第31話 太陽の視界は徐々に開けて

 目が覚めて、俺はもはや恒例となったスマホの時間を確認する。

 7月27日、時刻は9時20分。

 もはや見慣れた光景だが、俺はスマホのメモに5の数字を刻む。


 こうして数字を刻むことで、俺は過去を忘れないようにしている。

 この数字を見るたびに、過去の悲しみを、決意を思い出し、それを原動力に変えていく。


 きっとこの悲しみは、色あせていいものではないから。忘れていってもいいものではないから。

 でもそれに呑まれてしまわないように、俺は夏希の言葉を、雪芽の笑顔を思い出す。


 焦ってもだめだ。着実に、何回繰り返しても雪芽を救うために、俺は前に進む。

 だから今回は15日に雪芽が死んでしまう未来を変えよう。そのために重要なピースを前回手に入れたのだから。




 そう、晴奈の存在だ。




 一番最初の夏休み、1周目のことだが、あの時雪芽が息を引き取ったのは、たしか21日の朝だった。

 だがここ数回の夏休みは、15日の朝に亡くなったと訃報を受け取っている。

 つまり、極論1周目と同じように立ち回れば、雪芽は夏休みの終わり間際まで寿命が延びるということだ。


 それがどんな原理で起こっているのかわからないが、事実そうなのだから仕方ない。

 だから俺は前回の夏休みの終わりまで、1周目の夏休みのことを思い出していた。



 俺は1日目、朝寝坊して、晴奈の自転車で駅まで行ったんだ。このとき雪芽に初めて出会った。

 その日の夕方に晴奈から駅で綺麗な人を見たという話を聞く。

 だが、前回のループではその話を聞いていない。ここに何が原因があるんじゃないかと考えたのだ。


 晴奈の話によると、電車の時間ぴったりに駅に到着したから雪芽と話ができなかったらしい。ということは、1周目は電車の時間ぴったりに到着できなかったということだ。

 早く着いたのか、遅刻したのか。俺にはわからないが、何か原因があるはずだ。



 そうして思い起こしていくと、思い当たる節があった。


 晴奈が駅に向かうタイミングまでに、俺にできることは少ない。

 俺は朝起きて、補習に向かう準備だけしたら急いで家を飛び出したのだ。その間で晴奈に何かアクションしているとしたら、自転車を借りると断りを入れることだけだ。


 1周目、俺が晴奈の自転車を借りた時、最初俺はあれが自分の自転車だと思っていたんだ。

 そして晴奈に無断で借りていって、後で怒られた。

 ここ数回のループでは、あれが晴奈のものだとわかっているから断りを入れて借りたりしていたが、もしかしたら無断で借りていった方がいいのかもしれない。


 そう思い立ち、俺は寝ている晴奈をよそに、無断で自転車を借りて駅へと向かうのだった。



 多少の罪悪感を感じながら、俺は駅に自転車を止め、鍵をとる。

 確か1周目は鍵を取らなかったんだっけか。でもなぁ……、鍵をかけないでってのも落ち着かないし、そんなことで大きく晴奈の行動が変わるとも思えない。かけて行っちゃってもいいだろ。


 さっそく1周目と違う行動をしているが、1周目通りに動いただけでは結局雪芽を救えないのだから、これでいいのだ。


 そうして改札をくぐり、俺は雪芽ともう一度出会いなおすのだった。





 ――――





 山井田に遅刻の件を注意され、追加の課題を提出するまで帰さないと言いつけられて、俺は教室で課題のプリントを記入していた。



 結局、雪芽との仲はあまり進展しなかった。

 それもその筈、そこは1周目に近い感じで接していたからだ。


 雪の妖精みたいだと言ったときは少しわざとらしかったかな……? もうちょっと演技の練習をしておかなくてはいけないかもしれない。



 課題の内容は全部知っているので、さらさらと記入していく。

 後一問で終わり、といったところで、バッグの中のスマホが震えた。


 サクッと最後の一問を解き終えて、スマホを確認すると、晴奈からだった。


 あっ、そっか。確かこのタイミングでファミレスに召集されるんだっけか。

 確か要件はゴリゴリ君をおごってほしいだったか? でもこれは1周目にはなかった展開のはず。何が原因だ……?


 しかしこの流れは前回と同じだ。このまま返信すれば、由美ちゃんも交えて服選びに付き合わされる。


「……まあ、晴奈のことも気になるし、あっちに行ってみるか」


 そう決めて、俺は数研に課題を提出しに行く。


 その道すがら晴奈に今終わったと返信し、それなら駅前のサイセに来てくれと言われた。

 以前と同じ流れだ。


 これで俺の予測が正しければ、ゴリゴリ君をおごってくれと言われるのだが、はてさてどうなるか……。



「何か言うことないの?」


 俺が晴奈たちの元に駆けつけると、第一声がそれだった。


 ……あれぇ? おかしいな。ゴリゴリ君おごってくれじゃないのか?


「何かって、なんだ?」

「自転車! あたしの勝手に乗って行ったでしょ!? もっー、信じらんない!」

「いや、あれは俺の自転車だろ?」

「お兄ちゃんのはこの前壊れたとかで今修理に出してるじゃん! 大変だったんだからね!」

「ありゃ、そうだったか。すまんすまん」


 そっちか、と思いながら、俺はとぼけて見せる。

 どうやら晴奈は上手く騙されたようで、俺の下手くそな演技でも納得していた。


 ……俺が普段からこんな感じだから納得したとかじゃないよね? お兄ちゃんはもう少し威厳あるもんね?



 晴奈は少しの間プンスカ怒っていたが、由美ちゃんの口添えもあって大人しくなった。


「ん」


 そして晴奈は何も言わず手を出す。


「……なに? お金? 現金だなお前。お金だけに」

「違う! 鍵返してってこと! そんなつまんないこと言ってないで早く頂戴!」

「あ、ああ、そうだな。ほれ、勝手に借りて悪かったよ。お詫びにアイスでもおごろうか?」


 つまんないって……、そんなにはっきり言わなくても……。まぁ、俺も言っててどうかと思ったけどさ?


 俺が鍵を渡してそう言うと、晴奈は意外にも首を横に振った。


「別にアイスはいい。もう食べたし」

「そうか?」


 あれ、この前はおごってくれって言ってきたのに、今回は断るのか。


 そういえば1周目の時はアイスいるかと聞いてもいらないと言っていたな。晴奈の気持ちは雪芽と出会うことで何か変化するのか……?


 もし雪芽と出会って話をすることで、俺にアイスをたかる気がなくなると仮定しよう。すると、今回のようにアイスをいるかと聞くことが、晴奈が雪芽と出会って話をしたかどうかを判断する材料になる。



「もしかして由美ちゃんとの約束に遅れちゃったりしたか……?」


 申し訳ない様子を装って、俺はさりげなく探りを入れていく。

 俺が無断で晴奈の自転車を借りたことで、晴奈の行動はどう変化するのか、確かめる必要があった。


「もちろん遅れたよ? せめて一声かけてくれればよかったのにさっ」

「でも晴奈、今日いいことあったって言ってたじゃん。ウチも気にしてないし。こうして陽介さんに服選びに付き合ってもらえるわけですしねっ!」

「あ、服選びに付き合うのは確定なんだ」

「当然。それで勘弁してあげるんだから、むしろ感謝してほしいくらいだよ」


 そういう晴奈は、由美ちゃんの言う通り、言葉ほど怒っているようではなかった。


 どうやら晴奈は俺が無断で自転車を借りていくことで、由美ちゃんとの約束に遅刻して、駅で電車を待つことになるらしい。

 だがそこで雪芽と出会い、それが晴奈にとっていいことになっている、と。

 だから俺にゴリゴリ君を要求することもないのか。



 そして今回分かったことがある。自転車の鍵のことだ。


 1周目、晴奈が俺の元にメッセージを送ってこなかったのは、特に俺に用事がなかったからだ。

 だが今回はメッセージが飛んできた。用件は鍵を返せってことらしいから、自転車の鍵をかけてくると今回のように合流することになる。


 後は試していないから正確にはわからないが、晴奈に断りを入れて自転車を借り、鍵をかけ忘れた場合もこうして合流することになるだろう。


 雪芽と話をせず、俺に対する不満を持った状態でこちらに来る時と、自転車の鍵をかけた状態だと俺と合流しようとする。そういう仮説が立てられそうだ。


 そして俺が晴奈に断りを入れるか、徒歩で駅に向かうと、晴奈は電車の時間どおりに間に合い、雪芽と話す機会を失う、と。


 ……なんだかだんだん複雑になってきたな。


 つまり正解のルートは、晴奈に無断で自転車を借りること。これだけは確かだ。

 鍵の方は今のところどう関係してくるのかわからないけど、たぶん取っても取らなくてもあまり関係ないだろう。

 帰るころには駅に雪芽はいないし、鍵が関係してくるのは街の方での晴奈の行動だ。今はあまり重視しなくてもいいはずだ。



 少しずつ周りが見えてきて、何をすればいいのか鮮明になって来た。

 そのことを純粋に喜ぶ俺がいる一方、まるでゲームのようだと感じる俺がいた。


 不謹慎だと、そんなことを思うこと自体雪芽に対して失礼だと思うのだが、どうしてもその感覚がぬぐえない。


 繰り返す夏休みの中で、少しずつピースが揃っていって、雪芽を助けるためにいくつもある条件を満たしていく。正解のルートに入っていく。

 そう考えられると、少しだけ心が軽くなるような気がする。今回だってこの情報が手に入ったんだから上出来だ、なんて思ってしまう。


 ……ゲーム中毒もここまで来るとやばいな。

 やめよう、こんなことを考えるのは。


 きっとこれは雪芽の命を軽んじる行為だ。過去死んでいった雪芽を仕方ないと諦める、無責任な行為だ。


 そう思いなおすと、俺は晴奈たちの服選びに付き合ってやるのだった。



 それからは前回と何も変わらない展開だった。

 でもここからなんだ。ここからどう変わっていくか、それが重要なのだ。


 今回こそは、きっと雪芽を救って見せる。





 ――――





 そして夏休み2日目、俺は意図的に遅刻し、雪芽と1時間話をした後、山井田から転入生の話を聞いた。

 ここまでは1周目と同じだ。これで雪芽の案内を任されるよう手筈は整えた。



 3日目には準友達となり、その日の予定をさりげなく聞いてみると、とある女の子と会う約束があるという。


 きっと晴奈だ。あいつも昨日からやけに機嫌がいいし、今日は出かける用事があるから自転車は貸せないと言っていた。

 どうやら晴奈と雪芽は順調に仲良くなっているようだ。


 俺と雪芽の仲も順調に進展、というより、1周目とほぼ同じくらいの速度で仲良くなっている。

 この調子でいけば引っ越しの時には友達なのだが、それだとそれまでの時間が勿体ない気がした。



「なあ、雪芽さんの連絡先教えてくれたりしない?」

「え、なんで? 私たちまだ準友達だし、そんな関係じゃないよね?」

「一刻も早く友達になりたいんだけど、それでもダメ?」

「ダメです。そんな下心丸見えな陽介君とは一生準友達のままだよ?」

「それだけは勘弁してくださいっ!」


 という経緯があって、結局連絡先の交換は見送られた。



 その後の予定をさりげなく聞いてみたのだが、どうやら引っ越し先を探すので忙しい様だ。


 ということは、引っ越しの時まで俺たちは顔を合わせることができないということだ。

 そこは諦めておとなしくしているのが正解なのかもしれない。果報は寝て待てと言うし、やることはやったのだからあとは辛抱強く待てばいいのだ。



 そうして迎えた8月3日。ついに晴奈から引っ越しの話が出た。


 明後日友人の引っ越しがあるから手伝ってくれ。1周目と同じ内容だった。

 だが一つ違うのは、引っ越しの日時だった。


 8月5日の午前6時過ぎ。それが引っ越しを始める時間だというのだ。

 以前は8月6日だったはずだ。なにが原因かは知らないが、1日早まったようだ。


 これがどんな結果をもたらすのか、今はまだ分からない。

 しかし、引っ越しが早まれば、もしかしたら学校見学に来るのも早まるかもしれない。

 そうしたらまた何か変わる。そんな確信があった。



 俺と雪芽の仲も悪くないし、これで晴れて友達になれれば遊びにも誘いやすくなる。

 そうしたらようやく念願かなって雪芽と遊びに行けるわけだ。

 海にキャンプにバーベキュー。夏祭りや花火大会の方が手軽でいいかもしれない。そんな妄想ばかりが膨らんでいく。


 そう、そうだよ。きっとこれから楽しくなっていく。今までできなかったことをやって、たくさん思い出を作っていこう。

 だから今はこの引っ越しを無事終わらせて、その先の学校案内まで成功させるんだ。


 俺はそうやって、来たるべき引っ越しのその日まで、これから起こる未来のことに思いをはせるのだった。

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