第2話 - 後 - 1

 双子坂駅に着き、駅の外のモニュメントの前で眼鏡の弁護士らを待つ。

 数路線が乗り入れている駅なだけあって人通りは多く、平日の昼間だとはいえ、電車が来るたびに駅前のロータリーの方へと人が溢れ出していた。


 私の立っている場所からちょうど真正面、駅の入り口近くの露店からとろけそうなほど甘い香りが漂う。

 約束の時間が近くなかったら、あの行列に並んでいただろうに。


──はぁ。

帰りに寄るまで、シュークリームが店先に並んでるといいな。


 腹の虫が鳴りそうなのを耐えながら、モニュメントに埋め込まれた時計を見上げる。針は、十時の二分前を指していた。

 あと二分。

 冬の寒い風が、一時的に人の捌けた広い空間を吹き抜ける。長めのスカートの裾からは、震えそうな空気が入り込んできた。


「お待たせしました」


 聞き覚えのある声で、私に話しかけてきた人が一人。

 先日に話をした眼鏡の弁護士が、一人の中年女性を連れて立っていた。

 ネクタイだけが皺もなくピンとしているのは、相変わらずといったところだ。先日私と話をしてから何日か経って、ますます忙しくなっているのだろうか、弁護士は目の下の隈を擦っていた。


「着いたばっかよ、気にしないで。それより、隣にいる方は?」


 中年の女性の憔悴しきった顔が、ピクリとだけ反応する。

 急に話を振られて驚いたのだろう。しかし、それを表に出せるほどの気力は女性からは感じ取れなかった。


「今回の依頼主様です」

「そう、よろしく頼むわね」


 依頼者──安奈さんのお母様は、返事の代わりに小さく頷いた。


「詳しいことは後で話すとして……、今はこれだけ。これは最終確認だけど、で本当にいいわね?」


 年を押すように、私は聞いた。


「……はい、お願いします」


 気の無い表情で答える様は、錆び付いた機械を無理矢理動かす時の軋み音に似ていた。

 それでも、依頼者、安奈さんの母は、私から目を逸らすことはなかった。


「……了解したわ。案内して頂戴」


 眼鏡の弁護士は頷き、エンジンのかかったままロータリーの端に止まっているセダン車の方へと案内した。





「こちらです」


 車の脇に来ると、眼鏡の弁護士が大欠伸おおあくびをしながら後部座席のドアを開けた。

……寝不足なのかしら。心なしかふらついているようにも見えた。


「……そんなんで大丈夫? 流石に事故に巻き込まれるのは御免なんだけど」

「いえ、運転するのは私ではなく秘書ですので、ご安心を」


 ベストにレザーの手袋、そしてスラックスを履いた、ショートヘアーの、一見男性にも見えなくもない小柄な女性が、車から降りてきて眼鏡の弁護士の脇で一礼し、運転席へと戻って行った。


「荷物はトランクに入れますか?」


 眼鏡の弁護士が、私の旅行鞄に目をやりながら言った。


「ええ。そうしてくれると助かるわ」


 眼鏡の弁護士が私から受け取った荷物をトランクに入れる間に、私と安奈さんの母は車の後部座席に座る。バン、と荒っぽくトランクが閉められた音がした後、眼鏡の弁護士も助手席に乗り込んだ。

 それを確認してから、秘書は車を走らせた。


「依頼者もいる事だし、今回の依頼をもう一度確認させて貰うわね。今回、私がやるのは事件現場周辺での依頼者の娘、安奈さんの霊の捜索及び事件に関する情報の聞き出し。可能なら、証拠品の回収……、こっちは警察の方に頼んであるわ。そんなところかしらね。何か聞きたいことある?」

「……いえ」


 依頼者は、首を横に振った。


「それと、殺害現場に行ったとしても安奈さんがいないこともある、ってことは理解してるわね?」

「……ええ、はい」


 今度は、頷いた。


「なら良いわ。一応、見つかるように善処はする。だけど、必ずしも見つかるわけじゃない。今回のようなケースでは、特にね」


 言い切って、空を見上げる。

 雲一つない、綺麗な空。何もなく、ただ吸い込まれてしまいたくなるような空。


「確認したいのはそんなもんね。あとどのくらいかかるかしら?」

「そうですねー、二時間くらいですかね。長いので寝てていいですよー」


 弁護士ではなく運転中の秘書が、ほのぼのとした様子で答えた。


「そう。なら、そうさせてもらうわ」


 ヘッドレストにもたれ掛かって、そっと目を閉じる。世界は、エンジンの音だけになった。



「着きましたよ」


 秘書の声で、目を覚ました。

 車から降りて、辺りを見渡す。七両の駐車場に、乗ってきた車を除いて二台止まっていた。

 奥の方に、自販機と公衆トイレが見える。それ以外は、一面の木々だった。


 トランクから旅行鞄を出してもらうと、二つ隣に止まっていた車から人が降りてきた。


「よう、真白」


 屈強な、見覚えのある顔が、コーヒーと煙草の匂いを漂わせながら私の方へやってくる。


「……どちらさんで?」


 眼鏡の弁護士が、不安そうに聞いてきた。


「知り合いの警察よ。見た通りゴリラみたいな怖い顔をしているけど、いつものことだから」

「……ったく、相変わらずだな、その口は」


 頭を掻きながらも、警察手帳を弁護士らにも見えるように出した。

 その名前欄を見て、やっと思い出した。


「あっ、そうだったわね。名前も五里ゴリだったわね。忘れていたわ」

「ゴリゴリ言うな、ったく」

「んで、今日は別の人が来るんじゃなかったの?」

「あぁ、そういう話だったんだがなぁ」


 当初、私が今回の話を五里警部に持ちかけた時、警部の代わりに、今回の事件を担当している人を来させるという話で通っていた。これを提案したのは五里警部の方だが、実際、その方がトラブルを防げるので真白もそれに同意した。

 しかし、担当側と日程が合わず、代わりに五里警部が出てくることになったらしい。昨日になって、急に電話で知らせてきた。


「ま、暇人同士仲良くやりましょうか。警部」

「……うっせぇ」


 警部は、鬱陶しそうに言い放った。


「それにしても、大きな森ね。樹海って、こういうのを言うのかしら?」

「いえ、確か樹海は富士山の麓にしかなかったような気がしますが」


  弁護士が、眼鏡を指で持ち上げながら訂正した。


「そう? ここだって、木々が海のように広がっていると思うんだけど」

「まぁ、そうですけど……」

「じゃあ、その『樹海』とこの山の森には違いがある、ってわけよね。何かしら、それは」

「ええと……」


 困り切った眼鏡の弁護士が、胸ポケットからスマホを取り出して調べ始めた。


「あーあ、やりやがったよ、コイツ。ついには弁護士サマまで困らせやがった」


 ゴリ警部が、ケタケタと笑った。


 前もこんなことがあったような気がする。確か私はその時、──と──の違いを聞いて、捜査中の警部だかを怒らせた。

 後で五里警部が大笑いしながら、あれは俺の上司だと言っていた。よっぽど気にらない上司だったのだろうか、焼肉でも奢ろうか、と誘ってきた。さっさと家に帰りたかったかの理由でそれを断ったら懐かれた。そして、今に至る。

 今思えば、五里警部とはあの時からの仲だった。


「良いじゃんかよ、別に。弁護士サマがそうだって言うんだから。そんだけ知りたかったら、帰ってから調べれば良いじゃんかよ」

「……それもそうね」


 駐車場に残る秘書を除く四人で、山道の方を見やる。


「ずっとこんな感じなのかしら。なんて言うの、こう、薄暗い感じの」

「薄暗いか? 曇ってるし、こんなもんだろ」


 警部が、空を見上げた。


「……そう」


 旅行鞄を地面に転がして、金具を弾く。うさぎのぬいぐるみの脇の隙間に詰め込まれたアンティークランプのネジを捻った。

 ガラス製の風防の中で、が煌々と光る。赤茶色に錆びついた──風の持ち手が揺れると、金具の擦れ合う甲高い音がした。


「これは?」


 スマホを握ったままの眼鏡の弁護士が、物珍しそうに込む。


「見ての通り、電気ランタンよ」

「いや、あの……」

「……言うな、言いたいことは分かる」


 男二人が、頭を抱えた。


……暗い時に明かりをつけるのは、そんなに珍しいことかしら?


「それより、早く行きましょう。寒いわ」


「ああいう奴なんだ。除霊道具だと思って諦めた方が早い」

「……そうですか」

「というより、そんなんで驚いていたらこの先やってらんねぇぞ。なんつったって、相手は『霊媒師』サマだからよ」

「なるほど。それもそうですね」


 男二人衆は、諦めたように頷き合っていた。


「それじゃあ、行くか」


 眼鏡の弁護士は、依頼者が頷いたのを確認してから答えた。


「ええ、行きましょう」


 警部が先導して、その後ろを私と、眼鏡の弁護士に付き添われた安奈さんの母が続く。

 一行は、森の中に消えていった。

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