第2話 - 前 - 2

「それでは改めて。私は、如月きさらぎ 安奈あんな、今回の事件の被害者の弁護士です」

「念のため確認させてもらうと、女性の方よね?」

「ええ、そうです」


 頷くのを見てから、私はもう一つ気になっていたことを訊いた。


「それともう一つ。被害者の弁護士って、どういうポジション?」

「……相手が賠償を要求しているためです」


 少し複雑になります、と眼鏡の弁護士は告げた。


「被害女性、安奈さんと加害者──確定したわけではありませんが、ここではそう呼ばせていただきます──が面識を持ったのは、推測される限りこの動画がきっかけです」


 そう言って、眼鏡の弁護士はスマホを取り出した。動画サイトYに並んだ一覧をスクロールして、手書き風の少女が床に体操座りしたようなサムネイルの動画をタップした。

 小さなスマホから、若者調のポップな曲が流れ出す。弾けるような前奏が終わると、穏やかに、しかし力強く歌い上げるような歌声が部屋一杯に溢れ出した。


「安奈さんはAn_12という名前で活動していた歌い手でした。この動画が投稿された当時、安奈さんは高校生だったそうです。そして、この動画を見つけたのが瀬街遼河。瀬街財閥の長男にして、今回の事件の加害者です。


 この声に可能性を感じたのか、それとも単に好みだっただけか。そこまでは分かりかねますが、瀬街遼河は、自分の親の管理する事務所にスカウトしました。

 当時、歌ってみた動画を趣味で投稿していた安奈さんは、最初は拒否したものの、加害者からの強い推しと、母子家庭だった如月家の経済的支援を提案したこともあり、『あくまで所属するだけ』という条件で最終的に折れたそうです。


 その後、事務所の積極的なPR活動のお陰もあり、再生数は増加。ネットのみで活動する歌い手の中ではかなり売れたそうだったそうです。

 この頃、二人は非常に仲が良く、聞き込みをしたところでは、安奈さんが加害者と談笑しながら歩いているのを見かけたとか、事務所でもいつも一緒にいたとか、そういう話が多かったと記憶しています」


──そう言えばそうだった。ニュース番組でも新聞でも、必ずと言っていいほど近所の人が出てきて「仲良さそうに歩いてた」と言っていた気がした。


「実際に遊園地に二人で行ったとか、ショッピングに行ったとか、行ってないとか」


……随分楽しそうにやってたんじゃない。


 ふぅ、と溜め息を零した。


「ただ、実情は違かったようです。度重なる暴力、俗に言うDVです。仲の良かった友達に相談したこともあったらしく、聞いた話とかを纏めると安奈さんの人気が上がり始めてから、突然酷くなったそうです。

 相談を受けた友達は、事務所を抜けるよう助言したそうですが、結局辞めることはできませんでした」


「……家計支援の打ち切り?」

「ええ、それもあります」


 眼鏡を指で押し上げて、弁護士は続けた。


「多額の違約金を盾に握りつぶしたそうです。……私からすれば、発生する筈のない金なのですが」


 よほど法外なものだったのだろう、あり得ない、というかのように首を振りながら大きく溜め息をついた。


「そして、事件が起こりました。加害者側が要求しているのは、安奈さんの違約金及び評判悪化による業績悪化分の補填。それに長男の死亡に伴う損失に対する補償です」

「……凄いわね、それ」


 それしか言葉が出ない。契約の違約金──、仮にDVがなかった場合だとしてもそれだけは仕方ないかもしれないが、それ以外は特に。


「どうしたらそうなるのか聞きたいわね」

「加害者側の家族は、安奈さんとの恋愛が浮気行為であったと主張しているのです」

「……どういうこと?」

「相手側の言い分では、加害者は既にお見合いにより結婚相手が決まっており、安奈さんが自傷行為を含む脅迫を行なったことにより道を外した、と」

「自傷行為?」

「ええ、自傷行為です。警察の調査によれば、腕などに、ナイフ等により傷つけられた跡が複数見つかったそうです」

「それ、無茶苦茶じゃない。自殺衝動に駆られるほど苦しんでやっただけかもしれないじゃない」

「ええ。……それに、警察は安奈さんの体の至る所に殴られた跡があるのを報告しています」

「それじゃあ!」


 思わず立ち上がりながら声を張り上げてしまった。眼鏡の弁護士が驚いた顔をしている。咳払いをして、椅子に座ると、弁護士は首を振った。


「……加害者側は、母親によるDVの結果と主張しています。実際、事件の直前には怒鳴り声や物を投げるような音が聞こえたという証言もありました」


「……じゃあ」

「そうです、加害者のDVを証明するようなものは見つかっていません。寧ろ加害者の潔白を証明するものしか」

「……なるほどね。それで私のところへ来た、と」

「ええ」


 眼鏡の弁護士は、話きって疲れたような顔をしていた。


「それじゃあ、質問。確か、事件現場へ二人は車で向かったはずよね? その時の証拠、そうね、どっちが運転していたとか、どっちが誘ったようだったとか、そういった情報は無かったの?

  それともう一つ。自傷行為で迫るような女と心中しようと思うかしら? 普通に考えれば違うわよね、寧ろ加害者の方が立場が上なんだし。最悪、首を切ってしまうのも手ではあったはずよ。その点についてはどう思うの?」

「ええ、そこなんです。警察はその点についての情報を公開してないんです。単に掴めてないのか、それとも隠しているのか。

 それに、どちらかが心中するように迫った場合、刑事事件として立件が可能です。寧ろその方が多額の賠償金をむしりとれるでしょう」

「なるほどね。……それで欲しいのはDVの証拠、可能なら心中に至るまでの様子につながるような証拠ね」

「ええ。……引き受けてくださいますか?」


 眼鏡の弁護士は、最後の希望と言わんばかりに私の方を見た。


「一つだけ忠告しておくわ。死人に口は無いの。どんなに死者がそうだと言っても、現実は覆らない。つまり、無駄骨だって場合もあるの。事件場所に行ったって安奈さんがいない可能性だってある。それでも良いの?」

「それしか無いんです」

「……そう」


 ティーカップの紅茶を飲み干して、棚の上のウサギのぬいぐるみを一瞥する。その脇の置き時計は、いつもと同じ時間を指していた。


「それと。私は貴方を信頼しようと思っているけど、それは貴方のためなら何でもしようというわけじゃないの。どんなに貴方に不都合な結論が出ようとも、私は貴方のために嘘をつくようなことはしない。勿論、貴方の害になるような嘘もつかないけど。それは、いいね?」

「ええ。分かってます」

「……そう。ならいいわ」


 私は、大きく深呼吸をした。


「少なくとも会える可能性があるのは、事件現場ね。その他の場所にいる可能性も否定できないけど、今回は少ないでしょうね。となると、警察には連絡したかしら? ……その様子からすると、まだのようね。いいわ、こっちから伝えとく。それと地権者にも連絡しといた方がいいわね」


 眼鏡の弁護士は、何も言わずポカンとした顔をていた。


「……なにボヤッとしているの」

「えっ……、あっ、ああ。受けてくれるとは思わなくて」

「当たり前じゃない。依頼料だけくれれば、仕事は受けるわ。それに、警察とも仲が良いの。意外でしょ?」


 ふふっ、と笑って見せた。


「当日は安奈さんのご家族はいらっしゃるのかしら?」

「ええ、恐らく」


 まだ決まったわけではありませんが、と付け加えた。受けてくれるかどうかが分かってから決める予定だったのだろう。


「となると、当日は現地集合で良いかしら?」

「いえ、こちらで車を用意させて頂きます」

「そう。それで、依頼者様はどちらに住んでいらっしゃるのかしら?」

「私ですか?私は……」

「貴方じゃなくて。貴方の依頼者、安奈さんのご家族の最寄駅に集合でいきたいの。もしくは高速に入りやすい位置にある駅ね。そこまでの往復の交通費は私が持つから。出かけるついでだし、買い物がしたいの。頼まれていた本もあるしね」

「……ショッピング、ですか」

「悪いわね、出不精で。こういう時でもない限りまとまった買い物をしない性分なのよ」

「なら、双子坂駅で集合は如何でしょうか」

「双子坂、ねぇ」


 確か、デパートが入っていた、結構大きな駅だった気がする。気を使ってくれたのだろうか。私としては帰りにでも寄ることができれば構わないのに。


「良いわ、最高ね。なら、当日会いましょう」


 そう言って、眼鏡の弁護士との話し合いを終えた。

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