第43話 言の葉は夜に隠されて
「……雪芽? 聞いてるか?」
「へ!? う、うん! 聞いてるよ!」
急に雪芽がどうして優しいのかなんて聞くから、柄にもなく恥ずかしいこと言ったのに、雪芽はなんだか上の空だ。
これじゃあなんか恥ずかしいことを一人で語ってる変な奴じゃんか。なんか反応してくれよ……。
「……頼りにしてるよ、ちゃんと。今までも、これからも」
そう言って微笑む雪芽の目は、まっすぐに俺の目を射抜いていた。
そのはにかむような笑顔から、俺はなぜか目が離せなかった。
……これからも、か。
果たして雪芽と一緒にここの桜を見れる日は、いつになるんだろうか。
世界が狂ってさえいなければ、もうとっくに春なのに。今はまだ夏だ。
「……そうだな。これからも遠慮なく頼ってくれ。友達なんだからさ」
そのこれからという時間は、あとどれくらい残されているのだろう。
そんなことを考えたら、少しだけ切なくなった。
「……うん、頼りにしてるからね、陽介」
そう言って笑う雪芽の表情は、少しだけ寂しそうに見えた。
それから、公園を後にしたが、雪芽は来た時よりも口数が少なかった。
ずっと少しだけ俯いて、俺の隣を歩いている。来た時よりも少し距離がある気がするのは、俺の気のせいだろうか?
ほとんど無言のまま、俺たちは駅に向かって歩いている。
バスを使えばいいと言ったのに、雪芽が歩きたいと言い出したのだ。
でも、その沈黙は不思議と心地よかった。
嫌な感じじゃなくて、晴奈と一緒にいる時の感覚に近い。
特に話すことはなくて、でも一緒にいても不快ではない。そんな落ち着きがあった。
そのまま駅について、電車に揺られて、いつもの無人駅にたどり着いても、俺たちは無言のままだった。
まるで初めて会った時に戻ったみたいで、ちょっと懐かしい。
でもどうしたんだろうか? 桜の公園で話して以来様子がおかしい。なんだかやけに静かだし、あまり目を合わせようとしないし。
……俺、避けられてる? 恥ずかしい事しゃべったからか!?
「ねぇ、陽介」
俺たちを降ろして去っていく電車を見送った後、雪芽が口を開いた。
「また今日みたいに、お散歩に付き合ってくれる?」
ようやく合わせたその目は、不安気に揺れていた。
何をそんなに不安がることがあるのだろうか。俺の答えは決まってるというのに。
「当たり前だろ? そうだ! なんなら明日でもいいぞ」
「え、明日?」
「そうそう、いい場所があるんだよ。明日の夕方、皆も誘っていこうぜ」
「……うん、楽しみにしてるね!」
雪芽は笑顔でそう言ったが、俺の目にはどこか寂し気に映った。
――――
次の日の夜、俺は皆を誘って、夜景の見える駅に向かった。
その駅はうちの最寄駅から一駅行ったところで、山の上にある。
珍しいスイッチバック式の線路で、駅のホームにバックで入る面白い駅であった。
俺は鉄道に詳しくはないから、なんでこんなめんどくさい作りになっているのか分からないが、鉄道ファンからすると、たまらないのかもしれない。
その駅から見える夜景は結構有名で、光源が少ない無人駅であることも相まって、星と夜景が共存している。
俺たちが到着したのは20時ごろ。まだ真っ暗ではなかったものの、星や夜景は十分すぎるくらい見えた。
どこからともなく聞こえてくる虫や蛙の合唱が、辺りに響き渡っている。
確かこの辺に棚田があったから、そこから聞こえてくるのだろう。
「へぇ~、陽介にしてはいいチョイスね!」
「んだよそれ」
駅に降り立って、夏希は開口一番そう言った。
まぁ、俺に今まで散歩先に夜景が綺麗な場所を選択するセンスはなかったけどさぁ?
「いえ、さすがは陽介さんだと思います! 意外と近くにいると見に来ませんもんねっ!」
「そうかなぁ? なんか近場で済ました感がすごいんだけど。お兄ちゃんならやりかねないし」
由美ちゃんはそんな俺を励ましてくれて、ほんといい子だ。
でも、さすがとまで言われるとちょっと恥ずかしいな……。なんでこの子は俺にここまで全幅の信頼を寄せてくれるんだろうか?
晴奈は相変わらずだな。まぁ、近場で済まそうという思惑があったのは事実だし。
夏希の部活終わりに誘うとなれば、そんなに遠くには行けない。
かといって徒歩でいける圏内は限界がある。だからここはベストなチョイスだと思うけどなぁ?
「近場でも、私からしたら新鮮だよ。ありがとね、陽介」
俺の隣でそう言って笑う雪芽からは、昨日見た寂しさは感じられず、ただ楽しそうだった。
こちらに来るまでの道中も別に話をしないわけでもなかったし、なんで昨日は様子がおかしかったのか、分からず仕舞いだった。
「……お礼を言われるようなことじゃない。散歩かって言われると微妙だしな」
「そうよ。ただ隣駅まで来ただけだもの。次はちゃんと
「なんで夏希が偉そうなんだよ……」
雪芽に向かって放った言葉に、夏希が振り返りそう言う。
それに便乗するように雪芽の前を歩く晴奈が振り返って言った。
「あの辺には何もないから、お兄ちゃんがどこを選ぶか楽しみ」
「あたしは陽介さんが選んだ場所ならどこでも付いて行きますよっ!」
「……善処するよ」
そんなことを話しながら、誰もいない夜のホームを歩く。
少し歩くと、灯りはなくなっていく。それにつれて星が顔を出し始める。
「私はこうして陽介たちと一緒に居られるなら、それだけで楽しいよ?」
微笑みながら隣で笑う雪芽。
そんな雪芽を見て、俺は少し照れ臭くなる。
「ん、そうか」
だからそんなそっけない返事しかできなくて。
後何回、こうして会話を交わせるのだろうか、そんないらないことまで考えてしまった。
そうして少し俯いて歩いていると、隣にいた雪芽が駆けだした。
「うわぁ……! きれい!」
その言葉に顔を上げる。
雪芽はフェンスに身を乗り出して外を見ている。
「ほんとねぇ! 近くにいると案外来ないもんだし、見たのは初めてかも」
「あたしもです……。こんなにきれいだったなんて」
「ウチも見たのは初めてかも……。ほらっ、陽介さんも!」
由美ちゃんが引き返して来て、俺の手を取る。
「ちょちょ、引っ張らなくても……!」
手を引かれるままに駆け出し、フェンスに手をつく。
そうして目に飛び込んできた風景は、俺の想像を超えて美しかった。
一面の黒にともった灯りが、寄り集まって大きな点になり、それが繋がって線になる。
そして向こうの山まで伸びていく光の線は、途切れた先で空と繋がる。
そのまま見上げれば、今度は小さな輝きが無数に広がっていて、それはいつしか面に変わっていく。
天の川。この無数の点の集まりを川と呼んだ昔の人は、確かにこの夜空に川を見たんだ。
人の光は自然の光を殺してしまうものだと思っていた。
でもここでは、ここから見るこの景色は、殺してなどいなかった。ぶつかり合ってなどいなかった。
相容れないはずの2つの光が、天と地でそれぞれの輝きを保っている。この風景で共存している。
美しいと、素直にそう思った。
「とってもきれい……。陽介、ありがとう」
そんな景色から目を離すことなく、雪芽はそう言った。
その横顔は、この夜景に負けないくらい美しいと、そう思った。
「……ああ」
こんな時、気のきいたセリフも、素直な言葉も出てこない。
ただ、目を奪われて、立ちすくむことしかできないのだから。
それから5分ほど、皆で夜景を眺めていた。
夜の音に耳を澄まして、ただ光を追った。
それからそろそろ帰るか、という話になった。
十分夜景は堪能したし、見たかったらまた来ればいいのだから、と。
「じゃあ帰るか」
「そうね! ……って、電車はいつ来るのよ?」
「あっ……」
夏希の言葉に俺は気が付いた。
「あっ、ってまさか……」
そう、ここは田舎も田舎。民家も少ない山の中の駅。こんな時間に頻繁に電車が来るはずもなくて――
「……大体1時間後だ」
1時間に1本なのが当たり前なのだった。
「ちょっとお兄ちゃん、それってもしかして――」
「あと1時間ここで待たなきゃいけないってことだな! いやー参った参った。そこまでは考えてなかったわ」
「信じらんない! ちょっとましなことしたと思った途端にこれよ! ホントにバカなんだからっ!」
夏希にはそう
「……バカ兄貴」
晴奈は小さく呟き。
「これで1時間は一緒に居られるしっ! やった!」
由美ちゃんは嬉しそうにガッツポーズ。
「もう、ホントに陽介はバカなんだから」
そして、雪芽は楽しそうに笑うのだった。
それから夏希や晴奈にさんざん言われ、俺はしばらく謝り倒しだった。
時刻表を確認したら、次の電車は21時48分。ほぼ10時だったのだ。
なってしまったことにはしょうがないと、女子たちはベンチに座っておしゃべりタイム。俺は一人寂しくコーヒータイム。
夜景を眺めながら冷たいコーヒーを飲む。
山の中で標高も高く、夜ということもあって随分涼しいが、それでもまだまだ暑い。
コオロギや蛙の声が俺を包む。
あぁ、俺の話し相手はお前たちだけだよ……。
「陽介」
そんな時、後ろから声がかけられた。
「ん、雪芽か」
「もしかして落ち込んでる?」
「そんなことねぇよ。それよりどうした? 夏希たちと話してたんじゃなかったのか?」
雪芽はゆっくりと俺の隣にやって来て、フェンスにもたれかかる。
黒い髪が風に揺れて、闇に溶ける。
「またこの景色が見たくなっちゃって」
「そっか。……何か飲むか? コーヒーとか」
「苦いのはなぁ、苦手だからいいや」
「そっか」
困ったように笑う雪芽は、夜景の美しさと相まって絵になるなと思った。
白い肌が、星の微かな灯りを反射して、輝いているように見えた。
「ありがとね」
「うん?」
「連れてきてくれて。すごく綺麗で感動しちゃった」
「……またお前が来たい時に連れてきてやるよ。いつでも、何度でも」
「うん、ありがとう」
それから少しの間、雪芽は黙って夜景を眺めていた。
そして何かを呟いた。
でもその声は小さくて、蛙たちの声にかき消されてしまう。
「え?」
聞き返すと、雪芽は寂しそうな笑みを浮かべて言った。
「陽介が私の太陽になるって話、なんだか納得できたよ。優しくて、いつも私を温かく照らしてくれる。ぴったりな表現だと思うな」
それは、さっき俺が聞き逃した言葉とは違う言葉だ。さっきの言葉はもうちょっと短かったはずだから。
でも、それを聞き返すのは野暮だと思った。
「……そうだろうな。だってそれはお前が言ったんだから」
「え?」
「いや、だったらそうなれるように頑張らないとなって。夏の太陽みたいに熱くはなれないけど……」
「ふふっ、陽介は今くらいがちょうどいいよ。あんまり熱いと私も疲れちゃうし」
「そっか」
「うん、そうだよ」
そうしてしばらくの間、俺たちは黙って夜景を見ていた。
その遠い灯りが、俺たちの秘めた言葉を、明らかにすることはなかったのだった。
――――
次の日、運命の8月17日。
その正午、俺はスマホを握りしめていた。
雪芽にメッセージを送ったのだ。これから駅で待ち合わせて飯島さんに会いに行こうという内容だが、重要なのはそこじゃない。
返信が返ってくるかどうか。元気なままでいるかどうか。そこが重要なのだ。
俺は一人、台所で座り込み、壁に掛けられた時計を睨んでいた。
秒針が規則的なリズムで時を刻む。
1秒、また1秒と。時間は確かに進んでいるのに、その1秒が無限にも感じられた。
手に滲む汗を膝で拭く。
スマホについた汗も一緒に拭いた。
脇や額にも、汗がにじむ。垂れる。
口はカラカラに乾いて、いくら唇をなめても湿った気がしなかった。
腹の底から震えが伝わってくる。
それは胸に、肩に伝わって、俺の手の先まで細やかに震わせた。
その震えはどんどん大きくなっていって、体が言うことを聞かない。
ついに手からスマホが滑り落ちた。
液晶を下にして床に落ちたスマホは、俺が手を伸ばすと、大きな音を立てて震えた。
俺は伸ばしていた手を止めて、大きく息を吸う。
体の震えはまだ止まらない。
……もし、これが雪芽が倒れたという知らせなら、俺はまた失敗したことになる。
あぁ、怖い怖い怖い怖い。そう思うたびに手の震えは大きくなっていく。
長く息を吐いて、俺はスマホを手に取った。
震える手で、今度は取り落とさないように慎重にスマホを裏返す。
そして俺は、液晶に映された運命と、向き合うのだった。
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