日聞こうとしていた言葉を思い出した。
――なんで陽介はそんなに優しいの?
でも、その問いに答えが返ってくることが、なんとなく怖かった。
陽介が私に優しくしてくれることにはなにか理由があって、それが私だから特別ってわけじゃなかった時、私の中で何か諦めちゃうような気がして。
そんな得体の知れない怖さがあった。
でも、いつまでも聞けないままは、それはそれで嫌だ。
今なら、ちょっとだけ勇気を出せた後の今の私なら、聞けるかな?
「ねぇ、陽介」
呼びかけたはずのその声は、もはや呟きだった。
その呟きは、夏の喧騒にかき消されてしまいそうなほど小さくて。
でも、陽介はそんな私の声にも気づいて、そっとこちらを見守っている。
あぁ、神様。ちょっとだけ私に勇気をください。
目を瞑って、意を決する。
「なんで陽介は、そんなに私に優しいの?」
……あぁ、言ってしまった。
陽介が逡巡する間、それは無限のように感じられて。
不安が、恐怖が、緊張となって私を襲った。
「そうだなぁ……。太陽だから、かな?」
「…………え?」
太陽……? なにそれ?
「俺は雪芽の太陽だから。そうあろうって決めたから。だからかな?」
「太陽って、なに? どういうこと?」
「うーん、俺も詳しくは知らないんだけど……。なんか特別な存在ってことらしい。雪芽を照らして、不安を、緊張を、溶かしていく。そんな特別な存在ってこと」
特別……?
私が、陽介にとって特別ってこと? だから今まで優しくしてくれてたってこと……?
「って、詳しく知らないとか、らしいとか曖昧だなぁ。陽介のことでしょ?」
私がそう指摘すると、陽介は困ったように笑った。
その笑顔は、少しだけ寂しそうで。
「太陽ってのはある人の受け売りなんだよ。だから本当のことはその人の中にしかなくて、俺には詳しくは分からない。でも、俺が雪芽にとっての、そんな特別な存在でありたい。そう思ってるってこと」
陽介が私にとっての特別な存在になる?
それってやっぱり私のこと、特別に思ってくれてる、ってことだよね……? じゃないと私の特別になりたいだなんて言わないだろうし……。
私が陽介にとって特別な存在。
そんな言葉が頭の中を通り抜けて、私は顔が熱くなっていくのを感じていた。
そして同時に胸を締め付けるあの感覚も。
その瞬間、私はすべてを理解した。
花火大会から今までの、すべて。
この感覚を感じた瞬間を切り取り並べて初めて、私はこの感覚が何なのか理解したんだ。
陽介のことばかり考えちゃったり、陽介からの連絡を待っていたり、会えたら嬉しくて、話すことが楽しくて。
なっちゃんと楽しそうに話してるのを見てモヤモヤしたり、飯島さんとの関係が気になっちゃったり。
もっと一緒に居たいって思えて、一緒にいると落ち着けて、幸せで。
そんなすべての中で、絶えず私の胸を締め付け、息を詰まらせたこの感覚。
そう、このすべてはきっと――
恋、なんだ。
そう気が付いた瞬間、世界は私と陽介の二人きりになった。
風が揺らす木々の騒めきも、うるさいほどのセミの合唱も、遠く聞こえる人々の気配も消えて、吸い込まれるようにただ、目の前にいる陽介のことだけを感じている。
「太陽なんて、俺には大げさで、無理かもしんないけどさ。そうありたいって願うくらいはいいだろ?」
そう言って情けない顔で笑う、その笑顔に。
時に強引なところに。
めげずにまっすぐ突き進む姿に。
時折見せる、遠くを見つめる目に。
私を見つめる、温かい瞳に。
温もりも、匂いも、繋いだ手の感触も、静かに笑う声も。
何より私に向ける優しさに。私は恋をしたんだ。
彼のすべてに、どうしようもなく、惹かれてしまったんだ。
「だからさ、これからも俺を頼ってくれよ。何でもいい。小さなことでも、大変なことでも、なんでもさ。俺はお前の太陽でありたいから」
そう言って笑いかける陽介の笑顔は、いつにも増して優しくて。
いつにも増して、素敵に見えた。
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