第3話 - 前 『萬年筆とボンネットの裏』

「今日も依頼は無し、ね」


 ふぅ、とノートパソコンの前で小さく伸びをしてから、私は椅子にもたれかかる。

 『真白みゆき 依頼受付』と書かれたメールボックス画面は、鬱陶しい広告メールの他には何もメールが入っていないことを表示している。

 パソコンを閉じて片付けるついでに紅茶を用意してから、文字通り真っさらな卓上カレンダーを一瞥した。


──暇ね。


 ふーっ、と大きく息を吐くと、私は椅子の背もたれに身を任せながら目を閉じる。そしてそのまま今日の散歩コースを考えるのが、暇な時の日課だ。


──いい年の女が散歩のことを考えながら椅子でうたた寝しているのを見たら、人は何て言うのかしら。やはり、「暇人」として羨むのかしら。


 ふと、そんな考えが浮かぶ。……疲れているのかしら。


 ただ、これは私の考えなのだが、「霊媒師」と言う職業は暇であるのが一番良い、と思う。

 もし暇じゃないような日が来るとしたら──、そうね、その時は昔見た映画のように、幽霊バスターなる職業が出来上がって、それで物騒な装備をした人達が街を歩き回るのかしら。そうしたら、きっと暇だと言ってられなくなるわね。私のところも電話が引っ切りなしに鳴り響いて……、それで繁盛するのかしらね。


 ただ、そんな日が来て欲しいとは思わない。たくさんの人が死んで、行き場を失って彷徨って。そうした結果でしか、そんな世界は成立しないもの。

 幽霊バスターは幽霊が溢れる状態を「戦争」というかもしれないけど、そのような世界が生まれる状態こそが、きっと「戦争」なのよ。


 だから、私は暇でいい。暇なのが、幸せなの。


 考えが綺麗に纏まったところで、これをニート思考と言うのかしら、と、そっと自嘲した。


 時計の脇で心配そうに見下ろすウサギのぬいぐるみの頭を撫でて、椅子に座らせる。そして、いつものように散歩ルートを考えようと目を閉じたところで、一台の車が駐車場に入ってくるのが聞こえた。

 それは聞き慣れた音で──、そしてまた、暇な日常を壊してくれるような、心地の良い雑音だった。


「崇之、今日来る日だったかしら?」


 そういう私は、きっと友達が遊びに来るのを待つ子供のような表情をしていたのかしら。





「いやー、従姉ねえさんちょっと頼みがあって」


 今日来る日だったか、と聞くと、崇之はそう答えた。


「今日、暇だよね?」

「……さも当然そうに聞かないでくれる?」


 まぁ、暇だけど。

 それは言わずに、心の中に仕舞っておく。


「んで、頼みというのは?」


 そう聞くと、崇之は待ってましたと言わんばかりに笑った。


「これから車検に行くんだけど、着いて来てくれない?」


……車検、ねえ。


 唐突すぎて返す言葉を失った私に、崇之はさらに続けた。


従姉ねえさんはただ座ってるだけで良いから」

「……それ、私居る意味あんの?」


 そう言って怪訝な顔をすると、崇之は「未経験者歓迎、座っているだけの簡単なお仕事!」と、バイトの広告の宣伝文句のような事を高らかに言ってのけた。


「仕事、ねぇ……」


 暇だし付き合ってあげようか、それとも無視しようか。……それとも、少し遊んでやろうかしら。

 悪戯っぽく、ニヤリと笑った。


「仕事なら、報酬はあるのかしら?」


……さて、どんな反応が返ってくるかしら。


「……焼き肉食べ放題でどうだ?」


 そう言って、二人分の割引券を机の上に投げ置いた。


「これって……」


 割引券に書かれた商標に見覚えがあった。確か……


「これって、あの……」

「さすが従姉ねえさん、よく覚えているじゃん。寺田屋だよ」


──寺田屋……!


 確か前に一度だけ、崇之が連れて行ってくれたことがあった店だ。あの店の肉は、本当に美味しかった。それはもう、思い出すだけで涎が──


……はっ、顔に出てしまってたかしら?!


 崇之は、笑いながら更に追い討ちをかける。


「勿論、俺が焼いてやろう」


 ぐぅぅぅ。……お腹のなったような音が聞こえた気がした。


 本当に美味しいのよ、崇之の焼く肉は。プロが焼くのも美味しいけど、崇之のは違う。焼き加減から何まで、私の好みにピッタリと合わせてくるの。あれはずるいわ、反則よ。


「どうだい、従姉さん。いい条件だと思わないかい?」

「……いいわ、私の負けよ」

「なら決まり。よろしく頼むよ、従姉さん」


 そう言うと、崇之はニヤリと笑った。

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