第3話 - 後 - 1

「んで、どうだった?」


 車検に崇之の車を出した帰り。

 代車の慣れないエンジン音に体を馴染ませながら、私は崇之に聞こえるように大きな溜め息をついてやった。


「最悪よ、全く。割りに合わないなんてもんじゃないわ」

「まーまー怒りなさんなって」


 相変わらずのおどけた調子で、崇之が答える。そして、それを境に、再び二人は黙り込んだ。

 見慣れない建物が、助手席の窓の向こう側を通り過ぎていく。それを眺めながら、私は今日のことを思い出していた。





 三十分か前のこと。

 休日なのに、それともディーラーというものはどこでもそうなのだろうか。ショーケース張りの店内には、何台かの車とスタッフルームを出入りする数名の店員を除いたら私達くらいしかいなかった。


──店の端の方に並んでいるテーブルの一つに並んで座っているだけの私達二人お客さんこそが、ここでは異物なのではないか。


 折角崇之が連れ出してくれたのに、家で感じたような孤独感に再び囚われるのが嫌で、ただ疎外感を振り払おうとして、私は、備え付けの週刊誌を掴み取った。そして、好奇心にまみれた推測や憶測が不恰好に重なり合わさったような、所謂いわゆるゴシップ記事をがむしゃらに読み潰していた。


 週刊誌を読み漁るのに丁度飽きた辺りで、机越しに二十代くらいの調子のよさそうな金髪の男が薄っぺらいバインダー片手に腰掛けた。スーツ姿だが、ジャケットの代わりに自動車の会社のロゴの入ったジャンパーを羽織っており、その胸元には『店長』の文字の入った名札がつけられていた。


「お待たせしました。それで、これが今回の車検の見積もりなんですけど、──」


 男は、手元のバインダーから見積書を二枚出して、そのうちの一枚を崇之の目の前に置く。

 それを一瞥すると、崇之は目を丸くした。


「いやぁ、高いですねぇ。2年前に持ってきた時にはもうちょい安かったような気がするんですけど」


 崇之が、引きつったような笑いを浮かべた。


「……そんなに?」


 私は思わず口を挟んだ。

 私は車のことはよく分からないし、霊媒師の仕事で大金のやり取りをし過ぎたせいか、自慢じゃないけど金銭感覚がかなり乏しい。そのせいで、崇之にも「金銭感覚がない」と何度かバカにされた。

 だけど、あの崇之があんなに驚いた顔をするのだから、きっとそれはよほど法外な値段だったのだろう。

 というのも、私は何度か崇之の仕事場に連れて行かれたことがある。当然、商談中の崇之も何度か見たことがあったが、クライアントからどんなに仕事を吹っかけられても平然とするどころか、笑顔を崩さずに対応していたからだ。余りにも完璧すぎる営業スマイルに、何度驚いたか。驚きを通り越した末に、自分の従弟いとこでありながらも気持ち悪ささえ感じたこともあった。

 だからこそ、引きつったような笑いさえ、新鮮に見えた。こんな笑い方するんだ、って。


「まあね。ざっと二倍から三倍くらいかな?」


 私だけに聞こえるように言うと、崇之は頬杖をつきながら、説明を促す。


「とりあえず、理由を聞きましょうか」

「いやぁ、こんぐらいかかると思うんですけどねぇ、ま、強いて言うなら──」


 店長の男は、さほど気にしていないかのように内訳を説明していく。

 私は、最初は独特な営業トークを楽しんでいたが、そのうち聞くのが面倒になり、意識はぼんやりと遠くの方へ移る。そして、ふと気が付いたように店内を見回した。


──本当に、誰もいない。


 改めて、実感した。

 時折、店の入口の近くのスタッフルームから店員が顔を出して、働きアリのように忙しなく動くのが見える。だからといって、そのままこっちにやってくるわけではない。

 別にやましい気持ちがあるわけじゃないけど、誰も来ないのがわかっているからこそ、私は落ち着いて展示されている車を落ち着いて観察できた。当然のことかもしれないけど、遠目に見て車は埃一つ被っている様子はなく、むしろ照明に照らされて光り輝いていた。

 きっと、朝になると従業員総出で掃除するのだろうか。

 そう思ってもう一度見渡すと、今度は黒ずんだ壁と水垢のついたショーウィンドウ、そして埃っぽい床とのギャップが際立って見える。


──どういう事だろう。


 少し首を捻る。どうしてだろう、と考えていると、横の方から目線を感じて振り向く。

 すると、小太りな白髪頭の男性の店員が、ホコリ取り片手に私の方を見ていた。私と目が合うと、少し疲れたように笑うとホコリ取りで車を撫ではじめた。

 私は呆然として、その掃除の様子を見ていた。そうか、あの店員が磨いていたのか、という納得よりも、いつの間にそこにいたのかしら、という驚きの方が大きかったからだ。

 私がここに座った時には、案内のために一緒にいた店長以外はここにはいなかった。となると、雑誌を読んでいた時あたりからいたのだろうか。それにしても、あの店員どこかで見たことあるような──


「──みゆき?」

「ひゃっ?!」


 突然、崇之から肩の辺りを突かれながら呼ばれたことに驚いて、悲鳴のような声を上げる。


「どうした?」


 振り向くと、崇之が心配そうに顔を覗き込んできた。


「……別に」


 少し恥ずかしくて、そっぽ向きながら軽く咳払いした。チラリと目線を向けると、小太りの店員の姿は消えていた。


「──というわけで、バッテリーの交換を行うので、それが原因ですかねぇ?」


 説明を終えた店長が、コーヒーを口に含んだ。


 崇之は、机に広げられた資料を手に取り、蛍光ペンで赤く塗られたところを何度も繰り返し眺める。

 そして、目配せをしながら私に訊いてきた。


「どう思う?」


──そんな「いつものアレ、お願いします」という目で見られても。


 崇之の意図が掴めず、小さく溜め息をつく。


 すると今度は、小太りの店員は店長の座る長椅子の少し後ろあたりに立っていた。そして私と目が合うと、首を横に振ってから口を開いた。


「──────」


──ああ、そういうことね。


 やれやれ、と首を振ってみせてから、私はキッパリと言い切った。


「部分的にダウト。バッテリー交換が必要という点は正しいかもしれないけど、明らかに高額よ。そうね⋯⋯、不必要なまでに高額なバッテリーを売りつけようとしているとか、そこらじゃないかしらね」

「だそうですが?」


 言うと、崇之はスマホを弄って、エンジンルーム内を撮った一枚の写真を出した。バッテリーがよく見えるように写真を拡大した後、崇之は車検の明細書とともに店長の前に突き出した。


「一応品番はコレのはずなので。まさか製造中止とは言わないでしょう?」


 崇之がスマホの画面をスワイプすると、某ネット通販で同じ品番の商品──もっとも同じ会社のものが車の中に入っている保証はないが──が売られているのを示すスクショが現れた。

 これは後で調べた話だが、私が品番だと思い込んだ数は、電池の性能を表す番号に、乾電池でいうところの単一、単二のような電池の型を表すような記号が組み合わせられたものであり、型さえ同じであればどの会社のであれ使うことができるらしい。後はパワーとか、どこ製かとか、そういったところで価格が上下するらしい。

 閑話休題。

 スクショを見た店長は、慌てた様子で明細を書き換えた。


「いやぁ、勘違いしておりました。でしたら、これくらいでいかがでしょうか?」

「……だそうだが?」


 崇之は、再び私の方を見る。店長も、私の機嫌を伺いながら説明を続けた。


「年数が経ちますと、やっぱり点検箇所とか、交換とか、何かと増えてくるものでしてー、今回の崇之様の場合ですとこの部分とか、確認してみないことには修理が必要か分からないですしー……」

「てことは、車を一回バラッバラにして点検するつもりかしら?」

「いえいえっ、そんなことは。ただ、実際交換や修理が必要な場所もー」


 そう言うと、店長の男は一枚の表を崇之ではなく、私の方に直接差し出した。修理項目とタイトルの添えられた表は、A4用紙いっぱいまで、ビッシリと埋まっていた。


「ダウト」


 私は、修理項目リストを机の上に投げてから、大きく伸びをした。


「買ってから三年目で、見積もりだけでこんなに修理箇所が出るなら、きっとリコールものだわ。そうでなければ……、でっち上げかしらね」


 頼んでおいた紅茶を軽く口に含んでから、「これでいい?」と聞くかのように、私は崇之の方を見る。崇之は、もう十分だ、と私の肩を叩いた。

 疲労感を感じた私は、足元に転がしておいた旅行鞄を持って席を立つ。


「──だそうだが、どうですか? 自動車に関して詳しくない私からみても、この値段は法外だと思うのですけど」


 崇之は、追い討ちとばかりに店長の男を責める。

 報酬焼肉食べ放題が振り込まれるまでには、どうやらもう少し時間がかかりそうな気がした。

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