第30話 解決の糸口は思わぬところに転がっている

 次の日、俺が晴奈に自転車を貸してくれというと、ダメだと言われた。

 くそう、寝ぼけているところを狙って声をかければ大丈夫だと思ったのだが、そう上手くはいかないか。


 ダメだと言われては仕方がないので、俺は歩いて駅に向かう。


 こんなこともあろうかと早起きしておいて正解だった。

 もし今後があるとしたら、2日目以降は早起き必須だな。



 しばらく歩いて駅が見えてくると、やっぱり少し緊張する。

 でも昨日は緊張しすぎたせいで失敗したようなものだから、今日は肩の力を抜いて行こう。


 改札をくぐりベンチに目をやると、雪芽もこちらに気付いていたようで、目が合った。


「あっ、昨日の……」

「……ども」


 覚えていてくれたことがなんだか嬉しくて、俺はにやけそうになる顔を必死に抑えた。


 いつもの席に座り、雪芽を見る。

 雪芽は少し落ち着かない様子で俺の方を見ていた。

 どうやら俺に興味を持ってくれているようだ。いや、ただ単に警戒されているだけかもしれないが……。


 ひとまず昨日は大分ひどかったからな。俺は変人ではないのだと理解してもらう必要がありそうだ。


「えーっと、なんかその、昨日はすんませんでした。俺、変な奴でしたよね」

「あっ、いえ、補習、大変だったんでしょうし、仕方ないと思います。それで、補習はどうだったんですか?」


 俺の謝罪すると、雪芽はなんてことない様子で頷く。

 まだちょっと警戒されてるっぽいけど、昨日よりは大分ましだ。会話も続いてるし。


「こっぴどく叱られましたよ。1時間も遅刻なんていい度胸だなって」

「1時間は……、さすがに怒られますね」

「この駅は1時間に1本しか電車が来ないから、遅刻したら1時間以上は確定ですからねぇ……」

「大変そう……」


 雪芽の放ったその言葉は、俺の苦労を思って言っているだけではないのだろう。

 これから自分がそういった状況に陥ることを想定して言っている。そんな風に感じた。

 それはきっと今だから分かることで、かつての俺なら分からなかったことだ。


「昨日もここにいましたけど、この辺の人ですか?」

「いえ、住んではいないんです」

「そうですか。もしこの辺に住むなら気を付けたほうがいい。時刻表を見ないで来るとひどい目を見ますから」


 冗談めかしてそういうと、雪芽は少し表情を和らげた。

 それを見て俺の緊張も少し和らぐ。



「えっと……、あなたは高校生ですか?」


 雪芽は俺の制服を見ながらそう問いかける。

 制服を見れば学生であることは分かる。それは何年生か、そういう問いなのだろう。


「そうですよ。街のほうの高校に通う2年生です」

「あ、同じだ……。私も2年生なんですよ」


 そう言った雪芽の顔は少し安心しているように見えた。


「じゃあ同級生だ。俺は柳澤陽介、あなたは?」

「……私は池ヶ谷雪芽です」


 こうして俺達は何度めかの自己紹介を済ませたのだった。



 それから雪芽は少しずつ口数が増えていった。

 それでも話す内容は互いの距離感を探るようなものばかりで、あまり仲良くなれたとは言い難いかもしれない。

 それでも俺にとってこれは大きな進歩で、こうして互いの距離感を探る感覚もなんだか懐かしくて。


 でもそんな時間は長くは続かない。

 今回は少し早めに家を出たが、1時間もの時間は作れなかった。

 雪芽は確か8時半ごろからこの駅にいるという話だったので、どう頑張っても20分くらいしか時間は取れない。


 でも、そうだな……。


 そんなに焦っても結果は変わらないのかもしれない。急いては事を仕損じる、昔の偉い人もそう言っているのだし、事実昨日の俺はまさにそれだった。


 だから今の俺たちはこれでいい。まだ柳澤君、池ヶ谷さんって呼ぶような間柄だけど、今はこれで。



 アナウンスが鳴り響き、俺と雪芽の、あまりにも短い時間は終わりを告げた。

 それを少し惜しく思いつつ、俺は立ち上がる。


 それを見た雪芽は少し悲しそうな、辛そうな、そんな目をする。

 それが俺が去ってしまうことに対するものなのか、自分が電車に乗れないことに対するものなのか、今の俺と雪芽の関係では推し量ることしかできない。


 でも、いつか必ず。


 俺は電車に乗り込み一人未来に思いをはせる。

 今日の俺の行動が雪芽を救うためになっているのか、はたまた逆の結果をもたらすのか、答えは蓋を開けてみないとわからない。


 だから今はこれが最善と信じて、俺は明日へ進む。

 今はベンチ4つ分の距離でいい。いつか、きっとまた隣に――



 電車はゆっくりと走り出し、俺と雪芽の距離は開いていく。


 大丈夫、明日も、明後日も、明々後日も。俺たちにはまだ時間がある。俺はそう自分に言い聞かせていた。





 ――――





 次の日、うまく行けば補習最終日の日に、駅に行くと雪芽は変わらずそこにいた。

 そのことに胸をなでおろしつつ、俺はいつもの席に座る。



 この日は比較的俺も落ち着いて話ができて、冗談なんかも言える様になった。

 そんな俺の変化に合わせる様に、雪芽も強張っていた顔が徐々に柔らかくなっていき、次第に笑顔が垣間見える様になった。


 同級生なんだから敬語もやめようと提案すれば、少し戸惑いつつもそれに賛成してくれたし、俺のことを準友達だとも言ってくれた。

 かつては戸惑いしかなかった準友達という響きが、なんだか嬉しくて、少し泣きそうになってしまった。


 こうして俺たちは、順調に友達に向けて仲良くなっていくのだった。



 そして、俺は補習が終わっても足繁あししげく駅に通った。


 晴奈には友達と遊びに行くと言って自転車を借りたりしたが、その時の晴奈の胡散臭うさんくさいものを見るような目といったら……。


 俺が友達と遊びに街に出るのがそんなにおかしいか!? まぁ、普段休日と言ったら寝間着のままゲームして一日が終わってはいたけど、そんな自称宇宙人を見たみたいな反応しなくてもよくない?



 晴奈のそんな視線に耐えながら、日々顔を合わせるたびに、俺と雪芽は仲良くなっていった。

 徐々に以前の俺たちの関係に戻っていくことが実感できて、俺は少しずつ雪芽に会うことが楽しめるようになってきていた。



 4回目の邂逅かいこうでは友達に、6回目では互いを名前で呼べるようになり、8回目でようやく呼び捨てで呼び合うようになった。


 以前は引っ越しが終わった後、学校を案内する直前に呼び捨てで呼び合うようになったから、日時的には随分と早い段階でここまでこれたな。

 顔を合わせた回数的には劣っているけど、それでも早めに仲良くなることには成功したのだ。



 しかしここで一つ問題があった。

 雪芽が8月6日になっても引っ越しをしていなかったのだ。


 仲良くなってから、何回か引っ越しをするという話は聞いていた。だが、いつまでたっても部屋を探しているというだけで、一向に引っ越し先が決まらなかったのだ。


 引っ越しを手伝うとも言ったのだが、なぜか断るし、しつこく食い下がっても許可は出なかった。


 なぜなのか、分からないまま時は過ぎていった。





 ――――





 8月12日、俺が駅に向かうと、そこに雪芽はいなかった。




 最初、俺は焦りに焦ったが、ついこの間に交換したばかりの連絡先にメッセージを飛ばしてみると、しばらくもしないうちに返信が返ってきた。


 どうやら引っ越しをしている最中らしい。

 言ってくれれば手伝ったのにと言っても、さすがに悪いと言われた。


 まぁ、あまりしつこく引っ越しの手伝いをしたいというのもなんか変なので、引っ越しの件はこの辺で切り上げるとしよう。



 しかし焦った……。また急に倒れたんじゃないかと冷や冷やしたぞ……。


 雪芽が倒れたとか、亡くなったとか、そういう報告はいつ聞いても心が乱れる。

 心の中に闇が忍び寄ってくるような、足を重い泥にからめとられるような、そんな感じがする。


 でも今回は違った。元気なままだ。

 そうして安心して、俺はその日、何もせずに家に帰った。




 次の日、俺が駅に向かうと、またもや雪芽はいなかった。




 俺は今度は落ち着いてメッセージを送ったのだが、いつまでたっても返信は来ない。


 1時間、2時間と時が進むごとに、俺の焦燥や不安は募っていった。



 何本の電車を見送っただろうか。日が大分傾いてきた頃、スマホが震えた。

 俺はすぐさま飛びついて、内容を確認する。


 雪芽から届いたメッセージは、今朝、急に体調が悪くなって倒れてしまったというものだった。

 それを見た瞬間、俺は全身の血が足元にスッと落ちていく感覚を覚えた。



 ……そうだ、雪芽は前回も引っ越しが終わった後に倒れて、そのまま15日の朝に亡くなってしまった。

 ということはこのままいけば明後日の朝に雪芽はいなくなってしまう……?


 思い出される悲しみと虚しさに、俺は抗うこともせず、寂れた駅で一人、項垂れていた。


 仲良くなれたと思ったのに、友達になれたのに、結局俺は同じことを繰り返しているだけだ。


 何が、何がいけなかったんだ……? 俺はどこで何を間違えたんだ?

 最初か? 始めて会ったときに雪芽に不信感を抱かせてしまったのが悪いのか? それとも引っ越しの手伝いをしなかったこと? あるいは学校の案内をするまで至らなかったことか? もしくはそのどれでもなくて――




「……お兄ちゃん?」




 聞きなれた声に顔を上げると、あたりはすっかり暗くなっていた。

 声のする方を見ると、眩しい光が俺の目を貫く。


「あ、やっぱりそうだ。何やってんの? こんなところで。それもこんな時間に」

「……晴奈か」


 声の正体は晴奈だった。スマホのライトで俺の顔を照らしている。


「心配して迎えに来たんだよ? 夕食の時間になっても帰ってこないし、連絡しても反応ないし。早く帰ろ?」


 晴奈はそう言うと、背を向けて改札を出ていく。

 俺ものろのろと立ち上がって、その背中を追う。



 そこで俺はなにか引っかかるものを感じた。

 晴奈、晴奈……。あいつが何かに関係していたような……?


「……そうだ、そうだよ! 晴奈だ! あの時も晴奈が誘ってくれたんだった!」

「はえ!? な、なに、どうしたの急に……? あんまりあたしの名前を大声で叫ばないでくれない? 夜は声がよく通るんだから……」


 思い出した! 雪芽の引っ越しを手伝ったのは、晴奈の誘いがあったからだ。

 あの時初めて晴奈と雪芽が友達だと知って、驚いたのを覚えている。


 たしかあの時は8月6日に引っ越しをしたんだ。それで、その前に晴奈は雪芽と4回以上会っていることになる。


 ということは、晴奈が雪芽と友達になることが重要になってくるのか……?


「お兄ちゃん! いいから早く帰ろーよ! あたしお腹減ったんだけどっ!」

「なんだ、まだ夕食食べてないのか?」

「……だってお兄ちゃんが帰ってきてなかったから」

「律儀な奴だなぁ……。んじゃ帰るか! お前はどうやってここまで来たんだ?」

「お母さんの車」

「じゃあ先帰ってろ。俺もマッハで帰るから」


 俺の思考は晴奈に遮られたが、なにか光明が見えた気がした。





 ――――





 8月15日。その日の夕方辺りに、俺のスマホに雪芽から電話が来た。

 驚いて出てみると、電話の主は静江さんだった。


 静江さんは震える声で簡単な挨拶の後に雪芽が亡くなったことを知らせると、明日の夕方から通夜があるといって電話を切った。


 その連絡を聞いて、俺は覚悟を決めていたとはいえ、やはり悲しかった。

 でも、少しだけ見えた光明に縋りつき、何とか涙をこらえて通夜に参列し、残された時間で今後の方針を固めていった。



 まず、今回のことでわかったのは、俺一人が雪芽と仲良くなっても意味がないということだ。

 俺一人だと、雪芽の引っ越しを早めることはできなかった。

 今のところ8月6日に引っ越しをしたのが最速で、それ以外だと12日になるようだ。


 そして6日に引っ越しをした時、その手伝いの話を持ってきたのは晴奈だった。

 これはあくまで仮定でしかないが、晴奈が雪芽の引っ越しを早めるキーマンなのではないか? 俺はそう思った。



 念のため晴奈に雪芽のことを聞いても、知らいないという反応が返ってきただけだった。

 しかし、駅にいつもいる美少女だと言うと、思い当たる節があるようで、顔を喜色に染めた。


「あの綺麗な人でしょ~? ほら、由美と一緒に服選びに行った日。あの日に駅で見かけてね? 電車がすく来ちゃったから声はかけられなかったんだけど、綺麗な人だったなぁ……。天使みたいだった!」


 そう嬉しそうに語ってくれた。

 どうやら晴奈は夏休みの初日に雪芽と出会っているらしい。


 そういえば最初の夏休み初日、その日の夕食を作っている最中にも綺麗な人がどうとか言っていたような……。あれは雪芽のことだったのか。


 どうやらそういった経緯で、雪芽と晴奈は出会い、親睦を深めていったようだ。



 ようやく見えてきた光明に、俺は決意をみなぎらせる。

 そうしていることで、悲しみに暮れずに、次の夏休みを待つことができる。虚無に飲み込まれることなく未来に向けて歩いて行ける。


 そうして俺は、残りの夏休みを、悲しみを隠しながら過ごし、8月23日の夜に眠るのだった。

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